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月の蘇る
  8
 孟逸は紫闇の命令に従った。
 王にも上司にも、そして友人、家族にも全ては月夜の悪魔のせいであり、少なからず付き合いのあった自分は命乞いで助かったと証言した。
 誰も疑う者は居ない。悪魔より非道な者が居ると思う訳が無いからだ。
 七日の謹慎処分を受けたが、それは実質傷を癒やす為に休めというものだったろう。
 一方で戔の中枢は混乱に陥った。悪魔がこの国内で逃げた。
 そして重臣、閣僚らを震え上がらせる事件はその七日の間に起きていた。
 脱走した場所から程近い、東南部の軍の要衝が何者かに襲撃を受けたという。
 一般の民に影響は無かったものの、軍施設や武器庫は焼き払われ、幾人もの兵が惨殺されていた。
 手口からしても人間の手によるものとは思えない。生き残った者は震えながら単独犯だと証言した。
 間違い無かった。
 孟逸は王に呼び付けられた。
 百人の兵をやる。なんとしても悪魔を捕らえよ、と。
 従うしかない。が、無理だ。何人の兵を付けられても悪魔――否、あの男に敵う気はしない。
 そしてその計画を止める訳にも。
 だが先だっての一件でわざと逃したのではないかと言い出す者が居た。その男が王の命令で孟逸の監視をする事になった。
 蒋桂(ショウケイ)だ。共に戔王へ謁見した男。
 孟逸が戔に親しい所を見ているのだから疑われても仕方がない。共に朔夜にも会っている。
 が、探索も虚しく事件だけが次々と起こる。
 最初と同じように戔国境に位置する要衝の軍事施設を狙った惨殺事件。
 蒋桂は含み笑いで問うた。
「悪魔は余程、戔に親切なのだな。まるで王の意を受けているようだ」
「戔王は無関係です」
 そう言うより無い。
「ほう?悪魔がそう言うたか?」
「ええ。そう聞きました。自らしている事だと」
「悪魔と仲が良いよなぁ、貴様は」
 その時はそう笑われただけで終わった。
 だが、苴中枢でそれは真実になったのだ。
 戔王は悪魔を使って苴軍の力を削いでいる、と。
 孟逸は王にまで弁明した。悪魔は自らしている事だと言っていた、戔王はそのような事を命じる人ではない、と。が、誰にも聞き入れられなかった。
 それどころか戔の間者だとあらぬ疑いをかけられ、再び謹慎の身となった。
 苴国内は戔憎しに傾いていった。悪い事に、襲撃は軍事施設だけではなくなったからだ。周辺の村の人々まで犠牲になった。
 東部地域では大規模な『悪魔狩り』が行われた。
 戔から来た旅人、戔に縁のある者、中にはただ怪しいというだけで悪魔とされ、捕らえられた。詮議されず殺された者も居るという。
 捕らえられた者は孟逸の元に連れて来られた。連れて来た者を見て、この者は悪魔ではないと言い続けた。その彼らが後にどうなったかは知らない。
 そんなある日だった。
 都の中、王城に程近い軍の屯所で事件が起こった。
 これまでと同じだ。兵らが斬殺され、建物は燃えた。
 それが都で起こったのだ。民は恐怖し、軍部は猛烈に怒った。
 ただちに都中が捜索された。謹慎中の孟逸すら駆り出された。無論、見張り付きではあるが。
 進まぬ足で都を歩く。背後には目を光らせている兵が二人。
 果たしてこれは本当に悪魔の仕業なのだろうかと考える。
 彼らは哥に向かっている。実際、襲われる軍施設はだんだんと北に位置するものになっていた。それは彼らの目的に合致する。
 が、急に南下して都が襲われた。
 不自然だ。誰もそんな事は考えていないし、孟逸とて彼らが哥に向かっているとは喋っていないから無理も無いのかも知れないが。
 悪魔を騙る何者かが居るのではないかと疑っている。
 だがそう言った所でだれも信じないだろう。人々は悪魔憎しの感情のみで動いている。
 そして何より、襲撃のやり口が同じという事は、朔夜――尤も実際に手を下しているのは紫闇だろうが――と同じくらいの力量を持つ人間がまだ他に居るという事だ。
 それは孟逸自身にも信じ難い。
 そしてそういう力量を持つ人間が、苴軍を襲う理由も思い付かない。
 或いは本当に戔王がそういう者を見出し、撹乱を狙って都を襲わせる――そういう考えも浮かんだが、すぐに掻き消そうとした。
 あの少年がそんな非道な行いをするとは思えない。
 だが、戔の為――否、朔夜の為なら?
 燕雷が言っていた。あのお坊ちゃんは朔夜の為なら思考がぶっ飛ぶ、つまり何でもする、と。
 薄ら寒い予感を覚える。
 ならば早く犯人を捕まえて白状させねば。否、それをすれば戔王が危機に陥る。だけど、真相がそれなら彼は危険過ぎる。
 相反する二つの考えが渦巻く。
 果てに、お前は苴の臣だろうと己を叱責した。
 矢張り捕まえねば。放っておくのは危険だ。
 人気の無い路地に入る。
 すっと、風が起こった。
 背後で人の倒れる音。
 え、と声にならぬ声を出して振り返る。
 監視の兵二人が倒れていた。斬られている。
 斬り合う音はおろか、気配すら無かったのに。
 そしてそこに立っているのは。
「孟逸だな?」
 己の名を知る男を息を詰めて見る。
 そこそこ背が高く、体は締まっている。先刻抜いた筈の刀は既に腰の鞘に収まっており、手ぶらだ。
 顔はどこか見た事のあるような。頭――目の上にかかるくらいに伸びた髪は、銀色だった。
 あ、と叫びそうになって、声を飲んだ。
「あなたは、朔夜君の…!?」
「一度会ったな」
 皓照に紹介された事がある。かなり前の事だ。まだ苴と繍が戦を繰り返していた頃。
 玄の弓に所属する傭兵の一人だと言って、皓照は自慢げに微笑んで教えた。
 ここだけの話ですけどね。この人はあの月夜の悪魔の実のお父さんなんですよ。
 悪魔に父親が居るのかと驚いた記憶がある。
 彼自身とはそれきりだったが。
「名前は、確か…」
「燈陰だ。お前の事は溟琴(メイキン)の野郎から聞いた。朔のせいで苦労しているらしいな」
 溟琴は玄の弓で諜報活動をしている。この二人の繋がりは納得出来るが、何故自分に近付いたのか分からない。
「苦労と言うか…。そもそも、朔夜君のせいというのも違うと思いますが」
「ああ。確かに朔一人であそこまで出来ないだろう。今は片手しか使えないしな。何処の馬鹿野郎が絡んでいる?」
 それを聞き出しに来たのかと納得する。
「紫闇という人を知っていますか」
 彼も玄の弓の傭兵だと燕雷から聞いた。だから知っていてもおかしくない。
「皓照が朔の元へ送った奴か。何故一緒になって悪さをする?それが皓照の狙いか?」
「そうではないと思いますよ。あの男は、哥王の弟なのだと燕雷殿が言っていました。恐らく哥を敵視する苴軍の力を削いでおきたいのでしょう」
「哥?戔の為ではなく?」
「朔夜君のせいとされてしまった事で戔の企みだと誤解されているんです」
「あの餓鬼は頭抱えてるだろうな。いい気味だ」
「それは戔王の事ですか?何か恨みが?」
「別に。いけすかない餓鬼だってだけだ」
「朔夜君とはあんなに仲が良いのに」
「そのせいで余計に腹が立つんだよ」
 それよりも、と孟逸は本来の目的を思い出す。
「先般の襲撃はあなたがした事ですよね?」
 そこに倒れる兵を見れば明らかだ。こんな芸当が出来るなら、あの襲撃も可能だ。
「ああ。だから?」
 捕らえると言うのならやってみろという口ぶり。
 到底敵う相手ではない事は元軍人の孟逸には解る。
「何の為に?」
 息子より薄い緑の目が細められた。
「復讐だ。憎い国を壊しに来た」
 孟逸は、朔夜の持つ千虎の短刀を思い出した。
 何故彼は、自ら望まぬ暗殺の使命を果たしてしまったか。
「…そうだったな。梁巴か…」
 この親子の根底にあるのは故郷を滅ぼしたこの国への憎しみだ。
「教えろ。王と重臣共が一堂に会するのはいつだ」
「知っていたとしても教えられる訳が無い」
 ひやりと。
 冷たい感覚の方が先に来た。
 視線を下に逸らして、刃が喉元を触っているのに気付く。
「言え」
 燈陰は脅した。
「斬れ」
 孟逸は拒んだ。
 睨み合って。
 ふん、と燈陰は鼻を鳴らした。
「別にお前じゃなくとも、命の惜しい奴から聞き出せば良いだけだ」
 刃は離れた。思わず喉を触ったが、傷すら付いていない。
 一瞬で抜き、喉元の産毛の届く距離で止める。矢張り並の使い手ではない。
「その才、他に使う所があるだろうに」
 惜しくなって思わず言った。
「あるとしたら繍だな。だがあの国は朔に譲る」
 刀をゆるりと収めながら燈陰は言った。
 どうあっても復讐せねばならぬ人生らしい。
「この機に事を起こすのは朔夜君の為か?」
 親子で謀った事とも考えられるが、孟逸には何故かそう思えなかった。
「あいつの騒動を利用しただけだ」
「本当に?てっきり、彼への追手を減らす為かと」
 視線だけをくれ、それには答えず、燈陰は口を開いた。
「お前が戔王と親しいなら、伝えて欲しい事がある」
「何だ?」
 先刻は散々な言いようだったのに、興味を惹かれて孟逸は聞いた。
「あの餓鬼を通じて皇后…華耶に伝わるようにして欲しい。父親の墓は作った、と」
 意味を捉えかねて目を細めたその瞬間。
 男は消えた。
 あとはただ、二つの屍が転がるばかりだった。

「墓、か。確かにそう言って梁巴に向かったな、あの男は」
 伝言は戔王に伝わった。彼は遠く昔を思い出すようにそう応じた。
「どなたの墓ですか?」
 ずっと疑問に感じていた事を尋ねると、事も無げに龍晶は答えた。
「皇后の父だ」
「えっ、しかしそれは…灌王なのでは…」
 龍晶は少し笑って答えた。
「言わなかったかな。彼女は俺と娶せられる為だけに灌王の息女となった。本来は梁巴の出身だ。朔夜と同じ」
「そう言えば、幼馴染と…」
 燕雷から聞いていた。
 龍晶は頷いて続ける。
「彼女もまた、梁巴を舞台とした戦の犠牲者だ。朔夜と共に繍に囚われ、奴隷として生きていた。華耶は過酷な労働を強いられ、朔夜は戦に出され望まぬ戦いを続けた。それがお前達の知る月夜の悪魔だ」
「そういう事ですか…」
「燈陰が憎む気持ちも解るだろう?尤も、俺はあの男の行動を理解したくはないが」
 その言葉の中にある複雑さを直接は知らないが、孟逸は頷かざるを得なかった。
 今の話の続きの光景を思い浮かべながら。

 都の中で単発的に兵が殺されるという事が起こり始めた。
 多い時は一日に複数回、数時間おきに。その犯人を探す兵が狙われる。軍部は頭を抱えた。
 孟逸にはその犯人も目的も分かり切っていた。が、沈黙した。
 何故か自分でも分からない。言った所で誰も聞かないのは分かっていたし、その話を信じて貰った所で誰も対処出来ないだろうと思った。
 その間、北に向かっていた襲撃事件は沈黙した。
 お陰で誰しもが悪魔は都に来たと信じ込んでいた。その恐怖と混乱を孟逸は黙って見ていた。
 そして。
 あの男はやった。警備の強化された城内へ掻い潜り、御前会議の場に躍り出て、そこに集まる重臣、諸将らを次々と斬った。
 斬りながら王に近寄り、その寸前で。
「そこまでに多くの傷を負っていたんだろうな。そこで事切れた」
 軍部時代の旧友である範厳(ハンゲン)はそう話を締め括った。
 孟逸の自宅。相変わらず謹慎中だが、旧友はこうして訪れて城内の変事を教えてくれる。
「あれは確かにバケモンだ。悪魔の名に違わぬ動きだった」
「お前、見たのか?」
「おっとり刀で駆け付けた時には御前の場で奴が大暴れしている時でさ、さあ止めてやるって時に勝手に死んでくれたから。まあほっとしたよ」
「その…死体は?」
「すぐに首を落とされた。そうしないと蘇るんだろ?悪魔は」
「そいつは悪魔じゃない」
「は?」
 何を言い出すんだ、という驚愕と笑いの混じった顔を見返して。
「悪魔の父親なんだ。月夜の悪魔は北に居る」
 範厳は笑みを消して腕を組んだ。
 訪問の礼に振舞った酒を一口飲んで。
「悪魔の父親なら、そりゃ悪魔なんじゃねえか?」
「…確かに」
 人間の親が人間なら、悪魔の親も悪魔だという道理だ。
「落とした首が喋る訳じゃないから真相は分からんが。だがこれで都は静まった。もうあんな眠れん日々は過ごしたくないからな」
 一口また酒を飲んで、はたと孟逸を振り返る。
「お前、顔も見てないのにどうして父親だと知っている?」
「俺を見張っていた兵が斬られただろう。その時に話をした。元々玄の弓に居た傭兵だ。皓照殿を通して知ってはいた」
「その時に城の襲撃を予告してたって?それは拙くないか?」
「ああ。上に知れたら俺の首も落とされるだろうな」
「何故黙っていた」
「本当にやるとは思わんだろ」
 それが常識的な考えの筈だが、言葉が上っ面を滑っているのも自覚がある。
 やると思っていた。あの男なら、それは可能だと。
 範厳は考え、杯を置くと、声を潜めて言った。
「陛下は戔を攻めると決めたぞ」
「…何?何故!?」
「全ては戔の謀だという事になった。城…いや、都に居る者の総意だ、これは」
「そんな事実は無い。戔は無関係だ」
「そういう理屈はもう通らない」
 愕然と友を見返す。
 虚偽で歪んだ真実。そんなもので戦が決まるとは。
「兵力が整い次第、戔南部を攻める。成州から穣楊を目指し、まずは南部を降伏させ、都を目指す。俺も行く」
「止めねば」
「無駄だよ。お前は逃げろ」
「逃げる?」
「お前は戔の間者だという事になっている。このままだと首を落とされるぞ。逃げろ」

 まだ夜の明け切らぬ早朝、人目を忍んでそれを見に行った。
 間違い無かった。数日前に言葉を交わした男が、一目でそうとは判らぬ程に容貌を変えて、首だけになってそこに居た。
「…本当は息子を助けたかったんだろ?なあ?」
 矢張り問いかけに答えは返らない。
 だがもう良かった。それを真実としてしまえば良い。真実の何もかもが歪むこの地で、そのくらいの嘘は欲しい。
 その方が、この男は救われる気がする。
 この晒された首を見て、嘘でも人々は安堵している。その安堵で国内の憂慮は除かれたと騙されるのだろう。そして残った怒りは国外へと向く。
 戔に、行かねば。
 この男との約束を果たす為にも。
 人の気配を感じて息を飲んだ。こんなに早朝に、首を見に来るような人間が他にも居るのか。
「やあ、お久しぶりですね」
 聞き覚えのある声に更に驚いた。
「皓照殿…!」
 彼の目は真っ直ぐに首へ向いていた。
「弔いに来たのですか」
「まあ、かつての友人ですからね。私は嫌われていましたけど」
 不死だという彼の目に、この男の死はどう映るのか。
 その表情からは何も窺えない。
「念の為、あなたに釘を刺しに来ました」
「はい…?」
 戔へ行く事を止められるのだろうかと恐れた。他に後ろめたい事は無い。
 彼は意外な事を言った。
「これは月夜の悪魔の首ですよ。くれぐれも、他の者を惑わせるような事は言わぬようにして下さい」
 息が詰まった。その中で声を絞り出した。
「何故…!?」
「その方が良いからですよ。君もそのつもりで彼の行動を黙っていたんでしょう?」
 そうなのだろうか。分からない。そう言われればそうなのかも知れない。
「尤も、私と君の理由は少し違うでしょうけどね」
「朔夜君を救う為ではないのですか。だって彼は一連の襲撃に無関係でしょう…!?」
「そうとは言い切れませんし、私は彼の事はどうでも良いんです」
「どうでも良い…!?」
「戔に行く気なのでしょう?」
 当然、範厳以外には誰にも告げていない。彼も他言はしていない筈だが。
「龍晶陛下にくれぐれもよろしくお伝え下さい。それまで彼が生きていればの話ですが」

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