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月の蘇る
  7
 雪の舞う街は、年の変わる前の忙しさで活気に満ちている。
 人々は挨拶代わりに寒いと言い交わし、用事を済ませると来たる年の展望を別れの挨拶代わりに言い合って帰途を辿る。
 来年はどうなるかねぇ。そろそろ若い王様にしっかりして貰わにゃ。でもご病気なんでしょ?幾日も寝たきりになるほど重いんだとか。
 それなら跡継ぎはどうなるんだ?
「へい…いや、朔夜様、連れて来ました」
 平服を来ているお陰でそれとは見えない若い護衛兵が、自分の友人を連れてやって来た。
 医師見習いの男。国を揺るがす噂の源を調査するよう命じた、その結果を聞きに来た。
 救民街に出向いては内密の話は難しい。城の中でも良かったが、自分が罪を犯したと思い込んでいる男を呼び付けるのは気の毒だ。
 たまには都の様子を見ても良いかと思って平服を纏って都で落ち会う事にした。噂がどうなっているのか、この耳で確かめる意図もあった。
 祥朗と、共に調査をした護衛兵――名は崔舗(サイホ)という――だけを供に街へと出た。
 人々の耳の多い中で陛下と呼ばせる訳にはいかない。だから咄嗟に思い浮かんだ友の名を借りて呼ばせる事にした。なんだか変な感じではあるが。
 軒先で茶を飲ませる店の卓に一行は落ち着いた。
 同じ店の客、通りを歩く人々の声が否応無く耳に入る。そして誰もここに居るのが噂の主とは気付かない。
 殆どの民は王の顔など知らない。そこに居るのは華奢な上に痩せ衰えた、少年とも青年ともつかない目立たぬ一人の小さな男だ。
 そうと知って顔を合わせた筈の医師見習い――彼は要馬(ヨウマ)という――も、そこに居るのが本当に王だと気付いて目を見開いた。
 王を前にしても平伏したり謙ってはならないと道々崔舗に教えられていたので、彼は軽く一礼して席に加わった。
 四人の若い男が一つの卓を囲んでいる。何も違和感は無い。
「このような所で…お身体は大丈夫ですか」
 医者らしく要馬はまず心配した。龍晶は片頬を上げ、皮肉っぽく笑って答える。
「今日は体は大丈夫だ。万一に備えて腕利きの医師も同行してくれている。お前の心配には及ばない」
 同じ師を持つ祥朗を医者として信用している、お前などより余程。そういう意味だ。
「そうですか…。では早速、用件を」
 調査に当たった二人は顔を見合わせて頷き合い、書き物をした紙片を卓上に出した。
「例の話を辿った結果、いくつか元となる人物に行き当たりました。この中の一人が原因なのか、同時発生で生まれたのかは分かりませんでしたが…。しかしどの人物も商いをしているという共通点がありました。これがその店を纏めたものです」
 要馬が紙上の文字を指し示す。書かれた店の数は四件。業種は酒問屋、船問屋、船宿、女郎屋。
「張り込んで見張ってみましたが、特に怪しい者の出入りは見られませんでした。ただ、いずれにせよ南部との繋がりがある店ではあるのでそれは怪しいと言えば怪しいのですが…」
 崔舗が捕捉する。彼は南部の反乱軍の動きを知っているが故に怪しんでいるのだ。
 それは龍晶も考える所だ。
「この店…例えば地下に船着場を持っていたりしないか?」
「確かに、上の三つは運河に面しています。地上から階段を降りねば水面に出られませんから、船着場は地下にあるかと」
 説明した崔舗ははっと顔を上げる。
「これは…あの事件と関連するという事ですか」
 知っていたか、と龍晶は苦いものを飲み込んだ。
 戴冠前の拉致事件。首謀者は藩庸。
 あの時、自分を探して朔夜や軍が潰したのは文字通り地下に船着場を持つ地下組織だった。
「お前、いつから軍に?」
 特に関係は無いが一応問うてみる。
「あっ、それはその、内乱の直前の大規模な徴兵に応じてですが…陛下の軍とは戦わずに済み、そのまま処罰も無く軍に残る事が出来まして…」
 要は兄が無茶苦茶に集めた兵の中の一人であり、戦わずに居た所を宗温による軍の再編で近衛兵となったのだろう。
 一度は敵対していた立場であるから恐縮しているのだ。
 そしてあの騒動で自分を探していた一人でもある。
「ふうん…成程な。別に良いけど」
 言いながら再び紙面に視線を落とすと、機会を伺っていたらしい要馬が口を開いた。
「この四件目の店、ですけど」
 女郎屋だ。流石に昼日中から口に出すのは憚られるらしい。
「今思えば、南部訛りの女が多かったように思います」
 崔舗が相棒の顔を一度見て、そう言えば、と溢す。
「言ってた。南部から売られて来たって」
「だろ?俺の女もそうだった。ちょっと都じゃ見ないような顔立ちだったし…彫りが深くて」
 軽く咳払いすると二人揃って背筋が伸びた。
 調査にかこつけて仲良く二人で夜遊びをしていた話など要らない。
「分かった。決定打は無いが、これだけ証拠が揃えば犯人の想像は付く。ご苦労だった」
「では、お許しを頂けるので…?」
 要馬が恐々と問う。龍晶は意地悪く笑う。
「何の事だ?」
 青年は息を飲んで顔を青くした。龍晶はやれやれと溜息混じりに言ってやった。
「元々、俺の胸一つに収めてやろうと思ったからこういう小細工をしたんだ。許すかと問われればそれは出来ないが、だからと言ってこれ以上お前を責める事はしない。それは無責任な噂を口にした民全員に対しても同じだ」
 怒りをこの胸に収めていくだけ。
 それを何かにぶつけようとは思わない。昔からそうだ。
 静かに、不信と恨みを育てていく。それがこの体や頭を壊す事になるのだろうが、死ぬまで抱えて逝くしかない。
 要馬は頭を下げた。
「行け。お前は良い医者にならねばならぬ」
 立ち上がり、また頭を下げて、青年医師は去って行った。
 残った近衛兵に王は告げた。
「お前は残って、また変な噂が流れていないか調べて帰れ。俺は祥朗と先に帰る」
 崔舗を残して通りに出る。
 弟と並んで歩いて帰る道は、少し新鮮だった。
 人々が追い越し、すれ違って行く。誰も自分達の事など気にも留めずに。
 昔はよくこうして貧民街まで歩いて行ったものだ。小さな弟の手を引いて。
 気付けば背の高さを追い抜かれて、見上げるようになっている。
 当たり前だ。成長しない体にされた自分と、今が伸び盛りの弟。大きくなってくれたのは純粋に嬉しい。体だけではなく、心まで。
 思えば自分勝手に振り回してばかりで兄として何もしてやっていない。
 反省を込めて告げた。
「なあ、祥朗。俺に遠慮しなくて良いから、お前はお前のやりたい事をしてくれよ」
 驚いて見返し、彼は声なき声で答えた。
『兄上をお助けする事より他に、やりたい事なんてありません』
 そう言われる事はなんとなく分かっていた。彼にとって兄の事以外は考える余地の無い半生だったのだから。
 だからこそ、自分が何とか他の事に目を向けさせてやらねば。
「例えば何か望む事は無いか?地位が欲しいとか、住む場所とか…ああ、好きな女子とか」
 先刻の夜遊びをしていた二人ではないが、自分と違って祥朗はそれが出来る。年ごろでもあるし、そういう望みはあってもおかしくない。
 見上げた顔は赤くなっていた。
「言ってみろよ。俺は兄貴だからさ」
 兄弟ならそういう話を普通にするものだと思う。多分、佐亥はそう言っていたような。その時は自分には関係無いと思って聞き流していたけど。
 祥朗は周りを気にするようにきょろきょろと見回している。口にした所で自分以外には分からないのに。やっぱり恥ずかしいのだろうと兄はほくそ笑む。
 そしてふと、朔夜に同じ問いを向けた事を思い出した。
 あの時は意地悪な気も無くは無かった。だが、出来る事ならあいつの為に何かしてやりたいと、それは純粋にそう思っていた。
 今は、どうだろう。
 あいつが無事に戻って来たらそれで良い。何も望まない。
 華耶は返しても良い。否、今は二人に一緒になって欲しいとさえ思う。本当に身勝手だ。
 朔夜に出来なかった分まで、祥朗の為に骨を折ろうと決めた。
「好きな人が居るなら俺が何とかするから。何処の誰だ?」
 道は人気の無い城壁のほとりへと入っていた。このまま城の裏手に回って、後宮の裏門からこっそりと帰る。
 祥朗は小さく塀を指差した。
 この塀の向こうには、後宮がある。
「ここに居る…女官か?」
 頷く顔は耳まで赤い。
 ますます朔夜を思い出してしまう。そしてつくづく思った。どうして友があんなに好いていた人を取ってしまったのだろう、と。
 いや、でも悪いのはあいつだと思い直し、意識を祥朗へ戻す。
「名は?」
 知りません、と弟は言った。
「知らないのか?」
 それでは探しようがない。
『時々、僕に差し入れをくれるんです。後宮で僕はあまり出歩けないから気を遣ってくれて、握り飯とかお茶とか。兄上が眠ってる時にいつも来てくれるんです』
 必死に説明する照れた顔が微笑ましい。
「そうか。とにかくまず相手を知らないと。名前と、相手が居るかどうか。十和に協力して貰うか」
 ふるふると頭を振る。
「なんだ?」
『後宮で女官を見初めたなんて、それは許される事ではないのでは?だって、本来は僕は入ってはいけない身ですし、出入り禁止になっても困りますし…』
「誰が禁止するんだよ?後宮の主は俺と華耶だぞ?しきたりなんて言う奴が居たら俺が黙らせるから」
 手を伸ばして肩を叩く。初めて兄貴らしい振る舞いをしたような気分だ。
「心配するな。だけど、その娘が花嫁修行で後宮に入っていたら、その時は潔く諦めろよ?」
 何度も祥朗は首を縦に振る。その理由で後宮に居た小奈の事は彼も知っている。
 裏門が見えてきた。白い息を吐いて龍晶は一度立ち止まった。
 怪訝な顔をして祥朗が振り返る。
「ついでに…もう少し付き合ってくれ」
 指差したのは、更に裏手にある小高い山。
 祥朗は察して頷いた。
 薄く雪の積もる山道へと足を向ける。
「いつも俺の妄言の材料にされて、たまにはちゃんと供養してやらないと本当に祟られるからな」
 寄り道の言い訳。行き先は王家の墓。
 祥朗の丸くなった目が問いたい事は分かった。
「本当に聞こえる事はある。だけど嘘もある。使いたい時に使うんだ。国の為なら彼らも本望だろ?」
 皓照の時は完全に嘘だ。だがその判別は他人には難しいだろう。自分だって分からなくなるのだから。
「全部がこの狂った頭の代償だからな。本当に死人が俺を呪っているとは思わない。…だけど、呪えるものなら呪いたいだろうよ」
 その罪悪感が聞こえぬ筈の声となるのだろう。そこまで冷静に分析していながら、症状が治る事は無い。
 祥朗は何か言おうとしたのかも知れない。だが、滑りやすい足元にかこつけて顔を見てやらなかった。顔を見なければ何も言わないのも同然だ。
 狡いが、今はただ己の肚の底を吐き散らせる相手が欲しかった。
 他に誰も居なくなった。言いたい事を言える相手が。
「…本当は皆、俺の存在が邪魔なんだ」
 足元に吐き捨てる。独り言も同然に。
「都の人間達はもう俺が死ぬものと思っている。世継ぎの話ばかりだった。まだ赤子なのにどうするのか、大丈夫なのかって…そんなの、俺が一番訊きてえよ」
 首を振る。己の言葉すら否定するように。
「いや…本当はどうだって良いんだ。誰が継ごうがこの国がどうなろうが、俺はどうだって良い。春音だって結局は他人だ。華耶には悪いが…俺には情が湧かない。そういうものが、分からない。非情なんだよな。この王家の血だよ、本当は俺は冷徹なんだ。利用出来るか出来ないかだけ…でもそれにももう疲れた」
 声が聞こえた。まだお前は生きているのか。早くこちら側に来い、と。
「…死にたくはない。奴らの期待通りには。でももう、自分に絶望し尽くしている。何もかも投げ出してしまいたい。だから、消えたい」
 道を登り切った。墓所に出て、思わず足を止めた。
 父が、兄が、己を睨んでいる。
 幻だと目を閉じた。分かっているから恐怖は無い。それとも自分がもう半分向こうに行っているからか。
 温かな腕が肩を包んで目を開けた。そこにはもう何も居なかった。
「…幻覚が見えだした。高熱の予兆だ。帰ったら薬を飲ませてくれ」
 後ろで祥朗が頷いたのは、触れる手を通じて分かった。
「ずっと分からないんだ。どうして生きなきゃならないのか。心の底で母上を恨んでる。どうしてこんな姿にしてまで生かしたのかって」
 やっと、弟に向き直った。
 祥朗の目は涙を溜めて赤くなっていた。
 対して自分は、冷たい面差しのまま。
「ごめんな。お前にしか聞かせられなくて。…愚かな兄の代わりに、お前は目一杯幸せに生きていけよ。母上に報いる為に。頼む」
 言うだけの事を言って、背を向ける。
 墓標の前で祈りを捧げる。
 死者に伝える言葉は何も無かった。
 目を開き振り返ると、降りゆく雪の向こうに都の景色が一望された。
 その時はっきりと思った。
 こんな国、滅びても良いだろう、と。
 一度腐り切った果実はもう元には戻らない。
 捨てて新しいものに取り替えるべきだ。
「あんた達のせいだ」
 この国を、或いは己を作り上げた者達へ呟く。
 呪うなら呪え。地獄なら散々見てきた。怖いものは無い。
 こんなつまらない国に拘泥すればする程、また罪も無い誰かを地獄に落とすのだろう。
 その誰かを救いたい訳ではないが、自ら突き落とすような真似をする気は無い。
「祥朗」
 誰かに言わねば、明日には正気を失っているかも知れない。
「春になったら、この国を統べて貰うべく鵬岷王子を迎えようと思う。そうすれば俺は、この都から解放される。何処にでも好きな所へ行ってやるんだ。お前も俺から解放されるぞ。そしたら好きな人と所帯を持てば良い」
 ぎゅっと腕を掴まれた。
 弟の顔を見上げる。
 唇は引き結ばれていて、言葉を持たなかった。
 頷いて、微笑む。
「帰るか」
 後宮に帰り、十和に女官について調べて貰うよう頼んだ。事情は何もかも説明して。
 熱の出始めた頭で情報を取捨するのも、隠し事や作り話をするのも面倒だった。
 彼女なら上手くやってくれるだろう。祥朗の未来の為に。
 その間に祥朗に作って貰っていた薬を飲んで横たわる。このまま二日でも三日でも眠ってしまえば良いと思った。
 何なら、永遠に目覚めなくても良い。
「仲春、大丈夫?」
 混濁しだした意識の中に華耶が入ってきた。
 本当の事を言い遺さねばと思って。
「華耶、俺はさ…人を愛する真似事がしたかったんだ」
 そう、真似事。本物の感情は、削ぎ落とされたから。
 朔夜が羨ましかっただけ。奪い取りたかった。それだけ。
「だから、忘れてくれ…な」
 目を閉じる。安寧の闇の中に。
 何もかも忘れて戻るのだ。全てが始まる、その前に。

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