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月の蘇る
  2

 『私に出来る事があれば何でも言って』と、昨晩別れ際に於兎は言った。
 考えた末、朔夜は二つの事を頼んだ。
 一つに、華耶のこと。
 『俺が死んだと知らされた時のアイツが心配だ。出来るだけで良い、見守ってやって欲しい』と。
 もう一つ。
 この状況を打開する為には、あいつらに頼るしかない――
 『玄の弓と、繋ぎを取って欲しい』
 癪だが、他に頼れる存在が無い。
 於兎は困惑していたが、『やってみる』と言って、この場を後にした。
 あとは、運を天に任せるしかない。
 不意に、鞭打ちが止んだ。
 見物人のさざめきが耳に入る。
「あれが悪魔か?子供じゃないか」
「子供の皮を被っているんだろう?何たって悪魔なんだからな」
「恐ろしいねぇ」
「敦峰の人達、怖かったろうねぇ」
「良かったね、捕まって」
「本当に。これでもうあんな事は起きないで済む」
「まだ安心できんぞ。どうして早くぶち殺さねぇんだ」
「もうあんなになったら大丈夫だよ」
「いや、あれは悪魔なんだろう?生きてればまた誰を殺すか分かったものじゃない」
「怖い怖い。もう帰ろ」
「おい、早くそいつを殺せ」
「そうだ、殺せ!」
「首斬って焼いてしまえ!」
「殺せ!」
 不気味な叫び声がうねりとなって刑場を満たす。
 早く、と朔夜は思う。
 こんな声を聞くより、鞭の方がましだ――
 己が抱き続けてきた憎悪が、更に更に大きな物になって、己に返ってくる。
 今まで手を汚してきたのは、彼らを守る為では無かったのか――
 劣勢になった戦を助け、国境を守ってきた。命じられただけでしか無かったけど、でもその意味は解っていたから納得もして血に汚れた。
 かつて故郷の村で、大人達が必死で防護壁を護った様に。
 そしてその中の村で少しの間でも安息を得られた様に。
 ここを守る事は、中に居る誰かを守る事だと。
 そう思えたから、躊躇う事も無かった。
 見返りが欲しかった訳ではない。
 でも、今彼らから浴びせられる言葉は、刃より遥かに痛い――
『俺達は、使って棄てられるだけの――』
 敦峰の男の言葉。
 全く、そうだ。
 彼らは、自分達を守る壁を擦り減らして、いつか自分に刃が届く事を解っているのだろうか?
 それとも、自分達を守る者は、掃いて棄てるほど居ると思っているのか。
 愚かだ――否。
 もう誰も呪うまい。もう、怒る事も疲れた。
 憎しみは、また大きくなって、自分の元に返ってくるだけだから。
「月」
 その声で、やっと鞭打ちが止まった意味が判った。
 影。
「桓梠様より伝言だ」
 今更、何だ。
 死ぬ日でも決まったのか。
「お前を救いに来るやも知れぬ連中が居るだろう?」
 於兎――いや、違う。この口ぶりは連中はまだ何も掴んでいない。
 推測で物を言っているだけだ。
「来たら、殺せ」
 さて、来るだろうか?
「無論、猶予はやろう。その身では何も出来んだろうからな。身体を癒し、目覚めて三日だ。それを過ぎれば女はどうなるか、解るな?」
「…言っただろ」
「ふん…起きていたか」
「華耶を殺したら、俺がお前達を殺す」
 『殺せ』の合唱が一段と大きくなる。
 向けられる殺意。それ以上に。
 守りたい意思が、殺気となって、眼に込められる。
 影はふん、と嘲笑った。
「餓鬼の強がりも大概にしておけ」
 再び鞭が背中を叩く。
「良いか、三日だぞ…」
 遠くなる声。
 反比例して鞭の音が響き渡る。
 ――奴らは、皓照の存在を恐れている。
 当たり前だ。俺を遥かに超える力を目の当たりにしているのだから。
 最後に俺を使って、その不安要素を取り除く気で居るんだ。
 でも、と朔夜はほくそ笑む。
 俺はどうやっても、あいつに勝てるとは思えないけどな。


「動かないのか?」
 敦峰の街外れにある例の屋敷。
 縁側に立ち、じっと山を眺める皓照に、燕雷は問うた。
 皓照は友を見、何を言っているのかという顔をして。
 暫し考え、横に少し寄った。
「動きました」
「違ーうっ!!阿呆っ!!」
 大真面目に呆ける友に、燕雷はしばしば手を焼かされる。
「何をどう動けというんです?出し惜しみせずにちゃんと言って下さいよ」
「別に惜しんでない!そのくらい解ってくれって話だ!!」
 はぁ、と大仰に溜息をついて、頭をがしがしと掻く。
「朔夜の事だ、と言わなきゃ解らんか?お前、あれだけ何年もこだわってきたのに…今更どうした…?」
「こだわりを捨てた。それだけですよ」
「ああ?」
「彼は私がこだわる程の存在ではないと思っただけです。その力は魅力ですが、人間性に疑問が出て来た」
「…どういう事だ」
 逆ならまだ解る。確かに彼はまだ己の力を使い切れていない。
 だが、人間は、燕雷が朔夜の中で何よりも信じる所だ。
 実際それを見てきた。
「うーん、すみませんねぇ。君達が彼の肩を持つのは解るんですが…」
「解るけど何だよ?」
「私の正義に彼は反する。正義は私を棄て公を立てるべきです。いかなる時でも」
「……」
「君は私の理念、理解してくれていると思っていますが」
「解ってるよ。本当に耳タコだからこれ以上の講釈は勘弁だ」
「みみたこ?美味しいんですかそれは?」
「耳にタコが出来るほど聞いたの略!!」
「…美味しくはなさそうですね」
「そーですね…」
 この男、疲れる。
「そんな訳ですから燈陰、この件で私は動く気はありません。あしからず」
 縁側の少し離れた所に腰掛けていた燈陰に、皓照はにこやかに告げた。
 燈陰は息子と同じ碧の眼をちらりと向け、またすぐ庭に向ける。
「別に、他人の手を借りる気は無かった」
「そうですか。それは調度良かった」
「おい皓照…」
 燕雷が言い過ぎだと言わんばかりに名を呼ぶが、それらに構わず燈陰は立ち上がった。
「こんな事ならあの時、さっさと村に帰っていれば良かった」
 燈陰の呟きにも、皓照は笑みを崩さない。
「君一人帰ったところで何が出来たとも思えませんが」
「家族と共に死んでやる事は出来たさ」
 忌ま忌ましげに燈陰は言い捨て、脇に置いていた刀を差して歩き出す。
「おい、燈陰…。っああ、もう!」
 苛立った声を上げて燕雷も立ち上がる。
「皓照、悪いが今度ばかりは燈陰に付くぜ。お前の理想はよく解っているつもりだが、何せ朔夜はまだガキだ。やり直す機会くらい与えてやるのが大人の分別だろ」
 それに、と急ぎ支度を整えながら燕雷は続ける。
「アイツは息子に殺されるか、一緒に死ぬ気だ!あの親子を見殺しにするなんざ、俺の正義…って程のモンじゃないが、とにかく俺の気持ちが許さないからな…!」
 ばたばたと縁側から外に出、燈陰の後を追う。
「じゃ、そういう事で!行ってくるわ!」
 ふーん、と残された皓照は息を吐き出す。
「君にそう言われたら私が分別無い大人みたいじゃないですか…」
 倍近く生きてるのになぁ、と唇を尖らす。
「しょうがない。どうせ私が居ないと困るんだろうし」
 行きますか、とのんびり立ち上がる。
 と、その時。
「きゃあっ!」
 女の悲鳴。近い。
 皓照は声の方へさっと動いた。
 木々を掻き分け、朽ちかけた屋敷の門がある。
「…あ、そうか」
 悲鳴を上げたであろう人物の姿が全く見当たらないので暫し考え、ぽんと両手を叩く。
 門の手前まで近寄り、下を見た。
「ちょっと!!何よこれ!!早く助けさないよ!!」
 見付けた。
 大人の身長ほどの深さの穴の底で、女が喚いている。
「すみませーん。これは身元確認用の落とし穴なんです。お名前と誰の紹介かと、ご用件をどうぞー」
「はあぁぁ!?」
 怒って当然だ。
「この手続きが無いと中には入れられないのでご了承願いまーす」
 どこの受付嬢だ、お前は。
「…私は於兎!朔夜に言われてここに来たのよっ!彼に繋ぎを取って欲しいって頼まれて!!これで良い!?」
 つんけんしながら於兎は事務的に説明した。
「はあ、仔細は承りました」
「じゃあ早く出しなさい!!」
「でもね、於兎さん…と言いましたか。彼の事です、ただ繋ぎを取ってくれとは言わなかったでしょう?」
「何…?“燈陰には近付くなと言え”としか言われてないわよ…?」
 皓照はにっこりして頷いた。
「間違いなく彼の言ですね。良いでしょう、出してあげましょう」
「あげるとか言ってんじゃないわよ!!偉そうに!!どれだけこの僻地をさ迷ったと思ってんのよ!?ふざけるのも大概にしなさい!!」
「…凄い威力ですね…」
 流石の皓照も甲高い声で怒鳴られまくってくらくらしている。
 やっと手を差し出して引き上げた。
 於兎は助けて貰いながら鼻を鳴らしている。
「何だってこんな物作ったのよ!?」
「まぁ、一応、不審者対策と言いますかね、でもわざわざ正面から入ってくる敵が居ないので、すっかり存在を忘れていました」
「…あなた、天然?」
「いえ、人間です。一応」
 話が噛み合わない。
「それはそうと…朔夜君は我々に協力を要請してきたと受け取って良いのですね?」
「ええ、そうよ。悔しいけどあいつらしか頼れないって言ってたわ」
「それは光栄です。安心して下さい、他の二人はもう行きましたよ。彼の救出に」
「本当!?…あなたは?」
「私は留守番です」
 しれっと嘘をつく。
「そうなの?じゃあ、私も行かなきゃ。早く都に帰らないと怪しまれちゃう」
「そうですか。お気をつけて」
「……」
「何ですか?」
「せめて、“お風呂で汚れを流してから行って下さい”とか何とか気の利いた事は言えないの!?」
 ぱちぱちと瞬きして、物珍しいものを見る眼で暫し於兎を観察し。
「…それもそうですね。確かに酷い汚れようだ。女人にあるまじきくらいです」
「喧嘩売ってんの!?」
「あはは、とんでもない。私と喧嘩できる人なんてこの世に居ませんからねぇ。ま、どうぞ」
 なんでこんなにいちいち腹の立つ!!と怒りながらも於兎は屋敷へ入っていった。



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