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月の蘇る
  5
 五日後、熱は下がらぬが喀血は治まったと見て都への帰路を辿った。
 馬車の中でぐったりと横になっている。その目に最早光は無い。
 馬車の横にぴたりと付いて、朔夜は龍晶の愛馬に跨っていた。本人から頼まれたのだ。お前が連れて帰ってくれ、と。
 今にして思えば、出発から無理をしていた。まだ思うにままならない体で長時間馬に乗り、民の声に応えたりして。その無理が重なって祟ったのだ。
 追い討ちをかけたのは他ならぬ啓州の惨状だろう。役人達の腐敗と農民達の飢餓を、己の無力のせいだとして思い悩んでいた。
 誰が見たって王となったばかりの彼に責任など無い。少なくとも朔夜には龍晶が己を責める意味が分からない。
 高熱で魘され、その譫言に飢えて死んでいった人々への懺悔を口にしている。今もだ。
 そんな他人の事より、まず今はお前が生きろと叱ってやりたい所だが、意識朦朧の病人にそれは無駄だ。
 諦めの溜息を、背後の燕雷に聞かれた。
「お前が溜息吐いたってしょうがないだろ」
 お前に現状を変える力は無いと言われたようで頭に来た。自分が過度に気にしているだけなのだが。
「俺には溜息吐く権利も無いんだな?何の役にも立たないから」
「はあ?そんな事言ってないだろ。八つ当たりか」
 気は立っている。床に伏す龍晶と、付きっきりで看病しながらも快復の兆しが無い事で疲れ切り俯きがちな華耶に、何もしてやれない自分が不甲斐なくて。
 燕雷ら他の面々は、役所に赴いて思うままに腐り切った役人共を処断していたらしい。話だけは聞くが、朔夜はそこに加わる事は無かった。
 分かり易い悪に罪状を叩き付けていれば鬱憤も晴らせただろう。そう思えば自分だけ損な立場に回されているとも感じてしまう。
 すっかり鬱屈した気持ちを吐き出すのに、溜息くらい許してくれたって良い筈だ。
「八つ当たりだって分かってるならいちいち突っ掛からないでくれよ」
 やれやれ、と小さく呆れた笑いが後ろから聞こえた。
 また小馬鹿にされているようで腹が立つ。
 燕雷は面倒な子供から話相手を変えて、朔夜の前を行く桧釐に声を掛けた。
 役人の処断についての話だ。まだ全て片が付いている訳ではない。
 明らかに悪事に加担した者、またそれを指示したであろう首脳陣は今の立場から追った。
 それだけでは甘いと言うのが桧釐の主張で、燕雷はそれを受けてどこまで罰するべきか考えている。
 間に挟まれて聞いていた朔夜は違和感を覚えてつい口を挟んだ。
「お前らそればっかり話してるけど、村の人達の事はどうなったんだよ?食い物を返して飢えてる人達を救うのが最優先って、龍晶は書いてた筈だけど?」
 倒れる前夜に龍晶が書き残していた書状を、朔夜はちらりとしか読んではいないが、確かそうだったと記憶している。
 一見してあいつらしい、それで良い、否それが良いんだと部外者の朔夜でも納得した。
 だから、その通りに事が進むと思っていた。
「ああ、それは東索に任せた」
 事も無げに燕雷が答えた。
「五日やそこらで済むような仕事じゃないからな。それに一地方の問題に俺達が首突っ込んでる場合でもない。そういう事は当事者達で解決した方が良いんだ」
「それは…そうかも知れないけど」
 大半が役所から追われたとは言え、まだ東索を良く思わない者は残っているだろう。
 そんな中で果たして無事に役目を果たせるのだろうかと、朔夜は危ぶんだ。
「安心しろ。東索の村の仲間も居るし、他の村からも人を呼ぶそうだ。警護の兵もいくらか残してきた。彼に危険が及ぶ事は無い」
 同じ危惧は当然持っていたであろう燕雷はそう言い足して、目先を変えた。
「道が狭くなるな。一列になった方が良いだろう」
 一行は道幅の狭い山道に差し掛かっていた。
 この峠を越えれば啓州を出る。
 馬車を先に行かせて、朔夜はその後ろに付いた。
 四つの車輪がやっと通れる道だ。誤れば崖に脱輪するかも知れない。
「その事は龍晶に言ってあるのか?」
 横に並んだ燕雷に、話を戻して朔夜は問うた。
「さあ?俺は話してない。会ってすらないからな。桧釐が言ってなけりゃ知らないかも。でも、今そんな事を報告したって熱が下がる訳でも無いし」
 仕事の事を思い出させては身体に障る。だから桧釐も何も報告していない。
 それは分かるが、何か釈然としない思いで朔夜は馬車を見詰めた。
 今はそれどころでは無いかも知れないが、快復した時に己の無力と感じて落胆しなければ良いが。
「安心しろ、東索はしっかりやってくれるよ」
 それはそうだとは思うのだが。
 何とも言えない不安感を胸に、ふと忘れかけていた感触を覚えて左上手を見た。
 急坂の山林が狭い道に覆い被さる。その中に。
「まずい!」
 朔夜は叫んでいた。山林に潜んでいたのは、白刃を持つ無数の人々の気配だ。
 次の瞬間、矢の嵐が降り注いだ。
 矢の弾道に勢いは無い。咄嗟に抜いた刀で防ぐ事は難しく無かった。見た限り、燕雷や桧釐も同様だが、打たれた兵も少なくは無い。
 前の馬車の中から華耶の不安そうな声が聞こえた。
「朔夜!?どうしたの!?」
 それに応えてやる暇も明確な解答も無かった。次には刀を持った敵がわらわらと坂を下って襲い掛かってきた。
「燕雷!馬車を頼む!」
 敵の咆哮に負けぬ声で怒鳴り、自らは馬を飛び降りて敵に向かった。
 矢を払う為に使った長刀から、瞬時に双剣へ持ち替える。
 敵と当たるその一瞬で相手を観察した。
 数は多い。百人以上は居るのではないか。だが、その装備は少ない。古びた刀や、槍、中には竹を割っただけの者も居る。
 防具は無いに等しい。殆どの者が見窄らしい服を着ただけだ。こういう集団を以前にも見た事がある。
 刀がぶつかった。初手はわざと先手を取らず防いだ。相手を斬り倒す事はあまりに簡単だが、問わねばならぬ事があった。
「お前ら、何が目的だ!?」
 少ない装備、統率されていない集団、慣れぬ手付きの刀捌き。
 彼らは、農民だ。
 農民が、王を襲う。それは。
 龍晶の起こしたあの反乱と、同じだ。
 同じ刃で襲撃を受ける、その理由を知らねばならない。
「王など居ない方が良い!だから倒す!」
 返ってきた返答に目を見開く。
 それに呼応するように、そこここで声が上がった。
「民から何もかもを奪う王など要らない!」
「このままでは殺される!だから殺す!」
「お前達だって同じ事をして成り上がったんだろう!なら俺達が同じ事をしても文句は無い筈だ」
「そうだ!王を倒せ!」
「王を倒して、我々の手で、我々の国を!」
 おお、と地鳴りの如き声が上がる。朔夜は震えた。
 群衆やその士気に震えた訳ではない。
 誰も真実を知らぬまま命を捨てに来ている事が怖かった。
 同時に怒りも湧いた。
 純粋に、友の命を狙う連中が憎かった。
 しかも今は華耶も居る。
 彼らを危険に晒すこの連中を、許す訳にはいかない。
 それもそんな、出鱈目な理由で。
 交じり合っていた刀を弾き、均衡を崩した相手を下から斬り上げた。
 そのまま舞い上がり、坂の上から今にも襲おうとしている敵に双剣を振り下ろす。
 着地するなり身を翻して別の相手を斬りつけ、歴戦の己にとっては攻撃とも言えぬ相手の一撃を僅かな動きで躱し、瞬時に息の根を止めた。
 どのくらい人を斬ったか。
 血の上った頭に、漸く静止の声が届いた。
「止めろ、朔!もう良い!」
 下から燕雷が叫んでいる。
 舌打ちしながら背後に居る敵に刀を突き刺した。
「朔!殺すな!王命だ!龍晶がそう言っている!」
 名前を聞いて初めて我に返った。
 周りの景色が目に入る。
 多くの人が倒れている。なけなしの力で、明日を生きん為に命を投げ打った人達が。
 この力の前では無抵抗に近い人々を、俺は斬った。
 気付いて、ぞっとした。
「来い!朔!龍晶が呼んでいる」
 龍晶は怒っている?絶望している?あれほど言われてきたのに。
 もうやめろ、刀を置け、と。
 また裏切ってしまった。
「朔!危ない!」
 燕雷に言われる間でも無い。背後から襲ってきた刀を躱し、振り向きざまに弾き飛ばした。
 得物を無くし、動揺する相手を哀しく見上げて、朔夜は言ってやった。
「逃げてくれよ。俺ももう殺したくない」
 まだ若い男は青い顔で頷いて、坂を上がっていった。
 農兵は統率されていない分、撤退という事を知らない。動機が動機であるだけに、最後の一人となるまで戦う気構えであるようだった。
 それでも何とでも出来た筈だ。実力差は十分ある。先刻のように相手を傷つけず無力化する方法はいくらでもあった筈だ。
 周囲では護衛兵らが捕らえた敵を縛っている。宗温の隊もあるのだから、自分が手を下す必要も無かった。
 のろのろと馬車に近寄る。窓が開かれ、中の様子を窺った。
「怪我は?」
 華耶は僅かに震えてはいるものの、しゃんとした目で応じた。
「大丈夫。朔夜は?」
 首を横に振る。この身に届く刃などあろう筈が無かった。
 それだけに後ろ暗い。華耶が支え起こす龍晶の顔を見れずに居る。
「朔夜」
 その龍晶の声は、周囲の騒音に掻き消されそうだった。
「怪我人の治療をしろ。敵味方関係なくだ」
 頷いて、引き下がろうとした時、もう一言、これはきっぱりと告げられた。
「誰も死なせるな」
 朔夜は走った。己の傷付けた重傷人から先に。

 都を前にして陽が沈み、野営地が作られた。
 兵達は作業する者と捕らえた農兵を監視、尋問する者に別れた。
 寝起きの頭で人々の動きをぼんやりと眺める。
 治せる者は皆治した筈だ。既に息絶えていた者以外は。
 最後の方は意識が朦朧としていたので自信は無い。もう良いと言われた途端に力尽きて眠りこけてしまった。
 そこからどうやってここまで運ばれたのか知らないが、気付けばこの焚火の前で毛布にくるまれて眠っていた。
 久しぶりに人を斬り、久しぶりに人を治した。それが堪えたのだろう。まだ眠い。
 そう言えば自分はそういう存在だったと、忘れていた訳ではないが思い出す。
 言い訳では無いが、崖上の集団の存在に気付けなかったのもそのせいだ。油断もあり、勘も鈍っている。
 これでは目的も果たせないではないか。
 目的?
 戦わねばならぬ理由?
 あるのか、そんなもの。
 もう止めろと言われたのに。
「…ああ」
 一人、低く声を漏らした。
 ここには無い。この国には。
 あいつの前ではもう誰も殺さない。
 但し、戦わねばならぬ理由なら有る。
 憎い国、繍に。
 そしてそれを果たさねば――否、目的など関係無い。戦い続けねば、己の存在する意味は無い。
 そういう、生き物なのだ。
「おーい、起きたか?」
 焚火の向こうから呼ばれて、視線を上げた。
「王様が呼んでんぞ。行ってやれ」
 あの時はそれどころじゃ無かったから、今度こそ叱られるのだろう。
 のろのろと朔夜は立った。
「やっぱり、お前じゃないと駄目みたいだ」
 燕雷の言葉に眉を顰める。
「何が」
「あいつが、さ」
 話の流れからして龍晶だろう。
 しかし一体何の話なのか、さっぱり分からない。
「怒ってるんじゃないのか」
「はは、怒る元気が有れば俺らも一安心なんだがね。ま、しっかりお慰みして来い」
「ええ…?」
 だが何となく分かった。
 今日の事態に一番罪悪感を抱き、堪らない思いをしているのは、あいつだ。
 王の為の天幕を潜る。
 中では、看病している華耶と十和も居たが、朔夜が現れると心得たように二人揃って出て行った。
 二人きりとなる。
 寝台に横になっている龍晶の額には、熱を冷ます為に水に浸した布が置かれている。
 そんな状態で、虚ろに天井を見ている。
 朔夜は枕元まで来て、何を言ったものか分からず黙って立っていた。
「治療してくれた事には礼を言う」
 ぽつりと龍晶が言った。
 今更、礼を言われるような間柄でも無いだろうに、続く言葉に朔夜は怯えた。
「…見損なったろ」
「え?」
 全く予想していなかった言に素直に驚いた。
 龍晶は自嘲混じりに言い直した。
「こんな王なら担がない方が良かったろ」
「はあ?」
 怒りすら込めて問い返す。
「だってそうだろ…こんな、何も出来ない、民の不信を買うだけの王なんて…」
「そんな事考えるくらいなら何かしろよ!あの戦が無駄だったなんて言わせねえぞ!」
「何も出来ないのは分かってるだろ!?」
 怒鳴り合って、しかし当然だが体力的にそれは持たない。
 深く深く息を吐いて、目を合わさずに龍晶は呟いた。
「悪かった。俺のせいだ」
 喧嘩の発端についてではないだろう。口喧嘩で簡単に謝る御仁ではない。
「俺のせいで、お前に刀を抜かせた」
「何でそうなる」
「彼らは俺の無力に怒ったから、あんな企てをした…。誰も責められない。悪いのは王たる俺だ」
 朔夜は天井を仰いで溜息を吐き出した。
 謝ねばならないのは自分の方だ。
「刀を抜いて…彼らを斬ったのは俺だ。お前の大事な民を斬ってしまった。考えも無しにな。どう考えたって、罪は俺にある」
「当然の行動だ」
「いや」
 否定して、ずっと引き摺っていた後味の悪さを口にした。
「どうにでもなった筈だ。俺の力なら軽い怪我だけで止める事は出来た。でも、そこまで考えられなかった。お前と華耶を守らなきゃならない…いや、それよりもお前らを攻撃された事に腹が立って、頭に血が昇って、奴らを斬る事以外何も考えなかった。前と同じだ。お前が嫌がると知ってたのに」
 龍晶は黙って朔夜の懺悔を受け入れた。
 それぞれの悔恨が、沈黙を生み出す。
 龍晶が咳込み、息を継いで、言った。
「華耶達を呼んできてくれ」
 朔夜は分かった、と踵を返し天幕を出た。
 話は終わったという事だろう。これ以上話したくないとも取れるが。
 互いに苦いものを飲んだまま、解決策も無く。
 否、解決策はある。が、言えなかった。
 ここに居てくれと言われた側から離れるとは言い難くて。
 だが、それもいつかは告げねばならぬ事だろう。
 本当に悪魔に変じてからでは、遅い。

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