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月の蘇る
  1
 燃え盛る故郷を夢に見た。
 炎は、漸く冬の目覚めから覚めた花を燃やし尽くし、人々から希望を奪った。
 絶望の使者達は手当たり次第に命をも奪い去った。花を愛で、音楽を愛で、慎ましやかに暮らしていた罪無き人々の。
 その悪鬼達すら家族を抱える人間で。
 彼らをも殺して今も息をする、悪魔がここに居る。

 母を死なせ、故郷を焼き尽くし、罪の無い人々を数多殺して、俺は。
 次は、何を壊してしまう?

「目覚めたか」
 聞き慣れぬ声が降ってきた。
 寝かされた視界には、広々とした夜空に浮かぶ月があった。
 首を動かして声の主を探す。
 少し離れた木の幹に持たれて座る、人影があった。
 黒々とした装束に包まれ、全くそれは影としか見えない。顔はと言うと、咥えた煙管から吐き出される白煙に隠されていた。
「誰」
 たまたま助けてくれたお人好しとは思えない。
 男の風体はそれとは正反対だが、それを抜きにしてもあの状況で他人から助けて貰える筈が無かった。
 それとも勘違いされたのだろうか。
 あそこで倒れている様だけを見れば、確かに被害者の一人に見えるだろう。
 そう言えば、と右腕の感触を確かめる。
 月光のお陰で痛みは癒えた。が、感覚は遠かった。
「動かんだろう。皮一枚で何とかぶら下がっていただけだからな」
 煙と共に男が口を開いた。
「元に戻るまでひと月はかかるだろう。すぐに動かれても面倒だから丁度良かった」
 どうやら勘違いでは無さそうだ。
 謎は増す。危険な存在だと知って何故。
「あんた、誰なんだ」
 再び問う。
 男は溜息のように紫煙を吐き出し、一言、説明した。
「皓照に頼まれて来た」
 出てきた名前に驚きはしたが、納得もした。
 燕雷に頼んだ伝言の答えが、この男なのだ。
 だとしたら、この男の正体がますます気になる。
「あんたは俺を止められるのか」
 まさか皓照がその点を考えない訳が無い。普通の人間では悪魔の犠牲になるだけ。
 皓照は、この男に自分と同じくらいの力があると認めているのだろうか。
「試してみるか?」
 何気ない口調の中に、急に殺気が混じった。
 恐怖を感じると同時に、別の意識が頭をもたげた。
 面白い。殺せるもんなら殺してみろ。
「おいおい、こっちは手負いだぜ?しかも得物が無いんだが」
 口の端が吊り上がる。笑っているのか、俺は。
「お前の刀なら回収してやった。要るなら使え」
 左手だけで起き上がった足元に、双剣が投げて寄越された。
「ご丁寧にどうも。自分の寿命を縮める事になるんだけどさ」
 ぴくりとも動かない右手は諦め、左手だけで刀を握る。
 但し、両手があって初めて力を発揮する得物である。片手だけでは余りに攻撃範囲が狭い。
 不利だ。諦めろ。こいつは只者じゃない。
 もう一人の自分に声が届かない。否、無視だ。身体は闘いの愉悦に向けて勝手に動く。
 片手の刀を弄びながら、ふと月は訊いた。
「あんた、名は?」
「それを聞いてどうする」
「皓照に説明出来ないだろ。俺がお前を殺した事を」
 未だに煙管を咥えたままの口元が、歪むように笑った。
「紫闇(シアン)と言えば通じる」
「偽名くさいな。ま、良いけど」
 相手は武器を手にしていない。それが不気味だが、月は意に介していないようだ。
 動けば判るだろうとばかりに踏み出した。
 破裂音がした。直後に、右肩に焼けるような痛み。
「…何これ」
 今まで味わった事の無い痛みの感覚。流石に動きを止めて傷口を確かめる。
 穴が空いている。その穴の中に、焼いた鏃のような異物が身に食い込んでいる。
 改めて相手に目をやる。いつの間に手にしたのか、筒状の得物から煙が上がっていた。
「何、それ?」
 問いは純粋な好奇心からだ。
「遠い国から来た武器だ。これでお前の右手は冬まで使い物にならなくなったが、まだやるか?」
「当たり前だろ。そっちの得物が飛び道具なら、こっちも使うからね」
 言い終わるが早いか、見えぬ刃を飛ばして相手を仕留めに掛かった。
 が、当然のように相手も同じ手を使い防いできた。空中で火花が散る。
 その間に月は間合いを詰めた。左手の刀で斬り付けたが、仕留める筈の一手が空を切った。
 それでももう片方の二の手を繰り出し、その間に間合いを取るか更に畳み掛けるかを判断出来る。普段なら。
 今はそうはいかない。空振った左手の勢いのまま、動かぬ右腕のせいで均衡を崩した。
 舌打ちする。今の隙に左腕を斬られていた。
 両腕が使い物にならない。ならば物理攻撃は諦め、見えぬ刃を飛ばすより無い。
 だが、思うように刃は作り出せなかった。
 相手の刃を防ぎ切れず、まともに胴体に喰らった。
 仰向けに倒れる。その視界に、黒い影が覆い被さる。
 紫闇と名乗ったその男は、倒れた敵の頭上で悠々と武器に弾を込め、その筒先をぴたりと朔夜の眉間に向けた。
「もう少し早くこうしてくれれば良かったのに」
 血を吐いた口元で微笑んで、朔夜は呟いた。
 一晩でも早ければ、失わずに済んだ命があった。
「でも…良かった。これ以上、誰も死なせずに済む。もう二度と…。頼むから、死体は土の下に葬ってくれよ?絶対にこのまま放置なんかしないでくれ。頼む…」
 龍晶や華耶に二度と会えない寂しさはある。
 だがそれ以上に、これで終われる安心感が勝った。
 これで母さんの所へ会いに行けるだろうか。
 駄目か。今の俺は、母さんを殺した奴らと同じ…それ以下になってしまったのだから。
 そんな望みなど、叶う筈が無い。
「俺が皓照に頼まれたのは、お前を生かす事だ」
 紫闇が吐いた言葉は仄かな希望を打ち砕いた。
「そんな…まさか。何故」
 皓照が悪魔を生かす、何故そんな判断になるのか理解出来ない。
「理由なんか俺に聞くな。そんな事は知った事じゃねぇよ。皓照に直接聞け」
 言いながら紫闇は朔夜の頭上から退いた。
「殺さないのか」
「わざわざ蘇生させるのも面倒だ。元のお前に戻ったんだろ?なら自力で傷を治せ」
「また悪魔に戻るかも知れないのに」
「戻ればすぐ撃ち抜いてやる」
 道理ではある。そしてこの男はそれが十分可能だと思い知った。
 朔夜は月の光に目を向けた。
 目覚めた時と同じに。でも傷は増えていた。
 人間なら死に繋がる傷だ。意識を奪おうとする強烈な眠気が襲う。
「紫闇」
 溶けそうな意識で初めてその男の名を呼んだ。
「何だ」
 ぶっきらぼうでも、言葉を返してくれる。
「ずっと見張っててくれる…?」
 例えまた悪魔と化しても、この人が殺してくれるなら、希望はあると思った。
 返答は聞けなかった。月明かりは瞼の裏に優しく焼き付いていた。

 桧釐からはお前しか居ないからと無茶振りされ、皓照には他人事のようにお願いしますねと押し付けられ、燕雷は頭を抱えたい思いで王の元へと向かった。
 苴との取引の話を、龍晶に納得させろと言うのだ。
 この話を持ち掛けられたその日以来、桧釐は王に避けられているらしい。だから燕雷にお鉢が回ってきた。
 とは言え、だ。
 その取引の内容を知った燕雷とて、心情的には龍晶に近いものがある。無論、政情的に考えればどうあっても飲まねばならぬ話なのは判るが。
 気の進まぬ説得。こんなもの話が纏まる訳が無い。
「燕雷だ。龍晶、入るぞ」
 扉を開くと、病床の枕元に寄り添う華耶が振り向いて疲れの見える微笑を浮かべた。
「燕雷さん。わざわざ足を運んで下さって、ありがとうございます」
 この後宮までは燕雷は滅多に来ない。流石に出入り自由とは行かない場所だけに手続きも煩多で、特に用も無ければ足は遠のく。
 そうでなくても事務仕事に追われる身だ。見舞いなど悠長な事はしていられない。
「華耶ちゃん、王様と話は出来るかい?」
 彼女は枕元から立ち、場を譲った。
「起き上がる事は出来ませんけど、お話なら。私は外しますね」
「聞いたのか?何の話か…」
 気を遣われた事を深読みして、思わず問うてしまった。
 華耶は首を小さく横に振った。
「私は、何も」
 答えに安堵しつつも、何処か後ろめたいような。
 逆に華耶は問うた。
「燈陰さんにはお会いしましたか?」
 燕雷は苦笑して答えた。
「今更、わざわざ会おうと思うような間柄じゃないんでね。ジジイの腐れ縁でしかないから」
「またそんな事言って。暫く居るみたいですから、是非会ってあげて下さいね」
 では、と品良くお辞儀して、十和を伴い部屋を出て行った。
「俺を晩餐に誘った事を後悔してるんだ」
 華耶の姿が見えなくなった事で、龍晶が言った。
「俺が倒れたのは無理をさせたからだと自分を責めている。全然そんな事無いのに。…だけど、本当の事を教えてやれない」
 燕雷は先刻まで華耶が座っていた枕元の椅子に腰掛けた。
 龍晶の顔色は悪く、目は虚ろに天井を向いていた。
「皓照に言われて来たのか?それとも桧釐か?いずれにせよ、俺を頷かせろと言われたんだろ?」
「桧釐だよ。皓照は言うだけの事は言って返答待ちの状態だろ。何なら、王の了承は必要無いとさえ考えている」
「頭の狂った王への説得なんか、やるだけ無駄だろ」
「そうは考えない分、桧釐はお前を信頼してるんだろ。臣として」
「どうだかな。お前は?」
「そもそも俺がこの話に賛成すると思うか?」
 初めて龍晶は意外そうに燕雷と目を合わせた。
「俺が朔をどうこうしたいと思う訳が無いだろ。お前や華耶ちゃんの事を想えば尚更だ」
 怒りまで滲ませて燕雷は言い切った。
「じゃあ何で来たんだよ」
「ご尤もだ。俺も分からん」
 龍晶が鼻で笑った。
「確かに、俺を説得出来るとしたらお前だけのようだ」
 事の本質を見失った連中では話が噛み合わない。
「折れる気があるのか」
「どう考えても理は向こうにあるだろ。国の事を思えば飲むしかない話だ」
「じゃあ、そう桧釐に伝えて良いのか」
「良くは…ない。だろ?」
 燕雷とてそれで動く気は無かったようだ。座り込んだまま難しい顔を彼方に向けている。
「何故苴があいつを名指しで欲しがる。月夜の悪魔に引っ掻き回された過去があるのは分かるが、国同士の取引で名を出す程か?」
 龍晶の問いに、燕雷は唸りながら答えた。
「隣国にまたあいつが居るってのが、苴は嫌なんだろうな。抜ける牙は先に抜いておけと…そういう風にも見えるが」
「戔は苴に牙剥くつもりは無い」
「それが信じられないんだろう。或いは…その逆か」
「逆?」
「苴が戔を襲う。その前に脅威は取り払っておく」
 龍晶は言葉を返さず天井を睨んだ。
 可能性を考えなかった訳ではない。ただ、その最悪な筋書きは自分の頭の中だけに留めておきたかった。単なる考え過ぎだと。
 だが今、燕雷の口から聞かされた以上、無視できない可能性となった。
「どうすれば良い…」
 考えた末の呟きは苦渋に満ちた。
 朔夜を行かせてしまえば戔の守りは無いも同然となる。が、留まらせれば関係は悪化する。そして繍との関係を疑われ、兵を向けられるだろう。
 どちらを選んでも戔は危うい。
「この際、国の事は置いて考えた方が良いんじゃないのか」
 燕雷の言葉に龍晶は眉根を寄せた。
「そんな事…」
「だって、それじゃ桧釐達と同じだろ」
「…俺は王なんだが」
 呆れつつも、燕雷の言いたい事も分かる。
「朔夜の事も考えてやらなきゃいけないか。そうだよな、俺達が勝手に決めて良い話じゃない」
 そもそも怒りの発端はそこだ。
 朔夜を取引の道具に使うなど、ましてや自分がその片棒を担うなど、絶対に出来ないのだ。
「どの道あいつが帰って来るまでは保留だ。結論を焦っても仕方がない」
「ああ…だが燕雷、皓照があいつの元に送ったという男の事は知っているか?」
「ん?まあ、知らんでもない」
 元々同じ組織に居たのだから、存在くらいは知っている。
「どんな奴だ?朔夜は生きて帰って来れるだろうか」
 うーん、と燕雷は唸る。
 予想以上に考え込まれて龍晶は不安から早口に言葉を継いだ。
「いや、皓照が命令した以上は最悪の事態にはならないとは思う。ただ、その、喋れる状態と言うか…とにかく意思を確認出来るかどうかが肝心だろ?死体にされた状態で勝手な事をされるかも知れないし」
「以前の仲間をそこまで疑いたくはないが」
「気を悪くしたなら済まん。信用できる男なのか?」
 気を取り直し、一縷の望みを懸けて問う。
 人として良識のある男なのか、その点の信用を知りたかった。
「何とも言えんな」
「は…?」
 煮え切らない答えに苛立ちすら覚える。そんな龍晶には構わず、燕雷はまだ考え考え言葉を足した。
「普段は確かに信用に足る男だよ、俺が知る限りはな。だが時折悪い噂を聞く。その真偽の程まで確かめた事が無いから何とも言えんという訳だが」
「悪い噂って、どんな」
 燕雷は言い淀み、嫌なものを見るかのような顔で答えた。
「傭兵として赴いた戦地で、近隣の村に居た全く関係ない女子供を虐殺した…とか」
 龍晶の顔色が変わるのを見、燕雷は慌てて言い足した。
「噂は噂だよ。恐らく奴の実力を妬む連中が作り出したほら話だろうとは思う。俺だって深い付き合いがあるでもないし、詳しい話は知らない」
「何だ。結局何も分からないって事か」
「確かなのは俺よりも年嵩だって事かな」
 何気なく言った情報に、龍晶は目を見張った。
「不死の人間って事か?」
「んあ?そうだけど」
 燕雷にとっては当たり前な事柄だったが、龍晶には驚くべき事だった。
 が、納得もした。
「そうか…朔夜を止められるとしたら、普通の人間じゃないよな…」
「皓照に近い力を持っているようだ」
「皓照に…」
 嫌な予感しか無い。
 脳内に、力を駆使する冷徹な暗殺者の像が浮かぶ。
 朔夜は無事、帰って来られるのだろうか。
「なあ、燕雷。取引の話だが…」
 まさか、そこまでとは、そう自分でも思うのだが。
「皓照は朔夜に利用価値があるから生かして帰すつもりなんだろ?それを俺が取引に応じないとなれば…もしかしたら…」
 こんな事、考えたくもないが。
「皓照はそのまま、朔夜を…」
 消してしまうのではないか。
 初めから選択肢など無かったのだ。朔夜自身を人質に取られているも同然だった。
「ならお前は…どうする」
 燕雷の声も低く、掠れていた。
「王は取引に応じる考えはあると…そう伝えてくれ」
 確定ではない。が、限りなくそれに近いという事にせねば、朔夜が危ない。
 龍晶は両手で頭を抱え、そして顔を覆った。
「済まん…済まん朔夜…。結局俺は何もしてやれない。守ってやると言ったのに…」
――でもお前は俺を売らない。皓照とは違う。
 哥の空の下での、あの日のやり取り。
――俺は出来得る限り、お前を守るよ。
 お前は俺を信じてくれていたのに。
 俺は嘘を吐いた。残酷な裏切りの嘘を。
 あの時望んだ地位に着きながら結局、俺自身に力が無いばかりに――
 王の静かな慟哭を、燕雷は一人、聞いた。

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