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月の蘇る
  10
 今日も女達は庭園に集まりお喋りに興じる。
 気の早い梅が綻ぶ下で、椅子と卓を並べ、更にその卓の上に菓子と茶を並べる。
 給仕には、彼女らとすっかり意気投合し、皇后付きの女官に復帰する事になった十和が控えている。
「昨日作ったお菓子です」
 華耶は菓子を詰めた籠を於兎に差し出した。
「凄い!こんなに沢山?全部華耶ちゃんが作ったの?」
「はい。十和さんにも手伝って貰って。陛下のお仕事の一環なんです」
「王様の?お菓子づくりが?」
 華耶は嬉しそうに頷いて、自ら一つ摘んだ。
「お客様に出したり、貧民街の子供達に食べさせたりするんだそうです。それで、作り方の書かれた書物を持って来て、作ってみてくれないかって言われて」
「へえ。王様がねぇ」
「細やかな人なんです。たぶん、私が暇を持て余してるのを見兼ねたのもあるんでしょうけど」
「暇って!そんな筈ないじゃない。だって華耶ちゃん、この前は付きっきりで看病してたんでしょ!?」
 華耶は隠せない笑いを手で押さえて、秘密ですよ、と前置きする。
「皆さんには体調が良くないからって言ったんですけど、あれは、筋肉痛なんです」
 華耶も噴き出した。
「何それ。ただの運動し過ぎ?」
「お馬さんに乗ったのが堪えたみたいです。朝起きたら動けないほど痛くなっちゃって。だから、今日くらいお休みしたらどうですかって、私から言ったんです。だって、誰がどう見たって働き過ぎですよ。まだお加減も良くないのに」
「そうよねぇ。うちの人も言ってるわ。ちょっと休んで下さいって言っても、常に何か仕事してるって。その頑固者によく言う事聞かせたわね。さすがに愛する奥様の言う事は聞くのかしら」
「最初は断られましたよ。こんな事で休んでたら朔夜と桧釐さんの笑いものになるって。じゃあ、お加減が悪いって事にしましょうって言っても、まだうーんって渋ってて。じゃあご飯を食べてからまた考えましょう、私は作って来ますからもう少しお眠り下さいって、私、厨に行こうとしたんです。そろそろ自分でご飯を作りたくて。そしたら、なんて言われたと思います?」
「皇后さまが自分でご飯作るのかって、普通はそこに驚くわよね」
 皇后手作りの菓子を摘みながら於兎は付け足した。
「ま、華耶ちゃんの料理の腕は確かだから、その腕を使わない方が勿体ないわ」
 華耶は素直にありがとうございますと礼を言って、話を続けた。
「そしたらですね、悲しそうな目をして彼が言うんです。もう一人じゃ眠れないから、って。捨てられた子犬みたいなんです。置いて行かないでって目で訴えてるんです。私もう、可笑しいやら可哀想やらで…だから言いました。今日一日お休みになったら、私はずっと一緒に居られますよ、って」
「ちょっと、もう、やだー!なんなのあんたたちー!!」
 於兎が顔を突っ伏して肩を震わせ、ばしばしと卓を叩く。
 頬を赤くした笑い顔を上げて、今度は華耶の肩を叩きだす。
「あのお仕事馬鹿な王様が、それで華耶ちゃんを選んだのね!もうほんと、好きにしてくださいって感じ」
「でも好きにしたら結局、お仕事に戻っちゃうんですよねー。ご飯を作って戻ってみたら、政務室からお仕事を持って来させて、布団の上に広げてて。一日中そんな調子だから、一緒に居る意味も無いかなって、お邪魔ですかって尋ねたら、お菓子作りを命じられたんです。そこから二人で作り方の解読をして簡単に纏めて、昨日は実際に作ってみたんです」
「もう、王様ったら馬鹿ねぇ。布団の上で愛しい人と二人きりで、何やってんの」
「あはは。お菓子作りは楽しかったから良いんですけどね。十和さんに作り方を読んで貰って、勉強にもなりましたし。あ、そうそう、最近は陛下に文字を教えて貰ってるんです。夜寝る前に、少しずつ。簡単な字は大体覚えられたんですよ。陛下のお仕事を手伝うには、まだまだ程遠いけど」
「ほんと、華耶ちゃんたら真面目よねぇ。馬鹿真面目な王様にはぴったりだったわね。でも、二人で仕事や勉強ばかりしてちゃ駄目よ?」
「はぁい。息抜きは必要ですよね。私にはこうやって於兎さんに話を聞いて貰えるのが、一番の息抜きです」
「そう、それは良かったと言いたい所だけど、そういう事じゃなくて。あ、そうだ、悩み。夫婦生活での悩みとか愚痴とか無いの?」
「ええと、言われてみればいくつか…」
「何。包み隠さず言ってごらんなさい」
「あのですね、元々寝付きの悪い人の筈なのに、私が文章を読むのを聞いてるとすぐ寝ちゃうんです。何なんですかね、あれ。すっごく安らかな顔で寝てるから起こしたくもなくて、そのまま私も寝る事にしてるんですけど」
「ほんと、何やってんの王様は」
 本気の呆れ顔の於兎に代わり、その様子も見ている十和が口を挟んだ。
「龍晶様は小さい頃、お母上と物語を読まれてから眠るという決まりがありましたからねぇ。その名残だと思いますよ」
「なるほど。私が読んでいるのも、多分それと同じものでしょうね。という事は、私が物語を読めば、彼は自動的に眠くなる…」
「華耶ちゃん、そんな顔して催眠術にでも使おうと思ってる…?」
「はい!何かの時に使えそうなので!」
 屈託無い笑顔で言い切られる。
「そ、そう…。他には?」
「さっきも言いましたけど、寝起きですよねぇ。私はずっと夜明けと共に目が覚めるんですけど、目が開いたくらいのほんの少しの動きで彼も起きちゃうんです。出来れば起こさずに布団を抜け出して、朝ごはんを作っておきたいのに。私が布団を出るのを嫌がるから、毎朝悩むんですよ。皆さんはどうしてます?」
 問われて、於兎は額を押さえて答えた。
「華耶ちゃん…私、そんな事で悩んだ事が無いわ…。うちの人、私が何してても爆睡よ。鼾が煩くて鼻を摘んでも起きやしないし」
「えー、桧釐さん、そうなんですか?従兄弟なのに正反対ですねぇ。ちょっと羨ましいかも」
「あんなのが羨ましい?鼾がうるさくて眠れないのよ?この子が産まれたら私、後宮に引っ越そうかと思う程よ?絶対、あの人は子供が夜泣きしても気付かないから!」
「ええー?そんな事って有ります?」
「有る有る!ねえ、十和」
 十和は深く頷く。彼女は既に二児の母である。
「自分だけ子供の世話してて、隣で高鼾で寝られると、ちょっと後悔しますよ。何でこんな人と…って」
「十和も苦労してるわねぇ」
「え、ええー!?想像できない…」
「良いのよ。皇后さまは、そんな事知らなくて。子供の世話は乳母がするんだし」
「えっ、でもでも、於兎さんにばかり苦労をおかけするようで…」
「私ばかりじゃないわよ。なんたって王様の御子になるんだから、後宮にさえ入れば皆してお世話してくれる筈よ?ねえ十和?」
「勿論です。ですから、両陛下はごゆっくりお眠り下さいね」
「華耶ちゃんは寧ろ、むずかる旦那の世話をしてあげなきゃね」
「確かに…。赤ちゃんとは言わないけど、子供みたいな所あるし…って、これは内緒ですよ」
「言わない言わない。言わないけど皆知ってる」
「あ、やっぱりそうなんですね」
 周囲の共通認識と知って安心する。
「きっとご両親と早くにお別れしたから、愛情に飢えているんだろうなって思うんですけど。何だか朔夜に似たような所があるし」
「ああ、きっとそうよ。うちの人も言ってるわ。王様は、お母さんにお別れした時の子供のままなんだって」
「十和さんもそう思います?」
 後宮で長く彼を見ていた十和は、不敬に当たらぬ答え方を考えつつ答えた。
「そうですねぇ。あの時までは明るく賢いお子様でしたけど、あの事件の後は…笑顔を閉ざしてしまったようでした。おいたわしくて、女官は皆、かける言葉もございませんでした。きっと人恋しいお年頃でしたでしょうに、周囲に誰も近寄れなくなって」
「彼が人を遠ざけていたんですか?」
「敢えて人払いをされると言うよりも、人の居ない場所を選ばれていたと言いましょうか。信用出来る人間が居なかったのでしょう。人を見れば怯えるような素振りをされていましたから」
「そうなんですか…」
 龍晶の言った『地獄の日々』は、他人にはそう見えていたのだろう。
 その日々の中で何があったのかはまだ聞いていない。いつか聞かされるのかも知れないが、出来るなら忘れさせてあげたいと思った。
「じゃあ、私はそこまで踏み込まない方が良いんですかねぇ。もう一つ悩んでるんです」
「何を?」
「お風呂。一緒に入ってくれないんです。一度誘ったら断られて。それ以来誘ってないんですけど」
「あらぁ」
 二人が気の毒そうに声を揃える。女同士だから出来る話だ。
「えっ、於兎さんはどうしてます?」
「うちはほら、私のお腹がこんなだから、頼まなくても心配してついて来るわよ。滑ってこけないように常に手を貸してくれるし、背中も流してくれるし。何でも言う事聞いてくれるから、鼾は許してあげてるの。今の所はね」
「於兎さんそれ、後宮に引越したら桧釐さんがっかりしますよ。大丈夫ですか?」
「がっかりさせておけば良いのよ。私が居る有難みをしっかり噛み締めて貰わないと」
「はあぁ、流石ですねぇ」
「でしょ?華耶ちゃんも私を見習った方が良いわよ。甘えさせるばっかりじゃ付け上がるから」
「於兎さんのように有難みのある存在じゃないですから、私」
「何言ってるのよ。お母さん代わりまでしてあげてるのに。背中くらい流させてやらなきゃ割に合わないわよ。もう一回誘ってみたら良いわよ。今度はきっと上手くいくわ。最初は恥ずかしがってたのよ、きっと」
「そっかぁ。そうですかねぇ」
「そうよ。今は歩くのも不自由なんだし、何とでも理由付けて一緒に入れば良いのよ」
「はい。やってみます」
「結果報告、楽しみにしてるわ」
「はい。待ってて下さいね」
「さて、次のお悩みは?」
 問われて、華耶はううんと上目遣いになって考え、明朗に答えた。
「あとは、好き過ぎて困るくらいです!」
 於兎は自分の頬を両手で押さえながら、まあー!と黄色い声を上げた。
「もう、華耶ちゃんたらぁ。朔夜が聞いたら妬くわよぉ!?」
「えへ。そうですかね?」
「そうよ、朔夜ったら…あ」
 於兎が言葉を切らしたのは、その目前に本人の姿があったからだ。
「うわぁ、俺の噂話してる…」
 その声に華耶は曇りの無い笑顔で振り返った。
「朔夜!お菓子食べて!作ったの」
 今日は直接口に入れられる事なく、籠ごと差し出された中から自分で摘んで取った。
「どうしたの。女の園で迷子?」
 皮肉の込もった於兎の言葉に顔を顰めながら、菓子を口に放りつつ答えた。
「龍晶が、華耶の話し相手して来いって言うから。後宮に入るのもお前なら別に良いって言われたし。でも於兎が居るなら俺、来なくて良かったな」
「何言ってんのよ。本当は愛しの華耶ちゃんに会いたくて仕方ない癖に」
「そういう言い方するなよ。他人が聞いたら誤解する」
「あら、面白くない。ちょっと前まで、そんなんじゃないーっ!って顔を赤くしてたのに」
「俺ももうそこまで子供じゃないんですぅ」
 生意気な言い方をして、味わう事も忘れて次の菓子を手に取っている。
「ふーん。じゃあ、お酒飲んで管を巻いてたっていうのは大人になった証かしら?燕雷から聞いたわよ」
 思わず朔夜は噴いた。
 構わず於兎は燕雷からの情報を披露する。
「燕雷の飲んでた酒を横取りして、不味い不味いって言いながらがぶ飲みして、たまたま通りかかった宗温に絡んでたってね。覚えてる?」
「えっ…とー…」
 実際、記憶は飛んでいる。それよりどう答えれば於兎が黙っていてくれるか、それを考えていた。
 が、勿論黙っていてくれる人ではない。
「忘れたなら教えてあげる。あんた宗温に、華耶と龍晶をくっつけたのは俺なのに、二人とも俺の事相手してくれないーって泣きついてたそうよ。どう思う華耶ちゃん」
「え?」
 急に振られて華耶はええと、と考える。
「朔夜もお酒飲めるようになったんだなーって」
「いや、初めて飲んだ。不味かったし、もう飲まない」
「燕雷はあいつに酒は飲ませられない、面倒臭過ぎてって言ってたわよ。て言うか、そこなの?」
「もう良いだろ…本人の前でする話じゃないし…」
「何言ってんの。華耶ちゃんに聞かせなきゃ面白くないじゃない」
「やめてくれー!」
 悲鳴に女達は笑う。長閑な午後のひと時である。
 一頻り笑って華耶は言った。
「寂しい思いさせてごめんね。朔夜には感謝してるんだよ。こんなに素晴らしい日々を送らせてくれて、ほんとにありがとう」
「いや、その、それなら良かった…」
 もじもじしながら朔夜が返す。
「で、あいつはその…大丈夫かな。華耶が悲しむような事してない?そんな事があったら、俺が殴っておくから」
「そんな事したら朔夜、牢屋に入れられてしまうよ」
「大丈夫。俺は何もしなくても、しょっちゅう牢屋に入れられてたから」
 それはまた別の話だ。
「朔夜、彼のお仕事は大丈夫そう?」
 牢屋の話で華耶は思い出し、朔夜に確認した。
「ん?いつものように桧釐と喧嘩してたけど、大丈夫なんじゃない?」
 その場から摘み出された朔夜の答えは投げ槍気味だ。
「何?また何の口論よ?」
 於兎は何も聞かされていないらしい。
「私も詳しくは知らないんですけど、牢屋に入っている人たちをどうするかって事で、最近悩んでるみたいで」
「えー。新婚の奥さんにそんな物騒な相談してるの?」
「私が無理に聞き出しただけです。彼は話したくなさそうだったけど、つい気になって」
「優しいわねぇ、華耶ちゃん」
 夫の仕事どころか悩みにも髪の毛先程の興味も向けられなさそうな於兎。
「ねぇ、朔夜。私は難しい事は分からないし、口出し出来る立場でもないから…その、よろしくね?彼を、助けてあげてね」
 自分だって摘み出された立場ながら、華耶にそんな風に言われると、朔夜は頷くしかない。
「うん。俺に出来る事はやるから」
 言ってはみたが、難しいとは思う。
 牢の中に入れられているのは、朔夜が龍晶を探す際に捕らえられた地下組織の人間達だ。要するに前王を支持し、今の世を否定する連中だ。
 桧釐は当然、厳罰に処すべきだと主張している。それに龍晶は頷かない。
 奴らを処刑せずに野放しにすれば、以前のように己の命が危うくなると言うのに。
 どう考えても理は桧釐にある。誰もが頑なな王の心を理解しあぐねている。
 朔夜も、今回ばかりは味方できない。
「さてと、そろそろお開きにしましょうか。二人きりで話したい事もあるでしょうから」
 於兎は言って、よいしょと重い腹を抱えて立ち上がった。
 そのまま、動きが止まった。
「於兎さん?」
 華耶が心配そうに呼ぶ。
「…れる」
「え?」
「産まれる!」
「ええっ!?」
 そこからは大騒ぎとなった。十和が大声で周囲の女官を呼び集め、医師が呼ばれ、産婆が呼ばれ、於兎は担がれて運ばれた。
「朔夜、お願い。お父さん二人を呼んできて!」
 華耶に言われて咄嗟に頷いて、走り出しながらその意味を考えた。
 桧釐は判る。もう一人。
 あれ?あいつ、もう父親になるのか。
 今更ながらその事実に驚いて、いまだに餓鬼ガキ言い合っている自分達に苦笑いした。

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