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月の蘇る
  3
 龍晶が少し落ち着いたのを見計らって、寝台に抱え戻し、宗温は本来話しに来た本題を切り出した。
「殿下、夜が明けてからの事ですが…」
「北州に戻るんだろ?」
 それ以外の何があるのかとばかりに問い返される。
 宗温とて、数時間前まで同じ心積もりだったのだが。
「桧釐殿は亜北(アボク)へ向かわれました。御母堂の所へ」
「叔母上の所へ?北州に帰る前に寄る予定だったが、先回りしたのか?」
 一瞬、答えを躊躇った宗温の顔色を見て、龍晶は察した。
「何かあったのか」
「香奈多殿から哥王の伝言があったようです。急ぎ向かわねば危険であると」
「…何…!?それは確かか!?」
「桧釐殿にははぐらかされましたが、香奈多殿より直接に話を伺いました。政府軍が殿下の縁者を探し出す為、各地で無惨な行いをしているそうです」
 龍晶は急ぎ立ち上がろうとしたが、宗温に抑えられ止められた。それ以前に体がついて来なかった。
「お気持ちは分かりますが、ここは冷静に」
 宗温もまた、感情を抑え込んだ声音で諭した。
「政府軍は殿下をおびき出そうとしているのです。こんな卑怯な手に乗ってはなりません」
「…ああ」
 反論が返されると予測していたが、意外にすんなりと龍晶は引き下がった。
「そうだな…。俺が行っても事態を悪化させるだけだ…」
 消沈した表情は痛々しかった。
 本当はすぐにでも駆け付けたいだろう。仮に自分には何も出来ないと分かっていても。
 今まではそうやって良くも悪くも渦中に飛び込んで巻き込まれてきた。
 それが、こうも冷静になるとは。
 身体の不具合のせいもあるだろう。だとしたら、この若者には酷だ。
 だが、理由はそれだけでは無さそうだ。
「政府軍は亜北だけに居る訳ではないだろうな…」
「ええ。各地で、と香奈多殿は言われました」
「全ての被害を把握する事は出来るだろうか?」
「人員と時が必要です。それも、政府軍と出会っても渡り合えるだけの人間が」
「そうか…。難しいか」
「手足よりも、早急に頭を叩いて止める事が肝要かと」
 ひたと、龍晶は相手の目を見据えた。
「…お前は…さぞかし王が憎いだろうな」
 宗温は視線を微動だにする事なく答えた。
「ええ。憎しみだけで動いてきた訳ではありませんが」
 紛れもなくそれは全ての始まりであり、今も消えた訳ではない。
「王を今のままにはさせておけない。もう悲劇を起こさせる訳にはいかないのです、殿下」
 龍晶は俯いた。
「殿下…!」
 宗温はもう一度強く呼びかける。
 もう逃げている場合ではないのだ。
「ご決断ください」
 宗温は迫った。
 今、ここで、心を決めさせねばならない。
 猶予はもう無いのだ。
 しかし、期待した答えは出て来なかった。
「俺がここで否と言えば、お前たちは俺を見限るか」
 宗温は言葉を詰まらせた。
 反射的に、それこそ小奈が己の口を借りたかのように、「いいえ」と言っていた。
「有り得ません。ですが、ご意志に背く事を私はします。万民の為に」
「そうか」
 何処か安心したような声音だった。
「否と言える筈は無い…無いが、一つだけ条件を付けさせてくれ」
「何でしょう」
「無闇に命を奪うな。どのような相手であっても」
「それは…殿下、次の世の為ですか?」
 問いを返されるとは思っていなかった。
 その問いに答えられる考えも無かった。
「いや」
 期待に応えて嘘をつく事が出来なかった。
「俺が背負えないだけ…」
 見たくない。聞きたくない。
 その責を、負う事が出来ない。
 これ以上は、心が壊れる。
「済まん。俺の弱さ故だ」
 言い切ってしまえば、何処か荷が軽くなったような、無責任に放り出したような。
 罪悪感と仄かな安心感。
 ずっとこの中で息をしている。
「…分かりました」
 宗温の呟きは感情が無かった。
 理由はともかく、そこまで悪い事を言っただろうかと、龍晶は心の片隅で訝った。
 人命を優先しろと、当然の条件を付けただけのつもりなのだが。
 それすら、戦への覚悟が無いと受け取られてしまうのだろうか。
「北州へ帰るか」
 ぽつりと問うた。
「ええ。帰りましょう」
 宗温が立ち上がるのにつられ、龍晶もやっと身を起こした。
「殿下はまだお休みください。支度は我々で」
「ああ…。だが、香奈多殿に挨拶をせねば」
 共に天幕を出、互いに逆方向へ進む。
 そう遠くはない距離を歩きながら龍晶は考えていた。
 否、取り留めもなく様々な不安が去来し無理矢理に打ち消しているだけだ。考えるという程建設的ではない。
 香奈多に挨拶に行くという名目で、本音は救いを求めていた。
 何かが変わって欲しかった。
 そうでなければ、何か大きなものを失う。
「殿下、どうされましたか?」
 いつの間にか天幕の外に立ち竦んでいた。
 それに気付いた香奈多の方からわざわざ出てきて中へと呼び込んだ。
 彼女は龍晶を心地の良い毛皮の敷かれた椅子へ座らせ、侍女に温かい飲み物を持ってくるように指示した。
 そして二人きりになった天幕で、彼女は龍晶の顔を下から覗き込んだ。
「顔面蒼白ですよ、殿下」
 言われてやっと、龍晶は我に返った。
「すみません…つい…。あの、出立を告げに来たのですが…。失礼を致しました」
「国軍の襲撃が気がかりなのですね?無理もありません。殿下はお優しい方ですから、身近な方の苦難は耐え難いでしょう」
「その事なのですが」
 本当はこんな事を問うべきではない、そうは思いながら。
「誰が襲撃を受けたのか…お分かりになりますか?伯母達より他に…。複数の村が襲われているのだとしたら…その…」
 言葉にし辛かった。
 こんなに個人的な事を問うべきではないし、どう問うべきなのかも分からない。元より言葉を選べる冷静さは失せている。
 そして何よりも、その結果を万が一知ってしまったら、もう立ち上がれる気がしなかった。
 それでも問わずには居られなかった。
「俺の家族…血の繋がらない父や弟は…無事でしょうか…」
 香奈多の顔色がすうっと変わった。
 矢張り問うてはならなかったかと一瞬で絶望に近い後悔を覚えたが、もう相手の返答を待つより無い。
 香奈多は、彼女もまた、慎重に言葉を選びつつ答えた。
「陛下より承ったお言葉は、既に全てお伝えしました。それ以上の事は、残念ながらお答え出来ません」
 龍晶は知らず知らず前のめりになっていた身を引いた。
「そう…ですよね。失礼を致しました」
 あからさまな態度を取り繕う事も出来ずに、呆然としながら言うべき事だけを言った。
「殿下」
 それでも香奈多は優しげな表情を崩さなかった。
「気がかりは分かりました。わたくし共も協力しますから、事は急いだ方が良いでしょう」
 はっと顔を上げる。自分がすべき事をその一言で理解した。行かねばならない。
「香奈多殿…お気持ちは有難く受け取ります。しかしこれは俺個人の問題です。他者を…それも他国の方々を巻き込む訳にはいきません。どうかお構い無く。ただ、出立を急がせて頂けますか?」
 早口での要望に、香奈多は頷いたが、但しともう一言加えた。
「殿下や北州にもしもの事があれば、我々が国境を超えて加勢する許可を頂きたいのです。それが無ければ、私共がここまで来た意味がありません」
 龍晶は返答を言い淀んだ。
 彼女を信じていない訳では決して無い。無いが、かつて敵対していた国の軍隊に、国境を越えさせる許可を与えるという事はどういう事か、その重みが即決を鈍らせた。
 これは殆ど賭けのようなものだ。
 互いの信用が試されるという事態でもある。
 香奈多とてそれが分からぬ立場ではない。
「無論、無条件でという訳ではありません。私が人質となります。その為に参りました」
「え…!?」
「我が軍が狼藉を働きましたら、私を煮るなり焼くなりして下さい。人質とはそういう事です」
「それは、陛下の意向で…?」
「ええ、勿論。しかし私も賛同しここへ参りました」
 龍晶は口元に手を当てて暫し黙り、言葉を選びつつ返答した。
「分かりました…。ならば、貴方様にここからの道もご一緒して頂きましょう。しかし、これは貴国と陛下を信頼しているからこそです。そうでなければ、貴方を人質とする事は有り得ない」
 香奈多を真っ直ぐに見、告げた。
「俺はもう、人の命を奪う命令は決して出しません。それを、心して頂きたい」
 何があっても貴女の命を奪う事は無い、と。
 同時に、信頼を裏切る事は決して許さないとも言える宣言だった。
 香奈多は静かに頷いた。
「分かりました。殿下の御心のままに」

「おい、大丈夫か?」
 酷く荒らされた村の様子を目の当たりにして、朔夜は口を閉ざしたきり俯くばかりだった。
 故郷を思い出させる光景なのだろう。燕雷はここから追い返そうかとも考える。
 ただ、一人にしても良い事にはならないだろうし、肝心の桧釐の家族はまだ見つかっていない。
 村に人の気配は無い。正確には生きている者の気配、と言った方が良いだろうか。
 道のあちこちに、逃げようとしたのか、背後から襲われた人々が息絶えていた。女子供も関係なく。
「酷いな」
 やり場の無い想いを少しでも言葉にして吐き出すより無い。
 朔夜は跪いて倒れている子供の様子をじっと見、諦めきれない様子で口元に手を翳し、やがて一つ深い息をして立ち上がった。
 俯いていたのは、生かせる命を探していたから。
「おい桧釐!」
 堪らなくなって燕雷は前を黙々と進む男を呼び止めた。
「どうしてここまで酷い事になる?この人達は何か関係有るのか!?」
 振り向いた目は何も伺わせず、何も言わぬまままた前へと逃げてゆく。
 燕雷とて、答えは分かっている。
 関係など無い。命を奪われる理由など、そんなものは存在しない。
 ただここに居た。それだけ。
 そんな国だ。何十年も噛み締め、憎悪し、忘れようと避けてきた、この国の在り方だ。
 否。
 背後には全く別の国で、同じものを見続けてきた少年も居る。
 国、ではない。
 それを作る人間の、その悍ましさが生み出す、この光景だ。
 人間の居る限り、何時になろうと何処に行こうと有り得る恐ろしい普遍。
「ああ…」
 思わず声を漏らさずには居られなかった。
 積年の履き違えを、こんな所で気付かされるとは。
 戔の人間だから憎い、そう信じてきたものは間違いで。
 人間を、ここまで駆り立て追い詰めてしまう、その何かを憎しみ滅ぼすべきなのだ。
 その何か。相手が見えない。
 朔夜が目前の遺体へ駆け寄って跪く。
 壮年の男性のようだ。その胸の傷口へ手を置く。
 燕雷も近寄って気付いた。遺体ではない。まだ息がある。
 朔夜の手から光が漏れ出る。
 何が出来る訳でもないが、燕雷はそこから動けず横で佇んでその様を見守っていた。
 先を行く桧釐の姿はもう見えなくなった。そう広い村でもない。探せば合流は出来る。
 荒廃した村と、人が人を救う奇跡の光景を、ぼんやりと視界に入れる。
 この絶望的な事態の中で、怒りや憎しみに我を忘れる事なくやるべき事をやる。
 本当の奇跡はその事かも知れない。朔夜の姿は燕雷にそれを教えた。
 光が消え、手を離す。傷が消え、絶え絶えだった息が正常に戻っていた。
 朔夜はすぐには立ち上がらず、呆然と前を見ていた。
「大丈夫か」
 燕雷が差し出した手には気付かず、或いは気付いていても握り返さず、朔夜は呟いた。
「生き残っても…地獄を見るだけだよな」
 差し出した手を戻す。
 言葉の意味が痛い程に身に染みて、口を挟む気にはなれなかった。
「どうして俺だけなのかって…。それなら死んだ方がましだったって…そう、考えるんじゃないかな」
 それぞれの中にある、悲痛な叫び。
 自分ではなく、あの人が生きるべきだったと。そう信じ続けて。でもどうしようもなくて。
 燕雷は朔夜の横に腰を下ろした。
「そうだな」
 或いは馬鹿馬鹿しいかも知れない切実な願いと後悔を噛み締めながら。
「でも、そう考えたとしても、彼がどう生きるか…生きてみなきゃ分からんよ」
 真っ直ぐ見つめる視線の先は、地獄ばかりでは無かったと。
 そう、思いたい。
「…うん」
 命は助けた。それ以上の介入は出来ない。
 やっとそれを飲み込んで、朔夜は立ち上がった。
 まだ救える人は居るかも知れない。
「それにしても…間に合わなかったのかな、俺たち」
 今ならまだ間に合うと、香奈多はそう告げたと聞いて来たが。
 まだ敵はこの場に居るかも知れないと思っていた。だが、その気配が無い。
「桧釐は…」
 最悪の想像が過ぎって言葉を詰まらせた時。
 高い金属音が鳴り響いた。
 二人は同時に地を蹴った。
 駆けながら刀を抜く。
 斬撃音が近くなる。目前の建物を曲がれば恐らく目標物が見える。
 朔夜は建物の屋根へと跳んだ。音も無く着地し、眼下の出来事を窺う。
 斬撃音の主は桧釐と、軍人らしい男。その向こうで複数の男達が二人の女を連れ去ろうとしている。
 下で同じく様子見していた燕雷に視線を送り、桧釐の助太刀を頼む。
 頷いた燕雷は、桧釐と刃を交える男の背中へと回り込んだ。思わぬ襲撃だっただろう、あっさりと敵は斬られた。
 先に行っていた軍人らが異変に気付き、二手に分かれた。そのまま二人は新手に応戦する。
 その間に朔夜は家々の屋根を伝って走った。
 女達を連れ去ろうとする一団の前に回り込み、その存在に気付かせぬまま飛び降りるなり、一瞬で人質を抱えていた一人を斬り捨てた。
 屈んだ勢いで跳びながら前に立ちはだかる軍人の喉笛を掻き切り、襲いくる刃を宙で身体を捩らせて躱し、頭を蹴飛ばす。
 女の悲鳴。人質に刃を突き付けた男が怒鳴る。
「止まれ!殺すぞ!」
 着地し、その様を横目に見た朔夜は流石に動きを止めた。
 勢いで圧して斬っても良かったが、女の無事を優先する事にした。
「分かったよ。これ以上は止める。何の義理も無いし?」
 言いながら握っていた双剣を手放す。
 地に落ちた得物を見て、男らは笑った。
「聞き分けの良い事だ。そのまま動くなよ?」
 顔面蒼白で震える女を連れて男は動く。別の者は朔夜に刀を突き付け続けている。後ろで先に助けた女の懇願の叫びが響いた。
「連れて行くなら私にしなさい!娘は助けて!お願い…!」
 無論、黙って見過ごす気など更々無い。
 女を抱えた男の首が突如として飛んだ。
 重たい音をたてて落ちた首と、周囲を染める血飛沫に他の軍人達が呆気に取られる。その一瞬で、朔夜は長刀を抜き周りの男達へ襲い掛かった。
 元々突き付けられていた刀が咄嗟に斬り付けてきた。目の下が切れたが大した怪我にはならず、下からの反撃で男の横腹を鎧の隙から切り裂いた。
 続いて振り下ろされた刀は地面へ突き立ち、一瞬で難を逃れた朔夜は低い姿勢のまま敵二人の足を流れる動作で斬り止めた。
 その二人が倒れればもう、襲いくる敵は居ない。
 ふっと息を吐いて立ち上がり、泣き崩れている母親に視線を投げた。
「助けてやって」
 血に塗れた純真な笑顔に、母親は頷き、娘へと駆けた。

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