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月の蘇る
  8
   結局、黎明と共に帰途に着く事になった。
   宗温は何を言おうが迷いは無かった。「殿下について行く」の一点張りである。
   ならば桧釐にそれ以上説得の言葉は無かった。
   夜も遅いからという理由で宗温の留まっていた村の屋敷に世話になり、僅かな光の差すのを待って出立した。
   そんなに焦って出る必要は無かったかも知れないが、龍晶が気がかりだった。
「殿下の様子がおかしい?」
   宗温に問い返され、桧釐は頷く。
「こっちに来てからというもの、床に潜って出て来ないし、人に会うのも嫌っている。食も細いし、何よりずっと思い詰めた目をして口数も少ない。かと思えば突然何かに憑かれたように怒り出す。まあ、熱が下がらないせいもあるだろうが」
「良くないですね」
「せっかく落ち着ける場所に連れて来たのに、なんか自分で深みに嵌ってるような感じだよ」
   均されていない山道の、突き出た太い木の根を飛び越えて、桧釐は大仰に溜息を吐いた。
「自分で自分の作り出した毒に当たるって言うか。名前まで捨てるならついでに何もかも忘れちまえば良いのに」
「私の事を歓迎出来ないのもそのせいでしょうか?顔も見たくない程嫌われました?」
「それは違うだろ。顔は見たいが、お前にみすみす出世の道を捨てさせるのが申し訳無いんだろうよ。ま、彼の優しさだ。どっちかと言うと優柔不断てのが正しいけど」
「それが無ければ少しは苦労も忘れられるでしょうに」
「そういう事だ」
   吹き溜まって山になった枯葉を蹴散らし、近くなった目的地の方向へ目を向ける。
   と、そこに思わぬ人影を見つけ、二人は足を止めた。
「誰だ…!?」
   いつでも刀が抜けるよう構えながら、用心深く近付いていく。
   相手が大人の背丈だと見えると、桧釐は緊張を幾ばくか解いた。
   最悪の事態ではない。
「誰だ?」
   直接問い掛ける。と、少し耳慣れたが意味の拾えぬ言語で返ってきた。
   宗温と目を合わす。
「…待っていた、と言っているようです」
   自信無げに彼は訳した。
「お前、判るのか?」
「それは、ほんの少しは。大体の感覚ですけど。長いこと国境線に居たものですから」
「そうか、成程な」
   相手は自らこちらに近寄って来る。
   刀を抜く相手ではないと判断して、二人は構えを解いた。
   話の通じる距離になると、相手は何か語りかけてくるが、流石に宗温も長い文となると理解出来ない。
   眉を顰めて桧釐に目をやる。
   彼も戸惑いながら相手に訊いた。
「どうして里からここまで出てきた?」
   そう距離は無いが、里から出ている事自体重大な問題だ。
   話が通じているかどうか、相手は喋り続けている。
   桧釐は軽く右手を上げて相手の言葉を遮り、意味が判るようゆっくりと問うた。
「お前、名は?」
   タンサナ、と男は言った。
   そして何を思ったか、彼は突然走り出した。
「おい!?」
   驚きの声を上げて、その後を追い掛ける。
   脱走者を出す訳にはいかない。それも、目の前で逃す手は無い。捕まえねばならなかった。
   男ーー旦沙那は、真っ直ぐに山を駆け下りてゆく。
   目指すのは勿論、あの祠。
   戻らねばならない。
   故郷に帰るのは後からでも出来る。
   だが、今を逃せばあの少年は永遠に戻っては来ない。
   自ら命を捨てる、愚かな狂人だった。
   だが、本当に狂っているだけか?
   彼が哥の言葉を習得した理由、それは自分もーー否、皆の望みと同じでは無いのか?
   その望みを、荒涼とした砂漠に漸く生まれた芽を、枯れさせる訳にはいかなかった。
   彼が愚かなのは、己の可能性に気付かぬままに、その生を擲とうとしている事だ。
   己に関係の無い事としてこの地を去ろうとしたが、去りきれず踵を返し、少年を救うべき人物を待っていたーー理由。
   望む世界は、皆同じ筈だ。
「ったく…何処まで逃げるつもりだ」
   息を切らして桧釐が悪態をつく。
   下り坂とは言え、これだけ走らされるとかなりきつい。
   それも道無き道をかなりの速度で下っているのだ。木の根に足を引っ掛けたり、枯葉に滑らないよう注意せねばならない。
   追われる身とて同じ条件だが、男はひょいひょいと障害物を避けて走ってゆく。
「ただ逃げているのではないのかも…!」
   宗温が旦沙那の走りから感じる事を口にする。
「どういう事だよ!?」
「彼は何か、目的物に向かっている気がします!それが何かは分からないが」
「何なんだ一体…!?」
   麓に道が見えてきた。
   もう、かなり北州の街に近い。
   先に道に降り立った旦沙那は、祠のある方向へ向けて再び走る。
   桧釐、宗温もその後を追った。
   程なくして。
『畜生め!』
   旦沙那は怒鳴った。
   足を止め、山の木立の中に建つ祠を見上げて。
   中は空だった。
   追ってきた二人も追い付き、きつい呼吸を繰り返しながら男の視線を追う。
「何だ…ってんだよ…一体…」
   体を折り曲げ、膝に手を付き、桧釐は息を切らしながら男に問う。
   宗温は例の祠に向け坂を登り出した。
「お前、よくまだ動けるな」
   半分感心、半分呆れながら桧釐が下から声をかける。
「長距離走は得意なんです。…あなたは彼が逃げないよう見張っていて下さい」
   振り返らず返して、その祠を覗き込む。
   人一人が屋根の下に入れる程の、小さな建造物。三方を壁で囲まれ、前方には遮る壁は無い。
   中には小さな祭壇が作られている。だが、祭器は古ぼけ、欠けているものや下に落ちている物もある。
   特にこれと言った何かは無い。
「何かあるか?」
   桧釐が下から問い掛ける。
   無い、と答えようとして。
   地面に落ちた陶器の破片に、不自然な物を見つけた。
   まだ固まりきらぬ、血液。
   息を飲んで、その陶片を拾い上げる。
   赤い液体は、下に流れた。
「ここに誰が!?」
   振り返って旦沙那に問う。
   彼は、慣れぬ言葉で答えた。
「王、子供」
   二人がその意を察するには充分な言葉だった。
   宗温が血相を変えて駆け下り、桧釐に陶片を見せた。
「まだ時は経ってない。追えば取り戻せます」
   桧釐は辺りを見回す。そして葛折りになっている山道を見下ろした。
   人の気配がずっと麓の方にある気がした。
「恐らくまずは北州に向かう筈だ」
   宗温が頷いて言葉を継いだ。
「軍を纏めた後、都に」
「急ぐぞ」
   足を踏み出す前に、旦沙那に目をやる。
「手伝ってくれないか?」
   その意を理解したかどうかはともかく、桧釐は己の持つ刀のうち一振を彼に差し出した。
   それで気持ちは通じたらしい。
   旦沙那は頷いて刀を取った。

   兵共に殴られ蹴られしながら漸く目的の場所まで辿り着いた。
   自分だって従い動くつもりは有るのに体が動かない。それで苛立たれて殴られても逆効果なのに、彼らには自分が反抗しているとしか考えられないらしい。
   尤も、自ら死にに行く人間が居るなど、普通は考えられないだろう。
   何にせよ、一時的にとは言えやっと暴力の嵐から解放された。
   横たわる手足に縄を巻かれるが、自ら逃げる気は無いし、もう手足が自分の物という感覚も無い。
   場所は目を瞑っていても判る。北州に置かれた軍の本営。即ち、首長たる伯父、桧伊の屋敷。
   その大広間に転がされているのだが、周囲を取り囲む兵の気配が徐々に増えて来ている。
   捜索に当たっていた兵が帰還しているのだろう。全員が揃えば撤退となる。
   そして俺は都に連れ帰られる。
   やっと、帰れる。
   生まれ育った場所。そして、終わりを迎える場所へ。
   一つの他とは異質な足音が、目前にまで迫った。
   誰なのか見当は付いた。
   瞼を押し上げて、その相手を視界に入れる。
   知らず、笑いが出た。
   何よりも近付いて欲しくなく、そして誰よりも逢いたかった相手。
「龍晶、お前、ついに壊れたか」
   朔夜ーー悪魔は、つまらなそうな顔で見下ろして言った。
   何か言ってやりたくとも、喉に血痰が絡んで声が出ない。ただ笑みを深めるだけ。
「もう少し遊んでやるつもりだったけど」
   悪魔は屈んで、龍晶にだけ聞こえる声を耳元に落とした。
「王様に嘘を吹き込んで、楽しい見世物を作ろうと思ったんだ。でも、お前がこれじゃ意味無いな」
   龍晶の血に不死の力など無い。毒を飲まされたあの時、息を引き取る前に蘇生させていたから。
   だが王は今もその嘘を根拠に、龍晶が都に連れ戻されるのを待っている。
「ま…良いか。壊れた玩具に用は無いし」
   どの道、彼に待っているのは死だ。
   否、と悪魔は考え直した。
「龍晶、お前は死を望んでいるんだろ?」
   それは二人の共通認識だ。
   逃げ道は、死ぬ事より他は無い、と。
「残念だが、王様はお前を殺さないかも知れないぜ?あの人さ…」
   悪魔自身、言いながら怪訝な顔をして。
「お前を愛しちゃってるんだ」
   龍晶の口元から笑みが消えた。
   ひたと、悪魔の顔を見詰める。
「美しい兄弟愛じゃないのは確かだけどさ」
   面白半分に言って、悪魔は立ち上がった。
「さて、そろそろお客様も来たんじゃないか?」
   周囲に向けて言いながら、自ら外へと通じる扉へと歩み寄り、それを大きく開いた。
   その向こうに、三人の男が居た。
   桧釐、宗温そして旦沙那。
「お前」
   扉に手をかけて立ちはだかる悪魔に桧釐は口を開いた。
   その口が問わんとした事を、先回りして悪魔が答える。
「居るよ?中に」
   張り詰めた緊張感。
   対して余裕綽々で、悪魔は後ろの兵達に告げた。
「残党狩りの手間が省けたよ。俺が手を出す間でも無いから、手柄にどうぞ」
   わっと、兵が湧き出てくる。
   桧釐は舌打ちして迎え撃った。
「桧釐!こちらは引き受けます!あなたは中へ!」
   宗温が乱戦の中で呼び掛けてくれ、桧釐は頷いて前へと向かった。
   旦沙那も頼もしい太刀筋だ。後ろは任せられる。
   出てくる敵を斬り伏せながら、桧釐は何年か振りに生家の門を潜った。とんだ帰省だ。
   郷愁など感じる暇がある筈も無く、刀を交わらせ刃を避け、兵を叩っ斬りながら、桧釐は呼び続けた。
「殿下!…龍晶様!」
   幾重にも交わる敵の足元の向こうに。
   居た。別れた時にも着ていた白い寝間着を泥と血に汚して、襤褸切れのようになって転がされている。
「殿下!」
   一際声を大きくして呼ばわり、立ちはだかる敵を一刀に断ち切って、縺れるような足で近寄ろうとして。
   体に鋭い痛みが走った。
   ただ斬られたのだと思った。だが、一瞬後に吹き出した血の量を見て、違うと解った。
   敵の居なかった前面、肩から胸にかけて袈裟懸けにされた深手。
   見えぬ刃の仕業。
   倒れながら、視界の隅に、悪魔の笑みを捉えた。
   そして倒れた先には、従弟の青褪めた顔が己を見詰めていた。
   震える唇から己の名を呼ぼうとしているようだが、声が出ない。
「…龍晶様」
   逆にこちらが呼んで、重たい腕を持ち上げてその顔に触れた。
「良かった。間に合って」
   龍晶は小さく首を横に振り、声にならぬ声をやっと絞り出した。
「桧釐…どうして」
「困ったなあ」
   それを遮るように上から悪魔の声が降り掛かる。
「あんたを生かすか殺すか考えて無かったよ。どっちでも良いんだけど、面白い人間とはなるべく長く遊びたいんだよね」
   ち、と桧釐は血に塗れた舌を打つ。
「この餓鬼は…ったく」
   悪態を吐くのが精一杯だった。
   視界が歪みだす。
「桧釐!」
   今度ははっきりとした声になって龍晶が叫ぶ。
「死ぬな!頼む…俺より先に逝かないでくれ…!!」
   その叫びの余韻を掻き消すように。
   血風が舞った。
   兵が次々と倒れる。
   何が起きたかのか解らない。が、見た事のある光景。
   咄嗟に悪魔へと目をやる。
   彼もまた、驚いた顔を作っていた。
   益々訳が分からず、悪魔の視線の先を見る。
   開いた扉の間に、背から光を受けて、人影が立っていた。
   光を跳ね返す金髪が、いやに眩しい。
「お久しぶりです、朔夜君。あ、今はお月さんと呼んだ方が良いですかね?」
   あの男だ。
   龍晶は記憶を掘り起こした。だが何故今になって、この場所に。
   悪魔は暫し言葉を返す事も忘れていたようだが、ややあって鼻で笑った声が聞こえた。しかし余裕を無くした笑い方だった。
「あんたがしゃしゃり出てくるなんて。存在自体忘れてたよ」
   皓照は、優雅な笑みを作った。
「忘れていたのなら、思い出させてあげます。その為に来ました」
   悪魔の足が目前に出て来る。己を跨いで、新手と対峙する為に。
   構える体勢を見上げながら、金髪の男について掘り起こした記憶の中の、朔夜の言葉を思い出していた。
   俺には殴る事すら出来ない、と。
「良い機会だ。この際だからお手合わせ願おうか」
   いつもの余裕を持った悪魔の言葉。
   しかし龍晶にも判った。その中身に余裕は無い。
   悪魔が地を蹴る。
   皓照は動かない。
   間合いまで程遠いのに、月は得物を振った。見えぬ刃を作り出したのだ。
   次の瞬間、何も無い空間から、高い金属音が鳴り響いた。
   と、同時に月の身体から血が迸っていた。
「貴様っ…!」
   肩に近い腕からの出血に気を取られた時、今度は太腿から血が流れていた。
   皓照は、寸分も動いてはいない。
「降参なさい。君が勝つ事は有り得ません」
   悪魔が唸る。
   そして後方に大きく跳びのき、多量の血を流しながら二階の廻廊へと飛び移った。
   その間も傷が増えてゆく。悪魔の動いた跡に鮮血の道が出来る。
   殆ど転がるように走り、窓をぶち破って外へと落ちていった。
「朔夜!」
   皓照の脇から燕雷が走り出る。が、相方に落ち着いた口調で止められた。
「深追いは無用ですよ。必ずまた戻って来ます」
   そして、背後でぺたりと力無く座っている於兎へ笑顔を向けた。
「大丈夫ですかお嬢さん?面白過ぎて腰が抜けました?」
「な…!あんた、ちょっと…」
   言い返したくとも呂律が回っていない。
   その横で、旦沙那も口をぽかんと開けている。
   一方で宗温は場が静まるや否や、倒れている二人へ駆け寄った。
「殿下!桧釐殿!」
   龍晶は宗温の顔を見て、何とか保っていた相好を泣き顔へと崩した。
「宗温…桧釐が…!」
   俯せに倒れている桧釐の脈を取る。
「大丈夫です。まだ息は有る」
   だが出血が多い。まだ生きているというだけで、あとは時間の問題だ。
「死なせないでくれ…!」
   涙を浮かべて懇願する顔に頷いては見せる。が、術は無い。
「仕方ありませんねぇ。これは私の分野ではないのですが」
   後ろから近寄ってくる声に、二人は顔を上げた。
「皓照様…治療して下さいますか」
   宗温が問いながら、桧釐の傍らを譲った。
「治療…?」
   龍晶は間近に立ったその男を見上げる。
   皓照は、笑みを返して頷いた。
   そして屈み込む。
   宗温が桧釐の身体を抱え、仰向けに向きを変えた。
   と、意外な事に桧釐が呻きながら言葉を発した。まだ意識がある。
「痛いのは勘弁だ…」
   思わず口元を緩める宗温。皓照も笑って、息も絶え絶えの男に言ってやった。
「痛くはないと思いますよ?私はされた事が無いから知らないけれど」
   え?と問い返す暇も無く。
   傷が光を発しだした。
   龍晶も、桧釐自身も息を飲んでその光を見詰めているうちに、それは消えた。
   傷と共に。
「な…!?え…!?嘘だろ…!?」
   桧釐が自らの手で傷跡を探す。が、その痕すら無い。
「はい、無事終了。久しぶりでしたが出来るものですね」
   爽やかに笑って皓照は立ち上がり、一言付け加えた。
「本当なら朔夜君にやって貰いたい所でしたけど」
   宗温は抱えていた桧釐が手から離れると、今度は龍晶の傍らに跪いた。
   まずは縛っている縄を刀で切り裂く。
   龍晶はまだ何が起きたか解らないという顔をしていたが、宗温に肩を抱かれて半身を起こされ、しゃんと座らされると、堰止めていた感情が一気に溢れ出した。
   桧釐の懐に飛び込んで、言葉も無く、ただただ泣きじゃくった。
   従兄はふっと息を吐いて、安堵の表情を浮かべる宗温に向けて片頬を上げて笑って見せると、泣く子の頭を優しく撫でて宥めていた。

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