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月の蘇る
  1
 間道を進もうとしたらしい密偵を問答無用で斬る。それが皮切りとなった。
 朔夜の目は既に敵陣に据えられている。崖を走り、飛び降りて、そこに居た兵を斬り下ろした。
 着地で屈み込んだ体勢のまま次の相手の懐に飛び込み、鎧の隙間に刀を突き立てる。反撃の隙も与えない。そしてまた、次へ。
 音も無く僅かな時間の間に、そこに居た数人の兵は倒れていた。
 崖上から波瑠沙はその様を息を飲んで見ていた。
 朔夜が見上げてきて、その人懐こい笑みを見せる。
 一応笑い返して、崖を駆け下った。
 これは力を使ったのではなく、実力の内。
 だとしたら、恐るべき実力だ。
 少年はその意識の内で修羅となれるよう鍛えられている。本音で嫌だと言いながら。
 そうならざるを得なかった半生を想う。
 どれだけ苦しみ抜いてきたか。
 幔幕から出てきた男を陰からやり過ごし、背後から飛び付いて喉を掻き切った。
 返り血で白い肌に班目が出来た。
 そこに漸く波瑠沙が降り立ち、並んだ。
「今日は俺のままで居るから」
 朔夜は囁いた。
 目的は救出だ。月を憑けてはそれが難しくなる。だから能力は使わない、と。
 言わなかったその言葉の続き。
 だから、一緒に居て欲しい。
 初めて背中を預ける心強さを覚えた。
 十年独りで戦い続けて、初めて。
 波瑠沙は海が見たいと言った少年の笑顔を思い出していた。
 いつかその身に浴びた血を、悲しみを、濯ぎに連れて行ってやろうと。
 そう誓った。
 朔夜は幔幕を切り裂いて進んだ。
 中に居た兵はぎょっとした顔で闖入者に目を向けた。
 その一瞬で刀は走っていた。
 波瑠沙も刀を抜き下ろしながら、そう数は多くないと考え直していた。
 敵のど真ん中とは言え、表では戦闘中なのだ。後ろに残る兵など知れている。
 その空間を屍だけにして、朔夜は首を巡らせた。
「手分けして探すか?」
 波瑠沙から提案すると、頷きかけてから首を振った。
「一緒が良い。見つけた時に一人じゃどうしようも無い」
「まあな」
 香奈多一人ではないのだし、その女達は無事であっても弱っている事は間違いない。庇いながら敵中の退却は無理だ。
「それに、離れてたら集中出来ないから。お前に何かあったらと思うと」
 俯きながら言った、それが第一の理由だろう。
 波瑠沙は鼻で笑った。
「奇遇だな。私もだよ」
 目を合わせて、笑う。
「行こう」
 次の空間に躍り出て、異変を聞きつけて近付いていた兵を斬る。
 斬りながら、進む。
 感覚的に中央へ向かっている。重要な人質でもある筈なので、恐らく瀉冨摩と近い場所に居るのではないか。
 無言のうちにその考えは一致しており、二人は同じ方向へ斬り進んだ。
 波瑠沙が敵の攻撃を刀で押し返し、そこで生まれた隙に朔夜が留めを刺す。
 また、朔夜が敵の足を斬り付け動きを封じ、波瑠沙が鎧ごと断ち切る。
 繰り返すうちに協力する事を覚え、息も合ってきた。
 朔夜の口に浮かぶ笑みは、悪魔的な愉悦からではない。共に居る事の余裕が笑みになるのだ。
 波瑠沙もそれは同様だった。本来闘争の好きな彼女は愉しくさえあった。
 二人なら何処へだって行ける。何だって出来る。その、希望。
 血路を開き続け次なる幔幕を前に、朔夜の目の鋭さが増した。
 戦闘により高められた五感は異様な感覚を感じ取っていた。
 それが何かを思い出して波瑠沙を振り返った目が、怯えていた。
 波瑠沙は察知した。
「私が行こう。ここで待て」
 朔夜は複雑な表情で幔幕を睨み、頷いた。
「…中に武装兵は居ない。でも気をつけて」
「ああ」
 安心させようと銀髪をくしゃりと掻き乱して、波瑠沙は幔幕を潜った。
 だが、そこにあったのは、覚悟していたそれ以上の光景だった。思わず足が竦んだ。
 女達の裸の死体が散乱していた。その幾つかは、首が無くなっている。
 その奥に。
 香奈多は、手首を縛られて吊られていた。
 膝立ちの足はそれぞれ杭に縛られて無理矢理開かされたまま、その付け根から血を流して。
 ぐったりと垂れる首からそれ以上の血が流れている。
 後ろに居た男が首に当てていた刃を浮かせた。
「この首、敵陣に送ってやろうと思ってな」
 波瑠沙は首を横に振って後ずさった。
 この現実が受け入れられない。こんな事。
 あってはならない。
「元々娼婦だったんだろう?良い働きをしてくれたが、惜しいな。こいつがあの軍神の女だったとは」
「そんな事、誰が」
 男は横に視線を送った。
「明紫安に昔聞いた話だよ」
「瀉冨摩…」
 佞臣は歪んだ顔で見返した。
「若い頃は何でも話をする仲だったんだが、どうも儂が老いるにつれ愛想を尽かされたようだ。女などそんなものかと思い知ったよ」
「貴様の本性が出たんだろう!陛下を悪く言うな!こんな事までして…人でなし!」
「偽王の雌犬は煩いな。お前もこうなるか?」
 瀉冨摩が女達の亡骸を指差した。
 その意を受けて控えていた男が刀を抜いて動いた。兵ではなく、瀉冨摩の側近だ。
 波瑠沙は凍りついていた身を翻した。が、一呼吸遅れた。
 その瞬間。
 銀の風が鮮血を迸らせた。
 刀を持っていた男は首を飛ばして倒れた。
 朔夜は瀉冨摩に一切の抵抗を与えないまま、その胸倉を掴んで刀を首に押し当てていた。
 表情は鋭く冷たい。が、目の中は怒りに燃えていた。
「彼女に手を出すな。さもなくば生きたまま地獄を見ることになる」
 瀉冨摩が恐怖で引き攣った息を吸い上げた、その時。
 陣中に喧騒が起こった。
 遠くで鐘が鳴っている。退却の鐘だ。
 兵達が引き上げてきた。
「…終わりだな、瀉冨摩」
 冷たく笑って波瑠沙は言った。
 佞臣は唾を散らして怒鳴り返した。
「それはお前達の方だろう!もう逃げ道すら無くなるぞ!おい!皆ここだ!!来い!」
 兵を呼ぶ喉に更に刀を食い込ませて、朔夜は嘲笑う。
「みんな纏めて殺してやるが、それでも良いか?」
 幕の中に兵が雪崩れ込んだ。
 朔夜は言葉通りに身を翻して彼らに斬りかかった。
 見えぬ刃が首を次々に刎ねる。一気に阿鼻叫喚の地獄と化す。
 波瑠沙はただならぬ様相に動けなかった。
 だが解った。これが朔夜の恐れているものだ、と。
 再び凍りつきそうな体を叱咤して動かし、腰を抜かしたままの瀉冨摩の横へ屈んで刀を突き付けた。
「もう逃げるなよ。逃げてもあいつが何処までも追ってお前を殺すだろうけど」
「…奴は…何者だ…!?」
「知らないのか」
 心底意外に思ったが、すぐに納得した。
「そうか。ずっと大臣の椅子で金儲けに夢中だったから、お前の為に兵達がどうやって死んだのかも知らないんだよな」
 今すぐこの男を殺してやりたいと思ったが、その役目は自分ではない。
 波瑠沙は不敵に笑って教えてやった。
「南方の悪魔だよ」
「あれが…戔王が子飼いにしていたという、あれか?かつての戦で敵味方とも全滅させたという…」
「そうだ。だから諦めろ。尤も…」
 この男を殺すのは。
 朔夜が居るそのもっと向こうで鮮血が舞った。
 驚異的な速さで敵が倒れてゆく。朔夜だって十分人並みではないが、それよりも、もっと。
 刃の竜巻の中に人が巻き込まれてゆくような。
 波瑠沙とて言葉を失った。
 が、当然だとも感じていた。
 軍神を怒らせた、その祟りは怖い。
「…まずい」
 朔夜は怒りに任せていた手を止めて踵を返した。
 波瑠沙の手を取って逃げる。香奈多の吊るされている、その後ろへ。
 そこに居た男を一閃で斬り倒して、波瑠沙を座らせ、自分の身で覆うように庇った。
 この殺気は、人を選んでくれない。
 我を忘れた自分がそうであるように。
 嵐はそこまで来た。
 震える波瑠沙の体を強く抱きながら、朔夜は覚悟を決めていた。
 一度静まった世界。
 そして。
 がっ、と音が響いた。
 見えぬ刃の応酬。また高い金属音が響く。
 暗枝阿は冷たく見返した。
 女を庇って立つ朔夜を。
「任務をしくじった罰を受けるか?」
「任務?」
 恐怖を押し殺した笑みを口に貼り付けて、朔夜は言った。
「違うだろ。お前は俺に頼み事をしたんだ」
 ふん、とつまらなそうに鼻を鳴らして。
 刃が飛ばされた。
 朔夜は耐えた。身を切り裂く痛みに耐えて、そこに立っていた。
 波瑠沙に刃を届けてはならなかった。
「朔!」
 愛する人の血を浴びて、悲鳴のように名を呼ぶ。
 朔夜は喉を迫り上がってきた血と共に詰めていた息を吐いて笑った。
「八つ当たりはやめろよ、紫闇」
 視線は、彼の想い人へ。
「彼女は望まないぞ。そんなの…」
 どっと体に衝撃を受けて、朔夜は倒れた。
 波瑠沙が体を受け止める。抱えられて、初めて痛みに気付いたように顔を顰めた。
 だが、その一撃は刃ではなかったと知った。大きく弾力のある空気の壁がぶち当たったような感覚。
 殺気が消えていた。
「大丈夫か…!?」
 波瑠沙の問いに頷き、その男に視線を送る。
 彼は、仇の前に立っていた。
 瀉冨摩は既に逃げる事を忘れていた。口を開けて敵将を見上げるしかない。
「安心しろ、瀉冨摩。今すぐは殺さない」
 残酷な笑みで暗枝阿は告げた。
「お前は少しずつ生皮を剥がれ、肉を削ぎ落とされる。十分苦しんだその上で首を刎ねてやる。そしてその首は苴へ送る。かの国の馬鹿者共が慌てふためくだろうよ」
 くっくっと喉の奥で笑う。対して瀉冨摩は、顔面を蒼白にさせ、気を失った。
 もうその男に用は無いとばかりに踵を返し、再び近寄ってきて。
 しかしその目にもう二人の姿は無かった。
 香奈多を縛っていた縄を切って、その体を受け止めて。
 全ての戒めを解いて、愛する人を抱き上げた。
「悪かった。俺が来れば良かった…もっと早く、生きてるうちに…」
 その謝罪が全てだった。
 冷たくなった唇を吸い、甘く噛んで。
 愕然としている若い二人に視線を落とした。
「覚えておけ、小僧」
 怒りと悲しみに歪んだ笑みを見せながら。
「同じ人間を二度は蘇生出来ない」
 華耶の顔が浮かんで。
 否、そうはさせないと首を振った。
 誰も、それが必要な状況にさせない。絶対に。
 蘇生の方法は知らない。知らなくて良い。
 女の屍を抱いた男は去り、代わりに自軍の兵が押し寄せた。
 瀉冨摩は捕らえられ、縄を打たれて連れて行かれた。
 朔夜は唸りながらやっと波瑠沙の体から降りた。
 と言っても力が入らず、すぐに地べたに潰れてしまったが。
「お前…よく生きてるな」
 寧ろ驚くのはそっちである。
 力も声も無く笑い、腹這いのまま軽く手を上げた。
 波瑠沙の手が握り返してくれる。
「ちょっと…寝る…けど」
 取り扱い方法を伝えておかねばならない。
「傷を晒しておいてくれるか…?月明かりのある場所で…」
「え、ああ、…分かった」
 うん、と頷いて。
 意識を失った。
 波瑠沙も朔夜の体を抱き上げて、その混乱の中から脱した。
 陣中に敵兵は殆ど残っていなかった。生き残ったのは早々と投降し捕虜となった兵だけだ。
 戦後処理に人々は働く。その横を擦り抜けて、波瑠沙は人気の無い丘を上がった。
 砂漠の月が煌々と輝いている。
 手頃な場所に寝かせて、身と共に切り裂かれた衣服を脱がせて。
 半身を晒させて、その傷に目を凝らした。
 肋骨が浮くほど細い子供のような体は殆ど血に汚れて、傷の在処も分からない。
「…無茶しやがって」
 悪態を吐き、再び体を寝かせて。
 一旦その場を離れた。自陣から水を持って来る事にした。
 もう敵は居ない。離れても問題無いだろう。
 意識があれば縋ってきたかも知れないが。
 想像してちょっと笑う。基本は甘えたい年頃のお子ちゃまだ。
 だけど。
 夜空に向けて溜息を吐く。
 あいつは怒らせちゃならないな、と思った。
 悪魔と軍神を同時に本気で怒らせた瀉冨摩はある意味凄いかも知れない。
 冗談はともかく。
 水の入った樽を軽々と肩で持ち、踵を返そうとした所で仲間に呼び止められた。
「天使はどうしている?傷を負った者が居るんだが」
「天使?」
「だって、神の使いだろ?あの子供」
 思わず噴き出した。
 その呼称はぴったり過ぎる。
「あいつ自身も大怪我なんだ。ちょっと待ってやってくれ。そのうち復活するだろうから」
 笑いながら告げて、帰途へついた。
 神というのは大袈裟過ぎる。悪魔というには優し過ぎる。
 ならば天使か。あの笑顔にはそれが似つかわしい。
 戻ってきて、何事も無い事を確認して。
 傷だらけの痛ましい姿だが、本人は気持ち良さそうに眠っている。
 己の衣を裂いて水に浸し、固まりつつある血を拭き清めてやる。
 あの短い間に無数の傷を作っていた。
 軽いものが殆どで、それはもしかしたら普通の刀傷なのかも知れないが、一つだけ右肩から腹にかけて大きく深い傷が走っていた。
 拭いても拭いてもそこから新たな血が溢れ出してしまう。
 ある程度で諦めて、様子を見る事にした。
「本当によく生きてたな…」
 普通は死んでいる。こんな傷。
 暗枝阿から自分を守る為に庇って出来た傷だと、見れば分かる。
 これを受けて立ち続けてくれた。絶対に、刃を後ろへ通すまいと。
「…ありがとな」
 まだ温かな唇へ口付けを落とす。
 一つの恋人達の、悲しい終焉を見た後に。
 自分達は絶対に、ああはなるまい、と。
 更に強く在ろうと決めた。この天使を泣かせたくないから。


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