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月の蘇る
  5
 その日は空振りに終わったが、翌日朝早くに後宮から報せがあった。
 すぐに身支度を整えて、軍部から一番遠い城の最奥まで駆ける。
 王は上体を起こして待っていた。目覚めてからは初の対面となる。
「ご無事で何よりです、陛下」
 寝台の横に膝をついて頭を下げる。もっと何か言いたい気はしたが、言葉にならなかった。
 王も王で、小さな溜息でそれに応じた。
「宗温」
「は」
「お前の部下…崔舗という者のお陰だ。褒美を取らせてやってくれ」
 報告は入っている。何があったのか、本人から全て聞いた。
「承知致しました。本人になり代わり、御礼申し上げます」
 龍晶にとって、主従としての会話はそこまでだった。
「あいつのお陰で失敗したよ」
 訝しんで見上げると、諦観にも似た苦笑いがあった。
 宗温はふっと笑う。
「私からは誉めておきました。よくぞ止めてくれた、と」
 周囲には誰も居ない。華耶にも戦の話だからと出て貰った。だから言える事もある。
「もう俺が居なくても良いと思うんだが」
「いいえ。陛下は必要不可欠なお人です。ですから無理を承知でこのように下知を伺いに来ました」
「仕方ないな。聞こう」
 昨日、桧釐を相手に説明した同じ事を繰り返す。そしてこちらから先手を打つべきか否か、問うた。
 それよりも龍晶の関心は苴の事件に向いた。
「その襲撃は今でも続いているのか?」
「いえ。灌の手前にある基地が襲われたのが半月ほど前で、その後同様の事件は起きていないようです」
 龍晶の手は日数を数えているようだった。指が折り曲げられ、片手が拳を作った所で止まる。
 そのまま遠くを見詰めて何か考えているようだった。
 宗温は口を挟まずに待った。己の問いの答えとは別の事を考えているのだと、それは分かっていたが。
「…朔夜は悪巧みはまだこれからだと言った。それで終わりとは思えない」
 小さな呟きに首を傾げる。
 王は宗温に向き直ってふっと笑った。
「こちらから攻めるべきではないというのがお前の考えだろう?」
「はい、僭越ながら」
「壬邑での戦い方はお前が一番よく知っている。俺も骨身に染みている。あそこは攻めるべき地ではない。兵站に苦労するからな。だろ?」
「はい。仰る通りです」
「桧釐の言う事なんか気にすんな。奴は猪なだけだから」
 軽口に笑ってはみたが、昨日の恐ろしい言葉が引っ掛かった。
 それを鋭く見咎められた。
「どうした?」
「恐れながら…ここだけの話として下さい」
 龍晶は頷いた。
「桧釐殿は、もしもの時、陛下を犠牲にして国を保とうと考えているようです。お気をつけ下さい」
「なんだ、そんな事か」
 王は口の端を吊り上げて笑っていた。
「そんな事って、陛下」
「俺もそのつもりなんだから咎める事でもない。あいつの好きにさせてやれ」
 宗温は激しく頭を横に振った。
「我々は陛下をお守りする為に戦っておるのですよ!?それを…」
「俺なんかじゃないだろ。国を…ひいては、民を守る為だろ。お前が勘違いしてるなら今すぐ正してくれ」
 これまで命を懸けて守ってくれた家臣の悲しみとも怒りともつかぬ表情を見て、優しく言い添える。
「済まんな。お前が戦ってきた理由は知っているつもりだが。たけどそれも俺の為ではなく、小奈のような犠牲を二度と生まぬ為だろう?」
 宗温は、ゆっくりと、そして脱力したように頷いた。
「ご尤もです…」
「お前が俺の世で軍を握ってくれていて良かったよ」
 これまでの信頼が詰まった言葉に、宗温は更に頭を下げた。
「宗温、この首で戦が収まるのならそれで良いんだ。だから頼む。無用の犠牲は抑えてくれ。先手を打たず出遅れたとしても、攻めるより守る方が犠牲は少ない筈だ。そこは桧釐にも文句は言わせん。兵も民も殺さぬ戦をしてくれ。頼む」
「…畏まりました」
 見上げれば、生気こそ薄いものの、固く決意した若く美しい顔がある。
 たった二十年の生涯でこの決断が出来る、その重く苦難に満ちた経緯を知っている。
 この王を失ってはならないと思う。それが彼に逆らう事だとしても。
「待ってみる価値はあると思う」
 再び遠くを見ながら、龍晶は言った。
「あいつの魂はまだ、生きている筈だ…」

 それから数日と経たず、思わぬ客が訪れた。
 否、いつかは来ると知っていたが、まさか何の予告も無しにやって来るとは。
 皆が慌てた。表の者はずらりと居並び、頭を下げて出迎える。
 後宮にも一報が齎された。それを受けたのは華耶だった。
「義父上様が!?」
 思わず声が大きくなって、口を抑えて振り返る。
 龍晶は眠っている。以前は少しの異変で目を覚ましていたのに、あれからは多少の物音も関係無く眠り続けるようになった。
 それが体への負担ゆえだという事は明白だし、出来るだけ静養させたいのは誰しも思う事なので、無理に起こす事は今まで無かったのだが。
「起こした方が良いかしら」
 十和に訊く。
「まずはご挨拶がてら、皇后様が義父上様のお相手をされては如何でしょう。そこで様子を見てみては?」
「そうします。表に出てご挨拶するわ。陛下が目覚めたらお知らせして下さい」
 他の女官らに申し置き、十和を伴って後宮を出る。
 灌王は息子である鵬岷を伴って、迎賓室で休んでいた。
「失礼致します。ご無沙汰しております、義父上様」
 婚姻の夜以来の対面だ。親子とは言え、婚姻前のひと月を同じ城で過ごしたというだけだが。
「おお。ますますお綺麗になられましたな、皇后陛下は」
「お揶揄いになって。華耶とお呼び下さい。娘である事は変わりませんから」
「口も上手くなったな。慣れぬ暮らしに努力した証だろう。よく頑張った。父は誉めるぞ」
「ありがとうございます。嬉しゅうございます」
 親子の対話はともかく、もう一人の賓客である王子に挨拶せねばならない。
 養子をやんわりと断る書状は届いている筈だ。それを本人が知っているかは分からないが、こうして父親に連れられてきた以上はまだ諦めてはいないという事だろう。
 鵬岷自身はどう感じているのか、それは華耶も知りたい。
「王子、戔へようこそお越し下さいました。旅路は如何でしたか?」
 大人になる前の素直さをまだ多分に持つ少年は、他人に近い姉へはにかんで答えた。
「楽しかったです。これから龍晶陛下に会えるのが楽しみで」
 そう、それはようございました。そう笑顔で答えはするが。
「先に儂だけで会ったほうが良かろう。難しい話も多いしな。案内してくれるか」
 灌王が先に動いた。華耶は慌てて言い募った。
「陛下はまだお休みしております。話が出来るかどうか…」
「構わぬ。見舞いじゃ」
 仕方ないので後宮へと案内する。
 鵬岷の居ない所で話がしたいのだと、王を追いかけながら気付いた。
「容体は?書状には随分と深刻な事が書かれていたが」
 あの時の状況を包み隠さず伝えようとすればそうなった。そこから更に深刻度は増したのだが。
「七日前、都の外れの運河で入水してしまって。周囲の方々に助けてもらって一命は取り止めましたが…」
 包み隠す事を知らず華耶は説明した。
「なんと。自死しようとしたと?」
「本人は足を滑らせたと。でも…」
「うむ。良い。そういうものなのだろう。」
 辛い説明をさせぬよう心遣いして、灌王は一人頷いた。
「それで?」
「意識は戻りましたが、一日のほんの数刻しか目覚めている時がありません。それも少しずつ時間は増えているのですけど。でも以前のように怒りっぽくなる事も無くなりました。とても落ち着いています」
「そうか。お前はそれが嬉しいのだな」
「ええ」
 明るい顔色で肯いて、自ら後宮への扉を開けた。
 この場へ他国の王が入るなど前代未聞だろう。だが今やすっかり開けた場所となったこの場所で、誰も違和感を感じないようだ。
 念の為、華耶は王に先立って夫の元へ向かい様子を窺った。
 周囲の女官から、まだ目覚めていない旨を知らされる。その通り、先刻と変わず静かな寝息をたてている。
 そうやって呼吸してくれている事すら愛しいのだけど、流石に今はそれどころではない。
「仲春、起きて」
 頬を撫でて声をかけてみるが、ぴくりとも動かない。
「そのままで良いぞ」
 入口から灌王が言いながら近付いてきた。華耶は諦めて立ち上がる。
 自身が普段使っている、枕元の椅子を薦めた。
 義父はそこにどっかりと座り、病人の寝顔を覗き込む。
「顔色が悪いな」
 まだ血の気が戻らず、透き通るように白い。以前は紅を差したようだった唇さえ、まだ青みがかったままだ。
「まるで儂が牢に閉じ込めていたあの時のような顔だのう。いやはや、あの時は悪いことをした」
 その時看病した華耶は複雑な笑みで頷く。
 あの時があったから恐らく今がある訳で、悪い事ばかりではない。
「華耶」
「はい」
 改まった口調に構えて返事をする。
「民の不安を煽らぬ為にも、世継ぎは必要だろう」
 義父の背中を見ながら、華耶は何を言うべきか選んでいた。
「赤子ではならぬぞ。近く、この父の意志を継げる者が必要だ」
「鵬岷王子とてまだ子供ではありませんか」
「ものの道理は理解出来る子供ぞ。もう二年もすれば、周囲の助けさえあれば政も出来よう」
 それは解るのだけど。
「陛下は目覚めます。大丈夫です。まだ世継ぎなど考えなくとも」
 義父は振り向いて華耶の目を捕らえた。
「本心でそう思うか?」
 迷いなく頷く。灌王は優しく笑った。
「確かにそうだ。それが妻としての心情じゃな」
 王は厳しい顔に変えて、娘に言った。
「だが施政者としてはそうはいかん。后として戔の為を考えねば」
 華耶は項垂れて、ごめんなさいと小さく呟いた。
「所詮、私は山の中で育った娘です。家族や周囲の人が幸せなら、それで良いと思ってしまうんです。大きな事は分かりません」
 涙混じりの言葉に灌王が黙る。
 その時、小さく、華耶と呼ぶ声がした。
 はっと顔を起こす。こちらを向いていた灌王は気付いていない。
 その義父を挟んで目が合った。泣く妻を気遣う視線で。
「義父上」
 今度はいくばくか声になって、灌王を振り向かせた。
「おお、目覚めたか」
「申し訳ありません…このような様で」
「気にするな気にするな。押し掛けた儂が悪いのだからな」
「いえ…」
 体を起こそうと身を捩る。すかさず華耶が支えて、どうにか上体を起こして。
 それでもまだ辛そうに頭を垂れて目を瞑っている。呼吸の音が忙しない。
「無理はするな。寝たままでも良いぞ」
 小さく首を横に振って、呼吸を整えて。
「本当に…なんとお詫びすれば良いか」
「何を詫びると言うのだ」
 この問いは世辞でもあり、試されてもいるのだと龍晶は察した。
 やはりこの訪問は政だ。例え家族だと言え。
「御息女を蔑ろにしました。苦労ばかりかけさせてしまって…悔いております」
 華耶が泣きながら首を横に振る。
 これは外交だよ、そう言わねばならぬのだよと彼女へ思いつつ、本心でもある。
「もうこのような事は無いと誓えるか?」
 厳しい灌王の言葉こそ、華耶を想うものだった。
 それには即答せず、意味深な笑みを浮かべる。
「俺にその気は無くとも、周囲の国が俺を亡き者にしたがっておりましょう?」
 あなたはどうですか?
 毒気を孕んだ目はしかし一瞬で、相手に悟らせる事は無かった。
 灌王こそ、その一瞬に目を伏せていた。
「…兵を貸せと言っておったな。無論、協力はする」
「ありがとうございます」
「だがそれでも戦は厳しかろう。耐えられるか、その身で」
「苦労は全て重臣達が負うてくれています。俺は最後の責任を取るだけです」
 王たる者同士、その意は通じた。
「そのつもりか」
「はい。ですから、華耶様に申し訳無い、と」
 灌王は彼女が先刻言った言葉を反芻して溜息を吐いた。
 家族が幸せならばそれで良い。その細やかな願いは、この城の中でどれだけ難しいか。
 その当人は、目を見開いて夫を見詰めていた。
 龍晶はその視線に応えて微笑んだ。
 彼女を見ながら、言葉は義父へ告げた。
「その為の己だったと、捨てかけた命を皆の力で戻されてようよう解りました。このような愚か者でも民の役に立つのなら嬉しくもありますが」
「おぬし、まだ狂うておるな」
「そうだと思います」
「儂はおぬしに初めて相見えた時に言うたぞ。生きて民を救え、と」
 龍晶は下を向いて頷いた。笑いを噛み殺すように。苦い苦い笑いを。
「俺もあの時、陛下に申し上げました」
 顔を上げて真っ直ぐに目を見て言う。
「民の為には王はもう必要無い、と」
 それが全ての答えだった。
 龍晶の出せる、最善の答え。
「もう良しとして下さい。出来る事はしました。勿論まだ時間は足りないけど…しかし国を救う為の種は全て植えました。あとはこの身が土の肥やしとなるだけです」
「おぬし…」
「鵬岷王子がそれを継いでくれるのならそれも良いでしょう。ただもう、他の者達と共に畑を耕すだけの役割です。陛下がそれでも良いと仰せなら迎え入れましょう。そして王の血はこういう時の為だけに役に立つと、この身が教えても良いのなら」
 ある意味でこれは脅しなのかも知れない。
 戦は今回だけとは限らないだろう。その度に捧げる贄が王という役割なのだと、龍晶自身はそうしようとしている。それが戔のやり方だと。
 そこに己の息子を据えても良いのかと、これは脅しだ。
「分かった。良かろう」
 外から人の走ってくる音がする。間もなくそれは桧釐だと分かった。
「郷に入っては郷に従えという事か。王とてそれは例外ではないな。その為におぬしが身を削っておるのなら、尚更」
 灌に口出し出来る筋合いは無い。少なくとも、この王が生きている限りは。
「申し訳ございません!少し外に出ておりましたもので…。突然のご訪問ゆえ準備が足りませなんだ、お許し下さい」
 騒がしく桧釐が入ってきた。王は二人して含むように笑っている。
「あれ?陛下、お目覚めでしたか?それは丁度良かった」
 戔王へ目を丸くした後、灌王へまた深く頭を下げる。
「我が陛下は病身ゆえ、ご不快な事がありましたら平にご容赦を。仔細はこの桧釐が承ります」
「安心しろ桧釐、大筋はもう決まった」
「えっ」
「後は義父上と鵬岷王子の決断次第だ。お前の出る幕は無さそうだ」
「そんな…ええっ!?我々に任せると言うたのはどの口ですか!?」
「状況が状況だ。分かるだろ」
 桧釐はその場で膝をついて潰れてしまっている。気負いが風船の空気のように抜けていくようだ。
「王は必要無いのでは無かったのか」
 皮肉を込めて問う灌王に、龍晶は肩を竦めた。
「王と言うよりもこれは監督責任者の仕事です。ま、そのうち彼らも育ちますから」
 呵呵大笑して灌王は立ち上がった。
「これは心強い事だ。邪魔をしたな。ゆるりと休まれると良い」
 義父を見送ると、夫婦二人となる。
「華耶…済まぬ」
 もう誰も居なくなった出口を見据えたまま、真顔で龍晶は言った。
「いいえ。それがあなたの決めた事なら、従うまでの事です」
 固い声音で華耶は応えた。
 恐々という動きで、龍晶は華耶を振り返った。
 彼女は静かに微笑んで、頷いた。
「春音には苦労をかけたくないのでしょう?」
 それだけは耐えれないと、互いに分かっているから。
「全てが終わったら、何処か田舎でのんびりと暮らせるようにするよ。親子二人と、出来れば十和も一緒がいいな」
 王は言いながら控えている女官へ視線を送った。
 十和は微笑んで頷いてくれた。
「親子三人でしょう?ねえ?」
 華耶が言い直した。
 龍晶は逃げるように微笑んで、言った。
「朔夜が帰って来ればな」
 彼女の笑みが消えた。
 全てが終わったら。
 俺が消えたら。それで初めて、この国は始まるんだろう。


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