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月の蘇る
  7
 桧釐は一旦、抜いていた刀を鞘に戻した。
「良いぞ。いつでも来い」
 腰を落とし、右手は柄頭に触れる。居合の構えだ。
「えー、嫌だ。そっちから来いよ」
 抜きの一手で真っ二つにされるのは解っているので朔夜は渋った。緊張感のまるで無い子供の駄々のように。
「そんな事言ってたら始まらんだろう」
「先手を譲ってやってんのに。ったく、仕方ないな」
 言うなり朔夜は踏み出し、跳躍したまま桧釐の間合いに入った。
 居合の刀が抜かれる。正面からの一手を、交差させた双剣で受け止めた。
 その力をそのまま利用して今度は後ろに飛び退く。お陰で振り上げた二手目を逃れた。
 躱されたと見るや桧釐は攻め込んだ。相手の着地点に切っ先を振り下ろす。朔夜は横に転がって紙一重で難を逃れた。
 起き上がりざまに再び跳び、距離を取る。
「逃げてばかりか?つまらんな」
 桧釐の挑発に肩を竦める。
「生き延びるには逃げるのが最善だ。みんな、分かるな?」
 子供らに問うと、冗談と受け止めた笑い声が返ってきた。
「喧嘩は買わないに越した事は無いよ。買うなら相手の力量を見切ってからだ。俺は今、このおっさんの力量を測ってた」
「おっさん言うな」
 桧釐の不満を子供らと共に笑う。
「こいつらから見れば十分おっさんだよ。じゃあ、買うしかない喧嘩はどうするか、これからが見本だ」
 子らに告げた言葉は戦いの火蓋でもあった。
 朔夜は正面から斬ってかかった。その速さは桧釐も既に知る所だが、一撃を刀で受けて目を見張った。重い。
 以前に打ち合った時の感触で相手をしようとしていたが、かなり修正せねばならない。
 三年前はその速さと手の多さで攻められたが、斬撃は羽のように軽いものだった。だから刀を弾き飛ばす事も簡単だったし、本人もそれを知って受け流す型を取っていた。
 が、今は全然違う。そもそも正面から打ってくるという事など無かった。
 三年分、体が成長している。だから重みのある斬撃を繰り出せるようになったのだ。それを本人は解っている。だから攻め方が正攻法に変わった。
「いつまでもチビだと思ってたのに…!」
 否、正攻法も可能になったと言った方が良い。先を読ませない軽い動きは健在だ。つまり、攻め方に幅が出来た。
「チビは変わらねぇよ。そっちの体が鈍ってるだけ!」
 憎たらしい笑顔で言い切って、桧釐の斬撃を片方の剣で止める。
 それが有り得なかった。両手で持つ刀を片手で止めるなど。そしてもう片手には攻める剣がある。
 押せば勝てる鍔迫り合いを諦めて、桧釐は身を引かねばならなかった。
 息が上がっている。確かに相当体は鈍っている。日々文官もどきの政などしていたせいで。
「どうする?降参する?」
 一つも息を乱さず余裕綽々の笑みで訊いてくる。全く憎たらしい。
 記憶を無くしていた時は請われて相手をしてやっていたと言うのに。
「そう簡単に白旗なぞ挙げられるか」
「そう来なくちゃ。でも戦は意地張って泥沼にしゃいけないぜ?」
「戦はしない。俺達はそんなに馬鹿じゃない」
「上等!」
 上機嫌に叫んだ余韻が残る。姿は消えた。
 否、上だ。
 振り仰ぎ、刀を振るがその間合いの遥か上を飛び越えて。
 着地と共にぱっと飛び付く。背中を取られた。
 振り向きざまに薙いだ刀は派手な金属音をたてて右手の剣に止められ、左手の刃は首筋を捉えていた。
「俺の勝ち」
 がつん、とまた音をたてて刀は弾かれた。
 朔夜は双剣をくるりと回しながら、桧釐の懐から離れる。
 その視線の先に居た宗温に笑いかけた。
「大将さんもやる?」
「遠慮しておきます」
 宗温は爽やかに笑いながら辞退した。肩書き上、負けを見せるのはよろしくない。
「お前ら分かったか?喧嘩はこうやるんだ。命を賭けたら勝たなきゃ意味無え。戦で命賭けるようになる前に、強くなれよ」
 教官の真似事のような、しかし本物以上に重い実感のある朔夜の教えに子らは、はいと返事をした。
「じゃあ素振りをもう百回したら、各自解散」
 返事と竹刀が空を切る音に見送られて、二人と道場を出た。
「月夜の悪魔が今や子供相手の教官だと知れば、各国のお偉方はさぞや驚くだろうよ」
 桧釐の皮肉に顔を顰める。
「そんな事で驚くようなお偉いさんが居るかよ。月夜の悪魔はもう過去のものだ」
「そうかな。悪名はそう簡単に消えねえぞ」
「大きなお世話だよ。全く」
「陛下と言い、まだ次の世代の事を考えてやる齢でもあるまいに」
 ちらりと横目をくれる。
 この男は戦にはしないと言った。まさに戦に送られる兵となる子供達の前で。
 それは、戦となるか否かの瀬戸際に立っているからこその宣言だった。
 今、戦となれば、あの子達の未来は無い。
「哥の使者に、龍晶は何て?」
「戦になれば、再び悪魔が目覚めるってな」
「あいつまでそんな事言う」
「これ以上無い効き目の脅し文句だったよ。お陰で戦にはならんだろ。お前の手柄さ」
「うわ。最悪。そこまで言うか」
「別に他意は無いんだが。大体な、あの戦で振り回されたのはこっちだぞ。なあ宗温」
「まあまあ。それくらいにしましょうよ。もう過去の事ですから」
 その言葉を味方に、朔夜はべっと桧釐に舌を出す。
「この野郎。餓鬼か」
 苦く笑って吐き捨てると、軽い笑い声が返ってきた。
 あの時の事が冗談に出来るようになったのだろうか。
 勿論、朔夜に記憶は残っていないのだろうが。
 だからこそ良かったのかも知れない。
 何もかも覚えていたら、背負い切れるものではない。
 それとも、同じような記憶の積み重なりの中に埋れてしまうだけだろうか。
 桧釐は改めてこの不可思議な少年を見下ろした。
 もう少年という齢でもないが、見た目はそうとしか言えないまま変わらない。
「いつの間にあんな刀が使えるようになった」
 先程の試合を思い出して問うと、え?とすっとぼけてくる。
「得物は変えてないぞ?」
「違う。お前の腕の事だ。いつの間にあんなに斬撃が重くなった」
「だからそれは、おっさんが鈍ってるんだって」
 悔しいがそれは事実だ。だが、理由はそれだけでは無いのは明白だ。
「俺の腕が誤魔化せるとでも思ってんのか。お前は意識的に正面から斬ってきただろ。俺に弾かれる事は無いと始めから確信してやがった」
「そうだねぇ。負ける自信は無かった。何でだろ」
 馬鹿にしている。桧釐は腕を振り下ろせば当たる位置の頭頂へ思い切り拳を落とした。
「朔夜君は案外真面目に一人稽古をやってますよ。長いこと道場に篭ってね」
 痛がる朔夜を笑いながら宗温が庇ってやった。
「だって他にやる事無いし!龍晶が政で忙しいから暇だし!」
「その努力の賜物でしょう。傍目にも随分と鍛えられて肉付いたと思いますよ。飲まず食わずで痩せ衰えた時を知っているだけに」
「良いもの食わしてやってんだから、そのお陰でもあるだろ」
「食ってる物はお前と同じだよ」
「俺は刀を振り回せる暇が無い」
 怠けていたから鈍った訳ではないと暗に釘を刺して、ひょいと朔夜の腕を持ち上げ点検する。
 相変わらず細いが、以前は骨を直接掴むようだったのに、しなやかな筋に覆われている。
 だがそれだけなら桧釐が負ける筈は無い。書類仕事ばかりしていたとは言え、別に筋肉がそこまで落ちたとは思えなかった。
 という事は、あの斬撃は腕っ節に任せている訳ではないと言う事だ。
 恐らく、巧みな体重移動によって重さを出している。全身に筋肉が付いてきた事によってそれが可能になったのだろう。
 朔夜は腕を拘束される仕返しとばかりに、逆の手で桧釐の腹を摘んだ。
「酒の飲み過ぎ」
「うわ、てめぇっ」
 咄嗟に悪戯する手も掴み上げる。そのまま両手を引っ張って浮かせた。
 宙に浮いた足がぱたぱたと暴れる。軽くて小さい。それに大笑いで喜んでいる。
「まるでお父さんですねぇ」
 宗温に言われたくない感想を頂いて、桧釐は二度も父親扱いされた子供を放り棄てた。
「痛っ!ひでー親父!」
「誰がてめえなんぞの父親だ。親の顔が見てみたい」
「それはこっちの台詞だ!」
 言われて、うわぁと辟易した。
 今からその願いを叶える事になる。
「あ、龍晶!」
 朔夜が手を振った。友は馬上にあった。
 我儘を言って乗ったのだろう。周囲で側近や従者らがおろおろと主人を見上げている。
「どうだ?勝負はついたか?」
 桧釐の挑戦は彼も知る所だったらしい。寧ろ言い出したのはこの王だったのではないか。
「負けましたよ。ご推察通り」
「それは結構。これで子供達も稽古に励むようになるだろう。朔夜、存分にしごいてやれ」
「それが狙い?」
「大将軍が、子らは優しい教官に甘えて困ると言うのでな」
 驚いて宗温を振り返る。首謀者は思わぬ所に居た。
「申し訳ない。騙し討ちのような事をしてしまって」
「不意打ちにしなきゃ勝負にならねぇと言ったのは俺だ。お前が謝る事じゃない」
「なんだ。最初から負けるつもりだったんだ」
「そうは言ってない」
 あくまで勝つ気であったと、そこは譲れないらしい。
「まあ、これからは新任の者が子供らを鍛えますので、良い薬になったでしょう。帰ってきたらまた構ってやって下さい」
「へ?何それ?俺はお役御免て事?」
 豆鉄砲を食らった顔を笑って、龍晶が言った。
「済まん。知らせ忘れてた。今から北州に行く」
「今から!?」
「ついでに北部の州を一回りする。長旅になるだろう。支度して来い」
「どうしてそんな大事な事を言い忘れるかな!?」
 哥への対応を考えていたからだと言い訳は出来るが、朔夜は聞かずに駆け出していた。

 戴冠して初めてとなる公式な王の外出に、人々は一目その姿を見ようと道端に列を成した。
 龍晶は玄龍に跨り道を行く事を選んだ。それを取り囲むように朔夜、桧釐、宗温、燕雷が馬上から護衛よろしく睨みを効かせる。無論、更にその周囲を従者や兵らが取り囲んでいる。
 どこにどんな輩が潜んでいるか分からない。だから騎乗しての道行きは危険だと周囲は散々に説得したが、頑固者は折れなかった。
 その理由は彼自身語らなかったが、道端に集った人々の表情を見ていると、それは自ずと理解出来た。
 若き王は自ら姿を見せる事で、人々の期待に応える事になるのだ。
 そして、王もまた民の顔を見、掛けられる声を聞いている。それが彼らの明日の暮らしへの希望となるのだろう。
 国の半分を巡る予定のこの旅路は、民の多くに新たな王の印象を与えるに違いなかった。
 後ろに続く馬車の中には華耶と十和が乗っている。
 華耶もまた、夫に倣って馬車の窓を開け、人々に顔を見せていた。
 それで初めて都の人々は王妃の存在を知ったに違いない。驚きがどよめきになり、歓声となった。
 最後は戴冠式の時と同じく、「龍晶陛下」の合唱に見送られて都を後にした。
 人々の喧騒が遠くなると、一行はやっと気を抜いて、暫し歩みを止めた。
 人の目の無い所では龍晶は馬車の中に入る。本人がそう決めた。
 流石に一日中馬上にあるには体力が全然足りない。この短時間でも疲れた顔をしている。
「旅をするにはまだ早かったんじゃないのか」
 誰もが思っていながら軽く口に出来ない事を、燕雷が問うた。
 龍晶は下馬した玄龍の肩に凭れながら、少し悔しそうに唇を噛んだ。
 馬は主人を気遣うように動かず、大きな目で視線だけを送っている。
「いや…出来る時にやらないといけない。この先どうなるか分からないから」
 やっとそう応えて、愛馬の首筋を叩き労をねぎらって、手綱を従者に渡した。
 愛妻の待つ馬車に乗り込むと、付き従う者の目を避けるように早々と扉を閉める。
 それを受け、一行はまた歩みだした。
 最初の宿場町を目指して山道を行く。
「ああいうのを見るとさ、あー王様なんだなーって実感するよな」
 本人が居なくなった事で気軽に投げた朔夜の言葉に、周りは失笑した。
「お前が常に馴れ馴れしいからだろ」
 桧釐の苦言に肩を竦める。
「最初にそうしろって言われたから、今更直せないし、あいつも嫌がるだろ」
「別に良いけどな。お前は王の家臣じゃないし」
「じゃあ何」
 それを一番知りたいのは本人だ。
「何かにならなくとも良いだろ。肩書きが要るか?今更」
「でも、行った先でお前は何だって訊かれたら、なんて答えたら良い?」
「食客かな」
「とりあえず護衛で良くないか?」
「私は陛下のご友人と答えますが」
 桧釐、燕雷、宗温の答えをそれぞれ聞いて、朔夜はうーんと上目遣いに考える。
 ぴったりな肩書きなど無さそうだ。
「なんかもう、家族みたいなもんだろ。義兄弟ってやつか。どっちが兄貴だか知らないが」
「…ああ」
 燕雷の提案に思わず得心して声が漏れた。
「それは第三者が勝手に決める事じゃ無いだろ」
 桧釐の意見も尤もだが、朔夜はもうその気になっている。
 馬車を振り向いて、この会話が聞こえているだろうかと気にした。
 直接に提案する勇気は無いけれど。
 その時、樹上で何かが蠢く気配があった。
 四人は一斉に刀を抜き、息を詰めて音のした方を見上げる。
「…獣だ」
 桧釐の断定に、それぞれ刀を収める。
 何事も無くまた進み始める。
「あんな人気でさ、命を狙う奴なんか居ないんじゃないのか?」
 朔夜は笑うが、桧釐は苦い顔をした。
「お前、戴冠式の前に何があったか、もう忘れたか」
「いや、あれはあれでしょ。奴らは南部に居るんだから、こんな所まで来ないだろうし」
「そうとは限らんだろ。奴らは未だ自由の身なんだからな。一人残らず潰さん限り安全とは言い切れん。それに、同じ考えの別の奴らが居ないとも限らんだろ」
「そう?」
「とにかく油断するな。反逆者は何処にでも居ると思った方が良い」
「王様って大変だな」
 呟きはまた周囲の失笑を買ったが、朔夜は考えていた。
 王の命を狙う以上は、その権力を欲する者だと思うのだが、民衆にあれ程の人気がある龍晶を倒すような事があれば、そんな奴に民は付いてこないだろう。
 だとすると、南部に潜む藩庸らの狙いとは一体何なのだろうか。
 確かにあの時はまだ即位前だったから、それを阻止する為に龍晶を拉致したというのは頷けるが。
 今となっては奴らの復権は不可能だろうし、何より担ぐ盟主が居ない。
 もしかしたら目的も無くなり、組織は自然消滅しているかも知れない。
 そうだと良いなぁと呑気に考え、平和な旅路を歩む。
 何にせよ、友の作り変えるこの国が誰かに崩される未来など、想像出来なかった。

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あきゅろす。
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