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月の蘇る
  1
   大暴れの甲斐もあって、翌朝になっても龍晶の熱は下がらない。
   そんな事は予測済みとばかりに、燕雷と朔夜は囲炉裏を囲んで寛いでいる。
「お前ら、出立する気があるのか」
   支度はおろか立ち上がる事すらしない彼らの様子に呆れて龍晶が訊くと、誰の所為だと言わんばかりの返事が返ってきた。
「出立する気なんか無いよ。て言うか出来ないだろ、お前がそれじゃ」
「もう途中でぶっ倒れる事の無いように、きちんと療養してから出ような。何せ、ここは静養するのに打ってつけだ」
   口々にそう言われては不貞腐れて寝るしかない。
「安心しろ、龍晶。今日は村の人達が薬を作って持って来てくれるそうだ」
「…厄介になりっぱなしだな。良いのかそれで」
「それだけ皆、お前に期待してるんだろ」
   寝返りと共に大きく溜息を吐く。
「俺は何も返せやしないのに」
「そんな事無いって」
   お前に何が分かるんだと、ちらりと朔夜を睨んですぐに目を閉じた。
   まだ瞼が重い。
「そう言えば、お前は大丈夫なのか朔夜」
「うん?」
   燕雷に問われる意味が分からない。
「寝てる時、また魘されるようになってるぞ、お前」
「…そうなの?」
   自覚は無いが意外ではない。
「二人して魘されるのを聞くこっちの身にもなれ。寝不足で俺がぶっ倒れたらどうしてくれるんだ」
「それは…悪かったな」
   どうしてくれるも何もどうする事も出来ない。
「冗談はさておき、何か心配事でもあるのか。それとも記憶の問題?昨日も何か言ってたな。昔の事が思い出せないとか何とか」
「ううん、昔の細々とした事はね。それと関係有るのかどうか分からないけど…」
   言い淀んで、囲炉裏の火を弄りながら、ぼそぼそと告白した。
「夢を見る。いや…多分それが記憶なんだと思う。…はっきりと、あの時の事を」
「あの時の事って?」
「母親を殺した時の事」
   感情を込めずに言おうとしたが、唇は震えていた。
「…夢だろ」
   燕雷の言葉に首を振って、激情を抑えながら言葉を紡がねばならなかった。
「この手に感触が蘇るんだ。目覚めた時、いつも残っている。どうして俺が殺してしまったのかもはっきりと思い出した。…悪魔は他の記憶を奪う代わりに、それを俺の頭に置いて行ったんだ…。俺はケダモノだと思い知らす為に」
「そんな事は無い、朔夜。まずは落ち着け」
   燕雷は囲炉裏に焼べていた薬缶を取り、茶を注いだ。
   それを朔夜に差し出して、力強く否定した。
「悪魔の仕業だと判っているんだろ?なら、奴の悪戯だ。嘘をお前の頭に刷り込んでいるだけだ。事実だなんて誰も証明出来ないだろ?」
「燈陰は見ている」
   茶を受け取るだけ受け取って、その茶碗には口を付けず両手の中に入れたまま朔夜は言った。
「過程はともかく…結果は確かだ。でも燕雷、お前は躍起になって否定しなくても良いんだよ。俺はもう、この事実を突き付けられる事には慣れてる」
「嘘だ」
「本当だよ。自分の罪は受け入れなきゃ、人として居られないだろ。そりゃ、鋼の精神じゃないから魘されもするけどさ」
   人として在りたかった。
   せめて、その心くらいは。
「お前が気に病んでくれる事は無い。安眠を妨害しちまうのは悪いけど」
「問題はそこじゃないんだが」
   苦笑いして、自らも欠け茶碗に茶を淹れて飲み干した。
   その時、外から扉を叩く音が社の中に響いた。
   そう大きな音ではない。特に物音が無かったから響いたくらいの音量だ。
「村の人かな」
   朔夜が推量を口にしている間に、燕雷は立ち上がって扉へと向かっていた。
「誰だ?」
   扉越しに、口調は柔らかく問う。が、手はいつでも抜けるよう刀の柄に置かれている。
「王の使いの者でございます」
「何?」
   建物の内に緊張が走る。
   燕雷の目配せを受けて、朔夜は己の得物を取り立ち上がった。
   眠る龍晶の居る部屋の戸を閉め、燕雷と向かい合う形で扉の陰に潜む。
「何用だ?」
   朔夜が動いている間に、再び燕雷が扉越しに訊いた。
「龍晶殿下と話をさせて頂けませぬか。私は殿下とは旧知の間柄。刃傷沙汰には致しませぬ」
   声は年老いて聞こえる。朔夜は扉の隙間から覗いて相手を窺った。
   確かに老人のようだ。それも見える範囲では単独らしい。
「お願いいたします。恐らくこのままでは今生の別れとなるでしょうから、せめて、一目、一言だけでも」
   朔夜は燕雷に頷いた。
   もし相手に怪しい所があれば、斬って捨てる自信はある。
   燕雷は少し考え、錠前を外した。
   扉が開く。
   そこに居たのは確かに老人が一人。
   その彼は驚いた顔で燕雷を見ていた。
「…何だ?」
   燕雷は眉を顰めて老人を見返す。
   すると、相手は意外な事を口走った。
「ご無事でしたか…!いえ、話には聞いておりましたが…ああ、変わらぬお姿で…!」
「は?人違いじゃないか?」
   当然だがこちらには思い当たる節は無い。
   が、次の一言に燕雷も相手を無下には出来なくなった。
「燕雷殿、私です。舎毘那(シャビナ)です。お忘れになっても無理からぬ事ですが」
「舎毘那…」
   唇だけでその名を呟きながら、彼には珍しく表情が硬直しているのを、朔夜は見逃さなかった。
「とにかく入りなよ、爺さん。寒いから早いとこ戸を閉めたいんだ」
   朔夜は舎毘那を促して中に入れ、さっと扉を閉めて錠前を掛けた。
   そして声を落として二人に告げた。
「あんた、偉いもん引き連れてきてくれたな?ここ囲まれてるぞ」
   聞いて、燕雷は老人を睨んだ。
   彼のこんなにも冷たく鋭い目付きを、朔夜は知らなかった。
   舎毘那はゆっくりと首を振った。
「彼らに手出しは出来ませぬ。少なくとも、ここを出ない限りは」
「ああ。この社を襲えば神を信じる民の多くの心が離れる、普通はそう考えるよな。だが、そう言って俺たちを騙すのがあんた達のやり方だ」
「燕雷殿、私は嘘は申しません。今も、五十年前も」
「あんたの話じゃねぇよ。この腐った国の話だ」
   ひりひりしたやり取りを、朔夜は不満顔で止めた。
「ちょっとちょっと爺さん達、昔話で俺を置いて行くな。て言うか、立ち話してる場合でも無いだろ」
   燕雷は舌打ちして、朔夜へと意識を切り替えた。
「悪かったよ坊っちゃん。ま、お前もすぐに昔話に耽る爺さんになるからな、大目に見ろや」
「はあ!?お前とは違うし!!」
「良いから。とにかくこちらの爺さんにはお引き取り頂いた方が良いだろう」
「ちょっと待てって!」
   扉を開けようと踏み出した燕雷の前に立ちはだかって、朔夜は声を潜めて言った。
「頭冷やせよ燕雷。この爺さんが何者か知らないけど、爺さんが中に居る間、奴らは手は出せない。だろ?」
「…まあ、そうだが」
「龍晶に話をさせてやろうよ。それで時間を稼げるだけ稼ぐんだ」
「時間を稼いだ所で何があるって言うんだ?援軍が来る訳でもあるまいし」
「夜になる」
   朔夜は言い切った。
「お前…」
「夜中になれば向こうも油断するだろう。いや、それよりも逃げる時間を与えてやると言った方が良いかな。月が中天に昇るまでは待ってやる。それでも包囲が解けないなら…」
「やめておけ。ここを血の海にするな」
「何でだよ?バチが当たるって?」
「民の求心力を失えないのは国だけじゃない、龍晶も同じだ」
   この信仰の場を穢す事は、民の心を遠去ける。即ち、反乱の失敗を招く。
「じゃあ、血の海にせずに追っ払えば良いんだろ?」
   朔夜はさして迷う事なく言った。
「出来るのか、そんな事が」
「多分ね」
   応えながら踵を返し、龍晶の居る部屋へと向かった。
   そして舎毘那に問う。
「あんたが話をしたい王子様は熱出して寝てるんだけど、その寝顔でも見ながら俺に聞かせてくれないか?昔話をさ」
「おい朔夜」
   燕雷が制止の言葉を掛けるが朔夜は止まらなかった。
   躊躇無く戸を開ける。
「もう良いだろ、燕雷。そんなに昔の事に拘るなら、いっその事全部毒を吐いちゃえよ。時間も有るしさ」
   以前は時間が無いからとはぐらかされた。
   それ以来、触れてはいけないと気を遣ってきたが。
   今の自分はそれ程お優しくは無い。
   囲炉裏の脇に早々に胡座をかくと、横から細い声がした。
「何事だ…?」
「ああ、目が覚めちまったか。お前にお客さんが来たんだけど、時間稼ぎたいから夜まで寝ててくれない?」
「は?」
   支離滅裂な事を言われて当然だが龍晶は顔を顰めた。
   そうこうしているうちに舎毘奈も入って来た。
「殿下」
「ああ…舎毘那か」
   気だるく相手を確認し、朔夜に告げた。
「別に下手な偽装は必要無い。俺が待てと言えばいつまででも待つ男だ」
「だけど今は敵だろう?」
「敵には見えないからここに入れたんだろう?」
   問いに問いで返されて、朔夜は言葉に詰まった。
   龍晶は鼻で笑って言い足してやった。
「安心しろ。この爺さんは良い人間だ。そして国の臣である前に俺の味方をしてくれる。そうだろう?」
   舎毘那に問う。
   老人は頷こうとした、が。
「そういう過信は命取りになるぞ、龍晶。お前もこの国の事は判ってるだろ」
   燕雷が己を見下ろしながら言うのを受けて、龍晶はじっと相手を見返した。
「こいつ、なんかこの爺さんには因縁があるみたいで捻くれちゃってるからさ、気にすんな」
   朔夜が横から半笑いで言添える。
「ま、一理有るけどな」
   龍晶は誰にともなく呟いて、舎毘那に改めて目を向けた。
『兄の命令で来たのか?』
   突如、哥の言葉が出て来て朔夜はきょとんと両者を見遣る。
   尤もそれで驚いたのは朔夜だけで、燕雷は忌々しげに顔を逸らしただけだ。
   舎毘那もまた、同じ言葉で返した。
『いいえ。私の願いで参りました。陛下にお許しは頂いてあります』
『説得にでも来たのか』
『それも有りますが…この機を逃せば、この老体が殿下にお目通り出来る事は二度と御座いますまい』
   ふっと、龍晶の目に悲しみが混ざり、言葉が継げなくなった。
   そうだ。この反乱の所為で生涯再会の叶わぬ人は居るだろう。
   否、確実に、誰よりも会いたい一人を闇の底に追いやってしまう。
   その一人を、舎毘那は悟った。
「お母上の為にも、思い留まっては頂けませぬか」
   他人から口にされるには、あまりに痛い一言だった。
   自問する度に混乱し、目を瞑ってきた事を。
   言葉が刃となって心臓に突き付けられる。
   途端に気道が塞がり、息が出来なくなった。
「この野郎、出て行け!!」
   燕雷が舎毘那の胸倉を掴む。
   引っ張ってでも戸口に連れて行こうとする彼を、朔夜は一喝して止めた。
「騒ぐな!龍晶が危ないだろ!」
   朔夜は喧騒を尻目に龍晶の背中を叩きながら、口許を腕で塞いだ。
   歯が肉に食い込み、皮が裂ける。
「落ち着け。ほら、大丈夫だから」
   噛まれる痛みなどお首にも出さず、冷静に声を掛け、背中を摩り続ける。
   過呼吸が治まってくると、ぐったりと身を預けられた。
   虚ろな目のまま龍晶は乱れた呼吸を繰り返す。そんな彼に朔夜は呟いた。
「…忘れるなんて出来ないよな…」
   自分だって、その周辺の記憶は抜け落ちても、その存在と喪った痛みを忘れる事は出来ない。
   龍晶だって、今までそれを他人に悟られぬよう懸命に庇ってきたのだろう。
   だが、今からの己の行動次第で本当に失ってしまう、その決定打を出す恐怖と痛みは想像を絶する。
   失った姿を十年も追い続けてきたのだから、尚更。
「…悪い…」
   血の流れる腕に力無く触れて、龍晶が細い声で詫びた。
   朔夜には、彼の心に有るもっと大きな傷からもっと多くの血が流れているのがはっきりと判る。
   だから、笑ってやる。
「良いんだよ。お前に迷惑かけられるの、いつもの事だし」
   釣られて笑う事も怒る振りをする気力も無く、龍晶は目を閉じた。
   閉じた瞼から涙が溢れる。
「燕雷、爺さんはここに来なきゃならなかったんだよ。…いつかはこいつも覚悟決めなきゃならなかった事だから」
   既に動きを止めている両者に朔夜は言った。
   燕雷には到底、納得出来ない言い草ではあったが。
「俺にはそうは思えないが。こんなになってまでよくそんな事が言えるなお前」
「お前は王子様の事なんて関係無いんだろ?じゃあちょっと黙って見てろよ」
   彼自身の言葉を借りて反論を奪った。
   抱えたままになっていた龍晶をそっと下ろし、その枕元に改めて座り直す。
   そして舎毘那に問うた。
「爺さんはこいつの事、よく知ってるの?」
「十年前、殿下に哥の言葉をお教えするだけの事で…それでよく知っていると申し上げるのは気が引けますが…」
「先生だったんだ」
「宮中に哥の言葉を知る者が私しか居なかったというだけです」
「爺さんは哥の人なの?」
「はい。哥よりこの国に参ったのが五十年余り前でございます」
「…昔話だな」
   朔夜は言って、燕雷に目を移した。
   燕雷はぷいと目を逸らした。
「まぁ、いいや」
   朔夜は苦笑いしながら一人ごちて、再び舎毘那に問うた。
「哥の人なのに、戔の王宮で働いてるのか?」
「先代までの王に仕えておりましたが、今は隠居の身です」
「隠居なのにわざわざ来たんだ」
「先程も申し上げましたが、この機を逃せば二度と殿下にお目にかかれぬと危惧したのです」
「それはさ、そんなに可愛い生徒だったって事?それとも、このまま龍晶を行かせたら拙い事になるから引き止めに来たって事?」
「…その両方ですな」
「だろうね」
   朔夜は立ち上がって、空の椀を取るとそれに茶を注いで舎毘那の前に差し出した。
「お前の用件は気になるけど、龍晶が落ち着くまで聞かない事にする。それより、俺は昔話が聞きたいな。どうしてあんたがこの国に来て、王に仕えるようになったのか。あと、燕雷とどういう関係なのか、何があったのか…教えてくれよ」
「それは王子様の前で言えるような事じゃない」
   燕雷が苛立たしげに口を挟んだ。
   朔夜は一歩も引かず言い返す。
「そんな事、聞いてみなきゃ分からないだろ。大体、聞きたいのは俺で、龍晶は寝てるし」
「寝てはいない」
   不機嫌だが掠れた声と共に、薄く目が開いて黒い瞳が覗いた。
   朔夜はちろりと舌を出して、笑っていなした。
「こりゃ失敬。でも別に良いだろ?」
「何が良いんだ」
   怒り顔の燕雷に目をやって、龍晶は言った。
「俺も聞きたい。かつてこの国で何があったのか」
   燕雷はあからさまに嫌な顔をして聞き流した。
   それでも龍晶は続けた。
「知っておくべき事だと思う。あんたがどうしてそこまでこの国を嫌うようになったのか…我が罪だとしたら、謝りたい」
「お前じゃないよ。お前の爺さん世代の話だ」
   思わず答えて、燕雷は諦めたようにその場へ座り込んだ。
「お前の先祖がかつて何をしたか…聞いて気持ちの良い話じゃないだろうが」
   言って、ちらりと舎毘那に目を向けた。
「お前から語れ。時系列に沿った方が、坊ちゃん達には分かりやすいだろ」
「では…」
   舎毘那は二人の少年を、五十年前へと誘った。


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