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月の蘇る
  3
 城門前の広場に建設途中の建物がある。
 これが完成すれば、子供や若者が文字や計算を習得し、政を学ぶ学舎となる。
 ゆくゆくは、ここから国を動かす人間を育てるのだ。
 王は目立たぬ忍び姿で己の奔走の成果を見上げていた。
 病床から抜け出してきた為に一人で立ち歩くには覚束ず、杖をついて石垣に寄り掛かっている。よほど近寄って見ないと老人のようだ。
「立派なもんだな」
 ここまで供をした燕雷もまた見上げながら呟いた。
「俺としては資金繰りに冷や冷やしてるんだが…まあ、王様の悲願とあれば仕方ない」
 国の財務を担う事務方としての意見だが、この建物がいかに有益なものかは理解している。
 そして、その向こうにある王の願いも。
「王子様がお前のように身を削る事が無いようにしなくちゃな。それじゃまるで俺より年寄りみたいだ」
 前半の言葉に頷きかけた龍晶は、当然苦い顔をして年齢不詳の男を睨んだ。
 だが自覚もある。病床に居れば体は衰え、更にこの数日の苦悩が精力を奪っている。顔には疲労の影が隠せず、四肢は枯れ木のようだ。
 本当にこのまま枯れ衰えてゆくのだろうかと、真新しい木材の香を嗅ぎながら不安を感じた。
 尤も、いつそうなっても良いようにこの学び舎の建設を急いだのだが。
 これは未来への希望だった。自分が亡き後も、この国を支えていけるように。己が己の血の責任を果たしたと、胸を張って逝けるように。
 そして、春音や、その子供達が、自分のようにならない為に。
「なあ、燕雷」
「うん?」
「お前は俺が死んだ後も、この国に居てくれるか?」
「ん、そうだな…」
 不老不死が約束された男は、その問いにさして意味を求めるでもなく咎めるでもなく、腕を組んで考えだした。
「風向き次第だけどよ。華耶ちゃんが寂しくならないように知ってる人間が近くに居た方が良いだろ?」
「そうだな。有難い」
 同じく不老不死と告げられた最愛の人への心配もある。この先ずっとこの場に居るかどうかは分からないが、何にも縛られず生きていって欲しいとも願う。
「華耶ちゃんが居るとなると、その子や孫も面倒見なきゃならないだろ?つまりあれだ、お前の子孫は俺が見守ってやるよって、そう言って欲しいんだろ」
「頼めるか?」
「そんな大風呂敷な約束は得意じゃないんだが。ま、長い人生の暇潰し程度にはやってやるよ」
「頼りないな」
 本心とは裏腹の呟きに苦笑いして、燕雷は漸く切り返した。
「お前こそ、この大事な時にそんな弱気を吐きなさんな。死ぬ程辛いのは分かるけどな。だけど細く長く生き延びろよ?じゃないと、朔夜の帰る場所が無い」
 返答は無く、木を打つ高い音が響き渡るばかりだった。
 音の吸い込まれる空は、もう秋の色だ。
 寒冷で夏の短いこの街は、冬の雪こそ多くは無いが冷たい風が長く吹き荒ぶ。
 もう風は冷たい。それを防ぐ為に龍晶はまるで隠者のような頭巾の付いた外套を羽織っている。それがますます老人のような雰囲気を醸し出している。
 燕雷はこの若者が若者らしかった姿を思い出そうとしたが、この街と同様に夏の時期の短さを思い知っただけだった。
 まあ、また季節は巡るからなと不吉な予感を払拭する。
 冬を超え、春が来る頃には、今の悩みなど何処かに飛んでいっているだろう。
「朔夜を何処かに逃がせないだろうか」
 沈黙の果てに押し出された一言は、燕雷の予想を超えた。
「逃がすって、お前」
「このままじゃ誰も救われない。朔夜だって苴に行く事を望むとは思えないんだ。国としても重要な戦力を他国にやる訳にはいかないだろう。だが苴の申し出は断れない。なら、向こうを騙す」
「朔に身を隠させるという事か。こちらは発見次第に引き渡すと言いながら、取引を引き延ばすと?」
「駄目か?陳腐な策だとは思うが…この鈍った頭じゃ他に浮かばないんだ」
「それは…なあ」
 燕雷は言葉を濁して溜息にした。
「お前まだ諦めてなかったんだな」
「悪いな。往生際が悪くて」
 ここで諦め切れない御仁だから、この自分も今この国に留まっているのかも知れない。
 朔夜を救いたいのは、自分も同じだ。
「苴の忍耐を試す事になるが」
「その場しのぎの下策だとは分かってるよ。それにやっぱり朔夜の意思は聞きたい。だけど都に帰せばたちまち桧釐が手を打つだろう」
「だな。…で?」
「あいつの父親に密かに接触して貰いたい。恐らく宗温の軍を追い掛ければ朔夜と落ち合う事は可能だろう。それを頼んでくれないか?」
「燈陰に?」
 漸く今日ここに連れて来られた意味が分かった。いきなり視察の供を命じられてずっと訝しんでいたのだが。
 まさか自分が死んだ後の、何十年も先の念押しをする為ではないだろうとは思っていたが、これで納得した。
「俺が頼んで素直に聞く男じゃないだろう。お前からならまだ可能性がある」
「まあ、確かに」
 僅かな接触で燈陰という捻くれ者をよく捉えている、と変に感心してしまう。
「梁巴に行くつもりだったらしいが、この一件が片付かない限りはそれも出来ないからな。城中で暇を弄ぶくらいなら、俺達に協力して貰うのも悪くは無いだろう」
 燕雷が前向きに依頼を飲んだ時だった。
「あっ…燕雷様!ここに居られましたか!」
 一声叫んで駆け寄って来るのは、桧釐の下で働いている者だ。
「桧釐様が至急のお呼びです。急ぎ居室へとお願いいたします」
「何だ?良くない事か?」
 彼は声をいくらか潜めて燕雷に告げた。
「内密にご相談したい儀があるとの事…特に、陛下のお耳には入らぬように、と」
 あ、と燕雷が表情を変える間も無く、龍晶が咳払いをした。
「あ…えっ、陛下…!?」
 矢張り気付いていなかった。頭巾で顔が隠れている上に、本来なら後宮で寝ている筈なので無理も無い。
「内緒話は出来そうに無いな。一緒に行ってみるか?」
 あっけらかんと燕雷は龍晶を誘った。
「当然だ。桧釐め、俺に隠して何をしようとしてやがる」
 怒りを露わにすると、血色がいくらか戻って若者らしくなった。

 あの晩餐の夜以来、怒りが勝ってまともに顔を合わしていない。
 だが今や執政とも言える従兄を無視する事は、政の蚊帳の外に出てしまう事でもある。
 それを良い事に勝手をされる恐れがある。今回の件では、特に。
 だから体がそろそろ辛くとも、一言釘を刺す必要があった。
 俺を置いて話を進めるな、と。
「桧釐、入るぞ」
 燕雷がまず扉を潜り、龍晶がその後に続いた。
 一見して何者か分からぬ連れに桧釐は眉根を顰める。
「おい、誰だよそいつは…」
 迷惑げな表情はそのまま固まった。
「俺に構わず話をしたらどうだ?どうせ居ないも同然なんだろ」
 龍晶は言い放って、壁に背を預け床に座り込んだ。
 正直もう椅子まで歩くのも辛い。
「ちょっと陛下…おい、誰か、陛下を後宮へお連れしろ!」
 手を叩いて従者を呼ぶが、当人は帰されるつもりなど無い。
「話を進めろと言っている。俺の耳に入れたくないらしい話をな」
 直接には返せず、無言の怒りは燕雷へと向いた。どうして連れて来た、と吊り上がった目が問う。
 のんびりと彼は返した。
「陛下に内密の話がありますって当人の前で言われたら、そりゃこうなるだろ。仕方無いさ」
 ああ、と付け加える。
「話を持って来てくれた彼は悪くない。悪いのは昔馴染みの従兄弟でも気付かれないような変装をしてたこいつだ」
「変装じゃねぇよ」
 後ろからの不機嫌な声は無視された。
「ったく…仕方ないか。どうせいつかはお耳に入れなきゃならない話だったんだ。それをいつにするかを相談したかったんだが」
 桧釐は溜息混じりに愚痴って、漸く主君の目を捉えた。
「だが、聞かせろとせがむ以上は覚悟して下さいよ?療養に専念すると約束して下さい。あなたはあいつの事になると見境が無くなって暴走するから」
「…朔夜の事か」
 今、他に何がある筈は無かった。だが、確認する唇は震えた。
 頷く桧釐はどこか投槍な表情にも見えた。
「お約束頂けますか」
 念押しに、龍晶は頷いた。
「何かしたくとも出来る身じゃないのは明白だろう。心配無い」
 少し疑わしげに見やって、諦めた顔で一通の書状を広げて見せた。
「宗温の軍から伝令が届きました。南部、楊州(ヨウシュウ)の村で村人及び近隣住民を巻き込んだ惨殺事件があった、と。被害者は確認出来ただけで五十人近く。いずれも刀傷によるものですが、これが皆同じような傷で、相当な使い手一人によるものだという信じられない見立てになった。その村に生存者は居なかったが、幸い隣村に目撃者が逃げていたそうです。十あまりの息子と母親なのですが、その証言が奇妙なのだと」
 まだ半信半疑の従弟の表情をちらと見て、桧釐は続けた。
「追い詰められた息子はその下手人に斬りかかった、が相手にならず返り討ちに合った。袈裟懸けに、ばっさりと。普通は助からない傷です。いや、宗温もその傷痕を見たと言うんですよ。確かに肩から腹にかけて蚯蚓腫れの痕があったと。それで何故助かったか…」
「あいつの力か」
 桧釐の言葉を遮って、龍晶が結論を出した。
 もうそれ以外に考えられない。そんな人智を超えた所業を行えるのは。
「下手人は子供を斬った後、留めを刺そうとする自らの腕を斬りつけたそうです。その後、不可思議な力で傷を治し、その場に倒れた。親子はすぐ逃げたので後の事は分かりません。ただその髪は、夜目にも判るような珍しい銀髪だったそうです」
 重たい沈黙を寄せ付けまいと、桧釐は続けた。
「こう言っちゃなんですがね、陛下。これで我々が取るべき道は一つになった。もうこの国にあいつは置いておけない。あなたが温情を向けようにも、既に実害が出てしまったんです。民を殺してしまったんですよ。もう無理です。あなたが何を言おうと、もう」
 龍晶は口を一文字に引き結んで、己の爪先の少し先を睨んでいた。
「国外追放としましょう。それでも全く甘い話だが、苴が引き取ってくれるなら丁度良いくらいではないですか。ええ、最後にこの国の役に立ってくれるのなら、苴の申し出は有難い。そうしましょう、陛下。そうしますよ」
 最後は断定だった。これで有無など言うべくも無いだろうと、脅しのように強く出た。
 燕雷は息を飲んで王の出方を待った。桧釐の言葉はいずれ現実となるのだろうが、それでも反発して欲しいと正直期待した。
 が、予想していた怒声は無かった。気弱な目がこちらを向いて。
「後宮に戻る。連れ帰ってくれるか?」
 面食らって思わず燕雷は訊いた。
「良いのか、止めなくて」
 龍晶は淡々と答えた。
「聞く事は聞いた。聞かせろとは言ったが、口を出すとは言ってない。口を出した所で聞いては貰えんだろうがな」
「では、これで決定として良いのでしょうか」
 桧釐とて反応の無さに不安を覚えたのだろう。好都合である筈なのに口調は狼狽していた。
「病に頭を侵された者が判断などしてはならぬだろう。国の為に、お前が決めろ」
 冷徹なまでの言を置いて、龍晶は燕雷の手を借りその場を去った。

 後宮への門を前にして、重い歩みは止まった。
 杖をつき、その反対の肩を燕雷が支える形でやっと進んでいた。が、そこで杖を手放し、龍晶は体を折った。
 見れば、腹の辺りを押さえている。食いしばった歯の間で息が苦しげに鳴った。
「痛むのか」
 問いに頷くのがやっとで、肩で支えていた腕はするりと抜け、いよいよ床に転がる形となった。
 桧釐に反論しなかった理由はこれかと思い知った。
 痛みのお陰で論じている場合では無かったのは確かだろう。だが、問題はその原因だ。
 朔夜ならば必死で救おうと立ち回る。が、悪魔に対しては恐怖心しか無い。
 悪魔が現れたと聞けば、その存在から少しでも離れたいのが本音だろう。
 燕雷は龍晶に手を伸ばした。病人を床に転がしておく訳にはいかない。
 抱き上げて、手続きも何もかもすっ飛ばして後宮へと入る。
 門を守っていた者には一つ二つ言い訳をして、医者を呼んで来るように言いつけた。
 華耶は御殿の前で春音と共に花を摘んでいた。
 様子に気付き、目を見開いて立ち上がる。
「腹が痛むんだと。寝室を開けてくれるか?」
 燕雷の頼みに頷くと、女官に先立って自ら扉を開けに走った。
 やっと寝台に寝かせてやり、燕雷は龍晶そして華耶にも告げた。
「医者は呼んで貰ってる。薬を飲むまでの辛抱だ」
 ありがとうございます、と華耶は動揺しつつもしっかりとした口ぶりで礼を言った。
 これ以上付き合っても仕方ないかと、燕雷は踵を返そうとした。が、細い声に止められた。
 枕元に戻り、口に耳を寄せる。
 痛みに喘ぎながら龍晶は言った。
「それでも…あいつの意思だけは聞いてやって欲しい…頼む…」
 驚きで顔を引く。相手は悪魔ではないのか。
 問いは顔に出ていたのだろう。苦しげな顔の口元が少し綻んだ。
「だって、最後にあいつは戻ってきたんだろ…?」
 その意味を一瞬掴みあぐねたが、桧釐の話を丁寧に思い出して、ああ、と。
 朔夜は最後に自ら傷付けた子供を治癒している。忌まわしい悪魔の手を断ち切って。
 龍晶の笑みは一瞬で、すぐに苦悶に塗り込められた。だが、皮肉や冷笑ではなく、彼には珍しい純粋な喜びの笑みだったのだと知った。
 朔夜が悪魔に打ち勝った。それが嬉しいのだ。
 ならば、桧釐の話を飲んだ理由も少し違うのかも知れない。
 意思を聞いてくれ、とは。
「もし朔夜が行くと言ったらどうすんだ?」
 行く、行かないの単純な二択で済む話ではないとは思う。だがそれを聞くのが燈陰なら、強引にその二択に収めて伝えるだろう。
「無論、あいつの意思を尊重する」
「行かないって言ったら…?」
 話はもう決したも同然だ。そんな選択肢は本来無い。
 だが、王はまた悪戯っぽく笑った。
 どんな手を使ってでも行かせはしない、と。
 誰を欺いてでも、敵に回しても。
 燕雷は頷き、同じように笑って見せた。
「俺は協力するよ」
 龍晶は頷いて、詰めていた息を吐き出した。

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