月の蘇る 9 佐亥の遺体は厩の側へ葬った。 龍晶がそう希望した。他の遺体は共同墓地を作ったが、佐亥だけはどうしてもここに眠らせて欲しい、と。 埋葬を祥朗と見守る。 まだ己の足で立つ事すら出来ない、それどころか食が細く日に日に弱っていく龍晶を、朔夜は支え立っていた。 祥朗はずっと泣いていた。兄はその様を辛そうに見ていた。 佐亥が殺されたのは、城内ではなく避難していた村での事だったようだ。連れて行かれる祥朗を何とか取り戻そうと抵抗し殺されたらしい。 それを伝えたのは祥朗自身で、その記憶を全て書き留めて龍晶に読ませた。 互いに辛かっただろうが、真実は知らさねばならないと祥朗は考えたのだろう。 出来た真新しい墓の前で、龍晶は膝を付いて座り、頭を下げた。 日が傾こうかという程長い時間、そうしていた。 傍らに祥朗が立ち尽くしていた。 夕焼けの中のその光景が、やけに朔夜の脳裡に焼き付いて離れなかった。 都の混乱は少なかった。 桧釐らのお陰で統制が取れていた事もあるだろうが、何より反乱軍を構成する大部分が農民であった事が大きい。 都に長逗留する暇など無く、明日の糧を手に入れる為にさっさと郷里に帰っていった。 次の世が良いものとなると信じているから、おかしな真似はせずとも良いとそう考えているのだ。 桧釐が龍晶らの前に顔を出したのは、そんな混乱も鎮まりだした頃の事だった。 とは言え、騒動からまだ三日と経っていない。 だが何より先に確かめるべき主君の無事をここまで先延ばしにして放っておいたのは、桧釐の怒りがまだ収まっていないからだろうと、それは朔夜でも想像出来た。 のそっと覗いた不機嫌な顔を見て、やっぱりなという気になる。 「ご機嫌如何ですか、龍晶様」 それを問いたいのはこっちなのだが、答えは既に顔に書かれているのでやめておく。 尤も龍晶その人は、そんな事はどうでも良いだろう。絶望の縁を見続け、従兄の顔など目に入らない。 桧釐は寝台に横たわったまま動かない主君を見て溜息を漏らし、横に居る朔夜に問うた。 「ずっとこうなのか?」 「仕方ないだろ」 朔夜はそれだけ言って、その仕方ない理由までは言わなかった。 桧釐はまた盛大に溜息を漏らし、無駄に声を大きくして龍晶に告げた。 「ゆっくりお休みになって下さいと言いたいのは山々なんですがね、こちらだけじゃ処理できない問題もあるんですよ。ちょっと話を聞いて貰えます?亡くなった王の事なんですがね?」 最後の言葉に反応し、それでも億劫そうに桧釐へと目を向ける。 それだけで十分とばかりに桧釐は話を続けた。 「葬儀をどうするかで揉めてるんですよ。宗温なんかはね、それでも王として葬ろうと言ってるんですがね。俺はそこまでする必要があるとも思えない。金もかかるし、そんな時間も無いでしょ?何より、この反乱軍に加わってくれた民が落胆する。殿下はどう思います?殿下の一声があれば即座に決まる問題だと思うんですがね?」 龍晶は答えず、目を閉じた。 「殿下、龍晶様、逃げないで下さいよ。次の施政者はあなただ」 黙っていられなくなって、思わず朔夜は口を挟んだ。 「それは酷だよ桧釐。そんな事決めさせられないよ。まだその兄貴の死も受け入れられないんだから」 「はぁ?まだそんな事言ってるんですか」 「まだ…って、お前…。お前のが言ってる事おかしいよ。肉親だぞ?悲しくない訳無いだろ」 他人事ながら朔夜も抑えきれぬ怒りが湧いて喧嘩腰になってしまう。 思わず立ち上がったが、龍晶の手がすっと出て朔夜を止めた。 「…良い、朔夜。悪いのは俺だ。何も言うな」 掠れた声でそう言われては、頭に登った血も下ろさざるを得ない。 「桧釐…兄は必要最低限の儀式で、しかし王として埋葬してくれ。喧伝する必要は無いが、都の民にはその事が伝わるようにしろ。父が亡くなった時と同じく我々も都の者も喪に服す。それで良いだろう」 龍晶の決定に桧釐は苦虫を噛み潰したような顔で反論した。 「王として葬るのですか?都の外の者は納得しませんぞ」 「ああ。でもいずれ分かってくれる。問題は都の中で兄を王と崇めていた連中だ。彼らが納得せねば、この反乱も成功とは言えない」 「そんな連中、もう放っておけば良いでしょう。どうせあなたの世には必要無い連中だ」 「桧釐」 龍晶は辛そうな目を従兄に向けた。 「戔に次の世は来ない。来るのは全く別の、或いは国とも言えない何かかも知れない。俺は戔を滅ぼす」 「…はい?」 「お前達次第だが、他の国が占領するかも知れない。とにかく俺には国を治める事は出来ない。出来たとしても…ほんの数年の事だ。少なくとも次の代は来ない」 「また…弱気を仰る。しっかりして下さい。これからですよ、あなたが世を作るのは」 龍晶はまた虚ろな顔付きに戻って首を横に振った。 朔夜は堪らず問うてしまった。 「それは、お前が…跡継ぎを作れないから?」 「え?」 桧釐が困惑した表情で朔夜を見、表情の無い従弟を見遣った。 全ての感情を無くしてしまった声音で、龍晶は淡々と説明した。 「俺を牢から出す条件だったそうだ。皇太后が発案したらしい。絶対に王となれない身体にすれば生かしてやると…。おばば様も頷くしか無かったそうだ。そうでなければ、母と共に処刑されていた。だが逆を言えば、その不要なものを切り落としたからこそ、母も生かされたと…俺はそう思っている」 「そんな」 絶句しながらも、様々な事に合点がいく。 龍晶がずっと王となる事に消極的だった理由も、女に対して乾いた態度しか取れない理由も。不死になりたいと言ってきた事も。 母親は生きていると、頑ななまでに信じてきた理由も。 「本当にこんな事になるとも思って無かったから…今まで考えないできたが…。もう戔という国を続ける事は出来ない。俺も長くは持たないから、この国も持ってあと数年だ」 「いえ、龍晶様」 一転して力強く、励ますように桧釐は言った。 「大丈夫です。養子を取りましょう。それで良いでしょ?」 訝しげに龍晶は従兄を見上げる。 「養子って…誰を」 「俺の子です」 ええっ、と二人の声が重なった。 暫し妙な間が開いて。 「いや桧釐、まだ無いもので軽々しくそんな約束をするな。もっと現実的にだな…」 「あー、残念でした。現実なんだなぁ、これが」 いきなりヘラヘラと笑い出す。 「おい、狂ったか桧釐」 「酷いなぁ。狂っちゃいませんよ。いや、確かに狂っちゃいますよ。俺もこんな事になるとは思ってなかった」 「居るのか…子供?」 朔夜の問いに、満面の笑みで頷いて、照れながら答える。 「まだ腹の中ですけどね。もう三ヶ月くらいで現実になりますよ」 「誰の腹の中だ!?」 二人の問いがまた重なった。 この笑みが、それが嘘ではないと物語っている。尤も嘘でもこんな事は言えない。 「隠しても無駄だから白状しますけどね。於兎ですよ」 本物の絶句。 耳を疑うとはこういう時の事を言うのだろう。 二人同じ気分で顔を見合わせる。 「危険だから北州に置いてきましたけどね。今のうちにこちらに呼び寄せましょうか。今ならまだ動かしても良いでしょ?俺も妊婦とか赤子の事はよく知りませんけど」 開いた口を何とかしようと朔夜は訊いた。 「その、えっと…於兎の事、好きなんだ?」 直球が思い切り顔面に当たって、ぶはっと桧釐は吹き出す。 「子供かてめーは」 龍晶も苦笑いしながら言って、思い直す。 「ああ、子供だった。そうだった」 「同い年っ!!」 「精神年齢だばーか」 お互いに十分子供の会話をしている。 とりあえずそのくらいには元気が出てきた。 「あー良かった。龍晶様が笑ってくれて」 「はぁ?笑ってないし、まさか冗談だったなんて言うのか?」 「いやいや、嘘じゃありませんよ。ま、良いでしょ?めでたい話の一つくらいあっても」 「爆弾発言過ぎて調子が狂った。全く」 頭を掻いて、そして真顔になって言った。 「まあ…俺の事は後回しで良い。今は先の事なんかまだ考えるべき時じゃない。それより仕事を持って来てくれ。何かしないと民に申し訳ないし、気を紛らわす物が欲しい」 「そういう事なら、目を通して頂きたいものは山ほど有りますよ。ただ、あなたは仕事を与える方の人ですからね?その点自覚持って下さいよ?」 「まあ…そのうちな」 桧釐は、とりあえず今はお休みくださいと言い残し、小声で朔夜を誘って外に出た。 扉を閉め、更に声を聞かれぬよう少し移動して。 「どうした?」 朔夜が問い、桧釐はやっと足を止めて口を開いた。 「実はもう一つ…本当はあの人に言わねばならない事があるんだが」 朔夜は首を傾げて先を促す。 龍晶に言わねばならないが、直接言う事を躊躇する事。 「城に残った者達の検分を今している所なんだが、牢屋番がな…かつて朱華様の世話をしていたと言い出して…居場所も知っている、と…」 「あいつの母さんの!?」 桧釐は頷き、難しい顔を朔夜に向けた。 「どう思う?言っても良いと思うか?」 「それは…お前…」 言うべきだろ、と続けられなかったのは、桧釐が迷う理由にやっと気付いたから。 「耐えられないなら、隠しておくのも手だとも思ってな」 「ううん…」 腕を組んで、考えて。 「とりあえず…助けに行く必要があるんじゃないか?牢屋の中のままって訳にもいかないし」 「そうか。それもそうだな。俺達だけで見に行って…話はそれからだな」 「本当に死んじゃってるの?」 桧釐の言葉の節々に確定事項のような言い回しが入るのが気になった。 否、それは確かに確定ではあるのだろう。だが、朔夜も不思議と自分の目で見るまでは信じたくない心持ちになっている。 友がまた落胆する様を見たくない。 それも、今度は本当に立ち直れないかも知れない。 今やっと、少し前を向けそうになった所なのに。 同じような事を桧釐も感じてはいるのだろう。朔夜の問いには答えなかった。 「行くか」 振り向くと同時に、さっと動く人影があった。 「あ…祥朗!」 逃げるように龍晶の元へと走っていく。 使いに出ていたところだったが、丁度帰ってきたのだろう。 「聞いてたか」 「みたいだね」 「あの子にとっても親みたいなもんだろ、朱華様は…」 目を見合わせて、朔夜は元居た部屋に戻る事にした。 もう誤魔化しようがないのは覚悟した。 恐る恐る、扉を開ける。 何をどう言うべきか、考えは何も無かった。 二人の刺さるような視線を受けると、尚更。 気まずく、朔夜はそこに佇んだ。 問われたら答えるより無いが、自分からは口に出来なかった。 龍晶はそんな朔夜に一つ溜息を見せて、投げ気味に言ってやった。 「入れば?」 うん、と頷いて扉を閉める。 諦めて枕元へと戻った。 「朔夜、頼みがあるんだが」 「え?あ、うん」 思ってもみない切り出し方で、頭が追い付かない。 「祥朗に貧民街の様子を見に行って貰おうと思う。だがまだ都は安全とは言い難い。供をして貰えるか?」 ぱちぱちと瞬きして、やっと言われた事を咀嚼して。 全部思い過ごしだったようだ。 「あ…それは、勿論。俺も気になってたし」 声が上ずっているがそれを指摘される事は無かった。 「頼む」 言葉少なに話を切り上げて、龍晶は目を閉じた。 その向こうで、祥朗が僅かに動いた側から音がした。 くしゃりと、紙を丸める音。 思わずじっと彼を見てしまって。 目が赤くなっている事に気付いて、何とも言えない後悔の苦みが脳裏に広がった。 祥朗は聞いていた。そして知っている。それを、あの短時間で龍晶に伝え切れたかどうか。 紙に書くのが精一杯だったか、それを龍晶が見ていたか。 龍晶は知っていて、朔夜らの意図を読んで知らない振りをしているのか。 いずれにせよ、こちらからは何も言えない。 「祥朗、行くか?」 朔夜は問うた。彼はこくりと頷いた。 城の外は嘘のように平穏だった。 目立つ所はそう見えるだけで、その実はまだ混沌としているのだろう。だが、昼間の大通りを行くと今までの事が夢のようにも思える。 朔夜は祥朗と歩きながら、例の事がどうしても気になって訊かずにはおれなかった。 「聞こえたか?俺達の話が」 祥朗は頷いた。 「…龍晶に、伝えた?」 首を縦にも横にも振らず、下を向いて歩くだけ。 「そっか。悪いなぁ。お前も散々辛い思いしてるのに」 意外そうな目を向けられて、朔夜は微笑を向けた。 「兄貴を支えようと頑張らなくて良いよ。それは俺の役目。お前はあいつに思い切り甘えろよ?その方が嬉しいだろ、あいつも」 なんだか不満そうに唇を尖らせる。 朔夜は慌てて言い直した。 「悪い、別に子供扱いしてる訳じゃないんだ。ただ、龍晶もお前も、無理してる姿を見るのは辛いから…」 上手く言えなくて一度口を閉じ、考えても伝えられるのは結局自分の事だけだと気付いた。 「俺はちゃんと悲しむ事も出来なかったから悪魔になったんだ。多分、龍晶の兄貴だってそうだよ。親の死を…例え自分が殺したんだとしても…その整理を自分の中で出来なきゃ、人間壊れてしまうんだ」 驚いて見上げる目に、苦笑いして悪いと謝り、そして言いたかった事を纏めた。 「悲しい時は泣かなきゃいけない。気が済むまで悲しまなきゃいけないんだよ。じゃないとずっと辛いままだから」 祥朗はまた下を向いて、小さく頷いた。 朔夜は上を向いて息を吐く。 喪失感を埋めるものが、楽しく幸せなものであれば良い。この不幸な少年には特にそう願う。 自分に何が出来る訳でもないが。 だが、祥朗にとって楽しい事は、龍晶にとっても癒やしになる筈だ。 何か無いかなと考える。 程なくして諦めた。自分にそういう経験が無さ過ぎる。 貧民街が見えてきた。 家とも言えない家が立ち並ぶ元の姿を知っているが、今は更に悪くなっている。 瓦礫の山ーー黒く焦げた何かが並ぶだけの空間。 ここで何があったか、嫌でも分かった。 思わず足を止めてしまう。 焼かれたのは最近の事では無さそうだ。ただ、処理する者が居ないから放置されているだけで。 ふと、祥朗が走り出した。 慌てて追う。そして彼が目指す先が分かった。 瓦礫の向こうに、見覚えのある顔があった。 [*前へ][次へ#] [戻る] |