月の蘇る 4 朔夜は足を斬られ身動きの取れない軍人の目と鼻の先に切先を付け、冷たく睨んで問うた。 「国からの命令か?この村を襲えって?」 軍人は口を開かない。朔夜は舌打ちした。 厄介な忠誠心は結構だが、人としては間違っている。 後ろを片付けた燕雷と桧釐が駆け付けてきた。 「朔夜…礼を言う」 桧釐はそれだけを口早に告げて、抱き合って泣く母娘の元へと走った。 「最低限の目的は果たせたようだ」 燕雷が言って、口の端を上げて笑んだ。 朔夜は桧釐の胸に縋って泣く二人へと目を向け、きょとんとした顔で問うた。 「あれが家族?」 「ああ。そうらしい」 納得した顔で頷き、足元の存在を思い出す。 「あの二人を連れ去って、桧釐達の動きを鈍らせるつもりだったようだな。それならもう問う事は無いか。どうせ答えないし」 横目に燕雷へ問う。 「殺していい?」 眉を吊り上げた燕雷が応えるのを待たず、朔夜は男の首を斬り飛ばしていた。 「おま…」 もう一人へと向かおうとした肩を掴む。 手は出ても、言葉が出なかった。 朔夜は振り向いて、冷酷に笑った。 「良いじゃん。こいつら一度殺しても足りないくらいだろ?」 息を呑む燕雷の手を振り解いて、朔夜はもう一人倒れている軍人の首へ刀を振り下ろした。 燕雷は目を背ける。瞼の裏にあるのは、自分達を襲撃してきた相手の傷を治し救ったかつての朔夜。 あの時はその行動に驚いた。そしてこの少年の本質を知った。 今、敵に留めを刺す――それが普通だとは思うが、その変わりように戦慄すら覚える。 それだけ怒りが深いと言う事か。 罪なき人々を惨殺し、村を一つ潰した、それを実行した者達への怒りが。 「…何回こんな馬鹿な事を繰り返すんだか」 事切れた軍人達に吐き捨て、桧釐らの方へ向けて歩き出した。 朔夜に気付き、桧釐の母、黄花が深々と頭を下げた。 「本当に何とお礼を言って良いか…。あなたのおかげです。助かりました」 肩を竦めて朔夜は桧釐に視線を投げた。そこまでの事をしたつもりは無い。 「礼なら桧釐にしてやってよ。俺は連れて来させられただけだし。それより怪我は無い?」 「いえ…私共は大丈夫です。それよりもあなたこそ大丈夫ですか?」 「ん?ああ、こんなの怪我のうちに入らないから」 顔の傷から流れていた血を手で拭い笑ってやる。 ふと、ただならぬ視線に気付いた。 「兄さま」 口をぽかんと開けて一心に朔夜を見つめている朱怜。 嫌な予感がして桧釐も苦笑いになる。 「何だ?」 「この麗しいお方はどういう方なのです?ちゃんと紹介してください!」 「なんで俺が怒られる?」 とばっちりを喰らう桧釐もだが、朔夜もこれまで見た事のない人種に面食らっている。 緩んだ空気を締め直すように燕雷が割って入った。 「急ぎここから離れた方が良いだろう。次が来ないとも限らないしな。…それに、ここだけで済んでいるとも考え難い」 はっと朔夜は顔を上げる。 「あの二人…」 咄嗟に名前が出てこない。記憶を失う直前の、細々とした事が思い出せないのだ。 だが、その存在は覚えている。 「都にいた龍晶の家族は…大丈夫か?」 桧釐もまたその二人に思い至っていた。 「今は都を離れて西部の村に移住している。大丈夫だと思いたいが…」 途切らせた言葉の向こうに不穏がある。 北州を跨いだこの村にまで軍は手を出してきた。ならば、何の守りも無い地方の小さな村が無事である保証は無い。 「殿下が心配だ。とにかく北州へ戻ろう」 北州に戻ってきたという感慨を味わう間もなく、近隣の町の状況の偵察と進軍の準備を宗温を通じて命じると、もう何かする気力体力は残らなかった。 どうもいけない。考えねばならぬ事は山積している。なのに思考が止まる。 傷口も傷めば頭痛も酷い。立っている事もままならず、宗温に押し込められるように寝室へ入れられた。 「旅の疲れが祟ったのでしょう、殿下。暫しお休みください」 香奈多が見舞いがてらに来て世話を焼いてくれている。 申し訳無さが募るばかりだが、自分で何も出来ないので甘えるしかない。 「このまま死ぬんでしょうか」 つい、弱音が口を衝く。 否、弱音と言うよりは、冷静に未来を考えたかった。死ぬのなら今やっておかねばならぬ事がある筈で。 彼女はその答えを知っていてもおかしくない。 が、見開いた目で振り向かれて、即座に失言を悔いた。 「何でもない…聞き流してください」 頭の片隅で、またか、と。 生きろと言われる。死ぬなんて言うのはもっての他だと言われる。 そうではない。死にたくないのは確かなのだ。だが、現実がそれを許さない事を解っているだけだ。 誰も、死んで欲しくないから生きていられれば、そんな理想が罷り通れば、この人生はどれだけ楽だったか。 幼い日、誰も死なないで居てくれたら。 自分の行動如何で誰かが傷付くという非情な原理を知らずに居れたら。 遠からず全て自分に返ってくるという、諦観。 「殿下」 香奈多が枕元に来て、碗を差し出した。 「薬です。これを飲めば暫し楽になりますよ」 ぼそりと礼を言って受け取る。 中身を飲み干す様を見ながら香奈多は言った。 「お眠りになるまでの間、未来を語りましょう、殿下。あなた様の夢見る理想の国を」 「…理想、ですか」 碗を返しながら怪訝な表情で問う。 その理想に苦しめられてきた。それを捨てたいと、そう願ったばかりなのに。 「ええ。今はまだ夢物語で良いのです。それを現にするのが、これからのあなた様の仕事なのですから」 これから、なんて。 無いと分かっているのに。 だけど。 「良いでしょう…。俺も一人で抱えたままではいけないだろうから」 墓場に持って行くべき事ではない。 「香奈多殿に託します。もしもその未来が来た時、この国の者に伝えて頂けるように」 「殿下、それは」 「保険です。この手で出来るとは限らない…無論、自分で責任は持ちたいと願うのですが」 香奈多は頷く。自棄で言っている事ではないと理解したからこそ。 「お聞かせ下さい。戔をどのような国にするのか」 龍晶は視線を宙に彷徨わせ言葉を探した。 脳裏に浮かぶのは、子供の頃の眩しい記憶。 「誰もが当たり前に生きてゆける国…何にも侵される事なく、明日の心配をせずに生きてゆく…それが夢です。この国に生きる者達の、永遠の夢です」 一見当たり前に見えるそれは、影で踏みにじられてきた事を龍晶は知っている。 貧民街で、或いは花街の片隅で、そして北州の鉱山の中で。 余りに華やかな光の裏にある、暗い昏い影。 「この国は王宮を中心に都ばかりが富過ぎた。本当は逆であるべきなのです。王宮に富は要らない。痩せた土地の地方にこそ、その富を分けねば。その富で新たな産物を生み出し、他国と交易するのです。その辺りは貴国の陛下に是非に相談に乗って頂きたい所なのですが、各国の産物を集めておられる陛下ならば何を植えるのが良いか助言を頂ける筈。あと、金などの鉱物の掘削権を貴国に分けること。その取り分の何割かをこちらにお納め頂ければ、我が国の富ともなり、民をいたずらに危険に晒す事も無くなります。人員が増えれば掘削による事故も減る。…時間はかかるかも知れないが、民の富める国を作る事が目的です。ご協力願えますか」 まだ言い足りない事はある。頭の中にはやりたい事、やるべき事が渦巻いている。 こうであれば、と子供の頃から描き続けた理想の絵図は、まだ脳裏から消えていない。 「勿論です、殿下。私達が出来る事があれば協力は惜しみません。あなたの夢は、私が思っていた以上に実現させねばならぬものでした」 「…絵に描いた餅に過ぎませんがね」 自嘲して、重たくなってきた瞼を閉じた。 子供の頃信じていた輝く世界など、本当は幻のようなもので。 現実の世界は汚く冷淡であると、そしてそれが変わる事は無いと知っている。 どんな理想も誰かの欲望に汚され、また別の誰かの偏屈な正義によって潰される。 世の中などそんなものだ。だから何も期待していない。 ましてや自分がもうすぐ去るであろう世の中に、何か出来るとも思わない。 ただ、一つだけ。 一つだけ、守りたいものがある。 桧釐ら一行も北州へと帰着した。 黄花と朱怜にとっては、十年を超える時を経ての帰宅となった。 朱怜に北州の記憶は殆ど残っていない。街の様子を物珍しそうにきょろきょろと眺めている。 そのくらい街に活気が戻っているのも事実だ。ただ、物々しい活気ではある。 急速に軍備が整えられているが故の騒々しさだ。 「ついに本丸が動き出したか」 燕雷は他人事のような、何処か楽しむような口振りで言って朔夜に視線をくれた。 「うん…」 朔夜は複雑な表情で頷いた。 とにかく龍晶が気がかりだった。 屋敷に着き、宗温が駆け足で出迎えた。 「桧釐殿!ああ、皆様ご無事で何よりです」 母娘とも顔を合わせた事のある宗温は、まず顔ぶれを見て安堵の溜息を漏らした。 「間一髪だったが、何とか間に合ったよ。殿下は?」 「ご案内します。こちらに着いてからお具合が優れなくて」 「また何か無茶したのか?」 黙っていられなくて朔夜が横から問う。 宗温は真顔で首を振った。 「いえ、そうではなく。旅の疲れでしょう。高熱が下がらず起き上がる事もままならないようです」 入ろうとした部屋から、香奈多が出てきて一行を止めた。 「殿下はお休みになっておられます。起きられたらお呼びしますので、今はご遠慮ください」 「ああ、それは仕方の無い事です。分かりました、また後ほど」 宗温が応対して、振り向く。 「では、桧釐殿、先に家族水入らずの時を過ごしてください。私は仕事をしていますので」 「もううんざりする程過ごしてるけどな」 それぞれが動き出した時、香奈多は朔夜を呼んだ。 龍晶が寝ていようがいつものように枕元に付き添う気だった朔夜は、寧ろ彼女の存在に戸惑った。 「どうしてこんな所に…?」 「殿下のお世話をさせて貰っています。私に出来る事と言えばそのくらいですから。それより、お呼びですよ、朔夜君」 「へ?誰が?」 言わずもがなと彼女は部屋へと通した。 寝台の上に龍晶が眠っている。 否。近寄れば目は開いており、悪い笑みを見せた。 「何?みんなを騙したのか?」 戸惑い気味に笑い返しながら朔夜は問う。 その時にはもう、周囲に誰も居ない事を確認した香奈多が外から扉を閉めて、二人きりとなっていた。 「騙したとは人聞きが悪いな。調子が悪いから大人数で押し掛けられたくなかったんだよ」 悪びれずに龍晶は言った。 「高熱があるように見えないけど」 「香奈多殿のお陰で今は下がっているってだけだ。それより伯母上達は無事なんだな?」 賑やかな声は聞こえてきていたので、これは確認だ。 「うん、二人は無事だよ。二人はね」 引っかかる物言いに言葉の続きを待つ。 朔夜は相手の顔を見れずに言葉を継いだ。 「村は滅茶苦茶だった。みんな殺されていた。何人かは治癒して一命を取り留めたと思うけど…本当に数人だけ」 龍晶は深い息を吐き瞼を閉じて、そうか、とだけ返した。 「二人だけは生きたまま連れ去ろうとしてたから助けられた。そういう命令だったんだろうな。人質にしてお前達の動きを止めようとしたんだろう」 「今更止められるものでも無いって分からないのか…」 呟いて、そのまま天井を睨んで黙り込む。 朔夜はおずおずとその顔を覗き込んだ。 怒りだけではない、迷いのある目をしている。 「本当は止めたい?」 誰にも聞かれる心配は無くとも、声を潜めて問う。 龍晶は顔が見られぬよう逸らして返した。 「問題はそんな事じゃない。軍の狙いは別にある…そんな気がする。それに…」 不安に打ちのめされそうな顔を向けて。 「襲われたのは伯母上達だけではないだろう。俺たちに関係のある人が全て標的にされているとしたら…」 朔夜はすぐに龍晶の本当の気懸りが判った。 「お前の家族は?馬の世話してた、あの二人」 やっと、龍晶は朔夜に目を合わせた。 「朔夜、これは頼みなんだが」 「うん、言って」 続く言葉は予想していたし、その通りに動く気でいた。 が、出てきたのは全く考えてもみなかった『頼み』。 「悪事に加担してくれるか?」 「あくじ?」 ぽかんと聞き返す。 龍晶は片頬を上げて笑った。 「次の王を葬る片棒を担いでくれ。もう片方を持つのは俺だ」 「何言ってるか分からねえよ。次の王って誰…」 言いながら、その人の悪戯っぽい顔を見て。 少し考えれば分かる問題だった。だが、分かりたくなかった。 「どういう事…」 愕然と問う。 その理由は思い当たる事が有り余って、一瞬で脳内を駆け巡った。 「俺のせいで誰かを…それも、あの二人を失うのは…耐えられないから」 遠い目で龍晶は呟くように言った。 「助けに行くのか?」 頷き、苦悩の表情を両手で隠して。 「兄は俺を止めようとしてるんじゃない。誘ってるんだ。彼らを拉致して、俺を誘き寄せる事が目的なんだ」 「は?どうして?」 「理由は分からない。だけど、俺を生きたまま城へ戻す事に固執している…そう思わないか?哥へ行く途上に追手は俺を殺さずに連れ戻すよう命令を受けていた。灌に出した条件もそれだ。俺の縁者を人質にして反乱軍全体が止められるとは思っていないだろう。目的は寧ろ…俺個人だ」 確かに、朔夜にもそれは感じる所はある。 だが、王が弟に執着する理由が皆目分からない。 今、国どころか、自分自身が滅ぶか否かの危機が迫っている事は分かっているだろうに。 「お前を誘き寄せた上で、お前自身を人質にして反乱軍を止めるつもりなんじゃないのか?だとしたら動かない方が…」 「違う」 強い語気で龍晶は言い切った。 「そんな理由じゃない。あの人は俺が人質になる程の価値があるとは思ってない。人が一人死んだとしても大衆を止める事は出来ないと、よく知っている筈だ」 「じゃあ、一体…」 「頼む、朔夜」 龍晶は朔夜の服の裾を掴んで見上げた。 「何も言わずに協力してくれ。俺と共にあの二人を救ってくれ」 [*前へ][次へ#] [戻る] |