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月の蘇る
  7
 峠道から都を見下ろす。
 広々とした平野に、一見整えられた街並み。
 誰もが繁栄を謳歌しそれを当然として疑わない、その同じ町で貧困と差別、命の危機という苦渋を舐め続けざるを得ない人が居る。
 その混沌から隔絶されたような、高い塀の向こうの王城。
 そこに生まれ育った彼は、何を思うのだろう。
 その壁の向こうに、何を求めて。
 何も言わぬまま、龍晶は馬腹を蹴った。
 表情も言葉も無くなってしまった。何かに操られるかのようにただ、進む。
 逃げたい気持ちを押し殺しているのだと、朔夜には痛い程分かる。が、もう止める気にはならない。
 手段は前に行くのみ。そして守り通すと決めた。
 山を降り、都の街並みへと入る。
 人は疎らだ。平素の姿ではないのは明らかだ。
 人々は戦の予感を既に感じ取っているのだろう。荷を抱えた人々の姿もある。戦火から逃げるのだ。
 家の中で息を潜める気配。一方で、論争や喧嘩をする男達の一群も見られた。
 皆、気が立っている。今から何が起こるのか想像が出来ず。
 そして、矢鱈と目につくのは軍人の姿だ。
 威嚇するかのような目付きで歩き回る。誰もが一目見るなり道の端に寄って目を合わさぬようやり過ごす。
 少しでも逆らえば刃を振りかざすのだろう。奴らに怯えるから人影が無いのだ。
 二人は目を付けられぬよう下馬して道を歩いた。向こうもまさか敵の本丸がたった二騎でこんな場所に居るとは思わぬだろう。最初は何事も無かった。
 が、いよいよ城に近付くとそうはいかなくなる。
 城の塀が見える所まで来て、一段と増えた兵の一人に呼び止められた。
「待て」
 朔夜は龍晶に目配せしてその意を伺った。
 強行突破するつもりで刀に手を伸ばす。
 龍晶は朔夜に向け、掌を口元まで上げて見せた。その向こうで唇が待てと言葉をなぞる。
 若干の不満もあるが、朔夜はその意に従う事にした。が、いつでも刀は抜ける。
 龍晶は兵に向き直り、毅然として言った。
「俺は王弟龍晶だ。陛下に話がある。王宮へ連れて行け」
 兵は顔を顰めた。そして顔を覗き込むようにして訊いた。
「本物か?」
 龍晶は鼻で笑った。
「試してみれば良いだろ。城の奴らがどんな反応をするか」
 困惑顔の兵は待てと一言言い残し、近くに居る仲間の元へと走って行った。
 朔夜は肩を竦める。
「随分のんびりしてるね」
「そりゃそうだろ。まさか俺が自らここまで来るとは思ってもないだろうし、何より城の中には危機感が何一つ無いんだろ」
「危機感って?」
「自分達が地方の平民に滅ぼされるとは考えられないんだ。舐めた話だよ」
「でも皓照が居なきゃ俺達もそう考えてた」
「…まあな」
 この城を崩すなど夢物語だった。
 それが今、ある程度の勝算を持ってここに居る。
 ただそれは、龍晶自身の勝利ではない。
 勝ちも負けも無い戦いがこれから始まろうとしている。
「俺は出来る限り刀を抜かない方が良い?」
 朔夜は確認した。
 龍晶は頷いて、頼む、と小声で言った。
 兵が連れを伴って帰ってきた。
「龍晶殿下…お待たせを致しました。城内へとお連れします」
 話の分かるらしいその兵は、二人を先導して城へと向かう。
 最初の兵と別のもう一人が監視役らしく背後から付いてきた。
 城門を潜る。
 全ての始まりと、終わるべき場所。
 一つ一つの場所、景色に思い出と、そう呼ぶには苦過ぎる記憶が詰まっている。
 ここにかつて響いていた笑い声も、染み付いた慟哭も。
 全て洗い流して良いだろうか。己が身と共に。
 この場所を民へと返す必要がある。
 もうこの血筋は要らない。
 ふと指先に体温を感じた。
 朔夜の手が触れていた。
 振り返ってその顔を見る。
 じっと注がれる視線。
 龍晶は頷いた。朔夜も頷き返した。
 気付けば二人が初めて出会ったあの場所に居る。
 苛立ち紛れに朔夜を殴り、互いの境遇を知った、あの回廊に。
 目前には扉があった。
 豪奢を極め滅亡へと向かう、その象徴のような扉が。
 その向こうに待っていたのは藩庸だった。
 龍晶の姿を一目見て、流石に驚いた顔をした。
「殿下!本物の殿下ではございませんか!てっきりどんな物好きの騙りが現れるのかと思っていたら…いやはや本物とは…」
 言いながら例の下卑た笑いを隠しもせず、朔夜にも目を向けた。
「悪魔殿がお連れ下さったのですね。いやぁ有難い。我が手下共が無能で、殿下に城へ帰って頂くだけの簡単な任務も務まりませんでなぁ。流石は悪魔殿です」
「藩庸」
 冷めた声音で龍晶は仇敵の無駄口を止めた。
「兄上に話がある」
 敢えて龍晶は陛下と呼ばなかった。
 いつもならこれで殴られる。藩庸もそれを知っている。
 嫌な笑みをますます深くして、足を動かせ始めた。
「こちらへ。殿下がお帰りになればすぐにでも連れて来いの仰せですので、お待ち頂かずともお会いになれますよ。それだけ陛下のご心痛の素であったのですよ、あなた様が」
 龍晶は何一つ表情を動かさず藩庸の後を歩く。
 朔夜もまたそれに倣ったが、これまでこの男のしてきた事を思い出せば、一言一句に腑が煮えくり返って仕方ない。
 それ以上にこの男の悪事を知る龍晶が怒りを覚えない筈は無かったが、それより王と対峙する緊張が勝っているのだろう。
 どう守れば良いのだろうと、今更ながらに不安になる。
 龍晶は勿論、王その人も生かさねば意味が無い。
 全てを滅ぼし尽くす力しか持たない自分が、どうやって生かすのか。
 なるようにしかならないと、半分は諦めている。
「しかし、殿下とも長い付き合いですが…これで見納めかも知れませぬなぁ」
 一人で喋り続けていた藩庸が、王の居室を前に言った。
 足を止め、龍晶に向き合い、しげしげと眺めて。
「先王の在位の頃は存在など無いに等しい扱いを受けた下役人が、その御子息を玩具のように弄ぶというのはなかなかに愉快でございました。尤も、このお顔は嫌いではありませんでしたなぁ。生意気な事を言う口が、泣き叫ぶ様を見るのは本当に愉悦で…」
 伸ばした手は龍晶の顔を撫で、顎を持ち上げる。
 震えた肩を横目で見、朔夜の我慢は限界に達した。
 長刀を鞘ごと藩庸の脇腹にめり込ませ、喉の下に鋒を突き付けて押し、壁へ体を追い詰める。
 太った身体が壁に当たり音を発てると同時に、周囲に居た兵の刀が朔夜へと向けられた。
 十本近い抜き身の鋒に囲まれて、朔夜は藩庸を睨み上げながら鼻で笑った。
「気色悪いんだよ、オッサン」
 鞘を藩庸から離すと、そのまま男は壁に凭れたままずり落ちた。
「こいつは陛下のものだ。傷付ける事は出来まい」
 龍晶は兵らに告げる。それを受けて朔夜はあっけらかんと言い放った。
「その前にお前らが死ぬけどな」
 刃が引かれる。
 腰の抜けた藩庸に朔夜は一瞥を落として、自ら扉を開けた。
 その瞬間、え、と。
 小さく龍晶が声を漏らした。そのまま言葉を失った。
 祥朗が手足を縛られて泣いていた。その前に。
 佐亥だった。
 どう見てもそれはもう事切れていて、その上変色しており、部屋は死臭に満ちていた。
 佐亥だけではない。他にも見覚えのあるような顔が色を失って倒れている。
 皆、死んでいる。祥朗と、もう一人を除いて。
「お前の帰りが余りにも遅いから、死体が増えたぞ」
 王が言った。
 死体を前にして、それは狂人の顔だった。
「ずっと待っていたのに。だからお前に関係を持つ人間を殺していく事にした。見ろ、良い景色だろう?人を虫けらの如く殺すのは楽しいな、悪魔殿」
 朔夜は何も答えず、龍晶の手首を横から握った。
 はっと詰まっていた息を吐き出し、蒼白の顔を向ける。
 朔夜は視線を合わさず王に向け、にやりと笑って見せた。
「そうでしょ?でも趣味が悪いよ、王サマ」
 朔夜、と小さく呼ばれた。
 手首だけを握っているのに、震えは伝わってきた。
 ここに居るのは悪魔ではないかという激しい動揺と、抑えられない恐怖。
 先刻まで確かにここに居たのは朔夜だったのに。
「悪魔殿に言われてもな。ところでどうして急に戻ってくる気になった」
「どうしてもこうしても無いよ。あんたの手下達が無能過ぎるんだよ。親切心で連れて来てやったのにそんな事言う?ま、こいつは王サマの悪趣味を止める為に来た気で居るけど」
「そうか。もう一人なんだがな。折角だ、お前の目の前で殺すとするか」
「殺さねばならぬのは俺一人でしょう!?」
 龍晶は必死に声を振り絞った。
 王は嘲笑って、涙ながらに訴える弟の様を眺める。
「どんな…どんな殺され方でも甘んじて受けます。だから、その子だけは…助けて…」
 祥朗の声が。悲しみとも怒りとも、絶望とも取れる叫び声が響く。
 ふらふらと龍晶は、死体を跨ぎながら祥朗に向かって歩み寄り、がくりと膝を落として縛られた身体を抱きしめた。
 ごめんな、と呟く。
 それが精一杯だった。
 耳元で祥朗の呼気が言葉を綴った。
 兄様と一緒に死にたい、と。
 その微かな声を塗り潰すように、王の笑い声が降って来た。
「どうして貴様なぞの望みを聞いてやる必要がある?不要な者は死に、お前はこれから俺の血肉となるだけだ。お前は俺の願いの為にその血を捧げる、これほど名誉な事があるか?喜べ!俺は今日より神となる。お前はその贄だ!」
 言われた言葉を理解するより前に、振り上げられた白刃を見て、咄嗟に祥朗を庇おうと身を翻して。
 だがそれが何もならない事も分かっていた。二人とも死ぬ。今この瞬間に。
 それが。
「あ、悪い、王サマ」
 何とも間の抜けた悪魔の声。
 それを聞いて龍晶は自分が倒れている事に気付いた。
 痛みが全身を走る。最早どこがどう痛いのかも分からない。以前に悪魔に八つ裂きにされた時のように。
「小僧だけ狙うつもりが手元が狂った。あー、早く血を飲まなきゃ死んじゃうなぁ、どうする?死んだら意味無いよ?」
 王は後ろに控える兵に怒鳴りつけた。
「運べ!早く!」
 兵達は血に塗れた龍晶の身体を持ち上げ、隣室へと運んでいった。
 それに王は付いて行く。扉の前で悪魔を振り返った。
「わざとじゃないだろうな?」
 肩を竦める。
「なんで?」
 王は意味深に笑って立ち去った。
 遠去かる音を聞いて、朔夜は背後を見る。
 武装した兵達と、相変わらず腰の抜けている藩庸と。
 朔夜は双剣を抜いた。
 兵らに歩み寄って初めて、彼らは自分達の危険に気付いたらしく刀を抜いた。
「おい…悪魔、何をする気だ」
 藩庸の言葉が引き金だった。
 目に止まらぬ動きで手前の一人の懐に潜り込み首を掻き斬って、別の兵の脇腹へと刀を滑り込ませていた。
 あとは白刃を避けながら次々と斬って捨ててゆく。この狭い廊下では相手の持つ長刀は邪魔物でしかない。自由に振り回せない分、小回りの効く短刀と小さく素早い動きに追い付けない。
 力を使う間もなくそこに居た兵は片付けた。だが次が来るまで時間は無いだろう。
「あ…あくま、あくまめ…」
 歯の根も合わぬ藩庸の意味の無い言葉など捨て置いて、朔夜は背を向けた。
 祥朗の元へ近寄ると、彼は動かぬ身体を精一杯退け反らせて逃げようとする。
「済まん、祥朗。俺だ。お前も龍晶も救う為に演技をしていた。縄を解くから」
 言って、横に膝を付いて視線を合わせる。
 それでもまだ恐怖に引き攣る顔へ、朔夜は真っ直ぐに顔を向けて言った。
「言ったろ?悪魔は人を殺す事だけが能じゃない。必ずお前の元へ龍晶を戻す」
 はっとした顔で祥朗は朔夜を見返す。
 龍晶が毒殺されかけ、力を使い蘇生した時に言った言葉。
 怯えた目をしているが、少しは信じてくれたらしい。
 動きの止まった体に絡み付く縄を切り、祥朗を立たせて朔夜は言った。
「後ろの物陰に隠れておけ。くれぐれも…巻き込まれるな」
 そしてまた廊下へと向かう。
 先刻の倍以上の数の兵がこちらへと向かって来る。
 時間が無い。龍晶の傷は急所を外してはいるが、出血の多さで死に至る危険がある。勿論、王が血を飲む為にそれを助長している可能性が高い。
 早急にここを片付け祥朗の無事を確保し、龍晶の元へ向かいたい。
 それまでに、龍晶が王を説得出来ている事を祈るばかりだがーー難しいだろう。
 朔夜は双剣を構えた。
 駆け出す。死体を飛び越え、着地しながら姿勢を低くし、下から敵を切り上げてゆく。
 足を狙って動きを封じる。それが無理なら鎧の隙間や首を狙う。命までは取りたくないがそんな事を言っていられない。
 それでも迷いはあった。龍晶の願いに背くのは心苦しい。何処を斬るか、一瞬刃が迷い止まった瞬間を狙われた。
 身を翻して躱す。脇腹を斬られたが深くは無い。相手は見えぬ刃が斬り殺していた。
「もうやめろ!」
 朔夜は叫んでいた。
「誰がお前らの死を望む!?もう新しい世はそこまで来てんだよ!ここで命を捨てて何になるんだ!?」
 呼びかけながらも刃を振り下ろしてゆく。
 矛盾。ずっとそこから逃げられずに。
 だからだ。
 だから、刀を置けと言ってくれる龍晶が、自分には必要なのだ。
 唯一の救いを失いたくないのだ。
 見る影も無く傷付き、失いかけた自分の心を他人ながら守ってくれている友を、死なせる訳にはいかない。
 そう、まだ心はある。こうして悪魔と成り果てても。
 外からの尋常ではない騒音が、その場の動きを止めた。
 後方の兵らが顔を見合わせ、そして走り去っていった。
 その騒音とは、人の声だ。
 咆哮。これは、戦を始める時の声。
 朔夜も漸く理解が追い付いた。
 反乱軍がここまで来たのだ。
 城を攻め滅ぼす時が来た。
「…まずい」
 まだ早い。
 反乱軍に先んじて王を説得する計画が、このままでは全て潰れてしまう。
 それどころか、反乱軍が城に火をかける可能性すらある。自分の脱出すら叶わなくなる。
 朔夜は残っていた兵を急ぎ片付けた。
 尤も殆どは逃げた。誰もが我が身が可愛いに決まっている。それで良いのだ。
 残るは藩庸。
「貴様…この国を滅ぼす悪魔だったのか…畜生め…」
 殺す価値も無い。無視して行こうかとも思ったが、一言言い置いた。
「お前は後で龍晶に好きなだけ殴らせる。それまで生きろ。勝手に死んだら許さねえからな」
 こんな屑は死んでも己の罪を理解せぬだろう。それでもただ死なすのは口惜しい。
 この男のせいで多く命を奪われた悲惨な光景を知っているから。
 何をしても報いにはならぬだろう。せめて、あの時やり場の無かった龍晶の怒りを受ければ良いのだ。
 朔夜は建具の影に隠れていた祥朗を連れ、龍晶が連れ去られた部屋へと向かった。
 自分は死んでも良い。
 今度こそ、守るべき人を守りたい。それしか頭に無い。

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