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月の蘇る
  7
 小春日和の日が続く。
 冬が迫っている中でも温暖な気候は、矢張り南部ならではだろう。
 暗枝阿が来て三日経った。
 彼は一室に籠って煙管を吹かすばかりで、全く動く気配が無い。
 何かを待っているのだろう。遠くで起こる何かを。
 お陰で朔夜は傷を直しつつ刀の稽古に明け暮れる事が出来た。
 依然として左手しか使えないが、それにも随分慣れてきた。
 相手が居ないので打ち合う事が出来ないのは不安要素ではある。だけど燈陰が居れば、とは考えたくなかった。
 ふと思い立って、長く伸びた銀髪を摘む。
 短刀を抜いて髪に当てると、さらりと束が落ちた。
 陽光に反射して地面がきらきらと光る。
「朔夜…あら」
 通りすがりに様子を見に来た華耶が足を止めた。
「髪切るの?」
「うん。そろそろ邪魔だから」
 それもあるが、特徴的な銀髪をなるべく目立たせなくせねばならない。
 戔では罪を負って隠れて行かねばならない。そして苴では悪魔が銀髪である事は知られている。
 髪を切って頭巾でも被って旅をしようと思った。
「切ってあげようか?」
「いいの?」
「勿論。朔夜の髪を切るのは私の仕事」
 それは子供の頃の話だが、華耶になら安心して任せられる。自分でやっても不恰好になるばかりだ。
 縁側に朔夜を座らせて、華耶は短刀を受け取る。
「どのくらい切る?」
「手拭い巻いて隠れるくらい。剃っちゃっても良いんだけどさ」
「ふふ、丸坊主な朔夜は可愛いだろうなぁ」
「いやっ…やっぱ剃るのはやめとく」
 皆に盛大に笑われるのは目に見えている。
「じゃあ、燈陰おじさんくらいかな。うん、親子だし絶対似合うよね」
「…あー…まあ良いけど…」
 父親の顔を思い出したくもないのに思い浮かべて苦い気分になる。だけど理想型は確かにそれだ。あくまで髪型の、である。
「だけど勿体無いなぁ。朔夜の髪、貰って良い?」
「え?良いけど、いる?」
「うん。綺麗だから、これで何か飾りを作るね」
 言いながら、背中にかかる髪を丸ごと掴み、短刀で一思いに切り取った。
 ざくり、という音と共に一気に頭が軽くなる。
「ふわぁ。すごい」
 気の抜けた声が出るのは、短くなった髪が顔を覆ったからだ。
「あはは、面白いことになってるよ朔夜」
「前見えない…助けて華耶…」
「待って。切った髪を纏めてるから」
「はやくー…」
「剃刀を持って来るね」
「ええー…」
 腰を浮かせた華耶より早く、後ろに控えていた十和が立ち上がった。
「取って参りますね。暫しお待ち下さい」
「あ、ありがとう」
 二人きりになって。
 華耶は朔夜の前に回り込んで、前髪を持ち上げて顔を見せた。
 そしてしみじみと眺める。
「懐かしい。子供の頃こんなだったよね。朔夜の顔、全然変わってない」
「…そう?」
「うん。こうやって前髪上げて括ってさ。女の子みたいで可愛かった。今でもね」
 それって褒められているんだろうかと目を白黒しながら。
 華耶は背後に回って、朔夜の頭を両手で抱え頸に向けて呟いた。
「梁巴の事を思い出して確かめないと、自分が誰なのか分からなくなっちゃう」
「…華耶?」
「私、皆に頭を下げられるような人間じゃないのにね」
 十和が戻って来て剃刀を渡した。
 ありがとうと華耶はもう一度礼を言って、朔夜の髪を短く切り始める。
「都だとこんな事出来ないよ?誰かに止められちゃう。でもここでは十和が自由にさせてくれるから楽しくて。帰りたくないなんて言ったら怒られちゃうけど」
「…華耶も大変なんだ」
 全く思いも寄らなくて、他人事のように言ってしまった。
 そうさせたのは自分だと気付いて、慌てて言い足した。
「ごめん。不自由な思いさせて」
「違うの朔夜。これは私の我儘。ただ、梁巴からの知り合いが減っていくとちょっと寂しくて」
「俺…でも、行かなきゃ…」
「分かってるよ。大丈夫、気にしないで。私には仲春が居るから」
「うん…」
「ねえ朔夜、覚えてる?私が朔夜の髪を使っておばさんに三つ編みを教えて貰ったこと」
「母さんに?」
「うん。朔夜の髪で練習させて貰ってた。おばさん、髪を綺麗に編むの上手だったから」
 思い出せるだろうか。母の手の感触を。
 その後の様々な記憶が邪魔をする。
 思い出さない方が良いのかも知れない。
「…遠くまで来てしまったね、私達」
 忘れようとしている記憶を、華耶はそう言って包んでくれた。
 梁巴はもう、存在しない。
 あの温もりも。
「子供の頃の楽しかった思い出って、誰にとっても宝物なんだよね。仲春も時々話してくれる。お母様との思い出を」
「あいつが?」
 子供の頃の記憶が苦しいだけのものではなくなったのだろうか。
 それなら喜ばしい事だ。
「うん。そういう思い出があるから今、目の前の人を大事に出来るんだって言ってた」
「それ、華耶の事だ」
「うん。私だけじゃないと思うけど」
 髪を切っていた手が止まって、わしゃわしゃと撫でられる。切られた髪がぱらぱらと落ちた。
「はい、終わった。こっち向いて」
 言われた通りに立ち上がって振り向くと、彼女は歓声を上げた。
「わあ!新しい朔夜が居る!」
「どういうこと?」
「だって、こんなに髪短くした事無かったでしょ?良いよ、似合ってる!」
 ねえ、と振り向いて十和に同意を求める。
「お似合いですよ」
「ね、陛下を呼んで来てくれる?これは見て貰わなきゃ」
 畏まりました、と彼女は立ち上がった。
「華耶」
「ん?」
 真正面から彼女の目を見詰める。
 ずっとずっと、こうしてきたけれど。
「これからはさ、俺の事、もう考えないで良いから…その分を龍晶に向けてやって。頼む。あいつ、俺達と違って時間が限られてるから」
「…それって…」
「あいつさ、何十年後に自分だけ老けてたら華耶に嫌われるんじゃないかって、そんな心配してるんだ」
「そうなの?そんな訳ないよ」
 冗談にして包む。でも、願いは届いた筈だ。
 全力であいつを支えてやって欲しい。もう苦しい思いをしないように。
 華耶の事は、全てあいつに託したから。
 だから、自分はもうここに居なくて良い。
 髪と一緒に幼い恋心は断ち切った。
 自分の生きる場所、或いは死ぬ場所へ行く為に。
「大人になったね」
 華耶はしげしげと幼馴染を見詰めて言った。
 梁巴の景色も、二人で笑い合った日も、遠く。
 子供時代のものを全て失って、代わりのものを拾い集めて、大人になった。
 後悔も無いけれど。
「おお。本当だな」
 奥から龍晶の声がした。
 華耶は嬉しそうに振り向いて手招きする。
「どう?良いでしょ」
「ああ。しかしこうして見ると父親に似てるな」
 それは出来れば言われたくなかった。
「似てないよ。昔から似てないって言われてたし」
 むすっとして言うと、龍晶は苦笑いして済まんと謝った。
 華耶は親子の確執などどこ吹く風で小首を傾げる。
「小さい頃から朔夜はお母さん似だよね。でもやっぱり、男の子だからちょっとずつお父さんに似てきた気がする」
 束にした銀髪を持ち上げて、嬉しげに。
「この髪は思い切りお父さん譲りだもんね」
「派手な所だけ貰っちまったな」
 華耶が言うからか、もうあの男と会う事は無いからか、そこまで嫌な気はしなくなった。
 親子とは思わないとまで言われても、この髪色が血の繋がっている証だった。
「陛下、申し訳ありません」
 突然、衛兵が割って入った。
「どうした」
 跪く兵を見下ろして龍晶が問う。
「子供が訪ねて来ております。皇后様にここに来るよう言われたと申しておりますが…如何致します」
 龍晶は華耶へと視線を送った。
 彼女は小さく「あ」と声を漏らして、言い訳するように夫へ説明した。
「春音が夜泣きして散歩してた時に出会った子達です。門の近くで物乞いをしてたから、お握りをあげて、困ったらまた来るように言ったんです」
「成程、そういう事か」
「ご飯をあげて、話を聞いてみます。きっとお腹を空かせてるから」
「俺も行こう。南部の現状が知りたい。こちらにも救民街が必要かも知れない」
 華耶の後を追おうとした龍晶が、足を止めて朔夜を振り返った。
「お前も来てくれるか?」
「なんで?」
 今からここを去るのに、何の役に立つのだろう。
「いや、なんとなく。お前は子供に好かれ易いから」
 場を和らげて話を聞きやすくしろという事だと解釈して、夫婦の後に付いて行った。
 門に近い前庭に、ざっと十人程の子供が集まっていた。
 十歳ほどから、自分達とそう変わらない年代までの少年で、皆が一様に薄汚れた格好をして痩せこけている。
 苦労の果てにここに辿り着いたのだろう。
 華耶がまず彼らに問うた。
「お腹空いてる?何が食べたい?」
 意外にも、年長らしい一人が首を横に振って言った。
「いえ、今日は物乞いをしに来たのではありません。助けて頂きたくて来ました」
 龍晶は彼らに近い、前庭に繋がる階段に腰掛けた。
「話を聞こう」
 視線が彼に集まる。
「あなたが王様ですか?」
 子供の無遠慮な問いに頷いた。
 朔夜は後ろでそのやり取りを見ていて。
 はっと息を呑んで、龍晶の前に立ちはだかるべく駆けた。刀を抜き放ちながら。
 子供達はそれぞれの手に短剣を持ち、王へと襲い掛かっていた。否、朔夜に向かって来る者も居る。周囲の兵へも。
 そして、華耶にも。
 抜いた勢いのままの長刀を暗殺者の身に滑らせた。加減は出来ない。左手一本と長刀では技量が足りない。
 そうしながら華耶の悲鳴を聞き、彼女を襲おうとしていた者を見えぬ刃で仕留めた。
 だが余りにも討手が多かった。龍晶にまで意識が届かない。
 それも、王が最大の標的なのだろう。三人が同時に襲い掛かっている。
 朔夜は一人を横から薙ぎ払うのが精一杯だった。
「やめろっ…!」
 叫んでいた。一縷の望みを懸けて。
 ぱん、と。
 発砲音が空気を切り裂いた。
 龍晶の眼前に居た子供が倒れた。
 続いて、その隣に居た子供も体から血を噴き出して倒れた。
「…紫闇」
 その男は一間以上離れた場所から、過たず小さな額を狙い撃っていた。
 とにかく襲撃者は皆、そこに倒れた。
 動かなかった子供が一人、泣いていた。
 龍晶は呆然とこの光景を見詰めている。華耶は力を失って座り込み、十和に肩を抱かれていた。
「怪我は?」
 朔夜は二人に問う。龍晶が首を横に振った。
 間一髪の所だった。
 刀を手にしたまま、泣いている子供の前に立つ。
「おい、答えろ」
 沸々と沸く怒りが、声を冷たくする。
 子供は恐怖で凍り付いた。
「一体誰がこんな事をしろと言った」
 唇が震え、声が出ない。
 暫く待っても震えるばかりで答えは引き出せそうに無かった。
 舌打ちして、倒れながらもまだ息のある者に視線を投げる。
「答えろ!誰に命令された!?」
 怒鳴り声に返ってきたのは、怨嗟の声。
「誰の命令でもない…自分達で考えた事だ。無能な王を殺して、腐った世を変えれば、飢えて死ぬ事は無くなるから」
 口から血を吐きながら喋る少年を見下ろして。
 朔夜は刀の切先を喉に突き付けた。
「言いたい事はそれだけか?」
 少年は、笑った。
「お前達のせいで皆死ぬんだ…!お前達のせいで…」
「朔夜!やめて!」
 華耶の叫び声が、喉を裂こうとした刃を止めた。
「お願い。もう誰も死なさないで」
 華耶の懇願と同時に、龍晶が横に立って刀を持つ左手に手を重ねた。
 怒りに支配されていた頭が徐々に冷める。
「…華耶と一緒に奥へ行ってろよ」
 友へ呟く。
「お前がこの刀を手放すならな」
 強気に龍晶は返して、死にかけている少年に目を向けた。
「全て俺のせいだ。済まなかった」
 その一言にどよめいたのはその場に居る兵や従者達だ。彼らにとっては有り得ぬ一言だろう。
 構わず龍晶は続けた。少年の傍らに、跪いて。
「出来る事なら俺が何をすれば良かったのか聞きたかった。お前達と語り合って、誰も飢える事の無い国を共に作りたい。今からでもまだ間に合う。死ぬな」
 万一、死力を振り絞って少年が龍晶を襲えばすぐ斬ろうと、朔夜は刀を構えていた。
 だが反面で、こいつを生かしてやる道は無かったかとも思った。後悔は出来ないが。
 そんな危惧や思いは虚しく、少年は一つ息を吐いて、死んだ。
 龍晶はすぐには立ち上がらず、唇を噛んで俯いていた。
「お前を殺そうとした相手なのに」
 友を立たせようと朔夜は言ったが。
「関係無い。守るべき民だった」
 朔夜は溜息を吐き出し、意味の無くなった刀を鞘へ戻した。
 その手で、虚しい怒りを拳で壁にぶつけた。
 誰より守るべき二人に刃が向けられた。朔夜にはそれが全てだった。
「…藩庸様です」
 泣いていた子供がぽつりと言った。
 その名前に、朔夜と龍晶は見開いた目を合わせた。
「藩庸様が、今の王様が居なくなれば僕達は飢え死ぬ事なく助かるって教えてくれたから…」
「奴に命令されたのか?」
「違います。僕達で計画を立てたんです。なのに僕は…何も出来なかった」
 朔夜は少年の前に跪いた。
 薬の匂いはしない。
「お前は都で拉致されたのか?親は?」
 問いに、彼はかぶりを振った。
「都に行った事はありません。父は死にました。二年前、反乱で。役所を守る兵隊だったんです」
 皓照がけしかけた事もあって、南部は反乱軍の激しい攻勢が繰り返し起こっていた。
 彼の父は旧体制側の犠牲者という事だ。
「だから僕はあなたが嫌いです。ここに居る皆も同じでした」
 龍晶に向けて少年は言い放った。
 王は己の生み出した憎しみを受けて、じっと、真正面から相手を見ていた。
 朔夜は少年に問うた。
「じゃあどうしてお前は動かなったんだよ?」
「怖かったんです!僕は臆病者で卑怯者です!皆と同じ所に送って下さい!」
 叫び、伸ばされた手を、朔夜は掴んで捻り上げた。
 そして衛兵に言った。
「縄を持って来い」
 少年は縛られた。罪を犯した人間として。
「藩庸の居場所を知っているだろう。宗温の所に送れ」
 無感情に龍晶は兵へ指示した。
「ただし、殺すなと伝えろ」
 少年は、どうしてと叫んだ。叫びながら連れられて行った。
 遺体が運ばれて行く。国の動乱に翻弄された子供達の。
 龍晶はその場から動かず、一部始終を見詰めていた。


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