月の蘇る
2
宗温の考えた策は早速実行に移された。
苴軍が進む方向にある集落に仕掛けを施した。そうとは気付かれぬよういつものように兵を配置し、戦った上で明け渡す。
住民は直前で避難したかのように細工した。生活に必要な物がそこここに散らばっている。
苴軍は空いた村を当然のように占拠する。金目の物を奪い、食糧をその場で食い荒らして。
宗温の狙いはそこだった。
その食糧の中に毒を混ぜた。かつて藩庸(ハンヨウ)が貧民街に使ったものと同じ毒だ。拷問の中でその在処を知っていた。
それも全て龍晶に話した。王はその上で頷いた。皮肉だな、と少し口の端を歪めて。
かつて己を殺そうとした同じ毒で、敵を制する。その結果、自身の死期を早める事になる。
皮肉でしかなかった。だがそれを望んで宗温に実行させた。
苴軍は更に進軍しようとした矢先、ばたばたと倒れ始めた。撤退しようとしたが、そこを戔軍が攻めてきた。
撤退路を塞ぎ、援軍も塞いで戔軍の少年らは戦った。
結果、苴の前線部隊は全滅した。
「死傷者は?」
戔の陣中で龍晶は訊いた。
「我が軍は二百ほど、敵は毒死も合わせると千を下らないでしょう」
快活に宗温が答える。自軍の被害は多少抑えて言った。
「そうか…」
苦しげに龍晶は息を吐いた。
「まだお加減が良くありませんか?屋敷へお帰りになっては?」
「そんな事はどうだって良いんだ。遺体は回収したのか?」
「はい。領地を取り戻したので、敵に邪魔されず全て集めて来ました。これから埋葬します」
「案内してくれ」
驚きを含む顔で王を見返す。
精神状態を心配する向きもあった。
「大丈夫だ。彼らを弔うのは王としての仕事だろう。お前が拒むのなら別の者に連れて行って貰う」
「いえ…分かりました。こちらです」
近付くにつれ、腐臭が漂ってきた。
南部の夏の訪れは早い。都はやっと緑が生茂る季節となった頃だが。
人夫達が穴を掘っていた。底は大人一人すっぽりと入る程の深さで、幅はとにかく広い。
そこに順に遺体が並べられてゆく。まだ大人になり切らぬ背丈の遺体が。
「陛下」
宗温の言葉を吹っ切って、まだ穴の中に入れられる前の無造作に置かれた遺体に手をかけた。
「手伝ってくれ」
そこに居る人夫と共に遺体を運ぶ。王の行動に驚きながらも誰も何も言えない。
宗温もまた、諌める言葉を飲んだ。
そう行動するしか、彼自身が慰められる術は無いのだろうと察した。
汗と土に塗れて、全て運び終えて。
穴の中に藁と油が撒かれ、火が灯された。
王はその炎を前に座り、目を閉じて、神への祈りの呪文を唱えていた。王家は祭祀を司る、それ故にこれは王の仕事なのだ。
だからって、こんな事をする王は他に居ないとは思うのだが。
宗温は彼の元に飛んでくる火の粉や灰を払ってやりながら、長く続く低い声を聞いていた。
華耶はまず煤けて汚れた顔に驚いた。泥だらけというのもこれまで見た事が無い。
「どうしたの!?」
「いや別に…」
すぐには口を割らないのは知っている。軽い溜息と一緒に微笑んで、侍女に風呂を沸かすよう頼んだ。
「真っ黒。泥遊びした後の朔夜みたい」
「泥遊びって、馬じゃないんだから」
「小さい頃よくやってたんだよ。泥団子作って投げてきた。私まで汚されちゃうから、ほんと良い迷惑よね」
笑う顔は言葉ほど嫌そうじゃない。
「追いかけて来るんだけど、足場が泥だから転けちゃって。そしたらちょうどこんな感じ。面白かったな、あの顔。流石に仲春はやった事無いよね」
「いや…うん。済まんが人間がやる事だとは思わなかった」
あはは、と楽しそうに笑って華耶は夫の背中を押した。
「行こう。洗ってあげる」
上衣は従者らに脱がせて、肌着だけになり浴室に入ってゆく。
まずは煤と泥に汚れた顔を洗ってやる。黒いものを拭うと、火傷のように赤くなった素肌が現れる。
「日焼け?」
「うん。それはあるかな」
日の注ぐ中で作業したのだから間違いではないだろう。
「こんなに焼ける?まるで火の近くに居たみたい」
「華耶には隠せんな」
苦笑いで言われた言葉に目を丸くして。
「何してたの?」
はあ、と息を吐く。途端に笑みが無くなる。
「戦で亡くなった兵を火葬していた」
「あなたが?」
「そのくらいはしなきゃいけないと思って。他に何も出来ないから」
「そう…」
労わる気持ちで顔を拭う。後で軟膏を塗ってあげようと思った。
肌着を脱がして泥に塗れた手足も洗ってやる。
「俺達より年下の子供が多かった。みんな何も知らないまま死んでしまった」
言葉だけを押し出すように彼は言った。
その意味を飲み込んだら正気では居られなくなると、知っているから。
「殺したのは苴兵だが、そうさせたのは俺だ」
「仲春」
警告するように華耶は呼んだ。
これ以上考えさせてはいけない。
汗を流した背中を抱く。
胸に回した手を、龍晶は握った。
「…大丈夫だよ。俺は役目を全うするから」
「役目?」
「うん…王としての役目。彼らの為にもそこまではやる」
「そこまで…」
「そうしたら、この立場を降りられるから」
背中越しに振り返る顔は、薄く笑っている。
「その後は、春音と三人で暮らせる?」
華耶の切実な問いに、彼は反応しなかった。
「せっかく沸かして貰ったんだ。湯に浸かろうか。まだ仕事があるからゆっくりは出来ないけど」
華耶の手を離れて湯船に入った。
彼女はその背中を見ていたが、諦めて自らも服を脱いで、その横に浸かった。
「私、すぐに都へ帰ると思って春音を連れて来なかったけど、正解だったかな」
「勿論。ここは戦地への最前線でもあるし、危険だからな」
「寂しがってないかな。於兎さんも様子を見に行くって言ってくれたけど」
「いつも世話をしてくれる女官達は居るんだろ?十和だって残して来たんだし」
「そうよね。気になっちゃって。泣いてないかなって」
「華耶」
とびきり明るい顔で目を合わせて。
「帰ったら春音に教えてやってよ。泥遊びでも何でも、朔夜としてた遊びを。俺は知らないから、そういうの」
「良いの?王子にそんな事教えて」
「王子ったって、あいつは庶民の中で暮らさせるから。俺みたいに世間知らずにさせたくない。泥塗れで大きくなれば良い」
「そうね」
夫の肩に頭を乗せて、華耶は微笑んだ。
「梁巴の遊びも歌も教えるね。朔夜が帰ってきたら一緒に遊んで貰おう。きっと喜ぶわ」
「どっちが?」
「どっちも」
笑って、妻の頬を両手で包み、口づけして湯から出た。
窓からの光は弱く、闇が迫っている。
装束を着て部屋に戻ると、卓に着いて筆を取った。
苴への書状。
和睦を結ぶ為に話をしたいと苴王に呼び掛ける文章だ。
拒めば更に貴軍の損害は増えるでしょう、と脅しも忘れない。
書き上げて早速、使者に持たせた。
後は待つだけだ。
「ねえ仲春、ご飯食べよう?玉子入れたお粥を作ったよ」
華耶が呼びに来て席を立つ。
「ああ、華耶。兵達に握り飯でも作ってやってくれないか?」
「良いよ。たくさん要るね」
「俺も手伝う」
「作った事あるの?」
「無い」
「じゃあ、教えてあげなくちゃね」
「そんなに難しくないだろ」
「やってみれば分かるよ」
翌日、陣中で出来が極端な二種類の握り飯が配られた。
苴からの反応は早かった。
現在、苴軍が制圧している成州西部で会談を行おうと返してきた。つまり四面楚歌の状態で戔の使者を受け入れると言っている。
「私の部下を行かせましょう。こちらに有利な地で更に話し合いが出来るよう交渉させます」
宗温は言ったが、龍晶は首を振った。
「向こうは怒り心頭だろう。こうして平静を装って招き入れ、その場で首を討ちかねんぞ」
毒物を使うという卑怯な手を使ったのだ。火に油を注いでいるに違いない。
「そうなれば泥沼となります。我が兵らも怒るでしょう。この地帯での押し合いが長引きます」
「それを向こうは狙っている」
長引けば不利になるのはこちらだ。苴は兵を集めて全てここに注ぎ込めるが、戔は北方の戦がある以上この地の兵は減る一方となる。
王の名の元で兵を強制的に集めるのが普通だろうが、龍晶はそれだけはしたくなかった。
「これ以上は無駄な犠牲だ、宗温」
「は…」
「俺が成州に行く。直接交渉してやろう」
「なりません陛下!先程言われたではありませんか!席に着いた途端に亡き者とされますよ!?」
「いきなり王が来れば雑魚は動けんさ」
「しかし!」
「精鋭を何人か付けてくれ。脅しの効く者が良い。あと、忍びの者もな。そして占領地域から見える場所に兵を並べておいてくれ」
何かあれば即刻攻め入るという姿勢を取るのだ。ハッタリではあるが。
「陛下自ら行かなくとも、意を受ければそのように伝えますのに…」
「暇なんだよ」
「は?」
なんて理由だ。宗温は目を剥いた。
「お前達は前線で戦ってくれるのに、俺は奥に引っ込んで待つしかない。やる事と言えば死者の弔いや握り飯を作る事だろ?お前らの邪魔にならないようにさ。そろそろ俺も前線で戦いたい」
「そんな、ここの当番兵じゃないんですから…」
宗温が言うのは横に控えている賛比の事だ。
年若いからと料理係に徹しさせていたが、我慢ならず戦地に飛び出してしまった。そして友を失った。
龍晶もそれは知っている。彼は賛比に目を向けて言った。
「お前の仲間も大勢戦って…死んだんだろ?」
彼は頷いた。共に軍に入った少年兵たち。
「宗温、俺は彼らを生かしたくて軍に入れたんだ。戦にはしないと約束して。なのに彼らは俺の為に戦った。約束を破った責任は取りたい。彼らでさえ前線で戦うのなら、俺が奥でぬくぬくとしている理由など無い筈だ」
もう肚は決まっている。宗温は何を言っても無駄だと悟った。
「仰せの通りにします…が、まずは陛下の無事が第一です。私は死ぬ気であなたをお守りしますからね?」
「お前が?」
「陛下の理論で行けば、私が奥でぬくぬくと待つ理由は無いでしょう?」
「お前の代わりは居ないだろう」
「そのお言葉、そっくりそのまま返させて頂きます」
龍晶は鼻で笑った。
「哥に囚われた時を思い出すな。俺はお前を殺させぬ交渉をせねばならなかった」
殺すなら俺から殺せ、ただし自分は王弟だと、ハッタリで押し切って。
「今回はどうぞ、お気遣いなく」
言葉が分かればそんな事は言わせない。
「その余裕も無いかもな」
会談は明日の午後。日時も場所も、全て相手の提示した条件を飲んだ。
帰って華耶にその事を告げると、泣きそうな顔で袖を掴んで問うた。
「それで仲春は帰ってくる?危ない事なんて無いよね?」
迷わず頷く。
「今回は穏便に話を纏めるのが目的だ。向こうもそう急な事はしないし出来ない。時間を稼ぐ事で損なった兵を戻したい筈だからな」
「大丈夫だよね?信じて良いね?」
「ああ。…あ、華耶の握り飯は評判だったぞ。また食いたいってさ」
「そんなの幾らでも作るよ。作るからさ…」
腕を掴む力が強くなる。ふっと笑って、頭を撫でた。
額を付けて、間近で囁く。
「俺も食いたいな。華耶の握り飯」
「仲春が作ったのはどうだったの?」
「材料は一緒だって言われた」
華耶は泣きそうな顔のまま笑って、厨へ向かった。
己の計算に間違いは無いと思う。敵はここで様子見をするしかない筈だ。この肚の中が読みきれぬ以上、下手には出られない。
ただ、暴発する可能性は十分にある。宗温は頼りになるが、何せ敵の真っ只中だ。
自分の首が取られる事には変わりないが、その価値をはっきりとさせておかねばならない。
停戦。目的はそれだけだ。
考えていると、華耶が握り飯を作って戻ってきた。
「召し上がれ」
差し出されて、ちょっと笑う。
「俺、食った事無かったんだよ。華耶の握り飯」
「あれ?そうだっけ?」
「だっていつも俺には粥を作ってくれるだろ?華耶は優しいからさ」
「仲春は真面目だからこの前もつまみ食いしなかったんだね」
やり返されて、甘苦く笑って。
「婚姻の前に、朔夜がうるさく言ってたんだよな。華耶の作る握り飯が一番美味いって」
「もう、朔夜ったら。そんなの誰が作っても美味しいに決まってるじゃない」
「俺もそう思ってたけど、この前自分で作ってみて分かった。そうじゃないんだって」
「そうかなあ。仲春も練習すれば上手くなるよ。だって初めてだったんだもん」
「そうかも知れないけどさ」
練習出来たとしても上手くなるとも思えない。
それを言う代わりに頬張った。
「…美味い」
お世辞でも何でもなく、驚くくらい美味い。
今ごろ哥に居るであろう友に言いたい。
「済まん朔夜。お前の言う事は正しかった」
「またぁ。二人とも贔屓目」
「それはさ」
二口目を飲み込んで。
「華耶がそれだけ魅力的だって事だろ」
「そんな事無いし、それは握り飯の味には関係無いよ」
「いや、あると思う。多分、大いにある」
「揶揄ってる」
「そうかもな。でも美味いのは事実だよ」
普通に笑い合っているから、先刻までの悩みは忘れた。
明日もこんな日が続く。当たり前のように。
そう、思い込んでしまった。
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