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月の蘇る
  4
   苴の国境の町、宰原(サイゲン)。
   ここに、哥へと繋がる、唯一の関所がある。
   ここを許可を得て通らねば、例え国の使者であっても不法入国となり、即刻処刑される。
『例え一人であっても、国境を超えた時点で戦をしに来たと見做されるからな』
   関所へと向かう街道を進みながら、旦沙那が説明した。
『全く…好戦的な事だ。お陰で自分達の首を締めてはいないか?哥という国は』
   呆れた調子で龍晶が応じる。旦沙那が教えねば、関所がある事も知らず危うい所だった。
『そういう事を国境を超えたらくれぐれも口にするなよ。哥の人間は、自分達が優れていると信じて疑わない南方人を忌み嫌い滅ぼさんとしているのだから』
   そう言う旦沙那自身も苛立ちを隠していない。
『だから血を流さずには居られないのか』
   龍晶もまた蔑みを込めて返す。
『お前はそれを変えるんだろう?』
『ああ。少なくとも…国同士で血を流し合うような真似は止めねば』
『夢物語だな』
   鼻で笑われ、一睨みして龍晶は言い返してやった。
『それを承知でついて来たんだろ』
『まあな。だが、お前の世迷い言を本気にする連中ばかりじゃない。特にここからは』
『そんな事は分かっている。実際もう牢にも入れられたのは知っているだろう』
『灌などはまだ甘い。哥では今までのような手法は通じないぞ』
『だから鉄を持ってきたんだろ?』
   北州から引いてきた荷車には、鉄鉱石が積まれている。
   この大荷物は、哥に対して切り札となる筈だ。
『お前のような甘ちゃんは、土産を掠め取られて終わるのが関の山だろうよ。良いか、ここからは俺が交渉する。お前は言葉が分からない振りをして黙っておけ』
『はぁ!?そんなの…何の為にここまで来たと…!?』
『お前の為だ。お前のような餓鬼はすぐに捻り潰される国だと言っている。黙って見ておけ。出しゃばれば命は無いかも知れないぞ』
   確かに哥に入れば四面楚歌だが、これは旦沙那が大袈裟に言っているのだと龍晶は感じた。
   だが、ここまで脅される理由はあるのだろう。少なくとも、彼を信じる理由はある。
『ならば、交渉とやらの手並みを見てやる』
『はは、やっぱり王族崩れの坊ちゃんは言う事が違うな』
『言ってろよ。だが、お前が変な事を言い出したら割って入るからな?』
『それで摘み出されるのが落ちだろうよ』
   むっとしながら後ろから相手を睨む。
   その更に前方に城壁が見えてきた。
   頑強な門と、城と言っても良い作りの構造物、その周りから左右に延びる壁。それは延々と続いて果てが見えない。
『国境線をこの壁で隔てているのか』
   問うと、旦沙那は頷いた。
『侵入可能な所は全てな』
   背後に続く哥の出身者達がどよめきだした。
   いよいよ祖国が見えたのだ。無理も無い。
   念願の帰郷の時なのだから。
   一方で北州から来た仲間は龍晶と同じく長く巨大な壁に面食らっている。
   自分達がこれから相対する国を象徴するような光景に不安を覚えずには居られない。
「龍晶様」
   黄浜が声をかけてきた。
「このまま進みますか…?」
   この先を行く事が想像もつかないと言わんばかりだ。
   龍晶は平常心を保った振りをして頷いた。
「行こう。何も問題無い」
   未知の世界が怖いのは皆同じだ。
   旦沙那が先導し、威圧する門を潜る。
   そこを守る兵に旦沙那が何やら話を付け、兵は中へと入って行った。
   暫く待たされた後、上役らしい別の軍人が出て来て、段上から一行を睥睨した。
『哥の者が大半か』
   問われ、旦沙那が頷き答えた。
『戔の捕虜となっていた所を逃れてきた。故国に帰りたい。通して欲しい』
『ただ逃れてきたという体ではないのだろう。その者達は何だ?その荷は?』
『我々の協力者だ。共に通してやれないか?王城に行き話がしたいらしい』
『話だと?一体何を』
『取引をしたいそうだ。その為にこの荷を献上したい』
『その荷の中身は?』
『鉄だ』
『何?』
   軍人は顔色を変えた。
『言っておくが、これは王城に献上するものだ。そこまで無傷で運ぶ必要がある』
   旦沙那はそう釘を刺しておきながら、ただし、と続けた。
『運ぶのは我々だ』
   思わず龍晶は隣の男を伺い見た。
   それはどういう意味かと問いたいが、口を出すなと言われている。成り行きを見守るしかない。
   が、次の軍人の発言を聞いて思わず口を開いてしまった。
『そうか。ならば哥の出身者のみ通行許可を出す。その荷も含めてな』
『待て!』
   叫んで、旦沙那の鋭い目と、軍人の嘲り笑う目が向けられた。
   構わず龍晶は旦沙那に詰め寄った。
『何が狙いだ!?』
   意外な程、冷めた視線が下される。
   至極当然とばかりに、旦沙那は答えた。
『故国に帰る、俺は最初からそう言っているだろう』
   二の句を殺がれた。
   この人との出会いも、それが発端だった。
   自分を殺してでも故国に戻る、と。
『悪いが、俺はお前を利用しただけだ。お前も我々を利用した。それで良いだろう。あとは我々の自由だ』
   決定打のような言葉が、突然に殴られた時のように脳裡を揺らす。
   一言、振り絞るのがやっとだった。
『…達者でな』
   旦沙那はその一言に少し目を見開き、しげしげと少年を見返して、返した。
『お前もな』
   それから哥の者たちは門の向こうに消えていった。口々に別れの言葉を残して。
   慌てた黄浜が駆け寄ってきたが、龍晶は僅かな動作でそれを止めた。
「龍晶様、彼らは一体何と…!?」
   余りに主人が落ち着き払っているので、黄浜は会話の内容が双方納得済みのものと考え直したのだろう。
   龍晶は首を振った。
「ここまでだ」
   信じられないと黄浜は口を開きかけて、声にはならず、しかし別の問いを口にせねばならなかった。
「荷は…!?どうして彼らが鉄を持って行くのです…!?」
「彼らにも、ここを通る為の金が必要なんだ」
   本来ならば、哥の出身者であるからと言っても、易々とここを通り抜ける訳にはいかぬだろう。
   しかし、彼らは不問とされた。金になるものを持っていたからだ。
   国の暗部を散々見てきた龍晶には、このくらいの不正は驚くものでもない。
「では我々はどうするのですか。お考えをお聞かせ下さい!」
   黄浜の悲鳴混じりの訴えに頷いて、関所の軍人達に問うた。
『話を聞いて貰えまいか』
   彼らは互いに目配せし、頷いた。
『中へ入れ。お前一人でいい』
   龍晶は頷き、黄浜へ告げた。
「交渉してみる。待っててくれ」
「お一人で?危険では?」
   問いに曖昧な笑みで頷いて、他の仲間に向けても告げておいた。
「大丈夫だ。王の書簡もある。言葉も通じる。相手も人だ。何とかなる」
   黄浜の目元は不信を語っていたが、龍晶は彼の肩を叩いて招かれた方へと進んだ。
   城内に入り、手近な部屋へ通される。
   国境の要塞であるから軍事面を重視した内装かと思いきや、随所に装飾が見られる。
   自分が育った王城のように悪趣味な程の絢爛豪華さは無いが、哥という国が文化面で充実している事を見て取るには十分な内装だった。
『待て』
   部屋に足を踏み入れる前に足止めされ、前に兵が立ち塞がる。背後や横も囲まれた。
   突然、両腕を左右それぞれの兵に掴まれた。
   本能的に振り払おうとしても力の差がそれを許さない。
   前に居る兵が手を伸ばす。
   また。
   また襲われる、と。
   恐怖が全身を走った。
   逃げねばならなかった。しかし、度重なる経験はそれが不可能である事を知らしめている。
   それでも混乱するままに抵抗した。
   あらん限りの力で掴む手を振り払い、立ちはだかる男達に向けて刀を抜く。
   それでも迫る手に、出鱈目に刀を振り回した。
   だが相手は刀を振るう事に関して何段も上手だ。たちまち手首を掴み捻られ、虚しくその先の手から刃は落ちた。
   鼻先には敵の刃が突きつけられている。
   この状況が飲み込めないまま、龍晶は呟いた。
「殺せ」
   相手は、これまで散々自分を甚振り倒してきた、自国の大人達。
   死んだ方がマシだと、何度も繰り返しそう思わされてきた。
   だが、そうはならなかった。
   生かして貶める事こそ、王の狙いだったのだから。
『殺すな』
   現実の相手も、刀を持つ部下にそう命じた。
『殺せば後が面倒だ。もう二度と国境を跨ごうと考えないようにしてやれ』
   生きる事は苦しみでしかない。
   ここまで息をしてきた事が間違いだった。
   そう、何度も噛み締めてきたのに。
   またこうやって、繰り返す事しか出来ない無力な自分しか居ない。

   燕雷が確信を持って目指した街に漸く辿り着いた。
   何でも、哥に行くなら必ず通らねばならぬ街らしい。
「でも、もう通り過ぎてたら?」
「哥の都を目指せばそのうち追い付くだろ。何せ、相手は大人数だからな。嫌でも速度は鈍るし人目にも付く」
「でもさ、人目に付くって言ったって、言葉が分からなきゃ尋ねようも探しようも無いだろ」
「そりゃあお前、そこは…気持ちで伝えるんだよ」
「は?」
「言葉が通じなくとも人なら分かり合えるさ」
「おいおい、良い話にしようとしてるけどそれって何も解決してないから。本当は考え無しだったって言ってるのと同じだから」
「全く、最近の若者は理詰めで可愛げが無いなぁ」
「いきなり爺様化して誤魔化すな!」
   愉快な旅路を一度区切って、燕雷は辺りを見回した。
「冗談はさておき、宿屋を探そうか」
「え?まだ昼間なのに?」
   まだ進めると不満げな朔夜を差し置いて、燕雷は横道へと馬を進める。
「おい、燕雷!」
   慌てて後を追う。燕雷は構わず進みながら、左右の建物に目を配っている。
「宿探したって無駄だろ!あいつらはもう、ずっと先に進んでるって!」
「ここを通ったかどうかの証明にはなるだろ。ここから先はお前の言う通り言葉も通じないからそれも出来なくなるし。それに、そう簡単には国境は跨げない」
   それにはぐうの音も出ない。
   確かに以前苴から繍へ入ろうとした時、散々燕雷に苦労をさせた。
   古くから敵対する国を行き来するというのは、並大抵の事では叶わない。
   朔夜が苦虫を噛んで黙って付いて来るその間に、燕雷は何軒か宿屋の看板を発見し、中の者に異国の言葉を話す一行が来なかったかと尋ねて回っている。
  その中でやっと気になる証言を聞けた。
「ああ、あの連中なら十日ほど前に泊まっていったよ。哥の人間があんなに来る事なんて珍しいからね、覚えているさ」
「十日か…」
「ほら、やっぱり」
   外で馬を預かる朔夜がそれ見た事かとばかりに見上げてくる。
「でもお連れさんはまだ残っているよ。可哀想に、関所でやられちゃったんだろうねぇ」
「え?」
   二人は顔を見合わせる。
「よくある事さ。あの関所の連中は金だけ巻き上げて人は通さない。ま、あそこを通ろうっていう気が知れないけどさ」
「今どこに!?」
「上にいるよ。奥の部屋」
   馬の手綱も放り投げ、朔夜は階段を駆け上がった。
   廊下を走り、突き当たった扉を勢い付けて開く。
   そう広くは無い部屋で犇めく人の白い目が向けられた。
   その奥に、床が一つ延べられている。
   そこに眠る、追い求めてきた顔を見て。
   動けなかった。
   再会して飛び付きたい程の喜びと、矢張り近寄ってはならないという後悔と。
   今目の当たりにしてしまった悲惨な姿への衝撃が、全て綯交ぜになって。
「おい、馬が逃げる所だったぞ」
   背後から燕雷が文句を言いながらやって来て、朔夜を捉えている見えない壁を軽々と通り越し、部屋の中へと入った。
「よお、黄浜。ご苦労だったな…と言うかやっぱり苦労してるな」
「燕雷さん…!?こんな所まで、何故…」
   黄浜の驚きの問いを燕雷は軽く笑っただけで躱し、龍晶の枕元に跪いた。
「酷いな」
   一言漏らす。そうとしか言えない有様だ。
   今見える顔だけでも、青痣が真鱈に付き、腫れ、血が滲む。
   身体はもっと酷いだろう。特に、かつて悪魔の贄にされた箇所は、またその傷を開いている筈だ。
「朔」
   燕雷は振り返り、手招きした。
   それでも動き兼ねる。
「お前の出番だろう?この傷を治すんだ」
   そこまで言われても、朔夜は頭を横に振った。
「知ってるだろ、もう治癒の力は無いって…」
「そんなのやってみなきゃ分からないだろ」
   やっと、渋々動き出す。
   最初の勢いは何処へやら、ぎこちない動きで人を掻き分け、燕雷の横へ座って。
   それでもまだ手を伸ばすのを躊躇う。
   また、壊してしまいそうで。
「もういい」
   背後からの意外な言葉に朔夜も、燕雷も、そして黄浜も驚いて振り向いた。
   共にここまで来た北州の同志が、一人、立ち上がって言った。
「ここで油を売る暇はもう無い。我々は一刻も早く国に戻り戦うべきだ」
   そうだ、と別の誰かが言った。
   立ち上がる者が増える。
   黄浜は狼狽して彼らを止めた。
「龍晶様は!?まだ動かせる身では…!」
「悪いが、殿下の事はもう見限る」
「何だって…!?」
   黄浜は既に顔が青ざめているが、朔夜とてその返答には血の気が引く思いがした。
   龍晶を支えるべき人達が、その手を離そうとしている。
   その理由を、彼は語った。
「殿下は叛乱などする気は無いのだろう。以前も反対しておられた」
「そんな…それは、前の話だろ…。今は違う」
   思わず反論した朔夜に向け、男達は無情に言った。
「本気でこの計画を成功させる気がおありなら、哥人共にみすみす交渉の材料だけを持って行かせる事は無いだろう」
「そうだ。殿下は哥贔屓だから、戔などどうでも良いんだ」
「自分の首を落とされるのが嫌で国外に逃げたんだろう」
「そうに違いない。もう付き合っておられん」
「帰るぞ。戦だ!」
「そうだ、戦をするぞ!」
「戦だ!国王を殺すぞ!」
「憎い国王を殺せ!殺せ!」
   何か、大きなどす黒い流れが生じて、人々を押し流しているような。
   彼らは部屋を去りだした。
   違う、と。
   何もかも違う、それを朔夜は知っている。なのに。
   何も言えなかった。
   流れに飲まれ、溺れている、あの感覚。
   無力なまま、流されてゆく。
   黄浜だけが彼らを止めるべく追って行った。が、彼に止められる気はしなかった。
   誰にも止められるものではないだろう。
   それが何故かは分からない。が、そう断言出来る。
「…燕雷」
   残された部屋で朔夜はぽつりと口を開いた。
   何倍も年上の、恐らく誰よりも世の中を見てきた彼に、何か言って欲しかった。
「俺には関わり無い。宿が空いて丁度良かった」
「はぁ!?」
   出て来た言葉が、去って行った彼らよりも何倍も無情なもので、朔夜は声を上げる。
   燕雷は当然とばかりに答えた。
「俺は戔の事には関わらないって言ってるだろ。お前のお守りはするけどさ」
   色々な意味で思い切り顔を顰めて燕雷を見、しかしその変わらない飄々とした態度に何故だかほっとした。
   世界は命のやり取りだけが行われているのではない、と。当然の事だが。
「…今はこいつを治してやる事が先だろう。とは言え急ぐ理由も無くなった。お前も出来そうなら力を使ってやれば良い。その間、休ませる事も出来るしな」
   うん、と朔夜は頷く。
   戔の事は遠い国境の向こうの話。
   今は大切な人を守る、それだけだ。

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