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月の蘇る
  4
   朔夜は意識の無い龍晶を抱えて月光降り注ぐ舞台へと降りた。
   もう片手には短刀。いつでもこの獲物を斬れるとばかりに。
「なあ、そんな所にずっと隠れてるのも暇だろ?遊ばないか?」
   敵の潜む茂みに向けて声を掛ける。
   龍晶を少し持ち上げ、顔が見えるようにして、続けた。
「お前らの目的はこいつだろ?だけど今は俺のものでね、王様に返す訳にはいかないんだよ。だから勝負だ。お前達がこいつを奪い返せれば俺の負け。王様に返してあげる。解るな?」
   静寂。だが、その中に。
   ほんの小声、常人には聞き取れる筈の無い程の声で、生きているのかと囁くのを朔夜は聞き逃さなかった。
   紅い唇を吊り上げる。龍晶をその場に捨て置いて、次の瞬間。
   その声のした茂みへとその姿はあった。目前に突如現れた悪魔に隠れていた兵は声も出せぬ程驚いた顔をし、勿論刀を抜く事も逃げる事も出来ぬ様だ。
「生きてるよ!でないと意味無いだろ」
  明々と答えて、その兵を斬った。
  隣に居た兵が恐怖に叫びながら出鱈目に刀を振り下ろす。
   それを軽々と躱し、瞬時に背中を捉えて斬り伏せる。
「ほら!もう始まってるぜ!?」
   辺りへ向けて叫ぶ。まだまだ兵は、そこら中に潜んでいる。
   そうしているうちに飛んできた矢を躱し、同時に切り掛かってきた兵を短刀で突く。抜くと同時に手近な樹へと跳び上がった。
   枝を掴んで幹を蹴り、弾みを付けて再び跳ぶ。複数飛んできた矢は身体を掠める事も出来なかった。
   別の枝に向けて跳んだ、その目前に弓兵が潜んでいた。その兵は迫ってくる的に弓を構えようとするが、間に合わない。
   兵を枝から蹴落とし、その枝を掴んで、もう片方の手で刃を投げる。その先でまた別の弓兵が落ちた。
   宙ぶらりんの身体目掛けて矢が飛び、舌打ちして手を放す。落ちながら痛みを感じた。一本が左腕に刺さった。
   地面に着地し、刺さった矢を引き抜く。邪魔だからと、何も考えずに鏃から抜いたが流石に痛かった。悪魔になりきらぬ身では痛みも鈍麻しない。
   おまけに出血も考えねばならない。あまり長くは動けないだろう。
   左手が痺れる。いつものように両刀使いとはいかない。
   一瞬だけ、空を見上げる。
   月は、己の傷を治してくれるだろうか。
   考えたのは一瞬で、次の瞬間に再び地を蹴って走り出した。
   広場の中央に倒れたままの龍晶に、複数の兵が迫っている。
   手前に居た一人をその速度のままに斬り倒した。次の相手はまだその事に気付かせぬまま、続けて薙ぎ払った。
   右手から振り降ろされた刃を左へ跳んで躱し、その先に居た兵を片足を軸に身を回しながら斬り上げた。
   頭目掛けて跳んできた矢を身を低くしてやり過ごす。そのまま前転して兵の腱を切り裂き、地を蹴って今度は高く跳んだ。
   短刀を歯で咥え、右手から刃を投げる。樹上の弓兵はそれで落ちた。
   朔夜も落下しながら咥えていた刀を手に戻し、龍晶に手をかけようとしていた兵を背後から切り裂きながら着地した。
「左だ!左を狙え!」
   兵達が叫ぶ。だらりと下がった左腕に気付かれた。
   約束通り左から切り掛かられる。瞬時に身を回してその勢いのまま右の短刀で薙ぎ払うが、次が間も無く切り掛かる。片手では間に合わない。
   が、刃は届く事無く兵は倒れた。見えぬ刃は兵の首を飛ばしていた。
   血が噴き上がる。それを浴びながら次の獲物へと斬りかかる。
   悲鳴。手の刀はそれを切り裂き、別の怒号を見えぬ刃が止めた。
   噴いた同士の血潮が、士気を恐怖に変える。
   幾度となく経験してきた潮時。
   朔夜は初めて動きを止めた。
   同じく動き兼ねている兵達を睨め付ける。
   そして血に染まった顔で冷たく笑った。
「王様に、くれぐれもよろしくな」
   軍勢は逃げた。我先にとその血に汚れた神聖な丘を下っていった。
   静寂が戻る。
   朔夜は右手の短刀の血糊を払い、鞘に収めて。
   膝から崩れ落ちた。
   血が出過ぎた。頭がくらくらとする。それまで明瞭だった視界も闇に飲まれ始めた。
「朔!」
   燕雷が走り寄ってくる。それに応じる事も出来ぬくらい意識が朦朧とする。
   だが、耳はもう一つの足音を聞き分けていた。
   ゆっくりと、恐々と、近寄ってくる。
   少し首を傾けて、ぼやける視界にその顔を入れた。
「…爺さん…」
   何してんだ、早く行けよ、そう言いたかったがそれも苦しかった。
   代わりに燕雷が噛み付いた。
「何だよ!?今ならこいつを仕留められるって言うのか!?」
   燕雷が刀を抜いた。朔夜に触れさせまいと舎毘那に向けて突き付ける。
   舎毘那は燕雷、そして朔夜へと視線を移し、ゆっくりと、噛みしめるように告げた。
「この事は他言致しませぬ。王にはあなたの言う通り悪魔の出現を報告致しまする。しかし」
   はっきりとせぬ視覚でも、それは感じ取れた。
   老人の顔に、不思議と恐怖は無かった。
「悪魔は実在しませなんだな」
   真実を見た唯一一人は、背を向け、闇の中に消え去った。

   血の色の花弁が舞う、あの夢をまた見ている。
   村の中は異国の侵略者によって壊滅的な混乱を生じている。
   抵抗する者は殺された。奪える物は奪われた。女子供は拐われた。
   母さんは俺を押し入れに隠した。燈陰は居ない。行ってしまってから帰る事は無かった。
   混乱が近寄る。遠くで家々が燃える音がする。人々の悲鳴も。
   足音が家の中に荒々しく入ってきて。
   母さんと絶対にこの押し入れから出てはいけないと、固く固く約束している。だから闇の中、隅っこに小さく膝を抱えて。
   足音が家中に散らばる。母さんは?何処に隠れている?
   一緒にここへ入っていてくれたら良かったのに。
   男達の怒声が聞こえる。ばたばたと荒い足音、何かが割れる音。
   一緒にここに居てくれたら。
   そっと隙間を覗いて。
   堪らなくなって、押し入れを開けた。
   悲鳴。聞きたくない。どうして。
   どうして自分を囮にしようなんて考えたの?
   一緒に居てくれたら。
   守れたかも知れないのに。
   あまりに手に馴染んだ扉を開ける。その向こうは、地獄絵図だった。
   男達に囲まれ、取り押さえられて。
   重なり合う身体から覗くその肌は、血に汚れていて。
   喘ぐ声の合間に、彼女は俺に言った。
   私を殺して、と。
   見たくなかった。聞きたくなかった。
   こんな世界、無ければ良いと思った。
   男達が自分の存在に気付いて、下卑た笑みのまま近寄る。
   やめて、と叫ぶ声が切れ切れに。
   逃げられなかった。混乱しているのは己の理性だ。
   ぬめぬめとした手で身体を掴まれる。それにどうしようも無く悪寒が走る。
   このままでは、同じ目に合う。
   嫌だ。嫌だ嫌だ。
   その前に、何もかも消えてしまえ。
   何もかもーー
   花弁が落ちた。
   嵐に抗う術無く。
   その血溜まりの中に。
   白い白い屍を目前に、己に問うた。
   どうして守りたかった人を殺したの?

   叫んだ。叫びながら頭を抱え耳を塞いでいた。
   俺が壊した。何もかも壊した。間違いない。
   あんな姿見たくなかったから。
   それだけで。彼女は何も悪く無かったのに。
「朔夜!おい!」
   声がしても錯乱状態のまま、刀を抜いた。
   この手が。この手があるせいで。
   斬り落とせば、あんな事にはならない。
   もう、彼女を殺す事には。
「落ち着け!」
   燕雷が両腕を掴んで後ろ手に抱えた。
   抵抗し、振り払おうとする身体を龍晶が前から抑える。
「しっかりしろよ!この馬鹿!夢だろ!?」
   一喝されて、漸く目を開いた。
   朧気に、友の顔が見えた。
   力が抜ける。
   刀が手から滑り落ちた。
   脱力した頭を龍晶は胸に抱え込んで、言った。
「お前でもこんなになるんだな」
   ゆるゆると、温もりの中で息をする。
   呼吸と共に現実を少しずつ飲み込む。
   もう、あの村に戻る事は無い。
   桜の散る、あの瞬間に。
「…悪い」
   やっと頭が完全に今現在に戻って、朔夜は呟いた。
「お前にこんなの見せちゃいけなかった」
   失った後の絶望を。塞がらない傷を。
   これから失うかも知れない人に。
「どういう意味だよそれ。別に良いよ、俺ばっかり世話されるのも悔しいし」
   やっと頭を解放して貰って、辺りに目をやる。
   暗い森の中。明け方だろうか。野宿していたのだろう。
「流石にな、あそこに留まり続ける訳にもいかんから山に逃げたんだよ。寝こける坊っちゃん二人を運ぶのは相当難儀だったけどよ」
   燕雷が笑い混じりに状況を説明した。
   屍だらけのあの社に居れば、村人達から疑いの眼差しを受けざるを得ない。事実ではあるが。
   何が起こったのか有耶無耶なままの方が、今後の為にはなるだろう。
「運んだのは馬だろ」
   龍晶が口を挟むが、燕雷はその馬を引いたのは俺だと譲らない。
   その小さな言い合いを聞きながら、朔夜は身体の中に残っていた不安を吐き出すように深く息を吐き、まだ粟立っている両腕を摩った。
「悪魔の真似事をするのが堪えたか?」
   龍晶が横目にそんな様子を見ながら問う。
「うーん…別にそういう事じゃないとは思うけど」
   何とも答えられない。悪夢に魘されるのはいつもの事だ。ただ今回はちょっと酷かった。
「そこまで苦しむなら辞めたって良いだろ」
「何を?」
   本気で言っている事が分からず聞き返す。
   龍晶はにべもなく答えた。
「人を殺す事」
   喉元に言葉が渋滞して咄嗟に何も言い返せず、変に笑う顔を手で覆った。
「何だよ?」
   笑われた方は意味が分からない。
   尤も笑う方も意味は分からない。
「知らねえよ。お前が変な事言うから」
「何が変なんだよ?」
「いろいろ」
   はあ、と溜息にして。
   一つだけ説明する事にした。
「…あの時の感触を紛らわしたくて、俺はこの手で何百と人を殺すんだ。力だけで立ち回る事は出来ても、刀を持たなきゃ感触は消えてくれないから…」
   否、消えはしない。紛れもしない。
   百の中の一つ、千の中の一つとなろうとも、その一度だけは。
   それでも願っている。
   いつか、忘れたい。
   あまりに身勝手な願い。
「殺したくて殺してるって聞こえるぞ、それじゃ」
「それでも良いよ。そうじゃなきゃ俺は存在出来ないんだ」
「…戦の道具か。未だに」
   そこから抜け出す事など出来ないのだ。
   例え誰にも命じられずとも、この身は戦場に在るのだろう。
   そして人々に恐れられる。
   この悪夢から醒めるまで。
「そう時化た面するな。悪魔は殺す事だけが能じゃないんだろう?」
   龍晶が病に倒れた時、祥朗に言った言葉。
   あの時あの状況で、こいつがそれを聞いていて、しかもそれを覚えていたのかと、朔夜にはそれが驚きだった。
   そしてまだ目を見開かされる事を、龍晶は言った。
「お前が俺に突き付けた事だろ。俺達は多くの民を救わねばならないんだ。お前の行動でそれに近付いてるんだ」
   今ある出来事は、その為の苦渋の決断。
   自分一人ではここを生き延びる事も出来ない。
   だけど、こいつとなら。二人なら。
   もっと多くの人々となら。
   己の大言壮語を現実にしたい。皆の力で。
「希望は有るんだろ?嘘でもお前は俺にそう言い張るんだろ?失う事は怖いし、お前の苦しさも解る。俺だっていつか同じ様な絶望を味わうかも知れない。だけど、お前はずっと俺に前を向けって、絶望してる場合じゃないって、そう言ってくれなきゃ困るんだ。お前がお前のままで居てくれなきゃ困るんだよ。戦の道具なんかじゃない。況してや悪魔なんかでもない。人間の、弱さを抱えたままのお前で」
「龍晶…」
「だから、愚痴や弱音くらいは聞いてやる。お前の為にそのくらいしか出来ないけどな」
   泣きたいなら泣けば良い。
   痛いのなら痛いと叫べば良い。
   それを受け入れたいのだ。同志として。
   友として。
「…なんか、ええと」
   有り余る程の思いを受け取って、返す言葉が見つからない。
   横から燕雷が笑いながら助け船を出した。
「こういう時は素直にありがとうって言っときゃ良いんだ」
「はあ!?何だよそのぞんざいな言い方!」
「いやいや、そういうつもりじゃない」
   罵る龍晶の袖を引っ張って、朔夜は言った。
「…ありがとう。俺、やっと自分に戻って来れた気がする」
   この痛みも全部ひっくるめて、自分なのだと。
   それを受け入れていてくれるのがこいつなら、きっとこのままで居られる気がした。
   もう互いの心が、そして自分が自分から、離れる事はきっと無い。
「ところで身体の方の傷はどうだ?」
   燕雷に問われて初めて矢傷の事を思い出した。
   左腕を動かしてみる。鈍い痛みを感じた。手はまだ軽く痺れている。
「まだ完治はしてないみたい。だけど使えない程じゃない」
   自己治癒能力はまだ残っているという事だ。
「そうか。それは良かった」
「他人の傷はやっぱり治せないのかな」
   己の手を見ながら呟く。
   自分の力で何よりも大事なのはそれだ。
「さてな。試せるものが無いし、そういう状況を作らないって事も出来るだろ」
「ああ…成程。だいぶ難しそうだけど」
   残る力で出来る事はあるだろう。
   ただ、昨夜のように多数を救う目的の為に少数の命を奪うーーそれが許される事なのかは分からない。
   全てを救う事は出来ない。それは重々解っている。それでも。
「やっぱり…誰も殺さずに済むなら、それが良いよな」
   龍晶が頷く。その言葉を待っていたかの様に。
   綺麗事では済まない現実が有る。だが、その理想を目指さねば何も変わらない。
   それに矢張り、どんな世の中であろうと、どんな人間であろうと、命を奪い合う事は苦しい事だ。そうでなくてはならない。
「だから、辞めたいなら辞めろって言ってんだよ。何も変じゃない、だろ?」
「うん、でも」
   それが現実には無理だと解っているのは、龍晶も同じだろう。
   その理由の一つに。
「お前を守る為なら、俺は誰が相手だろうと躊躇わない。今までも、これからも」
   だから、あの宿屋の夜も、丹緋螺を失った時も、残忍とも思えるようなやり方で相手の息の根を止めていた。
   それに気付いて、龍晶は息を飲んだ。
   これでは以前と同じではないか。
   悪魔を作り出す鍵は、この身だ。
   あの砂漠での、あの血に染まった井戸にまた引き戻されるかのような。
   違う。このままではいけない。
   また繰り返してしまう。
「それは…辞めてくれ」
   そう言うのが精一杯だった。
   他に何も言いようが無かった。朔夜の気持ちは解る。逆の立場なら自分も同じ事を言っている。
   案の定、朔夜は意外を語る顔付きをしている。
「どんな相手かぐらいは考えろよ。躊躇う相手って居るだろ、女子供とかさ」
   なんとなしに誤魔化して、目を逸らす。
   朔夜は納得した声を出した上で反論した。
「そりゃ、加減出来る相手なら俺もそれなりの処置で済ますよ。ただ、お前を狙う連中にそんなの居ないだろ」
「知らねえよ、そんな事」
   放り投げて、旅立ちの為に立ち上がった。
   日が昇り始めている。
「俺が誰かを守ろうっていうのが、筋違いかも知れないけどさ」
   朔夜がふと呟いた。
   彼が守りたくて守れなかった誰かを考え、苦い思いを噛み締めて、龍晶は手を伸ばした。
「行くぞ。今日も生き残る、それだけだ」
   手を取り、立ち上がる。
   生きる為の今日。光ある明日の為に。

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