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月の蘇る
  2
  話に聞いていたとは言え、実際その姿を目の当たりにして驚いた。
向き合って座る哥の国王代理である人は、子供にしか見えない。
それでいながら、心の内を全て見透かすかのような、下手に動けぬ緊張感をも感じている。
朔夜や皓照と同じ類いの人、それを聞いていたから納得もした。朔夜はともかく、皓照と似た空気感はある。
ただ、見た目の年齢は朔夜に近い。
という事は、あいつもそれなりに年月を経ればこのくらい落ち着く事は可能なんだな、と馬鹿な事を考えて相手の言葉を待った。
「桧釐さん、と言われましたね」
香奈多は桧釐が龍晶の為に持参した戦況についての資料に目を通し、顔を上げた。
「ここには殿下の為に良い事しか書かれていないのですか?」
どこか悪戯っぽく微笑みながら問い掛ける。そんな表情は子供のそれではなく、大人の色香がある。
「いえ、そんな事は。こちらで把握し得た情報を纏めています。俺とて、そこまで殿下に気を使って戦はしようと思いませんよ」
「ならば…あなたのお耳に入っていない重大事がある、という訳ですね」
「何ですか?」
桧釐は身を乗り出し問うた。聞きようによってはこれは喧嘩を売られている。
無論、香奈多にそんな気は無く、淡々と説明をした。
「我が陛下は遥か彼方の出来事や、過去未来の出来事まで見通す力をお持ちです。ですので、一つ陛下からあなたに警告を持って参りました」
「警告…ですか?」
朔夜や皓照の力を見てきているとは言え、半信半疑で問い返す。
そんな能力など信じ難い。妄言であると考える方が余程自然だ。
だから続く香奈多の言葉も、信じないつもりで居た。
「自衛する事の出来ない小さな村で次々に襲撃や焼き討ちが起きています。恐らく戔国軍が、あなた方の支持者や縁者を炙り出しているのだと思われます」
静かだが強い衝撃を、何とか桧釐は飲み込んだ。
信じるつもりは無い。否、信じたくない。
「…有り得ない話ではありませんね。奴らならそのくらいやり兼ねない」
「いえ、残念ながら現実なのです」
閉口した桧釐に香奈多は真っ直ぐな視線を向けたまま告げた。
「今ならまだ間に合う事もあります。あまりにも悲しい未来を変える為に…。ここから東の方向に、あなた達に縁の深い方がいらっしゃるでしょう?」
流石に桧釐は目を見開き、彼女を直視した。
そんな事実、知る由も無い事だろうに。
「殿下から聞いた事ですか」
「いえ。龍晶殿下からではなく、我が陛下からです」
「陛下が…何と?」
話の流れが悪い。悪過ぎる。
信じる気は無い。が。
「急ぎ駆け付けてあげて下さい。まだ間に合います」
桧釐は椅子を蹴る勢いで立ち上がった。
どの道行くつもりだった。これで何事も無ければただの笑い話だ。
そう思いたいが、もっと切迫した焦りが表情を強張らせる。
「朔夜君を連れて行って下さい!きっと事態が好転します!」
後ろからの香奈多の声に、桧釐は一度足を止め振り向いた。
「…そこまで未来が見えるのなら、我々の戦の行く末も…?」
香奈多は頷き、言った。
「その問いに答える事は禁忌です。しかし、我々はあなた方の味方です」
それが答えであり、彼女と会見した意味でもあった。
桧釐は頭を下げ、天幕を駆け去った。

「へ?今すぐ?どこへ行くって?」
素振りをしていた朔夜が手を止めて間の抜けた顔で問い返してきた。
そもそも香奈多の言葉を全て真に受けるつもりは無かったので、声をかけるだけかけてみよう、くらいの気分だった桧釐は閉口した。
「どこでもいい。来るのか来ないのか?」
苛々と問い詰める。
「え?いや、そりゃ来いって言うなら行くけど。そんなに怒ってどうした…」
皆まで言わせて貰えず首根っこを掴まれた。
引き摺られて歩く道中、宗温に出くわした。
「おお、宗温。丁度良かった」
桧釐が声をかけて彼を引き止める。
「今からちょいとお袋の所へ様子を見に行く。ちょいと不穏な噂を聞いたからな、念の為の様子見だ」
「今から…ですか?」
流石の性急さに宗温も驚く。今やっとここに着いたばかりなのだ。
「ああ。ま、近いしな、ついでだ、ついで。で、ちょいとこいつも連れて行くから殿下にはよしなに言っておいてくれ」
「お二人で?私もお手伝いしましょうか?」
「いや、お前は俺に代わって殿下の子守りをしてくれ。悪いが重労働だぞ?」
「また何を仰いますか。分かりました。しっかりお守りしますから、どうぞ後顧の憂いなく行ってきて下さい」
「ああ…頼んだ」
桧釐はそのまま北州に戻る可能性もあるから、ここでの用が済んだら自分の事は気にせず北州に戻るよう、事務的に伝えた。
流石の朔夜も何か只事ではない予感がしてきた。冗談の中に混じる表情は、彼らしからぬ切迫したものだ。
「お前の母さんの所に行くのか?」
足早に歩く桧釐に付いて小走りになりながら朔夜は訊く。
「ああ。この近くの村だ。妹もいる」
端的に説明し、馬を見つけ更に足を速める。
「危険な状況なんだな?」
「さぁな、それは分からんが。嫌な噂がただの噂かどうかは確かめる必要がある」
「うん。そうだね」
素直に、かつ真剣な眼差しで頷く朔夜に、桧釐は思い直して歩を緩めた。
「どうした?」
「いや…」
眼差しの奥に、以前聞かされた彼の過去の悲惨さを思い出して。
「何でも見通すっていう、哥王の言う事は本当なのか?」
「うん。誰も知らない俺の生まれた時の話を知ってた」
「そいつは…なかなかだな」
頭を掻いて。
「俺の家族が襲撃されると言われた。助太刀して欲しい。良いか?」
「うん。勿論」
二つ返事に頷き、気配を感じて振り返る。
燕雷が、険しい顔でそこに立っていた。
「子供を連れ出す時には保護者の許可を取るのが一般常識だろ」
「うわ、こりゃあ失礼しました。失念しておりました」
燕雷に向けていた眉間に皺を寄せた顔を桧釐にも向け、朔夜は頬を膨らませた。
「子供じゃないし、なんで燕雷に許可取らなきゃいけないんだ」
「お前な、これだけ世話してやってそれは無いだろ。ま、冗談はさておき」
桧釐に再び目を向けて。
「そっちの事情は分かった。が、そこにこいつを使う事に俺は納得しない」
「…さっきの話の続きか」
桧釐の表情に苛立ちが滲む。今そんな議論をしている暇は無い。
が、燕雷はそれ以上何も言わず厩に向かった。
「え、おい!?」
驚いて桧釐と朔夜が追いかける。燕雷は足を止めずに行った。
「さっさと行こう。行きながら文句は言う」
顔を顰める桧釐に、朔夜はにやりと笑いかけた。
これが燕雷という人間だ。いつだってそうだ。文句は言いながらも或いは顔も知らぬ誰かの為に動かずには居られない。
桧釐もすぐにその人間の良さは解るだろうと思った。この二人は似ている。
「家族の危機を報せて貰えるなんざ、お前は幸運だ」
馬を走らせながら燕雷は吐き捨てるように言った。
「だから協力はしてやる。失敗するな」
桧釐は目を見開いていたが、すぐに顔を引き締めて頷いた。

ふっと目覚めて、龍晶はゆるゆると息を吸い、時間をかけて吐き出した。
今見た夢の残像を消したいと、手で目を覆う。それが脳裡にこびり付いた記憶で、消える事は決して無いと、分かっているのだが。
何度失えば良いのだろう。
何度、この苦味を噛み締めれば。
いっそ自分だけが消えてしまいたかった。
そんな、どうしようもない後悔。
それこそが、朔夜と自分を繋ぐ絆でもあるのだが。
重たくなった腕をぱたりと落とし、ぼうっと天井を見つめる。
半端になった睡眠を続けるべきか迷って、喉の渇きを理由にして起き上がった。
本当は、あの続きを見たくなかった。
それにしても、哥王から贈られた薬を飲むと決まって感覚の麻痺するような眠気と強い喉の渇きを覚える。
舶来のものだと言うが、一体何が入っているのかも知らないままだ。
そこは哥王を信頼し、言われるままに飲み、既に無くてはならない物となっているから疑う気は無い。無いが、矢張りどうも成分が強過ぎる気がする。
今も、起き上がろうにも平衡感覚が取れない。それでも何とか起き、立ち上がって、椅子や卓を頼りに歩く。
ぐねぐねと曲がる視界。己の物ではないような重い身体。
この感覚は覚えがある。
芥子の薬を飲まされた時。
叔母の家で飲まされた時すぐにそれと気付いたのは、その正体を嫌と言うほど知っていたから。
何度もそれを口にし、煙として吸わされ、そして。
「殿下!?」
思い出した途端に身体に力が入らなくなった。手をついて倒れこんだ所へ、良くも悪くも宗温が入ってきた。
「大丈夫ですか!?しっかり…!」
ただ一瞬、記憶の渦に巻き込まれただけなのに、と。
そう思いながらも、まだそこから抜け出せ切れず、伸ばされた手にどうしようもない嫌悪を感じて反射的に身体が逃げていた。
空を掴んだ手は、行き場なく彷徨っている。
それに驚いた目を向けていたのは龍晶自身で。
気まずさと自己嫌悪で、相手の顔など見れなかった。
「申し訳ございません。つい…」
謝る宗温に、激しく首を横に振って否定を表す。
悪いのは自分だ。なのに、いつも。
「何でもない…大丈夫だ。済まん」
俯いたままそれだけ言うのが精一杯だった。
宗温はじっとその様を見詰めて、口を開いた。
「殿下がそうしてお一人で耐えねばならなくなったのは、小奈のせいなのだとしたら…申し訳なく思います」
「…え…?」
思わず顔を上げた。
相手の方が余程、辛そうな顔をしていた。
「彼女の事があるから、殿下は誰にも助けを求められなくなってしまったのでしょう?」
違う、そんな事はない、と。
建前ではそうも言えた。
そうやっていつも、相手を慮って本音を隠してきた。
でももう、それが出来なかった。宗温の言葉は真実であり、心の奥底を射抜かれてしまった。
口元は震え、声を発する事は出来ず、目に涙が溜まり、ぽろぽろと落ちる。
射抜かれた胸が痛かった。ただただ、苦しかった。
それこそが長年、麻痺させて無理やり忘れようとしてきた苦しみだった。
「小奈は…本当ならば今も、殿下のお側でその苦しみを分かち合いたかったと…恐らく彼女自身が悔いている事でしょう。お許しください。誰よりもあなた様をお救いしたかった彼女が、逆に苦しませねばならなくなってしまったのは、決して本意ではございません」
分かっている。そんな事。
全ては俺が悪い。あの時、彼女に助けを求めてしまったから。だから。
彼女が好きだった。肉親のように愛してくれて、肉親以上に側にいてくれて。
その愛も、温かさも、思い出も、悲しさも、全て閉ざして蓋をせねばならなかった。そうでなければ恐ろしく冷たい日々を生きてゆけなかった。
怖かった。誰かに手を差し伸べた記憶が。
それは恐ろしい罪だと思い知ったから。
宗温は咽び泣く龍晶をずっと見守っていた。
泣く子に寄り添う親のように。
「…宗温」
やっと、言葉になった。声は出ない、呼気だけの言葉だが。
「許してくれ…お前から小奈を奪った…俺の罪だ…」
ずっと言わねばならないと思い詰めていた事。
だけど直視する事を避けてきた。
そんな卑怯な人間だと、己を嘲笑って。
今やっと、素直になれた。
「許します、殿下。私は許しますから」
再び伸ばした手が、今度は濡れた頬を覆った。
「殿下もどうかお許しください。あなた自身を」
龍晶は頬に置かれた手に己の手を重ねた。
いつも、こうしてくれる人がいた。
「…小奈が許してくれるなら」
宗温は深く頷いた。
「彼女は何も恨んでいません。許さねばならぬ事も無い。小奈は…もう一度殿下に会いたいと…そう笑って逝った」
ぱたりと、手を落とした。
力が抜けてしまって。
彼女は、恨んではいなかった。
また会いたかった。
今際の際の悲しい笑みではなく、いつかのあの笑顔で。
「宗温」
報いる為にこの国を変えると。
そう決めた。
「もう一度…人を信じたい。皆の力でこの国を変える為に。力を貸してくれ。…信じても、良いか…?」
宗温は深く頷き、龍晶の手を取り両手で包んだ。
「小奈の為…力の限りあなた様に報いましょう」
龍晶は小さく頷いた。

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