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月の蘇る
  4
 窓から洩れる光が指先に一筋の道を作る。
 その明るさに夜明けを知った。
 いつからだろう。目を覚まして闇を見詰めていた。
 悪夢は脳裡に染み付いて離れない。
 目を覚ましていても、闇の中に炎を、血を、死を、見てしまう。
 眠れば再びその場に立たされる。
 だから、眠れない。
 だが――この旅の先にあるのは、同じ光景だ。
 そして同じ手の感触。繰り返す悪夢。
 堪らなくなって立ち上がり、雨戸を開けた。
 溢れ来る、朝の光。
 目が眩むのも忘れて、それに魅入った。
 華耶はどんな朝を迎えているだろう。
 否、朝も夜も無いだろうか。
 そんな絶望の淵に落とした自分には、こんな光を浴びる資格も無いかも知れない。
 でも、もし許されるなら。
 いつか、二人で、この光の下に居たい。
 その為に手を汚す事を、彼女は望まないだろうが。
 まだ、答えは出ない。
「朔夜?起きてる?」
 扉の向こうで於兎が呼び掛けた。
 応えずとも、扉は開く。
「なんだ。起きてたんだ。具合はどう?」
 問われても口を閉ざしたまま、目を細めて外を見続ける。
「…ちゃんと眠れた?」
 僅かに伏せた目元には疲労の影が濃い。
「あっ…何か食べる?」
「食欲無い」
「食べた方が良いよ?持たないよ」
 踵を返そうとした於兎を、朔夜は呼び止めた。
「一つだけ確実な方法がある」
 於兎は振り返る。
「何の…?」
「お前の郷里と華耶の両方を救う方法」
 彼女は目を見開いて戻ってきた。
「そんなに良い方法を思い付いたの?良かったじゃない!どんな方法?私、何でも手伝うわ」
 朔夜は真っ直ぐ於兎を見据えて言った。
「俺が消えれば良い」
 虚を突かれ、於兎は目を見開いたまま動きを止めた。
 全く思いも寄らぬ回答。
 これで解決するという安堵は一瞬だった。
「消える、って…どういう意味…」
「他国に逃げれば華耶の命は無いだろう。俺が死ねば奴らは安心する。この力を敵に回す事は無いからな」
「そんな」
「敦峰は軍が出るかも知れないが、俺よりはマシだ。桓梠の方は華耶を殺す意味が無くなる。そうなれば奴は、気に入った女は生かすだろう…?」
「本気で言っているの…!?」
「刀傷じゃ俺は死なない」
 だから、生きる為の行為は拒む。
 そうやって内側から己の力を奪うのだ。
 答えが出ないから。
「そんなの、華耶ちゃんが可哀相過ぎるわ!!そんな生かされ方したって、地獄を見るだけよ!!」
「命救う事だけ考えろって言ったのは、お前だろ!?」
「だからって…!駄目よ!絶対駄目!!捩込んででも何か食べさせるから待ってなさい!!」
 言い捨てて、於兎はずんずんと廊下に出た。何か持って来るのだろう。
 朔夜は溜息一つし、寝台に寝転がる。全身が怠い。
 そんなつもりは無かったのに、すとんと、意識は闇に落ちた。


 切れ切れの記憶で、昨日と同じ様に霜旋と馬に乗せられ、於兎と二人で何やらずっと話したり笑ったりしていた事、見知らぬ場所の光景、そして馬から降ろされた事は何となく覚えている。
 二日目の夜。次の宿場街に着いたのだろう。
 宿に入れられ、寝台に置かれて、それからまた朦朧とした意識は途切れた。
 はっきりと覚醒したのは、口の中に何かどろっとした得体の知れない物をいれられた瞬間で。
「…ぅえ!何コレ!?」
 あまりの不味さに目が覚めた。
「僕お手製の栄養食をすり潰した物だよ」
 目の前ににこにこと笑いながら匙を持つ霜旋が居る。
「何だよこれ…何が入って…いや、いい」
 聞かない方が身の為、な気がする。
「於兎さんに何も食べないって聞いてね」
「…アイツは?」
「ちょっとお疲れなんだろう。自分の部屋で寝ているよ」
「ふーん…」
 聞きながら朔夜は部屋を見渡す。窓を探していた。
「寒いか?閉めようか」
 開いた窓に目を留めた事で、そう思わせたのだろう。朔夜は首を振って、立ち上がりかけた霜旋を止めた。
 今晩は曇天なのだろう。月光は入らない。
 ならば、なるべくなら密室は避けたい。
 特に理由は無いが、この方が呼吸が楽に感じる。
「一日眠って少しは治ったかい?」
 朔夜は目の上に両手の甲を置いて首を振った。燭台の灯すら眩しい。
「まぁ…馬の上で眠っちゃ逆に疲れるよな」
「…問題は俺の事じゃない」
「ん?」
「あんただよ。首突っ込み過ぎだ。命は惜しいだろ」
 霜旋は怪訝な顔で、手で隠された下をじっと見た。
「確かに…名前も知らない間柄なのに、お節介が過ぎたな。済まん」
「…朔夜。俺の名前」
 於兎は明かす事を止めたが。
「どうせ誰も知らない名前だ。限られた人間以外は」
 於兎と、華耶ら同郷の人間くらいしか知らない。桓梠ですら知らない。必要が無いから。
「俺ももう要らない名前だと思ってた。於兎が現れるまでは」
「どういう事だ?名前が要らないとは…」
「俺は…月と呼ばれている」
 霜旋の顔が顰められた。
 構わず朔夜は言った。
「あんた達が悪魔と呼んでいる存在だよ」
「…何だって…!?」
 霜旋は座る椅子から腰を浮かせた。
 それを更に促す為、朔夜はもう一度言った。
「死にたくないなら俺から離れろ。俺だってあんたみたいな奴は殺したくない」
「……」
 霜旋がじっと自分の目元に視線を注ぐ理由を、朔夜は分かっている。
 隠したくとも、無理だった。
 今更、千虎の事を思い出して。
 泣いていた。ずっと我慢していた何かが、流れ出た様に。
「前にもあんたの様な馬鹿なお節介焼きが居たんだ。俺はアイツについて行きたいと本気で思った!なのに…」
 重なるのだ。別に見た目の何が似ている訳でもないのに。
「なのに…殺した。俺が。…一瞬だけ、殺したいと思ってしまったから」
 それを認めると、自分の中の何かが崩れる気がして、今まで目を背けてきた。
 だがもう、限界だった。
 何もかも自分のせいだと気付いてしまった。
「だから頼む…もう近付くな…」
「…済まん」
 意外な謝辞に朔夜は驚いて視界を開けた。
 霜旋はそこに座ったままだった。
「薄々だが…分かっていた。お前がその…噂の存在である事は」
「噂…?」
「月、が…敦峰の内乱を鎮めるという話は軍、いや、都に居る誰もが知るところだ。更にはこの遠征に同行している事も、我々の間で噂されていた。上官から夜行は固く止められたからな。その理由は…月がこの中に居るからではないかと…」
「…そうか。だが…」
 それを知っていて近付く理由が分からない。
「最初から分かっていた訳じゃない。まさかあの月が、こんな子供だとは思わんからな」
「は…全くだ」
 朔夜は少し笑って、目元を袖で拭った。
「それでも、月の夜は近付くなよ。ガキだと思っていたら、命取られるぞ」
「分かった。肝に命じよう」
 霜旋は微笑して言い、今度こそ立ち上がった。
 窓辺まで行って空を見上げる。
「今夜は大丈夫だろう?」
 光を遮る雲は厚い。
「命懸けの綱渡りがしたいなら止めないけどさ」
 多少呆れて朔夜は言う。
「しかし、月の夜は近付くなとは、西の彼方の国に居る狼のようだ」
「なんだそれ」
「満月の夜に人を食い荒らすそうだ。おとぎ話だがな」
「…ふーん。随分荒んだ話を子供に聞かせるんだな、その…西の国は」
「砂漠と海を越えた、そのまだ向こうにある国だそうだ。人の丈が馬と同じくらいなんだぞ?」
 見知らぬ国。
 朔夜は海を見た事は無い。梁巴は高山の頂に近い場所にあった。
 その海の向こう、など想像もつかない。
「…なんか、見たような話しぶりだけど」
 繍という国の性格からして、異国人など受け入れないだろう。そもそもこの国自体が内陸だ。
「樊は西の国々と貿易しているからな、時々見かけるのさ」
「じゃあ、あんたは…」
「元々は樊の民だった。敦峰と同じさ。繍に乗っ取られた街の出さ。敦峰より西にある邑峰(ユウホウ)という所だ」
「そこも今は苦しいんじゃないのか?」
「ああ。…皆、敦峰の事を固唾を飲んで見ている」
 朔夜は長く息を吐き、目を閉じた。
 国境の街は皆、敦峰の始末を注視している。
 そこへ送られるのは、死神たる自分。
 これは、見せしめだ。
 国に反旗を翻せば、どうなるか――桓梠の狙いは敦峰だけではない。繍の民全体を恐怖させ従わせる事だ。
「…霜旋」
 魘され、譫言を言う様に朔夜は言った。
「俺は、どうするべきだと思う…?」
 問われた霜旋は、じっと寝台の上の顔を見、窓から見える街の灯に目を移した。
「国に仕える兵士としての僕は、敦峰の乱を鎮圧すべきだと即答するだろう」
「…だろうな」
「僕には敦峰に行くなとは言えない。だが…少し、容赦してやって欲しい。苴軍の様にしないでやってくれ。或いは全員の首を取った繍の部隊の様には」
「そこまで伝わっているのか…」
「皆知っているよ。震え上がったさ、悪魔の裏切りには」
 言ってしまって、あ、と口を覆う。
「済まん、皆が悪魔と言うからつい…。僕はそうは思わない」
「いいよ、別に。本当の事だし」
 今更その呼称に何とも思わない。
「自分のやってる事は悪魔の所業だって、分かってやってるんだ。やらずに済むならそうしたいけど…自分の命惜しさにやってしまうんだ。最悪だろ?自覚はあるんだけどな…」
 いくら手を汚しても、桓梠は許してはくれない。それを悟ったのはいつ頃だったろう。
 それからは、許される為ではなく、惰性として生きる為に手を汚している。
 自分には戦場以外に生きる場所は無いのだと、分かってしまった。
「…そう言われると、僕達も悪魔とそう変わらないと自覚してしまうな」
 霜旋は言った。
「自分の命惜しさに手を汚す…。誰かの屍の上で飯を食っている。僕達兵士は皆そうだ」
「安心しろよ。あんた達の場合は敵も同じだ。人間同士の戦いに悪は居ない」
「そうだろうか?」
「…俺の戦場は違う。人間と人間の戦いと、人間と悪魔の戦いは、全然違う…」
 遠く、視線を投げる。
 あの光景。
 己の所業でありながら、総毛立つ。
「何故…繍軍をあんな目に?」
 禾山での戦い。全ての屍から、首が斬られ、転がっていた。
「…守りたいヤツが居た。繍は俺もろともアイツを消すつもりだった。だから…」
「噂が本当なら、一人を守る為には少し…やり過ぎだろう」
「そうだな。だけど、月に取り付かれたら俺に殺し方は選べない。殺す相手も」
「どういう事だ…?」
「その時守ったヤツは…さっきも言ったけど…殺しちまった。俺が」
「……」
「俺の意思ではどうにも出来ないんだ。本当の所は、俺なんて悪魔に操られる人形に過ぎない。死神が憑依する媒体だ」
 強張った顔で、霜旋は少年を見下ろした。
「この国は…とんでもない物を味方にしているんだな…」
「味方じゃない。使役しているだけだ。そのうち…」
 虚空を睨んで朔夜は言った。
「使い切れなくなる」
 それだけで斬られそうな藍の瞳の強さに、霜旋は思わず身震いした。
 朔夜は霜旋に視線を戻してふっと笑った。
「誰にも言うなよ?」
「わ…分かった」
「そうだ。お前に頼みがある」
「何だ…?」
「於兎をどこかの街に置いて行って欲しい。敦峰から出来るだけ遠くに」
 訝しむ霜旋に、朔夜は更に説明した。
「アイツの故郷なんだ、敦峰は。どこまで本気か知らないけど、アイツ、敦峰で俺に殺される気らしい。そうならない様に…何とかしてくれないか?」
「…何とか言いくるめて我々の目的地まで連れて行くか…」
 考えながら言って、霜旋は苦く笑った。
「全く、骨の折れる人助けをしてしまったな…」
「悪い。恩に着るよ。…あと、ついでにもう一つ」
「何だ?」
「食えるモノをくれ」
 霜旋は一瞬間を置いて、弾かれた様に笑い出した。笑いながら頷き、部屋から出て行った。
 朔夜も口元に笑いを浮かべ、寝台に座り直した。
 答えは見つかった訳ではない。
 だが、洗いざらい人に喋って、己を殺そうとしていた罪悪感が、不思議に軽くなった。
 まだ、何とかなる。
 ただの楽観かも知れない。
 それでも、まだ、何か取り返せると。
 当ても無く、信じた。



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