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月の蘇る
  4
 面白くも可笑しくも無い憮然とした顔を見て、これは安請け合いし過ぎたと若干の後悔を覚えた。
 見慣れた顔ではある。と言うか、この男が破顔していたらそれこそ不安になる。
 元からそんな男では無かった筈だ。否、自分が出会ったあの瞬間から表情を無くしたのは確かだろう。だからそれ以前の事なんか知る由も無いのだが。
 あの雪の日に失った、大切な人の前では笑っていたと思う。
 そう、この頑なな男を折れさせるとしたら、それしかない。
「なんだ、話って」
 随分と久しぶりに会ったというのに第一声がこれだ。
 まあ、友達じゃなくて単なる腐れ縁だしな…と何か諦めつつ燕雷は切り出した。
「朔に会いに行って欲しい」
「は?」
 息子に会ってくれと言っているだけなのに邪険に返されるのは予測していても腑に落ちない。
「お前、皓照が何の目的でここに来たか、聞いたか?」
 一から説明するのも面倒なので、話は飛ぶがまずそこを問うてみる。
「興味が無いからな。苴と取引をするとか言ってたか」
「その取引の材料が朔だ」
「…へえ、そうなのか」
 努めて感情を殺している。が、僅かな動揺は感じ取れた。
 この親子にとって苴は、故郷を滅ぼした仇だ。
 燕雷は相手の反応を確かめつつ、淡々と話を進めた。
「国としては断れない条件を突きつけられている。この話を飲まなければお前を梁巴に行かせる事も出来ない。だが、俺としては苴に朔をやるのは気が進まない。それでだ、お前から朔に説明して、行くか行かないか訊いてみてやって欲しい」
 燈陰は今聞いた内容を改めて反芻し、そして言った。
「何の意味も無いだろ」
 国として決められた事なのだから、今更朔夜の意向など反映される筈が無い。それは当然の意見だ。
「まあな。でもやれる事はある」
「何だそれは」
 燕雷は少し外の気配を伺い、人の居ない事を確かめた。
「逃がす」
 抑えた声で端的に告げる。
 聞いた燈陰は顔を顰めた。
「お前それでも国の役人か?」
「職を追われても俺はそんなに困らないんだが。寧ろ困るのは人手不足のこの国だな」
「全く、よくこんな国が体裁を成しているもんだ。王があんな餓鬼である事からして怪しい」
 不意に燈陰は真顔に直った。
 そして旧知の男を睨む。
「この話、あの餓鬼が噛んでるんじゃないだろうな?」
 燕雷は頭の後ろを掻いて間を取った。
 隠せるならその方が話が早かっただろうが、察知されたのなら仕方ない。
「そうだとしたら?」
「てめえの部下を使えと言ってやれ」
「それが出来ない話なんだよなぁ」
「知るか」
 横を擦り抜けて部屋を出て行こうとする燈陰に、燕雷は慌てて先回りして肩を押し留めた。
「待て待て。短気を起こさず考えてくれ。お前しか居ないんだよ」
「どうして俺があの餓鬼の言う事を聞いてやらなきゃいけない」
「それが華耶ちゃんの為でもあるからだろ。俺は誰よりもお前の為だと思っているけどな」
 華耶の名前を出されたら、流石の燈陰も動きを止めた。
「あの娘を失望させたくないからか」
「ああ、勿論だ。それに、彼女はお前ら親子の仲直りを望んでるだろ?」
「今更…」
「何が今更なんだよ?このままだとお前、一生朔と会えなくなるかも知れないんだぞ」
「はあ?大袈裟な。向こうは殺しても死なないってのに」
「何をしても死なない訳じゃないだろ」
 燈陰は正面から視線だけを返した。
 その可能性を今初めて考えたのだろう。
「苴が何のつもりで朔の引き渡しを求めているかは分からんが…」
「あの国にとってあいつは大罪人だ」
 濁した言葉を引き取って、燈陰はきっぱりと言った。
「首を一つ落とすくらいじゃ気が済まんだろうな」
 それだけは避けねばならない。それが龍晶の本意でもあるだろう。
「あいつと引き換えの条件とは何だ?」
 燈陰からの質問に燕雷は意外に思いつつ素直に答えた。
「前王時代に約束した繍への出兵を待ってやると言っている。この国にはまだ他国を攻めるような力は無い。これが避けられるに越した事は無いんだが…」
「つまり、あいつの命と引き換えに国を保つという事か」
「そんな事にはしたくない。頼む、燈陰。朔を逃がしてやってくれ。あいつの母親の為にも、こんな形で命を終わらせる訳にはいかないだろう。頼む」
 燕雷は頭を下げた。
 その姿をじっと見下ろして、燈陰は背を向け室内に戻り、椅子に腰掛けた。
 戸惑い気味に顔を上げた旧友に、彼は吐き捨てた。
「馬鹿げてる」
 矢張りこの男には通じないのか。あの雪の中に心など捨ててきたのか。
 燕雷が悲しみに似た怒りを表す前に、燈陰は続けた。
「どうして梁巴を滅ぼし妻を死に追いやった国に、子の命までやらなきゃならない。それも、何の関係も無い国の為に」
 燈陰が朔夜を子と言った。
 その一言に驚いた。今まで、あんなに拒絶してきたのに。
「行ってくれるのか」
 驚きに次いで嬉しさが込み上げて、思わず笑い顔になってしまった。
「何笑ってんだよ」
「いや、すまん、つい嬉しくて」
「お前の為じゃない。ましてや、あの減らず口の餓鬼の為になるなら反吐が出そうだ」
「いやいや、俺らの事なんて良いから!お前があいつを思う気持ちだけで良いんだ!」
「そういうのが余計なんだよジジイが」
 自らも十分な減らず口を叩いて、言い訳のように付け足した。
「自分が作り出した化物の始末は自分で付ける。妻の仇でもあるんだ。苴の馬鹿野郎共に譲る気は無い」

 同行人の口数が余りにも少ないから、道々余計な事を考えてしまう。
 龍晶にはもう話が届いただろうか。あの悲惨な事件の顛末は、全て知ってしまっただろうか。
 あの親子が一部始終を見ているのだから、俺がやった事だと誰もが知る事になるだろう。
 そうでなくともあの現場を見れば悪魔の仕業だと判る者は判るだろう。宗温ならば確実に。
 宗温率いる軍はこの道を追って来ている筈だ。だからあの村を発見するのは宗温である筈なのだ。そうであって欲しい。
 そして王城に報せが行くだろう。桧釐が知り、この大事件を王に報せるかどうか。
 隠せるものなら隠したいと考える筈だ。あいつの病状を考えれば、否そうでなくとも、友が犯した大罪を受け止める苦しみなど味わって欲しくは無い。
 でもきっと隠し通せる事など出来ないだろう。隠されれば王としてあいつは激怒する筈だ。
 そして処断を考えねばならない。きっとあいつの事だから、そこは誰にも譲らない。自ら血を吐く思いで罪に対する罰を考えるだろう。
 そこまで考えて、思わず朔夜は空を仰いだ。
 青々とした空は木立の間で流れてゆく。己が疾走しているからだ。
 紫闇は馬上に居る。対してこちらは徒歩だ。だから走らねばならない。
 右腕はまだ動かない。それで走るのだから、気をつけねば均衡を崩して転ぶ。
 空を仰いで溜息を吐くなんて事をしたら、当然視界がひっくり返った。
「何やってんだ」
 蹄の音が止まり、静かな苛立ちを孕んだ紫闇の声が降ってきた。
 朔夜もすぐ起き上がるつもりだった。が、身体が動かない。
 それどころか見上げる空がぐるぐると歪み、猛烈な吐き気に襲われた。
 考えてみれば当然だ。自ら腕の筋を断ち切り、その翌日には肩を撃たれ、出血多量の状態でろくに治療もせず一日中走り通しなのだ。無茶にも程がある。
 尤も自ら志願した事なので文句は言えない。
「道の真ん中で寝転がるのはうまくないな。そこの林に入って野営にするから来い」
 紫闇は言うだけ言って林道へと道を折れた。
 連れて行ってくれても良いのにと思わなくもないが矢張り文句は言えない。
 寝転がったまま、白んだ視界の向こうに記憶の中の友を見た。
――俺は刀を置けと言った筈だ。
 そうだな。お前はいつも止めてくれていたのに。
 その度に言い訳しながら俺は、その言葉から逃げている。そしてまた、人を殺める。
 こんなに重大な間違いを犯しながら、それでもまだ、お前の為にと言い訳して。
 迷惑だよな。本当に。
 お前を守ると言った時、『やめてくれ』と返された意味が今更分かった。
 でも、どうすればいい?
 刀を置いた俺に存在する意味なんて。
 そうか。もう生きる必要なんか無いのか。
 このまま罪人として捕まって首を刎ねられれば良いだけなのだから。
 何も考える必要なんか無いよな――
 地面に微かな響きを感じた。
 大勢の人間が歩く音。それは確かに近付いてきている。
 戦場で磨かれた勘は警鐘を鳴らした。
 このままではまずい。捕まって殺される。
 本能は重い体を動かして、林の中にある木の根の窪地に潜んだ。
 下草にも紛れ、道からは見えない筈だ。
 隠れながら何故と己に問う。
 捕まって処刑されれば良い、その筈なのに。
 やがて足音は迫り、首を伸ばせば姿が見える程に近付いた。
 宗温率いる国軍の兵達で間違いなかった。ただ本隊にしては人数が少ないから、先行し兵站の支度をする兵達なのだろう。
 彼らが過ぎ去るまで身動き一つ取れなかった。
 そして姿が道の彼方に消えても尚、そこに潜み続けた。
 頭の中は混乱した末に真っ白だった。何も考えられない。己が何を望むのか、それすら分からない。
 自分に対する疑念しか抱けない。
 それでも命が惜しいのか、と。
「おい、いつまでそうしてるんだ」
 紫闇が迎えに来た。
 気付けば林の中は闇が迫っている。
 朔夜はのろのろと立ち上がった。踵を返す紫闇の後をついて歩きながら、言わずにおれない本心を吐き出した。
「俺はお前を利用して生きていたいだけなのかも知れない」
 石を吐くような気分の告白だったにも関わらず、相手の反応は淡白だった。
「だから何だ」
「えっ…いや…」
 問われても困る。責められたり見限られたりさらるものだと思っていたから。
 醒めた御仁だと改めて思い知り、何だか自分が間抜けに思えた。
 これではまるで、真剣に悩んでいる振りをして同情を買いたいみたいだ。
 そうではないと説得力を持たせる為の言い訳を探したが、何か言えば言うほどに逆効果だと気付いて何も言えない。
 そのまま宿営地に着いてしまった。焚火の支度がしてあり、小川で馬は喉を潤している。
「戔軍の先発隊が行ったか。本隊は追っ付け来るだろうが、お前はどうする」
 背中で問われて、追っていた足を止めてしまった。
 宗温らと合流するか、否か。
 当初の予定では合流して敵を叩くつもりだった。その為に行軍の予定も教えて貰っていた。
 だが、今や自分がお尋ね者の身だろう。ここに来た目的は同じでも、合力できる訳が無い。
 それとも大人しくお縄となって、軍によって都に帰されろという意味だろうか。
 それが道理かも知れない。一人では手に余るであろう敵を共に倒した後、己の運命を委ね罰を待つのだ。
「本隊には友達が居るからさ。一緒に敵を倒した後に処断してくれって頼んでみるよ」
 宗温を友達と言うには気安過ぎるかも知れないが、これまでの経緯から戦友と言っても良いと思う。
 彼なら無理な願いも聞いてくれるだろう。
「結局死ぬつもりなのか。くだらん」
 吐き捨てるように紫闇は言った。
「あんたが俺をどうするつもりか知らないが、俺は何度殺されても文句も言えないくらいの罪を犯した。罪は償わせてくれ。それが許されないなら自分で死ぬ」
 そうすべきだと信じて朔夜は言い返した。
「くだらねぇな」
 焚火の前に座りながら同じ文句を繰り返す。
 朔夜は頭に来た。が、怒鳴る言葉は咄嗟に出なかった。
 その人間性を欠いた言葉に縋っているのだ。利己的な、生きていたい自分が。
 紫闇は煙管に火種を入れ、煙と共に思いがけぬ事を吐き出した。
「お前の理論なら俺は何度でも命を棄てている。だが残念ながら、いくつ村を消そうが、どれだけ無辜の命を奪おうが、生きているのは俺だ」
 息を飲み、それでも相手の良心を信じるべく朔夜は問うた。
「任務で仕方なくやった事だろう?」
「いや?全く関係無いね。お前と同じだ。やりたいからやっただけ」
 言葉が無い。同じにするなとも言えないし、やりたくてやった訳ではないと叫ぶ事も出来ない。
「お前が悪魔なら俺は死神だ。人を殺さねば己が保てない、俺達はそういう存在だろう」
 咄嗟に言われた意味を咀嚼できなかった。
 否、解る。その意味はよく解るのだ。他人が聞けば全く理解など出来ないだろうが、自分だけには解る。
 そう、自分だけ。
 だから、他人の口からそれを聞かされる事が信じられなかった。
「あんたも憑かれるのか」
 この意識以外の、何者かの自分に。
 紫闇は口元を歪ませて笑った。
「生憎、もうそんな次元じゃねぇよ。俺自身が人殺しに飢えているだけだ」
 分からない、と眉根を寄せる朔夜から目を離し、焚火の炎に向けて彼は呟いた。
「お前もいずれそうなる。それを望もうが拒もうが」
 何か酷く重いものがのし掛かって、立っていられなくなった。
 膝を落として、絶望で目眩がする視界を地面に向ける。
 未来など望まない。
 望んだ事も無い。
「やっぱり死んだ方がマシだ」
「死なせねぇよ」
 きっぱりと紫闇は言った。
 その言葉が何処から来るのか分からない。
 何かの目的の為に利用されるのは確かだろうが。
「思ってもねぇのに死にたい死にたい煩えんだよ。聞いてるこっちの耳が腐る。大体、お前を死罪にしようなんて誰も考えてすらないだろうよ」
「なんで」
 決定的な証拠も証言もあるだろうに。
「お前を殺して得するのはこの国じゃあるまい。喜ぶのは戔を潰したい周辺諸国だ」
「…え」
 それは思ってもみない視点だった。
 更に紫闇は続けた。
「そもそもお前はこの国の民でも何でもない、ただの居候だろう。ならばこの国を去れば誰もお前を裁けない。お前の友人はそれを望んでいるんじゃないか」
 言葉を失ったまま、友の姿を脳裏に描く。
 龍晶が今何を考え、望んでいるか、思い描く事は出来なかった。
 ただ自分のせいで思い悩んでいる事は確かだろう。だから、一度で良い、会って詫びたかった。
 そこで死を言い渡されても良い。望む所だ。
「…本隊へは合流する。合流して目的を果たしたら、俺は都へ帰る」
 会話の本筋について結論付け、あとはもう口を開く気になれなかった。
 自分の生き方を選ぶ事など、考えるのも恐ろしい気がした。


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