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月の蘇る
  4
 砂漠に近いこの土地は、地は割れ乾き、水は山を隔てた隣村から運ばねばならず、作物どころか人が生きるにも厳しい。
 そんな村でも細々と人は暮らしていたが、この夏は特に日照りが酷く麦が実らなかったそうだ。
 それに追い討ちを掛けるように、役人は実る麦も芋も、作物を全て持って行った。
 新たな王の誕生に伴って戦をした、その代償が必要だと言うのだ。戦わなかった者は、代わりに物を出さねばならない、と。
 拒否をしても王命に逆らう罪人とされ、その場で打ちのめされた。盗人の如く蓄えは全て持って行かれた。
 そして、今目前にある光景は生まれてしまった。
「次は儂です。儂が飢えて倒れれば、この地に残るまだ力のある若者は諦めて去ってゆくでしょう」
 村長は屍の山を落ち窪んだ目で見上げて言った。
 村が一つ、消える。その間際にここに居る。
 砂埃の立つ地面に座り込んでいる若い王は、額を抱えて唸った。
「済まん…俺が無力なばかりに。こうなる前に対策を打つべきだった」
 そして村長を見上げ、許しを請う人のように言った。
「信じて下さい。俺は決してそのような命令は出していない。この一年は民に戦の疲れを癒やし、再び田畑を耕して貰えるように、年貢の徴収は行わなかった。それでも持って行かれたとしたら、啓州の役人達の勝手な行動だ。今から厳罰に処す。そして食物を返す。だからもう少し待っていて下さいませんか。せめて、生きる事は諦めないでくれませんか。一時的にこの地を離れるのも一つの手です。でも、いつか、この村を復興させる事をお約束します。何年かかるか分からないけど…」
 希望だけは持っていて欲しかった。
 何もかも無くなったとしても、胸の内にある希望だけは。
「村長」
 東索は幼い頃から世話になった老人へ手を差し伸べた。
「共に街へと参りませんか。陛下の仰るいつかが来るまで」
 それが生きる為の手段だった。
 が、老人は首を横に振った。
「儂は残る。この者達を弔ってやる事が、儂の最後の仕事だ。お前は若い者を連れて街へ帰りなさい」
「しかし」
「心配無い。仕事を終えたら儂も伝手を頼って身を寄せる事にする」
 そこまで言われて、東索は引き下がるより無かった。
 村長は龍晶に向き直ると、地に手と額を付けて言った。
「かように痩せた土地ですが、ここに産まれ、死んだ者達が生きた村です。儂らには大事な場所です。それだけは、ご承知下されたく願います…」
 王は老人の肩に手をかけ、頷いた。
「分かった。待っていてくれ」
 東索は村の者達と話をする為に一晩残り、明日共に街へ帰ると居残った。
 馬車は暮れかけた山道を辿る。
 道は暗がりが落ちてくる。先はだんだんと見通せなくなる。
 だが確かに行くべき道は有る筈だと、龍晶は考え続けた。

 やるべき事は山ほどある。
 まずは不正に徴収された物品や金の押収。それに関わった者の処分。恐らく彼らはしらを切り続けるので、調査の上、証言や証拠を集めねばならないだろう。
 そして押収した米や麦等を村々に返し、民の食糧を確保せねばならない。これ以上餓死者を出さぬ為にも、難しい課題だがこれは急務だ。
 そして国の通達が正しく民に伝わる仕組みを作らねばならないだろう。せっかく税を減免しても、地方の役人達がそれを踏み倒すような今回の事例を繰り返してはならない。
 その為にも人が必要だ。読み書きが達者で、何より信用の置ける人間が。
 あと、土地も改良せねばならない。開墾と、水の確保。あの乾ききった土地を如何にして潤すか。
 知らず知らずに溜息が漏れた。
 一体、何から手を付ければ良いのだろう。
「お休みになりませんか」
 卓を挟んで華耶が立った事にも気付かなかった。
「先に休んでいてくれ」
 いつものように返したが、進まぬ筆と動かない華耶の視線に負けた。
「…仮眠を取るか」
 このまま悩んでも煮詰まるばかりになるだろうと、己に言い訳して立ち上がる。
 途端に強い立ち眩みに襲われ、体の均衡を崩して倒れかけた。
 柔らかだがしっかりとした感触が体を支え、包み込む。
「大丈夫?」
 華耶が耳元で囁く。
 抱き止められたまま、龍晶は頷いた。
 華耶は夫の体を支え、寝台まで連れて行くと、子供に対するように視線を合わせて微笑んだ。
「ちょっと無理し過ぎなんじゃないかな。焦る気持ちは分かるけど、休むのも大事だよ」
 彼女に言われると反発する気持ちも起きない。これが例えば桧釐なら聞き流す所だし、朔夜なら喧嘩になる。
 実際、怠くて熱っぽい身体を寝台の上に転がすと、抗えない眠気に襲われた。
 隣に居る華耶の体温が心地よい。
 後悔も罪の意識も溶けていくようだ。
「おやすみ」
 耳元で囁かれた声に返す事も出来ないまま、安寧の眠りに落ちた。
 それも束の間だった。
 気付くと、昼間見たあの荒廃した街に立っていた。
 そこここで煙が上がる。屍体を焼く煙が。
 こんな国にしたのは誰だと、声なき声が責める。折り重なるように、幾人もの声が。
 耳を塞いだのか、割れそうに痛む頭を抱えたのか己でも判別出来ない。ただ、耳を塞いでも実体無き声は消えず、狂った頭の産物としてこの国の荒廃は有るのだと思い知った。
 俺が王で無ければ。
 そう思った途端、顔の見えぬ相手に首を絞められていた。
 苦しさに目が覚めた。咳き込んで、口を塞ぎながら転げ落ちるように寝台を降りた。
 隣に眠る華耶を起こしたくないという気持ちからだが、そんな異常に気付かぬ彼女ではない。
「大丈夫…?」
 目を擦りながら起き上がった彼女は小さな悲鳴を上げ、夫の背中を摩りながら必死に侍女を呼んだ。
 喉に詰まっていた血痰を掌に吐き出して何とか呼吸しながら、龍晶は首を横に振った。大事無いと言いたいのだが言葉に出来る程の息が足りない。
 十和が駆け寄り、近くにあった洗顔用の盤を取って差し出した。その中に喉に詰まっていたものを更に吐き出すだけ吐き出して、漸く息が出来た。
 気が遠くなる。寝台の縁にぐったりと身体を預けて、血に汚れた顔を拭かれたり着替えさせられたりと、なされるがままになっていた。
 頭の中は、これからやるべき事が渦巻いていた。それがこの体で何処まで実現可能なのか、そればかりを考えた。
 何もできないまま死ぬのだろうかと。
 否、血を吐くのは初めてではない。それでもまだ生きているのだから、そう深刻にならなくても良い筈だ。
 そう自分に言い聞かせている。絶望と希望、不安と楽観が綯交ぜで混乱する頭。
 処置と片付けを終え、十和は華耶に告げた。
「桧釐様に報告して参ります。お医者様も呼ばなくては」
 待ってくれ、と苦しい息の合間に呼気で彼女の動きを留めた。
「大事無いから…報告は無用だ」
 やっと出た声に華耶は首を横に振った。
「でも、お医者様には診て頂いた方が良いよ。だって…」
 華耶の視線は盤の中に溜まった血へ。
 これで大丈夫だと言い張る方が異常だろう。
 だが、本当の所は医者を呼んでもどうしようも無いというだけだ。
 それならば、成すべき事を邪魔されずにやり遂げたい。時間は無いのだ。
「大丈夫…誰にも言わないでくれ。少し眠るから」
 自力で寝台に這い戻り、布団の中に丸くなる。
 このまま意識が永遠に戻らないかも知れないとちらと考えたが、そんな危惧もすぐに蕩けた。
 愛する人の隣で死ねるのなら、この不運な身にはあり余る程の幸福だ。

 朝早く、朔夜は華耶が呼んでいると聞き、国王夫妻の逗留する部屋へと入った。
 十和に連れられ寝室に足を踏み入れると、顔色を変えた華耶が待ち侘びたとばかりに顔を上げた。
「おはよう」
 とりあえず挨拶をすると、彼女は再び俯きがちになってしまった。
「ごめんね、朝から呼び出したりして」
「同じ屋敷に居るんだし、なんて事無いよ。それよりどうした?」
 華耶は寝台を囲む天幕をたくし上げて朔夜を招き入れた。
「…ああ」
 低く声を漏らす。納得と落胆が混じった。
 点々と血飛沫に染まる寝具の中で、龍晶が高熱に喘いでいた。
「夜中に咳込んで、血を吐いたの。それからどんどん熱が高くなったみたいで」
 華耶の説明に頷きはするが、一つ分からない事がある。
「俺にはこれは治せないけど…」
 病を治癒する力は無いと、華耶は知っている筈なのだが。
「うん、分かってる。一応、相談したくて」
「相談?」
「夜中に血を吐いた後、彼は誰にも知らせるなって言ったんだけど、どうすべきだと思う?」
 答えの知れきった相談だ。だから一応と前置いたのだろうが。
 隠した所で隠し通せるものではない。ならば一刻も早く知らせ回って然るべき処置をすべきだ。
 だが、そんな当然の答えを引き出す為にわざわざ自分を呼んだ訳ではないだろうと、朔夜は華耶の心中を慮った。
「事を大きくしたくないって意味かな」
 まずは龍晶の意図を考えねばならない。
「それはあると思う。大丈夫って言ってたし。でも、こんなに熱が出るとは思ってなかったんじゃないかな」
「いや…これまで何度か血を吐いて死にそうな目に合ってるから、それは分かってたと思う。でもその度に助かってはいるから、何とかなると思ってたんだろ。華耶を心配させたくもないし」
「うん…」
「多分、それだけの小さい意地を張ってたんだよ。桧釐に知らせて来ようか?」
「お願い」
 華耶は隣室の卓へと走り、一枚の紙を手に戻ってきた。
「これを、桧釐さんに見て貰って」
 昨晩、龍晶が筆を走らせていた紙。
 これから成すべき事が記されてある。
 その意味を朔夜は一見して察し、受け取って桧釐の元へと向かった。
 見送った華耶は夫の眠る枕元に戻る。
 相変わらず苦しげな呼気に混じり、名を呼ばれた。
 息を飲んで耳を寄せる。龍晶は水、と微かに頼んだ。
「十和さん!お水を!」
 背中を支え起こし、器の水を飲ませる。一口がやっとだった。
 痛みに顔を歪め、腹部を押さえて倒れ込む。
 華耶は唖然としてそれを見守るしかない。
 何が彼を苦しめているのか、まだ理解し切れていなかった。
「華耶」
 朔夜の声で我に返る。
「大丈夫?桧釐も来た」
 頷いて、二人に今あった事を説明した。
「目が覚めて、水を飲んだ所なんです。そうしたら苦しみだして…」
 朔夜の表情が固まった。
 同じ光景を、灌の牢で見てきている。
 俺のせいだと言おうとした時、龍晶が切れ切れの息で朔夜の言葉を遮った。
「大丈夫…じき、治るから」
 ああ、分かっていて、こいつは。
 朔夜はそっと枕元から離れた。こんな状態の友に気を遣わせるのが心苦しかった。
「医師は呼んであるのですか」
 桧釐が事務的に十和へ訊いた。
 十和が首を横に振った。その釈明は、当人が口を開いた。
「呼ばなくて良い…無駄だ」
「無駄って、陛下。それは診せてみなきゃ分からんでしょう」
「俺の身だ、自分が一番分かっている。無駄だから騒ぎを大きくするな」
 勢いで一息に言って、咽せてしまう。
 咳にはまだ血の味が混じった。
「ああ、もう、こんな状態で放っておけという方が無理ですよ!俺が呼んできますから、大人しくしておいて下さい!」
「やめろと言っているだろう!」
 無理に怒鳴り返したのが拙かった。否、結果は知れきっていたが黙っている訳にはいかなかった。
 口元を押さえた手から血が溢れる。
 流石の桧釐も驚いた様子で足を止めた。
「…何故ですか」
 そこまで止めるのは、余程の理由があると考え直したようだ。
 ただ、答えるべき口は血を垂れ流し足りぬ息を呼吸する事に必死で言葉を繰る余裕など無い。
「桧釐さん、ごめんなさい…。今は、彼の願いを聞いて下さいませんか」
 おずおずと横から華耶が懇願した。
「しかしですね、これで何かあっては…」
「大丈夫です。朔夜が居ますから」
 当然の反論を遮って、きっぱりと名前を出された本人は目を丸くしている。
 いや、俺は…と断ろうとした言葉は彼女の強い目に封じられた。
「流石に幼馴染殿は王妃様の信頼を勝ち得ているな」
 桧釐から皮肉まで頂いて、朔夜は何も返せず目を泳がせた。
「まあ、そこまで仰せなら致し方ありません。容体が少し落ち着いたら、都に帰って信用のある医師に診て頂きましょう」
「帰る?」
 細い声で龍晶が問い返した。
「帰りますよ。当然でしょう。これ以上旅を続けられるとでも?」
「この街を放り出して、あの人達は…あの村の人達はどうする!?それにまだ、他の州にも苦しんでいる民は多く居る筈だ…それを救わずに都に帰れと…!?」
 桧釐は枕元に歩み寄り、跪いて、主人を見上げて告げた。
「あなた様の御身が第一です」
「あれほど多くの民が亡くなっているのに…か?」
「現状を変える事は、都からでも出来る。あなたが王であらせられる限りは」
 龍晶は唇を噛み、それ以上返す言葉を飲み込んだ。
 悔しく、情け無く、無念ではあるが、桧釐の言を飲むより無かった。
 これ以上命を削ってはならない。それこそ、国全体を放り出してしまう無責任となる。
「それまでに出来る事は我々でやります。あの腐りきった役所を掃除してやりますよ」
 では、と桧釐は踵を返した。
 残された若き王は、悔し涙に目を赤くして天井を睨んでいた。
「気持ちは分かるけど、桧釐の言う通りだよ」
 遠くから朔夜が言った。
「煩い。分かっている」
 悪態で返して頭の上まで布団に潜り込む。
「なあ、龍晶」
 見えない相手に尚も朔夜は話しかけた。
「俺、お前がやりたくても出来ない事を代わりにやるから…お前の手足になるつもりで。だから…」
 許してくれ、と。
 それは声にならなかった。
 許しを請える罪ではない。そんな烏滸がましい事は言えなかった。
「お前なんか、役に立たねえよ」
 布団の中からまた悪態が返される。ただ、それだけではなかった。
「だから…なるべく傍に居てくれ」
 思わず華耶と目を見合わせる。
 彼女はにっこりと笑った。
 それで、こういう事かと知った。
 三人が一緒に居る事。華耶の願い。
「ああ…分かった。そうする」
 それを聞いて安心したように、魘される事なく眠りについた様だった。

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