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月の蘇る
  5
 苴からの使者は王の親書を渡してきた。
 これを自分達の王に渡すべきか、否、渡さねばならぬのだが、そうしてしまっては取り返しの付かない事になる気がして、宗温は手にしたまま迷っていた。
 当然中を見る事は許されないが、どうあっても望むような内容では無い事は確かだ。
 本人はどうか知らないけれど。
 王の逗留する屋敷へ宗温は向かった。
 あれから彼は陣中へ来る事が無くなった。勿論、互いに用事は無いので問題無いが。
 屋敷に近付くと、女達の笑い声が聞こえた。
 何事かと中を覗く。そこへ、鞠が飛んできた。
「あ、宗温。丁度良かった。こっちに寄越してくれ」
 龍晶の声に目を丸くして、とりあえず投げて返した。
 鞠はそこに居た皇后と女官達の輪の中へ戻っていった。
「済まんな。わざわざ来させたようだ」
 鞠の代わりに王自身がこちらに寄ってきた。
「何をしていらしたのです?」
「遊んでた」
 それは全くそうなのだが。
「いや、あのな!華耶に宮中の遊びを教えてたんだよ!春音とやるからって!」
 誤解を招いたと気付いたのか龍晶は早口に言い足した。
「ああ、成程。分かりました。いえ、珍しいなと思っただけです」
「そりゃそうだ。俺も随分久しぶりだったし」
 久しぶりの向こうを思い出すと、表情が抜けた。
 母や小奈の記憶がそこにあるのだろう。
「苴からか」
 無表情のまま彼は訊いた。
 宗温は頷いて、恭しく差し出した。
「苴王からの親書でございます」
 龍晶は受け取って、その場では開けず、女達を振り返った。
 華耶の笑顔を目に留めて、振り返った。
「中に入ろう」
 宗温と二人きりの室内で、龍晶は苴王の親書を開いた。
 一読して、安堵の笑みを浮かべ、書状を宗温に渡した。
「こちらの条件を全て飲むそうだ」
 目を見開いて宗温もその書状を読む。
「ひとまず兵は退く、と。緩衝地帯となった成州西部で引き渡しをする。期日は二日後の正午。互いにそれまでの攻撃は無しとする」
 龍晶が喋る通りの事が書状に書いてある。
「約定を違(たが)えれば一兵たりとも生かして都に帰す事は無い、と…それはこっちの台詞だと言いたい所なんだが」
「陛下…」
「鵬岷の戴冠式を考えてやってくれと、桧釐に伝えてくれるか?」
「申し訳ありません」
 急に頭を下げられて、龍晶はきょとんと相手を見た。
「…何が?」
「力及ばず、陛下の助命が届かなかった事…悔やんでも悔やみ切れません」
「助命?誰に?」
「灌王を通じて、皓照様に。桧釐殿に書状をお願いしておりました」
 龍晶は立ち尽くして、頭を床に付ける忠臣を見下ろしていた。
「…良かった」
 掠れた笑いと共に彼は言った。
「俺はあの男に頭下げて命乞いなんて、そんな惨めな事は出来ない」
「惨めなどと!それは恥ではありません。何を置いても生きてこその世ではありませんか」
「じゃあどうして皆俺を置いて死んでいったんだよ!?」
 怒鳴って、その顔を手で押さえて。
「…頼むよ、宗温。やっと死んだ人達の事を受け入れて落ち着いた所なんだ。死ねば会えると思えばこそ、残された日々で生きている人達を大切にしようと思える。邪魔をしてくれるな…」
「皇后様に何と仰せになったのですか」
「それは…」
「残された者の痛みが分からぬあなた様ではありますまい」
 龍晶は長椅子に膝を抱えて座った。
 自己防衛したい時の癖。
 結局、何からも守れず、逃れられない。
「…お前から話してくれないか」
「私が?」
「俺が去った後に説明してやって欲しい」
 宗温は一息で返した。
「お断りします」
「そう言うと思った」
 龍晶は自嘲して、その顔を腕の中に埋めた。
「言えるか…この口で…」
「私は事実の説明は出来ますが、あなた様の心情を申し上げる事は出来ません。残された者が知りたいのはそちらでしょう?私とて、小奈があなた様を想う気持ちを最期に知れたから、それを救いとしてここまで来たのです」
 目元だけを見せて黙っている。じっと、何処かを見詰めて。
「それが出来ぬのなら、何としても生きる方へ縋るべきです。そうでなくては皇后様は納得されますまい」
 沈黙が訪れた。
 それが生きる事へ手を伸ばすか否かへの迷いだと、宗温はそう信じたかった。
 既に全てを諦めていると思いたくなかった。
 手を延ばされれば全力でそれに応えるつもりだ。手段は少ないとしても。
 ことん、と扉が鳴った。
 宗温が身を翻してそれを開く。
 華耶がそこに立っていた。
「ごめんなさい…どうしてるのか気になって…」
「いえ、私こそ長居をしてしまいました。今日はお暇致します」
 宗温は微笑んで一礼し、その場を去った。
 龍晶は微動だにしなかった。
「仲春」
 華耶に呼ばれても、そのまま。
 卓上には開かれたままの書状があった。
 華耶が読むにはあまりにも難しい。
 それよりも、彼女は愛しい人に手を伸ばす事を選んだ。
「久しぶりにそういう顔してるね。悩んで悩んで、誰にも言えない顔」
 その顔を撫でられて、呪縛が解けたように視線を上げる。
「ごめん、ぼーっとしてた」
 適当な言葉に華耶は微笑んだ。
「きっと宗温さんと難しい話をしてたんだね」
「うん…そうだな」
 難しい。何よりも、難しい。
 貴女を置いて死にゆくと、どうしたらこの口で告げられようか。
 まだ二日ある。忘れようと決めた。
 今告げてしまうと、彼女はきっとあらぬ方向へ動いてしまう。
 知らせない方が良い。
 狡いのだろうけど。

 東に向けて疾走する。
 その数は五千騎はあるだろうか。疾(はし)りながらも増えていくから、もっと多いのかも知れない。
 先頭を行く旗には、黒く塗り潰された丸が描かれている。それが軍神たる暗枝阿の旗印だと聞かされた。
 その旗の下に、哥の戦士達が集まる。
「どーしていつもこうなるかなー」
 朔夜は一人、不満たらたらである。
「本当は嬉しい癖に」
「いや、これは本気」
 波瑠沙と同じ馬に乗っている。つまりまた彼女に抱えられている形だ。
 出発のぎりぎりまで負傷者の治癒をしていたらこうなった。疲れて眠たい首根っこを掴まれて馬に乗せられたからだ。
 結果、道中ずっとこれである。
「良いじゃん。お子ちゃま一人にあてがう馬が勿体ない」
「早く一人前扱いして欲しいんだけど」
「それはまだまだだな」
「どうすりゃ良いんだ…」
 年齢上は大人なのだし、実力だって誰にも負けない自負はあるのに、これ以上努力できる所が無い。
 恨めしいのは伸びない身長だ。
「どうやったら大きくなれるのかなぁ」
 体が大きければ否応なく馬一頭を貸して貰える筈なのだが。
 波瑠沙は北方民族の常で背が高い。こうしていると朔夜の頭の上に顎が乗りそうだ。
「いっぱい飯を食え」
「食べれる時は食べるけど、食べれない時が多いからこうなったんだよな」
「食べれない時って?」
「成長期にちゃんとしたものを食えなかったからだよ、きっと。繍のせいだ。良いように人を使っておいて味の無い粉の塊しか食わせてくれなかったから」
「味の無い粉の塊…」
 波瑠沙もげんなりとした顔で想像している。
「不味いよ。不味いけど他に食うもん無いから仕方なく齧ってた」
「苦労してるなぁ、お前も」
「うん。滅茶苦茶苦労してる」
 謙遜無く全肯定。
「だから余計に華耶の飯がすんごく美味かったんだよなぁ。あー食べたいなー華耶の握り飯」
 そもそも北方は米を作らぬので、握り飯自体が存在しない。
「そんなに美味いのか、それは」
 波瑠沙は握り飯とは、を考えている。
「華耶が作るから美味いんだよな。他の人のと味が違うもん」
「分かった。作ってやるからどんなものか教えろ」
「ええ?波瑠沙が?」
「なんだよ、不満か?」
「なんか…想像が出来ない…」
 これまでそういう姿を全く見なかったから。
「大体、ほら、ご飯が無いからさ。米を手に入れない事には作れないよ」
 なんだか彼女の視線が怖くなって言い訳。
「戔に行けばあるんだな?」
「まあね」
「ふん。じゃあその華耶とやらに作り方を習ってやろうじゃないか」
「皇后ですけど…!?」
 気安く呼ばれるのは自分のせいだ。華耶は笑って許してくれるだろうけど。
「波瑠沙の好きなものって何?」
 ついでだから訊いてみる。華耶に言えばきっと作ってくれるだろうと思って。
「そうだな。陛下の御相伴に預かって色々と食べさせて貰っているからな…例えば、羊肉の香辛料焼きは好きな味だな」
「…はあ」
 想像と理解を超えてきた。
「あとは煮込み料理とかな。蕃茄(ばんか)を肉と煮込むと美味いんだ」
「へー」
 自動相槌機となっている。ちなみに蕃茄とはトマトの事である。例によって明紫安が海の向こうから取り寄せてこっそり育てているのであって、一般の民が知る由も無い。
 朔夜の反応を見て波瑠沙は纏めてやった。
「ま、要は肉が好きだ」
「ああ、そっかあ。それなら良かった」
 よく分からないけど良かった。理解できる範疇で安心した。
「こっちに来る前に華耶に作って貰った猪鍋が美味かったから、波瑠沙にもご馳走して貰うね」
「ししなべ?」
「うん。猪の肉で鍋を作るんだよ」
「いのしし?」
「ん…うん?猪ってこっちに居ないの?」
「聞いた事が無い」
「えっ!?なんでっ!?猪武者とか言わない!?」
「言わない。なんだそれ」
「勢い付いたら止まらずに突出する迷惑なヤツのこと」
「それは肉なのか?」
 話がこんがらがってきた。
 文化の差異に朔夜が衝撃を受けている間にも軍勢は粛々と進み、野営地へと着いた。
 砂漠の中にある丘へ天幕が組まれる。その周囲を各部族の首長らが囲み、更にその周りを兵が囲む。
 日が暮れると篝火が満天の星のように輝いた。
 崖に腰掛けてその様を見ていると、波瑠沙が夕飯を持って来てくれた。
 ほのかに甘い万頭(まんとう)。同じ粉の塊でも繍のあれとは大違いだ。
「どうやら明日にも敵とぶつかるらしい。敵本隊は戔と戦っているが、こっちの動きを止めようと部隊を分けているようだな」
 軍の中で共有されている情報だが、言葉が分からぬ朔夜だけそれを知らなかった。波瑠沙が居らねばここに居る事もままならない。
「戔は善戦してるのかな」
「さあな。敵に部隊を分けられる余裕があるって事は確かだろうが」
「うーん…」
 稽古をつけてやった子供達の顔が浮かぶ。
 まさか、龍晶が彼らを戦に出しているとは思わないが。
 しかし苴との戦もある以上、兵が足りないのも確かだ。
「龍晶が心配だ」
「戔王か?」
 頷いて、戔が今置かれている状況を説明した。
「北と西から同時に攻められている。しかも前の王を倒したばかりでまだ軍備が整っていない。そこを突かれたからこうなったんだろうけど…」
 波瑠沙は朔夜の横で胡座に座り直して考えている。
「北の敵は私達が蹴散らしてやるから問題無い。西は?苴は強いのか?」
「ここに来るまでに俺と紫闇で軍拠点を潰しまくった。お陰で怒らせた部分はあるけど」
「不自由はしているだろうな」
「兵数は半減してると思う」
「なら、互角って所じゃないか?」
「そうかな」
「お前の言うような王なら兵の士気も高いだろ。何が何でも守って貰ってるだろうから心配要らないと思うけどね?」
「…そっか。確かに」
 己の主の為に最後の一兵まで戦う北方民族の考えで、波瑠沙は自然にそう言った。
 朔夜もそれに安堵して頷いたが、友の性格を忘れている。
 この地の乾いた空気に慣れきったせいだ。朔夜にはこの国の気風が心地良かった。
「さて、と。あとは寝るだけだが明日が決戦となると…」
 波瑠沙が懐からごそごそと何か取り出す。
「なに?」
 訝しんだ鼻先に突き出されたものは。
「はい。滋養付けに食っとけ」
「く、食うの…これ…!?」
「なに?南方では食わないのか?蜥蜴の干物」
 ぶるぶると全力で頭を振る横で、波瑠沙はそれを平気で噛み始めた。
「食えるの…!?美味いの…!?」
 全身で引きながら訊いている。
「美味くはないけど翌日の動きが違ってくる。お勧めするぞ?もう一本ある」
「いや!それは要らない!無理っ!」
「そうかー。残念」
 波瑠沙は尻尾を口の端から出して笑っている。
 朔夜は本気の身震いをして、口直しならぬ目直しにまた篝火の星々を眺めようとした。
 が、その灯りの元で皆が同じものを食べているのではと想像すると急に綺麗には見えなくなった。
 とんでもない所に来たと今更実感する。
 ちなみに梁巴で蛙を食べていた話を華耶がしていたし、朔夜も当時はそれが普通だったが、それはそれ。蜥蜴と同じとは思っていない。
「お前も繍でこれを食ってれば背も伸びただろうに」
 波瑠沙の呟きにぴくりと反応する。
「背、伸びる?」
「知らんけど。いろいろ体に良さそうだから栄養もあるんじゃないか?背も伸びそうな気がする」
「そ、そうか…」
 にやりと笑って、再び差し出す。
「食ってみる?」
 受け取ってみる。固い。
「…いや駄目。無理。こっち見てる。こわい」
 速攻返した。
 波瑠沙は腹を抱えて笑い、懐に戻しながら言ってやった。
「食いたくなったらいつでもくれてやる」
「それ食うくらいなら背が低くても良いって境地に至った」
「そうかい。まあ、身長に関しては今のままが良いな。可愛くて」
「なんだよ可愛いって!」
 またけらけらと笑われる。はあーと悲しく溜息を吐く頭をぽんと叩かれた。
「寝るか」
「うん…」
 砂上の褥に並んで身を横たえる。他の兵士と同じく雑魚寝なので色気も何もあったもんじゃない。
 それでも隣から腕が伸びてきて、頭を撫でられているうちに眠くなる。可愛いを否定しながら思い切り犬猫のように可愛がられている。
 華耶や龍晶が見たらびっくりするだろうなと思う。思い切り笑われそうな気はするが。
 でも早くそういう日が来て欲しかった。遠く戔の空で、満天の星が輝く夢を見た。


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