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月の蘇る
  6
   龍晶が回復するまで逗留するよう哥王は告げた。
   旦沙那の家には使いが出され、燕雷らに心配はかけずに済んだ。配慮の細やかさは王の人柄ならではだろう。
   一晩経ち、龍晶は普通に喋れるまでに回復した。
   朔夜は早速天蓋の下の枕元に椅子を引き、二人きりの部屋で時間を埋めている。
「大国を治める女王、か」
   目を覚ました龍晶に説明出来る事は説明した。彼は身を横たえたまま、王とは知らず見たその人を思い出し、呟く。
「女王である事と、正体が明かされない事と、関係があるんだろうか」
「うーん、どうだろう」
   朔夜は言葉を濁した。明紫安に隠すよう言われたのは力についてだけだが、尋常の人ならざる事全てに触れない方が良い気がした。
   龍晶は、不死となる方法をも彼女から聞き出そうとするだろう。
「俺達はどうしてここに呼ばれたんだ?お前、何か聞いた?」
   当然の問いに、ああと声を出しつつ考える時間を稼ぐ。
「はっきりした事は何も。ただ、珍しかったんじゃないか?」
「やっぱり異国の珍品を見物しようって趣向か。お前の正体も知られていたんだな」
「そうらしいよ」
   深い事は何も言えなかった。
   知れば知るほど、それは龍晶にとって毒である気がして。
   そんな朔夜を龍晶はじっと観察する。
「どした?」
「…いや、別に」
   視線を外されて正直ほっとした。
「それよりもお前だよ。酒を飲んだらこうなるって分かってたのか?旦沙那は知っていたぞ」
   ほっとしたついでに話を変えた。勢いに乗って悪戯っぽく責めてやらねば、反省もしなければ口も割らない友だ。
「…異国の酒が思いのほか強かったんだよ」
   子供の言い訳のように龍晶は口を尖らせた。
「こんな事になるとは思ってなかったのか」
「思わないだろ、酒飲んで血を吐くなんて。それで死んだら笑い物じゃねえか」
「笑えなかったよ。ほんとびっくりした」
「…済まん」
   言い訳を重ねた末に大人に無理矢理言わされるごめんなさいのような謝罪だ。
「べっつに、謝って欲しい訳じゃないし?」
   ここぞとばかりに反撃する。ごめんなさい合戦については、いつもやられる一方だからだ。
「じゃあもういい」
   あっさりと不貞られた。
   慌てるのは朔夜の方だ。これでは何の意味も無い。
「良くないよくない!違うって龍晶、そういう意味じゃなくて…俺はお前が本当に何も考えずに酒を飲んだとは思えないんだよ!」
「はあ?自棄酒に考えも何もあるか。お前は酒なんか飲まない餓鬼だから分からんだけだろ」
「あーもう、この際餓鬼でも何でも良いよ。ただ、自棄になった末に本当に自分を棄てようとしたなら、それはやめてくれって言ってるんだよ!」
「お前に何が分かるんだよ!!」
   怒鳴って、それは答えを言っているのと同じだと気づいて、気まずく顔を背け枕に埋めた。
「俺は、お前の弱音も愚痴も聞けない頼りない存在か。ま、信じられないのも無理は無いよな。所詮、化け物だし」
「…そうじゃない」
「謁見に置いて行ったのも、その理由を教えてくれなかったのも、結局お前は俺に頼りたくないからだろ?一人で全部問題を抱え込みたいんだ」
「違う、朔夜…そうじゃないんだ」
「違わないよ。置いて行かれる身にもなれってんだ」
   おずおずと龍晶は手を出して朔夜に差し出した。
   朔夜は迷わずその手を両手で受け取る。
   そして笑った。
「そうだよ。これで良いんだよ」
   助けを求められる手がある。それを知って欲しかった。
   出会った時から、ずっと。
「で?」
「え?」
「お前は何を隠している?」
   そのまま固まってしまった。
   弱みを突かれたら突き返す。その洞察力には敵わないが、全くもって可愛げが無い。
「…気のせい…ほら、誰か来た」
   誤魔化しているのではなく事実である。
   入ってきたのは香奈多だった。
「昼餉の準備をさせて頂きます。お二人共こちらでお召し上がりになりますか?」
「はーい」
   朔夜一人が子供のように嬉しげに手を挙げる。
「かしこまりました」
   香奈多は外に控える女官らに合図して、膳を運ばせた。
   その間、彼女は紗幕を潜り、龍晶の傍らに来て跪いた。
「龍晶殿下、ご気分は如何ですか?よろしければ陛下が昼食を共にしたいと仰せですが」
「無論、そういう事ならば俺などにお断り出来る筈も無いでしょう」
「ご無理にならぬよう申し渡されております。殿下のご気分でお決めくださいませ」
「…寛大な王宮ですね、ここは」
   困ったように微笑み、龍晶は香奈多に伝えた。
「身支度をする間を頂けますか?」
「勿論でございます。お着替えもお持ち致します。ただ、身を起こすのがお辛いようでしたら、そのままでも陛下はお構いになりません」
「大丈夫です。お陰様で体は元に戻りました」
「何よりでございます」
   香奈多は女官に盆に入った衣服を持って来させた。
「陛下自らお選びになったお召し物でございます。どうぞお試し下さいませ」
「陛下自ら…!?」
   流石に驚き、また笑ってしまった。
   これほど手厚いもてなしなど、全く想定外だ。
   香奈多はにこりと笑い、女官を伴って退出した。
「あー。王様好きそうだもん、こういうの」
   軽々しく放言する朔夜をひと睨みして、盆の上の服を検める。
   薄青の胴衣と、深紅の帯。袴は濃紺だ。それぞれに金糸で細かく刺繍がしてある。
   戔の正装と同型だ。それに何より驚いた。
「これがこの国にあるのか…」
「そりゃさ、ここ、いろんな国の物が集まってるから」
「何だと…!」
「後でゆっくり王様に聞いてごらんよ。あ、着替え、手伝おうか?」
「要らん。一人で着れる」
   本来、この服を着る程高貴な身分ならば自分で着替えるという事は絶対に無いのだが、龍晶は長年己の世話は自分でせねばならなかったので慣れている。
   手早く衣服を着、髪を整え、これまた用意されていた袴と同色の上衣を羽織って、外への扉を開けた。
   女官らの溜息が朔夜にも聞こえてきた。
   確かに、こういうきちんとした身なりをすれば、溜息の漏れるほど麗しい王子様には違いない。近ごろ益々乱暴になった減らず口さえ無ければ。
「お待たせを致しました」
   香奈多は頷き、立ち上がった。
「すぐに陛下をお呼びして参ります」
   朔夜ははたと自分の身なりを見下ろした。
   旅に草臥れた格好そのままだ。
「良いんだよ。お前はただの山から出てきた猿みたいな餓鬼なんだから」
「なっ…!」
   その王子様然とした格好で言われると余計に腹が立つ。
「ま、俺は見て呉れだけだ」
   自嘲して長い袖を翻し、再び外の回廊へ立った。
   朔夜もその隣に立つ。
   哥王、明紫安が歩み寄りながら微笑んだ。
「矢張りよくお似合いです、殿下」
   龍晶は膝を折り深々と頭を下げた。
「過分なるご厚遇、痛み入ります」
   朔夜は跪くのも変だが突っ立っているのも所在無く、そわそわと二人を見ている。
「ただの年増女のお節介です。入りましょう。外の冷気はお体に触ります」
   明紫安は朔夜にも微笑みかけ、二人を部屋の中へ連れ戻した。
「どうぞ、お座り下さい」
   王は二人を席に座らせ、自らも対面に座った。給仕の女官がそれぞれに付き控える。
   龍晶には粥が出され、朔夜には黄金色に輝く米料理が出された。こんなもの見た事が無い。
「どうぞ、お上がりになって」
   朔夜がおずおずと口に運ぶ。何とも食欲をそそる良い匂いがする。
   じっと龍晶が横目に見ている中、朔夜はあまりの美味さに見開いた目で友を見た。
「これ、物凄くうま…美味しい」
   流石に言葉は考えた。
「お口に合うなら良かった。これは遠く西の国から来た香辛料を使いました。面白いでしょう?」
「西紅花でしょうか?西の彼方の国で米をその植物で黄色く色付ける料理があると本で読みました」
「殿下は博識でいらっしゃるのですね。その通りです」
「陛下は外来の文化にご興味がお有りなのでしょうか」
「ええ。世界は楽しいのです。いろんな食べ物や、いろんな植物、物、そして人…みな違う。その違いを愛でるのが、私の趣味です」
   龍晶はふうと息を吐いて、己の前にある食器を持ち上げた。
「敵国との交易も、陛下ならば可能という事でしょうか」
   金の器。まごう事無き、北州の金だ。
   明紫安は微笑んだ。
「その器も、衣服も、百年あまりの昔に戔から贈られたものです。大事にしていた甲斐がありました」
「百年…?」
「殿下の曾お祖父様とは、仲良くさせて頂いたのですよ?」
「昔は国同士仲良くしてたんだな」
   龍晶の疑問を拭い去るように朔夜はすかさず口を挟んだ。
   それに構わず暫し何か考えてから、龍晶は口を開いた。
「ああ…思い出しました。記録を読んだ事があります。私の高祖父の戴冠式に来た使者に、哥の陛下への土産を持たせたという、我が国の数少ない哥王朝との交流記録がありました。確かに金の食器と藍で染めた装束と読んだ記憶があります」
「よくお調べになられていますね。その通りです。当時の王はまさにその衣に袖を通し、美事な生地だと喜んでおりました」
「陛下こそお詳しいですね。まるで当時を見られたようです」
「えっ、でも」
   朔夜の裏返った声が突然話を割った。
「百年前の王様はあなたではないのですか?」
   当然だが沈黙が訪れた。
   その沈黙で己のしくじりを知り、それが思い切り顔に出て来る。
   龍晶の白々とした朔夜への視線。それを細めて王に戻す。
「申し訳ありません。時々訳の分からぬ事を言い出す者で」
「いいえ。私は良いのです。良き朋友をお持ちですね」
「お恥ずかしい限りです。しかし陛下、何故に陛下はこの朔夜をお召しになったのですか?先日、宮中に参った時にこの者は連れて行きませんでしたのに、どこでお知りになったのです?」
   龍晶は何よりも知りたい、危惧している件を一挙に詰めた。
   朔夜の正体が知られ、その力を利用しようとしているが故にここに連れて来られたのなら、納得は出来るが譲る訳にはいかない。
「それは…龍晶、その」
   朔夜が慌てて何か言おうにも、良い嘘など思い付かない。
   龍晶は真っ直ぐ哥王を見ている。
   彼女は言った。
「頼み事があって」
「頼み事?」
「ええ。かの有名な南方のお月様に、是非ともお頼みしたい事があるのです。でもそれは今すぐという訳ではなく、いつか、気の向いた時に、またここにいらしてくれたら、という程度の話です」
「え…?今でも良いですよ?」
   当の朔夜がきょとんとして受けようとしたが、明紫安が首を振った。
「今は殿下をお助けせねばならぬでしょう?少し時間のかかる話なので、いつかあなたの気が向いた時で良いのです」
「それはどういう向きのお話なのか…差し支えなければ伺わせて下さい」
   龍晶が鋭く問うた。
   戦の話ならばこの場で朔夜に代わり断るつもりだ。
   が、明紫安から出た言葉はそんなものではなかった。
「人探しです」
「…え?」
   二人揃って拍子抜けする。
   明紫安は微笑みながらも、初めて視線を逸らして憂いの混じる目を庭へと向けた。
「私の双子の弟を見つけて欲しいのです」
「それは…」
   躊躇いつつも龍晶は指摘した。
「国を挙げて捜索されているのでは…?」
   それでも見つからない人を、朔夜一人に探せというのは無理がある。
「国は動けません。あの子は存在の消えた者とされているから」
   龍晶は軽く頭をぶつけたような衝撃を覚えた。
   それは、母と同じではないか。
「しかし…しかし、本当はご存命でいらっしゃるのでしょう?」
   必死になって言葉を繋げる。他人事とは思えなくなった。
   明紫安は頷いた。そして呟くように告げた。
「我が国において双子は禁忌なのです。必ず不吉が起こると信じられています。それが王家では具合が悪い…だから、本当は存在を消されるのは私の方でした。しかし、それに異を唱えて…あの子は自ら消えてしまった」
「そんな」
「ですから、我が民は未だに王は男であると信じております。王が消えたと公には出来ませぬし、存在の消されていた私は今度は都合の良い存在として密かに代役を務めるしか無かった」
   二人は押し黙るより無かった。
   軽々しく何か言える事では無い。そもそも、聞いてはならぬ事だったかも知れない。
   だが、哥王が謎に包まれた存在となった理由ーーその答えだけははっきりと解った。
「ごめんなさいね。他言出来ない話をお聞かせしてしまいました」
「いえ…」
   龍晶は緩く首を横に振った。突っ込んで聞いてしまったのは己だ。
   明紫安は龍晶に視線を戻し、慈愛に満ちた表情で言った。
「殿下はいつの日か、お母上にお会い出来ると良いですね」
   何故それを知っているのか、そんな疑問も起こらずに。
「…はい」
   俯き、呟くように応えた。
   明紫安は頷き、表情から憂いを消して龍晶を覗き込んだ。
「殿下にもお願いがあります」
「何でしょう?」
   気分を変えるように明紫安が楽しげな声で言った。
「今少し、そのお姿を見させてください。よくお似合いですし、矢張りお美しくていらっしゃるので」
   龍晶が褒めそやされて顔を赤らめるのを、朔夜は初めて見た。
「それは…お美しいのは陛下の方です」
   何とか社交辞令の応酬として躱したが、初々しさが浮き立つ様だった。
   今まで何を言われても涼しく躱してきたのだろうに、突然どうしたのだろうと朔夜は訝しむ。
   そして、龍晶の姿に目を細める明紫安を見て、何となく分かった。
   彼女の言葉にお世辞も嘘も、当然下心も無いからだ。
   裏を見ればどす黒く汚れた言葉ばかり投げ掛けられてきた龍晶には、偽りない言葉というものに慣れが無いのだ。
   明紫安の本心がすっと心に届いたのだろう。
   母に会いたいという、自分自身の偽らざる本心と共に。
   明紫安の龍晶を見る目は、まるで我が子を見るようなそれだった。
   そして直感的に感じた。
   かつてこの藍の衣に袖を通したのは、会いたくても会えない弟なのだろうという事を。

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