月の蘇る 7 「龍晶お前…正気か…?」 口元を引きつらせて朔夜が問う。 「ああ、狂ってるかもな。そんなの自分では分からんだろ」 淡々と龍晶は答える。 その冷静さに朔夜は口籠った。 「肉親を救いたいって気持ちは分かるけど…」 そんな一言で収まるような関係ではない事は、重々承知している。 何より、反乱する上で最大の敵となる存在だ。その兄が王座に座るが故に決断したのではないか。 その同じ人物を救いたいとは、矛盾も甚だしい。 「あの人だって、今のようになりたくてなったんじゃない。逃れられなかった。それは分かるんだ。だから…」 「でも、お前が受けてきた暴力も、お前の周りの人たちにされてきた事も許せるのかよ?貧民街のあの事件も…あの王様がした事だろ」 「…周りの取り巻きがやった事だ。少なくとも、奴らに担がれたから兄上はせざるを得なかった」 「そんなの言い訳だよ!」 怒鳴る。現実を見させねばならない。 「お前がそう言って逃げてるだけだよ!そんな事実は無いだろう!?」 「俺が生きている事が証拠だ」 一言、静かだが有無を言わせぬ重さで龍晶は断言した。 「…どんな理由を付けてでも消すのが普通だろ。だけど俺は生きている。生かされて恩を仇で返そうとしている…」 「恩じゃないだろ。お前がやろうとしているのは、当然の報復だよ」 「そんなものが許されると思うのか?そういう…向こう側の人間なのか、お前は」 そこまで問われてぐうの音も出ない。 血を血で洗う事の愚かさ。それを是とする人間が居る。 それを彼は向こう側の人間と見ている。同じ言語を使いながら、言葉の通じない人間。 「彼だって、最初からそうだった訳じゃない。否…殴る事で俺の政治的な立場を無くさせ、命までは取らせないようにしていたんだと思う。勿論、こんなもの希望的観測に過ぎないかも知れないけど」 朔夜は口を挟む事を諦めた。 龍晶がそう望むのなら、そのままにしておいてやりたい。 唯一の肉親に向けて情を捨てろなどと、他人が言えるものではないだろう。 「それを…不死になる事で叶えられるものなのか」 それもまた繋がらない話だ。 「皓照と対立して勝てるとは思えないが…だが、俺が兄を殺すなと言えばそれを踏み越えられる者は居ないだろう。出来る限り生きて、皓照が好き勝手するのを食い止めねば」 確かに、龍晶が戔において最高権力者となれば皓照に対抗し得るだろう。 「もう一つ…。戔を灌のようにはしたくない」 「灌?」 朔夜からすれば灌は、今まで見たどの国より豊かで平穏な良い国に思えるのだが。 確かに牢に入れられて辛い思いはしたが、その恨みから出る言葉なのだろうか。そんな視野の狭い目を持っている友だとは思わないが。 「どういう事?」 「皓照を神にしてはならないという事だ」 分からない、と眉根を寄せる。 「灌は皓照の言いなりだ。俺達が牢に入れられたのも、お前が出されたのも、全て皓照の意向だろう。灌において奴に逆らう者は居ない。逆らおうと考える事もしないだろうな。全て鵜呑みだ。そんなの異常だろう?」 「でも、それで上手くいってるんじゃ…」 「今の状態が奴が生きている永劫続くと?そこまで信用出来る男か?」 朔夜はううん、と唸って返答を避けた。 龍晶は返答を待たず続ける。 「俺は信用出来ない。いつか奴は国を利用する。何を目論んでいるのかは分からないが、その為の布石に灌や戔を使うような気がしてならない。戔という国は戔の民の為にある。俺はそれを守らねば」 「だから、皓照と同じだけ生きられるようにならなきゃならないのか?」 頷いて、前のめりになり更に声を落として言う。 「奴を神としない為には、奴が実際何をしたか…伝説ではない証言が必要だ。灌はただ国生みの神となって崇められる事になった。誰も昔何があったか正確に知らないからだ。奴の存在を冷静に扱える支配者級の人間が必要なんだ。戔という国がある限り」 「分からなくはないけど…」 国を治める者の責任が、この発想に至らせるのだろうかと考える。 言っている事は分かる。一国が何の関係も無い一人の人間に左右されるのはおかしい、それは確かだ。 だが、理解は出来ない。それが不死を願わせる程の事なのか。 そう思うのは自分が支配者などには成り得ないからだろうか。 「…お前を不死にさせる事は出来ないよ」 見開いた目は、友に裏切りを告げられたそれだった。 慌てて朔夜は言い足した。 「違うよ、したくないとか言う問題じゃなくて…不可能なんだ。俺はその方法を知らない」 「方法があるのか?それが分かれば可能なのか」 「皓照に聞けば」 その一言で龍晶の顔から熱がすっと引いたのが見て取れた。 彼は乾いた声で笑い、息を吐き出し、目を逸らして言った。 「お前は全く、不便な悪魔だな」 朔夜が思わず顔を顰めて「え!?」と言うのを、龍晶は薄く笑って「冗談だ」といなした。 「皓照は燕雷に不死の力を与えたんだよな」 龍晶は改めて考え直すように呟く。 「うん。俺はどうやら華耶に同じ事をしたらしいけど…自覚が無いから、何とも」 それは初耳だったらしい。純粋に驚いた顔を向けられる。 「彼女も不死なのか!?」 「って、皓照が言ってるらしい…けど。まぁ、確実に俺も華耶も死んでた状況で、それでも生き返ってるから、きっとそうなんだろうけど」 実は未だに信じられないし、信じたく無い。 それは時間のみが証明する事だと思っている。その他はあってはならない。 「その時の事を教えてくれ。そうすれば、その方法とやらが分かるんじゃ…」 「龍晶」 苦い思いを噛み締めて、朔夜は言った。 「俺は華耶を本当に不死にしているとしたら、猛烈に後悔する。今のお前にはそんな事関係無いかも知れないけど、でもやっぱり…あってはならない事だ」 「それは、俺がこのまま死ねば良いという事か」 朔夜は激しくかぶりを振った。 「違う。もしお前にその時が来たら、きっと俺は手段を選ばなくなる。人としてしてはならない事をしてでも、お前を生かそうとするだろう。それが、怖い。だから方法を知らないままにしている。だけど、一つだけ言えるのは」 躊躇いながら。そう言いつつも自分は龍晶を不死にしたいと思っている、それを感じて。 「一度死ななきゃ不死にはなれないんだと思う。燕雷も、華耶もそうだった」 龍晶は「そうか」と言ったきり、押し黙った。 何を考えているのか。何も読ませない表情ではある。 だが、一番素朴に感じ取れるのは、死が怖いのだろうという事だ。 自分には麻痺してしまった感覚。 それが不死なのだ。 恐怖も痛みも無くしてしまう、それが苦しい。 その同じ場所に、友を立たせたいと、本音はそう望んでいる。 彼の望みを叶えたいと言うよりも、ただ仲間が欲しいから。 永遠を共に生きる仲間が、こいつだったら良いと思う、ただそれだけの事だ。 無論、それは望むべくも無い事だが。 「…俺が哥に行っても意味無いかな」 現実の問題へと視軸を移す。 「お前一人だと無意味だな」 分かってはいる事だが釘を刺される。 何か肩代わり出来ないかとは思うが、持てる荷の質が余りに違う。 「…行くよ、俺が」 龍晶が囁くように言った。 「え、でも…」 「死ぬ気でやらなきゃ虎子は得られない。最初からそういう事だったんだ」 「それって…」 萎んだ言葉の続きは言う気になれなかった。 何を得ようと言うのか。 哥との和議か、それとも。 「一緒に来てくれるか?」 浮かぶ思考を撃ち落とすように、龍晶は強い瞳で問う。 「うん。勿論」 迷う事は無かった。 ただ、引っかかるものは残った。 龍晶と、自分自身への、疑念が。 酒臭さを我慢して、高い椅子によじ登るように座る。 「よお、珍しいな」 隣席の酔客が驚いた目で見下ろしてくる。 二人きりで話をしようと思えば、ここに来るしか無かった。 「何を飲む?」 「酒じゃないもの」 「おいおい、そんなものここには無いぞ」 「飲みたい訳じゃないよ。分かってる癖に」 そもそも、酒を飲んだ経験が無い。 燕雷は手を挙げて店主を呼び、水を持って来るよう頼んだ。 「客人達はお休みになったか?」 朔夜は頷く。 溟琴は龍晶の返答を聞くなり消え失せたが、残りの客は同じ宿の別室に逗留している。 実は鵬岷にはお付きの人達がおり、龍晶と同室が良いという我儘が却下されるという一騒動があった。 そして、もう一人。 「あの苴の役人とはどういう関係なんだ?」 詳しい事を聞きそびれたままだった。 「ん、孟逸か?呑み友達だよ。今日も誘ったんだがまだ来ない」 「偉い人なのに友達なの?」 「八十も生きた人間の前で偉いも偉くないも無いんだよ。ま、本当の所は玄の弓と苴の繋ぎをしてくれている男だ。それで今回も来てくれたんだろう」 「皓照が絡んでいるから?」 「まあな」 ふうん、と朔夜は分かったような分からないような相槌を打つ。 気の良い人だというのは龍晶とのやり取りを見ていても感じた。それで燕雷とも気が合うのだろう。 店主が水を持って来て、場の空気が変わった所で本題を切り出した。 「燕雷は八十も生きてまだ友達も出来るなら、悔いる事なんて無いんだろうな?」 「…は?」 「不死になった事、後悔した事あるのかなと思って」 妙な顔付きで見下ろしてくる。致し方無い。 「龍晶に言われたんだ。俺を不死にしてくれ、って」 大仰に顔を顰める。その気持ちは分かる。 既に不死の力を持つ自分達にとって、それは有り得ない、あってはならない事だ。 「勿論、俺は出来ないって言っておいた。方法を知るには皓照に聞くしかないって…」 言いながら、自分が悪い事をしたかのように隣を伺い見る。 眉間に皺を寄せて明後日の方向を睨んでいる。 「燕雷」 おずおずと呼びかけると、彼は吐き捨てるように言った。 「血は争えないって事だな」 「…え?」 「あいつの父親も爺さんも、不死となる事を望みそれに取り憑かれながら死んでいった。権力者の性なんだろう。理解したくもないが」 侮蔑する口調は、彼らが不死を望んだ理由が利己的なものであると言外に語っている。 そうなのかも知れない。だが龍晶は違う。 少なくとも朔夜はそう信じている。 そして、彼の親族達もまた、止むに止まれぬ理由があったかも知れない。 「国の為なんじゃないの?」 一応、小さく反論してみたが無駄だった。 「理由なんざ何だって良いだろ。連中はとにかく死にたくないだけだ」 「それは人間誰だってそう思うものだろ?」 「その望みがどうして権力者だけ叶わなきゃならない?それが問題なんだ。皆が等しく生きて死ぬべきなのに」 「でも、彼らが不死になった訳じゃないし、俺達が権力者って訳でもない」 冷静な反論に、今度は燕雷も頭を冷やしたようだ。 「そうだな。俺が言うべきでもない話だ」 「別に誰も聞いてないから良いよ。それを言えば俺だってこんな事言う資格無い」 ただ、と朔夜は続ける。 「俺は死んでも良いけど、龍晶は生かしたいって思う。それだけ」 燕雷は酒を煽った息を時間をかけて吐き出し、言った。 「それは、解るけどな」 何度、同じ事を思ったか。 愛する人が自分の代わりに生きていてくれたら、と。 ただ、自分が思うのと、誰かにそれを言われるのは、違う。 「だけどな朔、同じようにお前を死なせられないと思う相手が居る事も忘れるなよ?」 分からない、という顔をしてくるので、呆れ混じりに揶揄ってやった。 「華耶ちゃんとかな?」 ぽかんと口を開けて、耳から赤くなっていく。 燕雷は軽く笑いながら、もしそれが本当に可能ならば、彼女は間違いなくそれを選ぶだろうと考え、冗談にならないと気付き笑う気が失せた。 「ま、俺だって出来る限りはお前を生かそうと思うよ。もう何度も死なしちまってるけども」 「うん…でも」 考え考え。永遠に届かない答えを探しながら。 「永遠に消えるのと、永遠に生きるの、どっちが苦しいんだろう…」 龍晶を生かしたい。 彼が望むなら、その為に不死にしても良いと思ってしまう。 だけど、それは結局彼を苦しめる事になる。そんな気がしてならない。 少なくとも自分はそうだ。永遠である事は、辛い。 「朔」 燕雷が厳しい口調で言う。 「感情に流されるな。お前の考えの方は正しいんだ。間違いを、犯すな」 生かしたいのは個人的な感情で、それをしてはならないという理性が正しい。 「うん、解ってる」 頭では重々解っている。 だが、華耶の時だってそうだ。無意識のうちに何が起こるか分からない。 恐らく、龍晶はそこに賭けているのだ。 己の命と引き換えにして。 [*前へ][次へ#] [戻る] |