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月の蘇る
  9
 朔夜は彫り跡荒々しい岩天井の向こう、これから敵となる人物達を睨んだ。
 あまり油を売っては居られない。龍晶の場所を急ぎ掴む必要がある。
 そして隅の暗がりに身を寄せ合う子らに問うた。
「お前達、ここから出て行く当てはあるか」
 怯え首を竦める者と、首を横に振る者が大半だった。
 行く当てが無いという意思表示ではない。子供の一人が震え声で言った。
「駄目だよ。出たら殺されるんだよ。昨日も一人…」
 言い澱んで最後は言葉にならなかった。
 彼らが怯えている理由に朔夜は納得した。
「そうか。悪いな。俺は上の奴らより恐ろしい悪魔だが、お前達の味方だ」
 きょとんと目を大きくする子らに不敵な笑みを見せて、真顔に直り告げた。
「俺がここを破ったら、真っ直ぐに王城に逃げ込め。市中に居る兵隊を頼っても良い。悪いようにはならない。俺は先を急ぐから面倒は見てやれないけど、宗温という人を頼ると良い。国軍を指揮する、優しい兄ちゃんだから」
 何も告げずとも宗温は事態を察してくれるだろう。
 戸惑いつつも希望を見た子供らの目を認めて、朔夜は再び上を見上げた。
 階段を登る。
「無駄だ。下からは開かねぇ」
 煙管を咥えた男の忠告は無視して、扉に手をかける。
 数秒後、閃光と共に木の扉がぼろぼろと崩れ去った。
 朔夜は地上階にひらりと跳び出た。代わりにそこで見張りをしていた男を階段下へ突き落とした。男は岩の階段を転がり落ち、頭を打って動かなくなった。
「なんだてめぇは!?」
 やくざ者らしい男達が物音に反応して駆け付けてきた。手に太刀や棍棒を持って、たちまち朔夜を取り囲む。
 涼しい顔で朔夜は問うた。
「ここの責任者は誰?」
 言いながら足でぱんぱんと地を踏む。表向きの商家の主人ではなく、闇商売で稼ぐ悪の親玉に用がある。
 問答無用とばかりに太刀を持った大男が飛び掛かってきた。朔夜は振りの大きい男の懐に楽に潜り込み、素手と見えた手で腹を斬り裂いていた。
 男が倒れた場所に、掌から少し出るばかりの刃を両手に持つ少年が現れる。
 刃を逆手に持ち、顔前に構えて、鋭い碧眼で周囲の男を睨み回した。
「やる?どうぞ、何処からでも」
 挑発に乗った者の首へ手刀の如く刃を投げ、その反対側の男も同じく胸元に刃を突き立てながら、最初に倒した男の得物を足で蹴り上げその手に収めた。
 己の身長程もある太刀だが、難なく操り大男を薙ぎ払う。
 だが屋内戦で長い得物は不便だ。敵に囲まれながら横に走り、板戸を蹴破って中庭らしき空間へと出た。
 そこで新手にまた囲まれる。が、笑みが赤い唇を吊り上げた。
「良いね、こういうの。久しぶりだ」
 不満が一つあるなら手に馴染む相棒を使ってやりたかったが、その双剣は目立つので宗温の元で留守番している。
 そんな思いを抱いている間にも刃が襲ってくる。刃は身を躱した先の庭木を噛んで持ち主を狼狽させ、枝の間から太刀がその腹を突いた。
 敵に突き立った太刀を身限り、朔夜は再び手ぶらで敵を迎えた。
 筋骨隆々の男の棍棒を紙一重の所で躱す。当たれば骨が粉々に砕けそうな一撃だ。
 見立て通り、棍棒は間が悪くその場に居た小男の頭蓋を叩き割った。
「すげぇ」
 呑気に感想を漏らしながら、朔夜は背後に回った。どうするかと考えながら横目に窺うと、他の敵は間合いを開けて身の安全を確保しながら観戦の構えだ。
 棍棒が横から襲ってくる。朔夜は跳んだ。
 飛んだ、と表記した方が良いくらいの跳躍で庭木の枝へと留まった。
「どうすっかな」
 悪くも可愛らしい笑顔で小首を傾げる。
 干戈乱れる戦場を駆け抜けてきたお陰で、こういう敵と当たった事が無い。
「降りてきやがれ!」
 筋肉男は苛立ち紛れに庭木へ棍棒を振り下ろした。
 そこまでひ弱には見えない幹が、めきりと音をたてて傾いた。
 朔夜はまた跳んでいた。跳びながら身にいくつか仕込んでいたあの掌大の刃を投げた。
 その刃は誤たず大男の片目を刺した。
 痛みの咆哮を上げ暴れ回る棍棒を片目に、朔夜が降り立ったのは傍観を決めた男達の前だった。
 突然目の前に文字通り降り掛かった災難に慌てる男の首元を掻き切り、硬直する前に手から得物を頂く。
 これまた無駄に大きく長い刀だが、これが欲しかった。
 横の敵を薙ぎ払い、はっと振り向いた時には庇が破壊された。
 棍棒が建物も味方も関係無く振り下ろされていく。
「ぶっ殺してやる!!」
 呪いの咆哮を上げて襲いかかってくる大男の胸目掛けて朔夜は飛び込んだ。
 長い刀の切っ先が胸に吸い込まれる。
 棍棒が背後に落ちた。
 空になった手が、銀髪もろともに細い首を掴む。
 末期の馬鹿力が首の骨を折るーー誰もがそう思った時。
 その手が粉々の肉片となって散った。
 朔夜は魔手から逃れると、流石に膝を折って咳を繰り返した。
 酸素が不足し涙目になりながらも、素早く辺りを窺う。
 敵は誰もが動きを止めていた。紙のような白い顔を晒して、今見た事を受け止め切れずに居る。
 時間差で大男が斃れた。その地響きが彼らの正気を呼び戻した。
 引く潮の如く、やくざ者達が逃げ始めた。
 中には「悪魔だ!月夜の悪魔だ!」と泣き声を上げながら走る者も居る。
 こんな所にまで悪名が届いていたのかと、うんざりした気分で見送る目を一箇所に止めた。
 二階の廻廊で狼狽する初老の男だが、走り去る連中を何とか宥め止めようと声を上げている。
「待て!逃げるな!お前達にいくら金をやったと思って…!」
 足を止める者は居ない。その代わり、突如として現れた者に男は凍えついた。
 今の今まで廻廊の下に見下ろしていた銀髪の少年が、いつの間にか目の前に居る。
 それが一瞬動いたかと思う間に、胸倉を掴まれ首筋に刃を当てられる格好となった。
「ちょっと訊きたいんだけどさ」
 まるで道でも尋ねるかのように少年は口を開いた。
「同じように子供を拐かしたり薬をやったりして稼いでる場所があるだろ?知ってる限り教えてくれねぇかな」

「一体どういう事だ!この二日で拠点が次々に潰されている!」
 壁を隔てた向こうから怒鳴り声が聞こえる。
「どうやら国軍に目を付けられたようで…」
 何とか宥めようとする声が逆効果となり更に激昂させた。
「国軍だと!?奴らは国軍気取りの逆賊共だ!ええい、忌々しい…あんな奴らに負けるとは…」
「しかし、実際に手を下しているのは軍というよりも…月夜の悪魔だと話す者が居まして…」
「悪魔だと?」
「はい、繍で噂となった月夜の悪魔です。見た目には銀髪の子供だが、見えざる刃で次々と人を殺していくと…」
 怒鳴り散らしていた声が静まった。何か考えているらしい。
 ややあって、かなり近付いた場所でその声が言った。
「それが本当だとしたら、あの話も本当かも知れん」
「ご覧になりますか」
「ああ。連れて来い。本物ならばこの目が見間違える筈は無い」
 扉が開き、光の筋が差した。
「何だろ」
 同室の少年が目を丸くして呟く。
 「何か」はもう龍晶には判りきっていた。
 予想通り、入ってきた二人の男は目の前に立った。
「来い」
 命じながらも、既にこの体が自力では立てない事を知る二人は手荒く腕を掴み引きずり立たせた。
「どうする気なんだよ!?待て!」
 少年が大人達に食ってかかるが、片手で突き飛ばされて壁に背を強かに打ち付けた。
 龍晶は座り込む少年に視線のみを送り、僅かに頭を下げた。彼は悔しそうに見送った。
 後で改めて礼を言おうと思った。後があれば、だが。
 扉を潜り、数歩も行かぬうちに腕を解かれた。成す術もなくその場に崩れ落ちる。
 息をつく間も無く、髪を掴まれ頭を持ち上げられた。
 その視界に入ってきた顔。
 先刻まで怒鳴り散らしていた声の主。
「死に損ないましたな、龍晶殿下」
 藩庸は嫌な笑みで口元を歪ませてそう言った。
「お前もな」
 声になるかどうかの呼気で龍晶は言い返した。
「では…本物なので…!?」
 その場に居た男達が驚きの声を上げる。
 藩庸は頷き、龍晶に言った。
「王となる者がこのような体たらくだと知れば、民はさぞや失望するでしょうな。何の為に命懸けで乱を起こしたのやら」
 返す言葉も無い。何より目を背けたい事実を、この世の誰よりも憎い男に言われて、これ以上無い恥辱に身が震えた。
「ま、あんたに王は無理だ」
 急にぞんざいな言い方になって、藩庸は足を上げた。
 その足で、以前仕えた王子の頭を踏みにじる。
「あんたを祭り上げた連中には言ったのか?私にはタマがありませんって。世継ぎも作れねぇ出来損ないの王なんざ、この国の誰も歓迎しないでしょうよ。それをきちんと民に説明した方が良いが、臆病で卑怯なあんたの代わりに私らがやりましょうか?」
 馬鹿にする口調に周りの男達が笑う。
 掴まれていた髪を放されて、床に頭を打ちつけ、視界は再び闇となった。
 声だけが聞こえる。己の存在を否定する笑い声が。
 気が遠くなった。
「さて、憂さ晴らしはともかくだ。舟はまだ着かんのか」
 藩庸が周囲の部下に訊いた。
「もう着く時間ですが」
「そうか、俺はこいつと共に南部に向かう。流石にこれ以上都に居れば悪魔の祟りが怖いからな。反乱に加わった南部の田舎民共に、待望の王の実態を伝えてやるのも悪くなかろう」
 頭を藩庸の足で小突かれながら、僅かな意識で龍晶はその言葉を考えた。
 朔夜が来る。
 俺を探して。
「舟が来ました!」
 走り寄る足音と共に歓喜の声が響いた。
「よし!こいつを運べ!餓鬼どもは後で良い。乗せ切れなければ川に沈めろ。ここも潰される前に証拠は全部川に流せ!」
 足音が一気に慌しくなる。
 もう動かぬと分かっているだろうに、手足を縄で巻かれ、持ち上げられ運ばれる。
 閉じ込められていた地下牢を過ぎると、更に階段を下り、そこに水面が現れた。
 運河に接する場所らしい。それぞれの建物に船着場が作られているのだ。
 まるで荷のように舟に積まれる。上から藁をかけられる。目隠しだろう。
 子供達の泣き声。それを叱り飛ばす声。
 黙れ、静かにしろ、騒ぐ奴から殺すぞーー
 礼を言わねばならぬ彼はどうなっただろう。
 せめて、己の命に代えてでも彼に報いたい。
 自分は死んでも、彼はこの先を生きねばならないのだから。
「満員だ!後は殺せ!」
 恐ろしい一言に、思わず首を上げた。
 阿鼻叫喚の光景に、彼を見つけた。
 死を待つ列の中に。
「やめろ!」
 体が勝手に動いていた。
 縛られた縄は手抜きをしていたらしく、結び目は緩く自然と解けた。
 刃を振り上げた男に体当たりし、子供達から凶刃を逸らした。
 龍晶は刀を奪おうと夢中で相手の腕にしがみ付いた。
 そのまま縺れあった末、他の男達が体を引き剥がした。
「ったく、死にかけのくせしやがって!」
 五体を掴まれた龍晶に唾を吐き掛け、改めて男は子供らを殺そうと刀を掴み直した。
 騒動の間に逃げ惑い散らばった子供らの中で、あの少年が唯一、男に真っ直ぐに向き合っていた。
「やるなら俺からだ!他の子には手は出させねぇ!」
 子供達を庇うように立ちはだかる彼に、抵抗する術などあろう筈が無い。
 やめろ、と龍晶は上げれぬ声で叫んだ。
 兄が死んだ、あの時のように。
 その時。
 銀の風が疾った。
 刀を振り上げた筈の男はそのままの態勢で後ろに倒れた。
 遅れて首から吹き出た血飛沫が、子供達に悲鳴を上げさせた。
「…朔夜」
 夢のように呟く。
 その瞬間、自分を掴んでいた男達が身を舟に投げ入れた。
「出せ!早く!!」
 藩庸の悲鳴じみた命令で、舟は水面を滑り出した。
 岸ではまだ朔夜が残った男達を片付けている。
「漕げ!早く!離れるんだ!」
 狂ったように藩庸が怒鳴る。
 ようやく残党を片付けた朔夜の目が舟に向いた。
 朔夜は一旦双剣を鞘に収めると、迷わず水へと飛び込んだ。
 速い。泳ぎまでこんなに速いとは知らなかった。
 みるみるうちに人力で漕ぐ舟へと近付く。
「突け!突き殺せ!」
 闇雲に刀が水面へと突き出される。
 それをすんでの所で躱しながら、朔夜は舟べりへ手を伸ばそうとした。
 そこを狙われる。
 龍晶は咄嗟に朔夜を斬ろうとする男へ飛び掛かった。
 振り向いた男の刀が胸を斬ったのかも知れない。が、そんな事に構っておられず、ぶつかった男と共に水中へと落ちた。
「龍晶!」
「何やってる!掬え!掬えぇ!」
 舟は速度を緩める事は出来ず、落ちた龍晶を掬い上げる事など出来なかった。
 朔夜は落ちてゆく龍晶を追って潜った。
 息を吸う間も惜しんで潜った為に、息苦しさが存外早く襲ってきた。
 しかも龍晶は気を失っているのか、浮かぶ事なく沈んでゆく。しかも胸から血の筋が流れてくる。
 やっと、伸ばした手が黒髪を掴んだ。
 引き上げ、体を抱いて、今度は水面目指して浮き上がる。
 もう少しで空気に触れられるという時、水中を掻く腕を刃が襲った。
 咄嗟に水を蹴って離れる。手首から血の華が咲き、水面に散った。
 やっと水上に頭を出した。そこへまた刃が振り降ろされた。
「死ね!悪魔め!」
 龍晶が水中に突き落とした相手だ。朔夜は足りぬ息のまま再び潜った。
 水中で動きの鈍った刃を片手で掴む。
 掌からまた血が水へ溶ける。刃を封じたまま、朔夜は相手を睨んだ。
 その相手の首が、消し飛んだ。
 頭を失った首から噴水のように血が噴き上げる。たちまち水面は赤く澱んだ。
 その水面に顔を出して、ようやっと空気を胸に入れて咳き込みながら友の顔を確認した。
 色という色が洗い落とされたかのような白い顔。
「おい…死ぬな…死ぬなよ!龍晶!」
 やっと吸えた息を、友の唇へと押し込む。
 それを水上で何度も繰り返して。
 戻ってきた微かな息吹を聞いた。
 うっすらと目を開く。
 白い唇が、少し笑った。
「龍晶…ごめん、待たせて」
 その言葉を聞くや否や、またこくりと首を折って気を失ってしまった。
 友をしっかりと抱きながら、朔夜は岸へと泳いだ。
 やっぱり無理らしい。
 こいつから離れるなんて、そんな事。望める訳が無い。

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