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月の蘇る
  3
   王宮に行くつもりで待っていた朔夜は、龍晶の宣言に目を見開いた。
   つい三日前、一緒に来て欲しいと頼んだその口で、全く真逆の事を言われたのだ。青天の霹靂という心持ちになっても無理はない。
   龍晶は相変わらず卓につき肘付いた手で目から額を覆っている。
   何も見ない、知らないと言わんばかりに。
「言ってる事が違うだろ」
   朔夜は龍晶の背中に向けて責めた。
「力を見せろって…それを切り札にするって…そう言ってたのに、なんだよいきなり」
「やっぱりそこまでする必要が無いと判断しただけだ。お前はここで待ってろ」
   淡々と、高圧的に龍晶は返した。何も見ないまま。
   その態度が火に油を注ぐ。
「じゃあお前に何があるんだよ!?交渉に有利になりそうなもの、他にお前は持ってるのか!?」
「お前の知った事か!」
   一言怒鳴り返して、体力を惜しむように声を落として続けた。
「何の関係も無いお前にそんな事を言われる筋合いは無い。俺は俺の力で交渉を纏める。それだけだ」
「はぁ!?」
   到底、納得など出来る筈も無く。
   じゃあ勝手にしろと喉まで出かかっているが、それは言えなかった。
   自分は関係無いのも、交渉自体は龍晶一人の戦いである事も分かっている。ただ、駄々を捏ねねばならないのは、最悪の事態にならないとも限らないからだ。
   建前は捕虜解放の謝礼と言ってきているが、何が狙いなのか、何が起こるのか、ここに居る誰もが予測不能だ。龍晶自身も三日前に言っていた。自ら袋叩きに合いに来た、と。
   戔の彼にとって哥の王宮に行く事は、敵陣のど真ん中に一人捕らえられた状態であるも同然だ。
   それを守るのが自分の役目だと道中ずっと考えてきたし、その為に龍晶も自分を連れて来たのだと思っていた。
   それが直前になってこれだ。
   全く意味が分からない。
「じゃあどうして俺を連れて来たんだよ!?」
   は?と龍晶は嘲るように問い返し、やっと視線をくれた。
「お前が勝手に追いかけて来たんだろ?」
   それは全くその通りなのだが。
   じゃああの朝の言葉は何だったのかと思う。
   一緒に居て欲しいのか欲しくないのか、またその話だ。
   傍から見る燕雷にとっては、これはもう痴話喧嘩以外の何物でもなくて笑いを堪えるのに必死である。
   旦沙那が出て来ない一行に痺れを切らして様子を見に来た。
『何やってる、行くぞ』
   がたんと椅子に派手な音を発てさせて龍晶は立ち上がった。
   そして朔夜に釘を刺した。
「俺はここで待ってろって言ってるだけだ。留守番も出来ない餓鬼か、てめえは」
   そして苦労の賜物である書状を持ち、孟逸に目配せして、そして最後に燕雷に頷きかけ、出て行った。
   託された燕雷は我慢した分を存分に笑うしかない。
「なに、が、おかしいんだよっ!!」
   龍晶に躱された怒りが当然だがそのまま八つ当たりにぶつけられる。
「いや、もう、可笑しいだろこんなの…大傑作だ」
「どこがっ!!」
   ついに枕が飛んできた。まともに頭に受けたがそんなもので止まる可笑しさではない。
   ひぃひぃ言いながら燕雷は言ってやった。
「もう、仲良すぎだろお前ら…あーもう、華耶ちゃんへの土産話決定だなこりゃ」
「な、ん、で、だ、よっ!?」
   ありったけの枕を体に受けて、やっと燕雷は笑いによる呼吸困難を鎮めだした。
「なんで笑われなきゃいけないんだよ!?こっちは真剣なのに!!あいつの命がかかってんだよ!?それ分かってないのか!?だからお前は楽天主義の権化なんだよ!!」
「また更に笑わせにかかるのやめてくれる?」
   いよいよ枕では済まない固いものを探し出したので、まあまあと宥めて。
「お前の言う事は分かるよ。分かるけど、あいつはあいつなりの考えがあって言ってる事なんだから、まぁ今回はそれを尊重しようや。以上、それが俺の見解」
「今回は、って、次は無いかも知れないのに!あいつがどんな状態で帰ってくるかも分からないのに!?」
   関所での惨劇のような、または更に酷い事になる可能性は十分にある。
「それも覚悟の上だろ。だから、ま、いざとなったら孟逸や旦沙那に働いて貰う事にはなるだろうが」
「それなら俺の方が確実だろ!?」
「どうしてお前を外したと思う」
「は?」
「逆に考えてみれば良いだろ。どうして龍晶はお前を連れて行けなかったか」
「行けなかった…って」
   燕雷は視線だけを向ける。
   自分で答えは出せるだろう、と。
「俺は…相手を殺すかも知れないから」
   悄気かえった語気で朔夜は答えた。
   これも三日前に釘を刺された事。十分理解していたし、それを破るつもりは無かったのだが。
「でも」
「でもの通じない場所にあいつは行ってんだ。あいつだってお前を信用したいのは山々だろうがな」
   関所での事を考えれば、それは出来ない。
   朔夜は力を無くして寝台に座り込んだ。
「また肝心な時に…」
   あとは深い溜息で言葉にならない。
   いつも大事な時に喧嘩して側に居ない。
「あーあ、元気出せ元気出せ。萎れててもあいつに鼻で笑われるだけだぞ?」
   うーん、と悲しい獣の唸り声だけ返される。
   仕方ないから燕雷は教えた。
「だからさ、あの朝にお前と別れる気はないって言ったの、お前がこうして役に立たなくても別に良いっていう意味だったんだろ。俺もお前は用心棒じゃないって言ってやったろ?別に、あいつの為に何かしようって四六時中考えてなくても良いんだよ。お前ら友達なんだから。それだけで良いんだよ」
   悲しい獣は膝を抱えて上目遣いに見上げてくる。
   それでも何とか人語を解したようで、小さな溜息一つついて寝床にごろんと転がった。
   あとは理解した事を受け入れるだけだろう。
「それにさ、やっぱり龍晶はお前が友達だから連れて行きたくなかったんだと思う」
   駄目押しとばかりに燕雷は言葉にした。
「力を見せて交渉の切り札にするなんて…お前を利用するようなやり方は、あいつには出来ないだろうよ。優しい奴だから」

   馬に揺られながら、龍晶は旦沙那に一つ確認をした。
『軍は俺の事をどう見ている?』
   彼は肩を竦めた。
『俺も暫く休めと言われて遠ざかっているからな、どういう話になっているのかは知らん』
『ただの笑い者なのか、俎板の上の鯉なのかは知りたい所なんだが』
   苦笑いしながら今度は孟逸に目をやる。
「もしもの事があったら、構わず逃げてくれるか?苴の高官を巻き込む訳にはいかない」
「良いのですか」
「それが出来るから貴殿を選んだのですよ」
   戯け気味に言ってみるが、それが真意だ。
   朔夜は暴発する。危険過ぎる。かと言って燕雷も情の厚さで、当然助けに動くと思われる。
   だからこそ、一番付き合いの浅い孟逸が適任だった。
「しかし、それは…殿下はどうなされるので?」
   龍晶は相変わらず戯け気味に肩を竦めて答えた。
「なるようになるでしょう」
   そういう事態になれば終わりだ。それはもう覚悟ではなく諦めだった。
   そこに朔夜が居てくれれば、或いは不死の力を授かるのではないかとーーそんな甘い賭けはやめた。
   ここで終わるのなら、これ以上生きる資格は無いというだけだ。
   仄かに安心していた。今から見なければならない耐え難い現実を全て捨て去ってしまえる。
『折角俺が拾ってやった命、また捨てる気か』
   旦沙那が口を挟んできたので、解ってたかと小さく舌を出して言い訳した。
『俺は捨てる気無いよ。お前のお国次第さ。その決定に従うだけ』
『同じだろう』
『お前にも頼むよ。何があっても冷静に判断してくれ。折角故国に帰す事が出来たんだから』
   舌打ちが返ってきた。龍晶は小さく笑った。
   待ちに待たれた謁見は、罪状を告げられる法廷と同然だった。
   そこまで覚悟せねばならぬのは、勿論あの戦を指揮していた張本人でもあるからなのだが、朔夜による関所の惨劇を国がどう把握しているのか分からないからだ。
   全てが露見しているのなら、否、確実にそれは隠す事は出来ないのだが、それはもう首を何回落とされても仕方のない事だ。
   それを謝礼という言葉で包んできた。それが不気味なのだ。
「笑い者にされながら捌かれる鯉って所なのか」
   一人ごちて暗澹たる思いで王宮を見上げた。
   夢にまで見た場所。
   白壁が眩しい。控えめな装飾が却って気持ち良い城壁だ。戔の富裕を示すだけの無駄な豪奢さとは大違い。
   旦沙那の言葉に応じて衛兵が門を開ける。
   中は広い牧草地のようだ。馬が自由に駆けてゆく。しかしよく調教されていると見え、番人の声にその通りに反応した。
   青々とした草の中に、白石の道が通され、奥にはまた一段と白く、丸みを帯びた不思議な形の宮殿が聳え建っている。
   美しい所だった。
『この国を蛮野と信じて疑わない戔の者たちに見せてやりたいものだ』
   思わず旦沙那に言うと、彼は初めて嬉しげに微笑んだ。
『そうだろう?是非そうしてやってくれ』
   そう、それが長年の夢だ。
   今まさに夢を見ているような気分で、美しい庭園を抜け、宮殿へと近付いた。
   馬を預け、中へと入る。
   衛兵に話は通っていると見えて、すぐに待合所らしい一室に案内された。
   完全に賓客を迎える扱いだ。これまでの危惧との落差に戸惑いもする。
「灌では即刻地下牢に案内されたんだがな」
   冗談交じりに孟逸に教えると、目を丸くしている。
   だが冗談を言っている暇も無かった。待たされる事なく衛兵がやって来て、これより大臣に目通りする旨を告げられ席を立つ事となった。
   余りの早さに逆にまた不気味さが増す。
   謁見用の広間に通される前に持っている武具の類を全て預け、隠し持っていないかそれぞれが検査された後、その扉の前へ立った。
   両開きの扉が開く。
   両脇にずらりと兵が並ぶ。その一番奥、舞台のように高くなった場に紗の布が掛かり、その向こうに空の玉座があった。
   そしてその手前、紗の前に一段低い台座が設けられ、そこに座る厳しい初老の男ーーその人こそが大臣瀉富摩(シャフマ)だ。
   その前には更に高官らしい人物達がずらりと並んでいる。見たところ武官が多い。
   龍晶は膝を折り拝謁の姿勢を取った。
『閣下への御目通りをお許し頂き、恐悦至極に存じます。私は先の戔王が第二王子、龍晶と申しまする』
   龍晶の操る言葉の完璧さに、高官らは騒然とした。言葉もだが、現れた人物の予想外の若さにも彼らは驚きを隠せなかった。
   敵国の若き王子が、完璧に自国の言語を話す。これまであり得なかった光景だろう。
   それが供らしい供を一人も付けずにこの宮殿に居る。好奇の目で見られるのは当然だ。
   孟逸、旦沙那も名を名乗った。孟逸の通訳は龍晶が自らした。それもまた彼らの好奇心を煽る事態であった。
   見ようによってはそれは、戔は苴の属国となったとも取れるからだ。
   龍晶自身はその意図は無い。そう見られても構わない。今自分は国とは何の関係も無いし、苴は自分への協力を申し出てくれている。上部を飾る必要は無かった。
   それよりも通訳が要らぬという事を相手に見せつける必要があった。勝手な解釈は許さぬ、と。
『面白い。何故に貴殿は我が国の言葉を操られる?』
   瀉富摩が初めて口を開いた。龍晶はありのままを答えた。
『いつの日か貴国との戦が絶える事を願い、幼き頃に習得致しました。師は貴国の通訳士であった舎毘那殿です』
   何、と声を上げる者がいた。
   高官らと龍晶らとの間に立つ、白髭の老人だった。
『存じておるのか?』
   大臣が老人へと訊く。
   は、と彼は平身低頭して答えた。
『我が愚弟でございます』
『なんと。奇遇であるな』
   ただの偶然ではない。兄は家を継ぎ宮へ仕え、弟は異国への人柱として犠牲になる所を人材の無さ故に拾われたのだ。
   奇遇であったのは、舎毘那の人生そのものだろう。
『その者は息災か?』
   兄の聞きたい事を、大臣が代わって尋ねた。
『はい。今や隠居の身ではありますが、息災であると聞いております』
   込み入った事情は隠して龍晶は答えた。
『そうか。貴殿も今や師に会う事も叶わぬ身であろうから、伝言などは頼まぬ方が良いの』
   瀉富摩の言葉に龍晶は顔色を変えた。
『我が国の事情、お聞き及びでしょうか』
『知っておる。故に貴殿は捕囚を自由にする事が出来たのであろう?』
   大臣は言うなり側近に合図し、金襴の袋を龍晶の許へ持たせた。
『我が兵を無事、国に戻してくれた事と、鉄の謝礼じゃ』
『鉄…!?』
   旦沙那を振り返る。
   彼は低い声で囁いた。
『荷駄の一つはここに届けさせた』
   はっとし、更に頭を下げ大臣へと告げた。
『鉄は我が故郷の産物。お近付きの印でございまする。その話の前に、私は重大な書状を預かって参りました。これを』
   袋を持ってきた側近に、二国の王の書状、そしてその訳を持たせる。
   大臣の手に届けられ、早速に中を検められる様を見ながら龍晶は説明した。
『灌王、そして苴王直々の書状でございます』
『ふむ…本物だな。翻訳はそなたか』
『はい。粗末ながら』
   瀉富摩は書状の翻訳に目を通した。
   二つの書状が物語っている事は大体同じだ。
   戔を含む南方諸国から哥が兵を退けば、我が国との交易を始め双方を富ませよう、と。
   更に灌王は、どうかその若者に協力してやって欲しいと書き添えていた。
『戦を止めよ、か。そなたも同じ事を言いに来たのだろう』
   龍晶は頷き、言い添えた。
『せめて一年、壬邑への進軍を留めて頂けませんか?正直に申し上げて、戔は今、貴国と戦をする余裕は無いのです。もしも我々が現王へ勝利すれば、貴国に鉄と金の採掘権をお分け致します。勿論、他の交易も。貴国の利となるよう働きます。だから、どうかお聞き届け頂けませんか…!?』
   大臣は。
   不敵な笑みを浮かべ、返した。
『我が国にそこまで物が無いとお思いか?』
   びくりと、体が震えた。
『打首覚悟で来たそなたの勇気に免じて、今日は無事で帰そう。捕囚と鉄の礼は己の首と思うが良い。道中、くれぐれも気をつけよ』
『待っ…』
   言おうとした口は不意に塞がれた。
   旦沙那の手だった。
   孟逸もまた、龍晶の体を捕らえて離さず、二人は引きずるように抵抗する体を謁見の間から放り出していた。

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