月の蘇る 8 街は戦場と化していた。 朔夜はまず目に付いた小競り合いをしている兵達の間に割って入り、今にも斬りつけようとしている刀に自らの刀を合わせた。 そして問う。 「宗温の兵はどっちだ?」 「俺達だ!」 反射的に答えたのは刀を合わせた方だったが、その相手は訝しげに顔を顰めた。当然だろう。 「俺は味方だ!ちょいと遅刻した!」 朔夜は言いながら身を躱して背後から狙ってきた男を斬った。 言われてみれば国軍は皆、揃いの鎧を身に付けている。対して敵の装備はばらばらだ。だがその中に国軍のものと酷似した鎧もあるらしい。 「どっちがどっちか分かんねぇな」 理由は分かる。今戦っている主力は、元国軍の兵士達だ。先王に従い、その忠誠心のままに都落ちした者たち。 「俺達は肩に、ほれ、白の布片を付けている」 先程刀を合わせた兵が教えてくれた。 「総司令官の命令で最初は意味が分からなかったが、ここに来てよく分かったよ」 「成程な。流石は宗温だ」 上官の名を呼び捨てる少年に兵はまた顔を顰めた。 「お前、何者だ」 朔夜は一度言葉に詰まった。そして諦めにも似た笑みを浮かべた。 もう腹は決まっている筈だ。 「宗温に伝えてくれ。月夜の悪魔が来た、と」 兵は目を見開いて、逃げるように自陣の方向へ走って行った。 気を取り直して朔夜は戦場を睨み、刀を持ち直した。 片手しか使えないので咄嗟に長刀を取っていた。それでも本来は両手で扱う物だ。力は半減する。 片手の負担を考えて一度鞘に戻す。いざとなれば瞬時に抜き放てる自信はある。それが失敗したら死ぬだけの事だ。 市街戦はどこから敵が湧いて出るか分からない。死角は多く、一歩進む毎に緊張が強いられる。 久しぶりだと思った。この感覚。 繍でも野戦の方が圧倒的に多かったが、皆無では無かった。街を一つ攻め滅ぼす事は。 苴の国境の街を取り合っていた事があった。 本隊が苦戦しているから救援に行けと言われ向かった。だが蓋を開けてみれば、街に居る者を皆殺しにしろという命令だった。 無辜の住民はほぼ退避している。居るのは苴軍だけだと言われて。 無論、実行した。言われるがままに。あの時はそれしか無かった。 あの街で手に掛けたのが、本当に苴兵だけだったのか、それは今となっては疑問だ。 兵と言えども、そう仕立て上げられた住民だったのではないかと思う。 自分達の故郷を守りたい、戦う理由はその切ない程に素朴な一つだけだっただろう。 それを踏み躙った。同じく故郷を戦で失った自分が。 「…嫌だな」 呟いてしまう。だから市街戦はやり切れない。 それでも戦わねばならないのだが。 あの時とは違う。そう己に言い聞かせる。 この戦の向こうにあるのは、無益な国同士の争いではなく、新たな国、新たな王による、幸せな暮らしの筈だから。 だから、俺はあいつに全てを託して、汚れ役を全て引き受けて、身を滅ぼす。 それで良いんだ。 住居の角から三人の兵がわっと飛び出てきた。刃を躱しながら相手の肩を確認し、敵と認め刀を抜く。 相手の腕は稚拙だった。今日初めて刀を持たされたというような。それが何よりやりにくい。 隙だらけの脇へ滑り込み、横から腕の筋を斬った。相手はぎゃっと叫んで刀を落とす。 その間に残る二人に対峙する。一人は少し腕に覚えがあるようで積極的に攻めてきたが、朔夜が横に飛ぶと前につんのめって均衡を失った。その背中を刀の腹で叩き、完全に前のめりに倒れた手元を蹴って刀を手放させた。 残るは一人。どう握ったものか分からぬ刀を手に、全身が震えている。 朔夜は訊いた。 「ここの住人か?」 男は首を横に振った。 ならばどういう事か、更に問おうとした時。 上から矢が降ってきた。 それは朔夜もろとも、まだ生きている三人の上にもお構いなしに降ってきた。 朔夜は咄嗟に刀を盾にしながら家の軒下に逃れた。 命は助けるつもりだった三人が、それが叶わなかったと瞬時に判断して、悔し紛れに家の戸を蹴り破った。 ここの上階から敵は矢を放っている。 一目散に梯子段を登り切り、屋根裏らしき場所に出ると読み通り弓矢をもった複数の兵が潜んでいた。 接近戦、それもこんなに狭い空間では弓矢は役に立たない。朔夜は双剣を片手だけ抜いて手近な一人に飛び掛かった。 脇腹を切り裂き、次の射手に瞬時に間合いを詰め腕を斬り飛ばすと、逃げようと梯子段へ向かう背中を袈裟懸けに切り倒す。 その空間を屍だけにして、梯子段を降りた。 降りながら考える。ここに潜んでいるのは訓練を受けた兵だ。そして白兵戦に駆り出されているのはずぶの素人達だ。 それが何を意味しているか――とにかく、指示しているのは己の身の保身しか考えない狡い奴、それだけは確かだ。 ますます怒りを激らせる。と、階下の様子が初めて目に入って頭が冷えた。 部屋の片隅で、母親らしき女と子ども達が抱き合って震えていた。 「悪いな。すぐ終わるから」 怖がらせないように穏やかな声音と表情を使ったつもりだが、返り血を浴びた容姿では逆効果も良い所だ。 母親は子供達をしっかりと抱きながら、朔夜を睨んで叫んだ。 「今の国軍なんて災厄を齎すだけよ…早く出て行って!」 逆に足が止まってしまった。 この戦の様相を、考え直さねばいけなくなったからだ。 「あんた達は、反体制派に自ら協力してるのか」 びくりと母親が震えた。子らを庇うように自分の背後へと回す。 「…安心しろよ。俺はあんた達をどうこうしようとは思わない」 でも、と外の様子を伺いながら朔夜は告げた。 「その子達に未来を与えたいなら、考え直した方が良い。龍晶はそんなに酷い王様じゃないぜ」 言い残して、外へと駆け出た。新手が見えたからだ。 やはりここも今までの戦と変わらない。戦っているのは無垢で純朴な民だ。そして悪戯に命を落とさせて、本当に悪い奴らは出て来ない。 軍勢とぶつかる寸前で抜いたのは、先刻も使った双剣の片側だった。 長剣では、相手の息の根を止めてしまう。 乱戦の中で関節の筋だけを狙って斬る。それで再起不能にさせれば十分だ。 彼らにはまだ未来がある。龍晶が守り与える筈の未来が。 一つの塊を片付け、次の辻へと向かう。 そこで思いもしなかった声を掛けられた。 「朔兄ぃ!」 え、と声を漏らして振り返る。 二人の少年が嬉しそうに駆け寄って来ていた。 「お前ら…」 何故ここに、その疑問を口にしようとして。 完全に油断していた。 頭上から、彼ら目掛けて、矢が。 「止まれっ!」 咄嗟に叫んで駆け出す。 声に反応出来た一人は何とか躱せたようだ。殆ど運の問題だが。 もう一人は倒れていた。 その少年――青惇を庇うように立ちはだかり、もう一人の少年に怒鳴った。 「屋根の下へ行け!」 賛比は顔色を失いながら、言われるがままに退避した。 それと同時にまた矢が降ってくる。動かぬ獲物目掛けて。 朔夜は抜いた長刀で矢を払うとそのまま刀を捨て、次が来る僅かな間で青惇を抱え上げ、賛比と同じ屋根の下に滑り込んだ。 朔夜よりも体格の良い青惇を、抱えたと言うより引っ張るようにして放り投げる。 「朔兄ぃ、ごめん…」 軒下に転がされた少年は弱々しく詫びた。脹脛に矢が刺さったままだ。 「いや…致命傷じゃなくて良かった」 朔夜は言うだけ言ったが、これが困難な状況である事は表情が語っている。 辺りを伺い、地上には今敵が居ない事を確認すると、足に刺さる矢に手をかけた。 「我慢しろよ。口を閉じとけ」 青惇が頷き、察した賛比が友の口元を手で抑える。朔夜は片手で一気に矢を抜いた。 痛みに耐えるくぐもった声を聞きながら、傷口に手を当てる。 「朔兄ぃ、右腕が…」 賛比が異変に気付いて問うた。 「そんな事よりお前らだろ。命令違反で飛び出して来たか?」 さっさと問いをすり替える。子供に弱い所を見せず強がる辺り、俺も状況を舐めてるよなと内心笑ってしまう。 治癒は最低限にした。完治させていたら体力が持たない。 「…ごめんなさい」 否定せず謝るのだから大体それで合っているのだろう。萎れてしまって責める事も出来ない。 尤もそんな場合ではないが。 屋根の上を人が動く重い音がする。朔夜はその音を追おうと見上げた目を、ちらりと二人に投げた。 「そこの陰に隠れてろ」 薪の積まれた棚の横を視線で示し、また屋根の上を睨んで。 軒から敵が半身を乗り出して弓矢を向けた。が、次の瞬間ぼとりと重たいものが落ちた。 続いてずるりと体が落ちる。先に落ちたのは男の首だった。 少年達はひっと声にならない声を上げて身を竦ませる。朔夜は視線もくれずに指示した。 「賛比、ここに立て。立って手を出せ」 訳も分からず言われた通りにすると、出した手の上を朔夜が駆け上がっていった。 そのまま屋根の上にひらりと降り立つ。賛比が呆気に取られて見ていると、怒鳴り声が落ちてきた。 「隠れてろ!」 足元に矢が突き立って、慌てて元の物陰に戻る。 朔夜は屋根の上で短刀を抜いた。今居る屋根には二人。その向こうにはまた三人。 どうやら敵は三人一組で行動しているようだ。 そこに居た敵が咄嗟に矢を放った。全く狙いの定まらない矢尻は擦りもせず、その主は瞬く間に刃の餌食となった。 もう一人に向かおうとした時、向かい側から少年達を狙う者が居た。朔夜が睨むと、その弓兵は身体から血を噴いて屋根から落ちた。 その様を見た敵が動きを硬直させ、呻いた。 「お前、悪魔か…」 「だとしたら?」 兵は足元に弓矢を捨てた。 「投降する。殺さないでくれ」 朔夜は置かれた弓矢を蹴った。屋根の傾斜に従って、それらは地面に落ちた。 踵を返そうとした時、四方から矢が飛んできて朔夜は咄嗟に伏せた。 舌打ちする。周囲の敵にこの様は丸見えだ。 痛みを感じて確認する。役に立たない右腕で咄嗟に矢を受けたらしい。全く無意識だが己の生存本能に助けられた。 また矢が射掛けられる。身体を転がして逃れ、刃を咥えると左手に力を込めて跳ね起き、屋根の上を駆け、隣の屋根に飛び移った。 投降すると行った兵は既に地面に落ちていた。恐らくもう命はあるまい。 執拗に矢での攻撃が追ってくる。走りながら姿を現した者から見えぬ刃を飛ばして反撃した。 行く手にある者は斬った。向かって行けば恐怖のあまり逃げようとして転がり落ちる者もあった。 屋根から屋根を飛び伝い、邪魔者を薙ぎ払って。 下からの声にはっと我に返った。 国軍の兵と反体制派の兵が戦っている。 上からの攻撃が減り、攻勢が可能となったのだろう。 来た方を振り返る。少年達は無事だろうか。 踵を返そうとした時、頭の中に声が響いた。 『もう帰るのか。これからが本番なのに』 己の中の悪魔の声に戦慄する。ここまで正気を保てていたのに。 『そこで戦ごっこをしている連中を血祭りに上げたら楽しいだろうに。帰って餓鬼のお守りか?勿体無い』 あいつらを放っておく訳にはいかない。戻らねば。 ここに混じるのは二人を安全な場所まで逃してからでも良い。 『本当はすぐにでも殺しまくりたい癖に』 もう十分だ。訓練された弓兵は倒した。刀の握り方も知らないような民兵を殺したくはない。 『本当に?俺は満足してないぞ』 体が思うように動かない。否、動こうとするのを必死で止めている。 今、乗っ取られてはならない。 やめろ。やめてくれ。 酷い頭痛がして屋根の上に突っ伏した。 『なあ、ここで十分に暴れたら、俺はしばらく大人しくしておいてやるよ。どうだ?』 体が勝手に動いたのか、気付けば屋根から落ちていた。その衝撃で少し我を取り戻す。 そんな取引、応じてやれるか。 『へえ?良いんだな?』 せせら笑う声。そして一旦それは止み、現実の声が聞こえた。 建物を隔てた向こう側で戦いの喧騒が響いている。落ちた場所は家と家の間の狭い隙間だった。 そこを、近付いてくる人影がある。 それが子供だと気付き、朔夜は少し安堵した。 「僕を、覚えていますか」 問われて、怪訝に思いつつ顔を見上げる。 「ほら、あの地下で。僕らが捕まってた所をあなたは助けに来てくれた」 あの時の子供かと納得はした。賛比たちと同じだ。 が、続く説明に朔夜は凍り付いた。 「でも僕は助けて貰えなかったんです。舟に乗せられて、運ばれながらあなたが今の王様を助けているのを見ました」 その子供の違和感に朔夜はやっと気付いた。 目の焦点が合っていない。 あの頃の龍晶のように。 「羨ましかったな。あの時、少し立っている場所が違えば、僕も助けて貰えた」 少年は朔夜の側に跪いた。 その瞬間、香った。例の薬の匂いが。 「そうすれば、こんな所に連れて来られて、あなたを殺すような事にならなかったのに」 少年は、持っていた刀を振り下ろした。 [*前へ][次へ#] [戻る] |