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月の蘇る
  1
 馬上で揺られながら大欠伸を繰り返す。瞼は今にも垂れそうで、馬の方が気を利かせて勝手に進んでいる。
「おい、落ちるなよ」
 後ろを振り返って燕雷が一言釘を刺すが、その釘も糠に沈んでゆくだけだ。
 戔との緒戦を終えて一先ず都に帰っている。
 半月ほどで相手は撤退という形を取った。まだ戦力は有るが、恐らくここだけに構えない事情が出来たのだろう。
 その事情は察して余り有る。何なら原因は身内と言っても良い。元、身内ではあるが。
「皓照…本気出してんのかな…」
 寝ぼけ気味の不明瞭な言い方では有るが、一応頭は動いていたかと燕雷は苦笑する。
 確かに彼が前線で戦えば、一国は傾き兼ねない。軍備をこちらに割いている場合では無くなる。
「さてなぁ。そうだとしたら、介入し過ぎだと俺は思うけどね」
 言いながら振り返る。と、こくりと頭が落ちている。
「おーい」
 苦笑しながら馬を止め、朔夜の馬の手綱を取る。
 暫し休むことにして下馬させる。まだ午後まで時間もあるし、そう急がねばならぬ理由も無い。
 昨晩は一応眠ってはいる筈だが、連戦の疲れが溜まっているのだろう。矢張りまだ体力が戻っていなかった事もある。
 一度死んで蘇った後に、極寒の牢に入れられて餓死寸前だったのだから無理も無い話で。
 それも、そこから日を置かずに最初の戦いを迎え、それから毎日のように軍隊相手の喧嘩だ。
 一日二日寝たくらいでは足りないかも知れない。
 かと言って今ここで一日二日寝込まれても困るのだが。
 都まではまだ距離があるが、一日馬を駆けさせれば着く距離だ。そもそもこの国はそこまで広くない。
 手近な街か村まで寝る子を引き摺りながら無理矢理にでも行こうかとも思ったが、春めいてきた陽気が楽観を誘った。林の中に居るだけで充分心地良い。
 木の根を枕に朔夜は既に夢の中だ。
 こうして寝顔を見ていると、十歳そこそこの子供にしか見えない。
 成長著しい時期を何処かに忘れて年齢だけが大人になっているような。
 そして気付いた。それは自分や皓照も然りだ。
 流石に自分達は子供ではないが、見た目は二、三十代のまま、歳だけは老齢…とすら言えない御仁も居るが、とにかくその点同じだ。
 不老不死の影響が確実にこの少年にも及んでいるという事だ。
 それに気付いているからだろうか。
 『葬ってくれ』と言われたのは。
 永遠とは不安と同義語なのだろう。これまでの人生が苦難に満ちているのだから尚更だ。
 それでも彼にはまだまだ見るべき光景がある。だから、この戦でもしもの事があっても言われた通りにする気は全く無かった。これからも無いだろう。
 しかしそれは、許される事なのだろうか。
 誰かを故意に不死にすべきでは無いと考えて、その方法は聞かなかった、それと何が違うのか。
 ただ、こいつに生きていて欲しいという自分の願望で生かすのだから。
 矢張り何処かで、朔夜を亡き我が子に重ねて考えてしまっている。
 生きていてくれたら、と。

 都は戦など嘘のように平穏なままだった。
 漸く懐かしい長屋へと戻り、二人は中へ声を掛けた。
「ただいま」
 玄関に立つ彼らを迎えたのは背後から。
「随分と遅い帰還だな」
 こんなに皮肉っぽい出迎えをするのは一人しか居ない。
 振り向けば、予想に違わず畑仕事から帰って来たという様の燈陰が立っている。
 朔夜が顔を顰めてすぐに背けた。そう言えばこの父子はまだまともに会話していない。
「朔夜!」
 その息子を救う一声が長屋の奥から響いた。
 華耶が小走りに寄ってくる。
「ごめんなさい、奥に居て気付きませんでした!良かった、無事で!」
 側まで来るなり朔夜の顔を両手で包み、汚れを拭うようによくよく覗き込んで、そして改めて安堵の溜息を漏らす。
「怪我は無い?」
「うん。かすり傷ばかりでもう治った」
「良かった」
 言いながら抱き締める。朔夜は目を白黒させている。宿敵燈陰を前にして、どんな顔すべきか混乱しているせいだ。
「ねえ、朔夜」
 肩を両手に持ったまま、正面に向き直って華耶は言った。
「龍晶さん…行ってしまった」
 朔夜は少し目を見開いただけで、すぐに納得した顔付きになった。
「そっか。そりゃそうだよ」
 笑って見せて。
「大丈夫だよ。あいつは仲間いっぱい居るから。…俺なんか居なくても」
「あんな口だけの無責任な餓鬼に付いて行く連中なんざ私利私欲だけで、そのうち裏切るだろうよ。ま、奴の心配なぞする気にもなれんが」
 燈陰の言葉に朔夜の顔色が変わった。
「おい、やめろ」
 気配を察した燕雷が慌てて燈陰を窘める。
 燈陰は悪びれず続けた。
「流石の俺も呆れたんだ。刀を置かせろなんて綺麗事を抜け抜けと口にしておいて、同じ口で戦に行けとはよく言えたものだってな。その上自分はさっさと逃げるのかよ。やっぱり王になるような人間はやる事が違う。腐ってやがる」
「あんたにあいつの何が分かるんだよ」
 背を向けたまま、肝の底がじわりと冷えるような声音で朔夜は呟いた。
 燕雷が早口に取り成した。
「この分からず屋には俺が言って聞かせるから。お前は華耶ちゃんとちやほやしとけ」
「燕雷…お前も大概だよそれ」
 とは言え、空気は緩んだ。
 華耶に促されて敷居は跨いだが、半分振り返って父親に捨て台詞を残した。
「腐ってるのはあんただ」
 それ以上は何も言わず、また燈陰も何も返さなかった。
 華耶と奥の部屋に入り、戸を閉める。
 朔夜とて本当は龍晶について何も言えなかった。その資格は無い気がして、捨て台詞しか吐けなかった。
「引き止めたかったんだけど」
 華耶はぽつりと言った。
「良いよ。あいつ滅茶苦茶頑固だし」
 言いながら空虚な笑いを見せて、壁に寄りかかって座る。
「私、龍晶さんは朔夜の為にわざとこんな事をしたと思う。本当は戦に行けなんて言いたく無かったんだよ?それは何度も言ってた…。だけど自分の意に反してまで…それが朔夜の為になるって考えたから」
「うん…それは、分かってる」
「でも朔夜」
「うん?」
「二人ともとっても悲しそうだよ」
 自分でも見て見ぬ振りをしている本音を言葉にされると、息が詰まった。
 真っ直ぐな彼女から逃げるように、視線を落とす。
「龍晶さんは朔夜から逃げた訳じゃないよ、きっと。友達だもの。本当に大事な友達だと思っているからこそ、黙って行っちゃったんだと思う」
「…どういう事?」
「もう朔夜に刀を持たせない為に」
 朔夜は暫しその意を考え、やっと思い出した。
 そう言えば、言っていた。
 辞めたいなら辞めろ、と。
「龍晶さんは、朔夜にここで静かに暮らして欲しいって。行く前に言ってた。自分と一緒に居るよりその方が朔夜の為になると思ったんだよ」
「そんなに…俺の事、考えなくても良いのに」
「え?」
「だって、俺は…この手は、あいつを殺そうとした。なのに…」
「その事で一番苦しんでるのは朔夜自身だよ」
 言い終わらぬうちから朔夜は首を振って否定した。
「それは無い。やったのは俺だし、俺は何の傷も残らない…。龍晶はずっとあの傷で苦しんでいる。本当に…取り返しの付かない事をしてしまった」
 牢の中での、あの苦しみようを思い出しても、あれがそう簡単に治るとは思えない。
 下手をすれば生涯、彼を悩ます傷となるのではないか。
「…生かすって決めたのに」
 どうしていつもこうなるのだろう。
 守りたい人を、結局は傷付けてしまう。
 その中の一人である華耶の手が、罪に塗れた手に重ねられる。
 驚いた顔で朔夜は彼女を見た。
「大丈夫。朔夜の所為じゃないって、私も龍晶さんも、みんな分かってる」
 重ねられた手。
 その上に額を付けて。
 泣くまい、せめて涙は見せまいと。
 だが、手の上に落ちる雫は誤魔化せない。
「朔夜は本当、変わらないね。子供の時から、そのまま」
 華耶が笑いながら頭を撫でる。
 変わらないのは、その温かな手だ。
 これだけは失いたくない。
 自分が守るとは、とても言えないけれど。

「で?説教垂れるのか?それとも文句か?」
 残った燕雷に燈陰が毒付く。
 苦笑いして受け流し、燕雷は返した。
「久しぶりに酒でも飲もうや」
 言いながら今入った戸口を潜る。女子供ばかりの長屋に酒の常備は無いだろう。ならば街へ繰り出すのだ。
 あの二人に聞こえる所で話をしたくないのもあるが。
 近所の酒場まで歩きながら、燕雷は意外と素直に付いて来た燈陰に笑ってしまった。
「説教垂れられるって分かっていながら、よく来るよなぁ」
「タダ酒が飲めると踏んだんだが、不味い酒になるなら帰る」
「いや、それは気を付けるから付き合ってくれよ」
 何だかんだで燈陰も普段つるむ相手が居らず、こんな機会を待っていたのだと思い直す。
 酒場に入ると、自分達と同じく戦から帰還したのであろう兵士が多く目に付いた。
「こんなに遊んでいて大丈夫なのか、この国は」
 燈陰が眉間に皺を寄せている。彼の関心かつ心配事は己の身辺の平穏だけだろう。
「暫くは戔も自国の事で手一杯になるだろうよ。そのまま潰れるのがどっかの御仁の筋書きだけどさ」
 軋む椅子に座りながら燕雷は答える。
「他人事みたいに言えるのか?お前も立派な一味だろう?」
「俺はあの国の事には関わらない」
「何を今更」
 運ばれてきた酒を受け取り、一息に煽って、燕雷は返した。
「俺の目的は朔夜を帰す事。それは達成された。だからもう良い。二度と戔には入らない」
「ほー?それは、あの口だけの餓鬼をお前も口だけで言いくるめてきたように聞こえるな」
「どういう意味だよ、それ」
「お前の事だからどうせ綺麗事並べて朔をここまで連れて来させるよう仕向けたんだろう?で、この後あの屑の国の餓鬼は見知らぬ国でくたばるんだ。哀れなもんだよ」
「哀れなのはお前だよ。話し相手も居ない長屋暮らしで鬱屈し過ぎだ」
 苦笑いで毒を返す燕雷を、最初に毒を盛った当人は渋い顔で受ける。
「お前は龍晶に朔の事を責められたのが面白くないだけだろ?あの坊ちゃんはな、正論を口にしなきゃ気が済まないタチなんだ」
「本当に嫌な餓鬼だった。地下牢でくたばっとけば良かったのに」
「まあまあ。…いや、本当に死んじまうかも知れないから冗談にならないんだよ、それ」
「どうせ飛んで火に入る馬鹿野郎だろ?敵国に好き好んで一人で飛び込む狂人だ」
「なんだ。嫌いな癖によく知っているな」
「頼んでもないのに華耶が喋るからな」
「哀れなオッサンの話し相手をして貰ってんだろ。ほんと偉いな、華耶ちゃんは」
 燈陰が苛々と酒を口へと流し込む。
 帰りそうな空気を察して燕雷は本題へと持ち込んだ。
「でもまあ正直、綺麗事並べて連れて来たってのは嘘じゃない。俺が朔を連れて行けって唆したようなもんだ。結果的にここまで来れたが、危険な賭けではあった」
「…悪魔に寝首を掻かれる危険か?」
「まぁ…そうだな」
 あまり考えたくはないが。
「実際、朔は龍晶を半殺しにしている。それがもう一度あっても不思議は無いよな。どうやって悪魔が出て来るのかは分からないけど」
「奴はそもそもが化物だ。どうやっても何も無い」
「だが、俺が見ている限りそんな気配は微塵も無いのも事実だ」
「ふうん。で?何が言いたい?」
「朔をここに住まわせても良いものだろうか?」
 少し意外そうに燈陰は見返してきた。
 それはそうだろう。燕雷はその為に朔夜を連れ帰ったのだから。
 燕雷は自らの感じる矛盾を説明した。
「龍晶は朔にやられた傷が原因で死ぬかも知れないと言われた。信じたくはないがそれが現実だ。だとしたら…そんな友まであいつは斬るのだとしたら、華耶ちゃんの側に置いておいても良いものか…自信が無くなってきた」
 今は良い。力も思い通りに使える。いつでも朔夜自身の意識がある。
 だけど、一体何の拍子で豹変するか、それが分からない。
 いつ、どんな悲劇が起こるのか。防ぎようが無いのだ。
「あいつは妻を殺した」
 燈陰が吐き捨てた。
 常ならば否定する燕雷も、今度ばかりは何とも言えなかった。
「災厄を招きたく無ければ…、いや、あいつ自身が災いだ。ここに置く事を俺は許さん。漸く見つけた安住の地を荒らさせる訳にはいかない」
「お前にそこまで言われるとはな」
 曖昧に笑って杯に口を付け、舌を湿らせて。
「だけど、この戦で朔の戦い振りを見ていると…お前ばかり責められなくなってきた。悪魔を見ているような錯覚に陥るんだ。もう今は、あいつ自身の意識の筈なのに」
「そんなに酷かったか」
「俺がここまで認識を変えるくらいには」
 それだけで燕雷は詳細を説明する事を避けた。口にするのも悍ましかった。
「じゃあどうする。何処へやる。また戔に送り返すのか?」
「それは…」
 皓照の許へ送るのは気が進まない。例え本人がそれを望んだとしても。
「あいつが何を望むかによるだろ」
 自分達で決めるべき事では無い。
「あの餓鬼が連れて行ってくれれば良かったものを。最後まで責任持って世話見ろって話だ」
「それ親が言うこと?」
 そっくりそのままその言葉を返したいのは山々だが。
「ま、朔も本音はあいつと行きたかっただろうよ。それが叶わないから投げ槍になっている部分はあるな」
「ますます迷惑な餓鬼だな」
「だから…龍晶も苦渋の決断だった…って、お前に言うだけ無駄だろうけど」
 後悔してないだろうか、とふと考える。
 龍晶とて、本当は朔夜と行動を共にしたい気持ちは有った筈だ。だが、殺されかけた恐怖心は消えないだろう。
 それがあの時、命を削られたと分かった怒りと混乱と共に後者が勝ってしまった。それ故に逃げるように出立した、そういう事だと燕雷は見ている。
 そろそろ冷静になって、矢張り朔夜が必要だったと思っていて欲しい、と。
 これは希望的観測だろうか。
 同時に、燕雷自身も実は龍晶の事を気にしているのだと自覚せざるを得なかった。
 見届けたいとまでは言わないが、どうか無事で居て欲しいと、素朴にそう願っている。
 そして。
 朔夜には尋ねなければならないだろう。
 お前はどう生きたいのか、と。


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