短編集
其の6
「さあ、中に。散らかっているが、我慢してくれ」
部屋に通された瞬間、其処に置かれた本の数に圧倒されてしまう。天井まで届く本棚には隙間なく本が納められ、その他の本は床に無造作に置かれている。しかし多くの本は埃に塗れ、軽く掃うと埃が舞う。
一体、何日掃除していないのか。このような所に半日もいたら、病気になってしまう。老人は器用に高く詰まれた本の間をすり抜けると、やはり埃が積もった椅子を発掘し座るように勧めてくる。
しかし、椅子は汚れていた。流石に「汚いです」とは言うことができないので、老人が背を向けている隙に積もった埃を叩き落とす。そして、何事もなかったかのように顔で椅子に腰掛けた。この椅子も長い年月が経過しているのか、腰掛けた瞬間軋むような音がした。
「凄い本の数ですね」
「全部、神話に関するものだ」
「でも、内容は同じだと思います」
「そうでもない。土地によって伝わり方は異なる。その地に息づく文化と同じ、多種多様だ」
「そうなのですか」
精霊は、世界各地に存在している。全ては均一であるが、崇め方は個々に違う。同じ精霊であっても、北と南。西と東では、大きく異なる。なら、神話の伝わり方も異なるのは当たり前だ。
「この世界は、二匹の竜が創造したと言われておる。しかし、とある場所の神話は違っておった。リゼル様こそが真の創造主だと信じておる、少数民族が存在したのだ。その民族は古くから精霊信仰を心の支えとし、一説には彼等は精霊の末裔ではないかと言われておる」
その言葉に、私は過去の出来事を思い出した。人間界と精霊界を結ぶ境界線。それは、深い森の中に存在した。人の侵入を拒み、一度中に入れば二度と出ることができない迷いの森。
その森で暮らしている、儚い下級精霊。精霊界へと続く門を守ることを使命とし、大樹から生まれる通常の精霊と何処か違う異質の存在。老人が言う少数民族とは、彼等を示している。
数百年前――人間の世界を夢見た者達が森から抜け出し、人間として生きることを望んだ。
しかし彼等は、森から出て生きてはいけない。大樹は母であり、命を繋ぎ止めている。だが、意思を持つ者を止めることはできない。それにより、その命を散らしていった。何故そこまでして、外の世界に憧れるのか。当時の私にとっては、理解しがたい行動であった。
――精霊が理に反すること、即ち反逆。
そのように捉えられても、おかしくはない。しかし、処罰をしようとは思わなかった。これを進化と考え、彼等の行動を許した。無論、異論を唱える者もいた。しかし、縛り付けるのも簡単だ。だが、縛り付ければ逆に反感を持たれてしまう。それなら、自由にするのが適切な判断だ。
望む者に人間として生きる力を与え、外の世界に羽ばたかせた。今は、精霊としての面影は残っていないだろう。数百年の年月は血を薄くし、本来の力は失われたに違いない。それでも構わない。彼等の子孫が、元気に生きているというのなら。それだけで、嬉しかった。
「精霊が人間となった民族、信憑性が高い。人間の遥か以前から存在する精霊じゃからのう。それに精霊とは、リゼル様に一番近い存在」
「それなら、本当ですね」
「わしは、そうだと思っている」
「では、何ゆえ白き竜は何も言わないんでしょう?」
一体、何を言っているのか。言わない理由は、わかっているというのに。そう、人間に信じてもらえるかわからないからだ。それに“リゼル様が言うから”ということで、訂正してほしくはない。
「人間を責めないのは、お優しいから。わしは、そう思っている」
「優しいですか」
「お主は、違うと思っているのか?」
「わかりません。僕には……」
世界を見守るのに優しさも必要だが、時に厳しさも必要となる。その厳しさを人間に知らしめ、威厳を保つ。それも可能だが、そんなことをして何になる。また優しさを見せ人々の信仰心を煽るのも、正直嫌だ。
「リゼル様のお心は、わしら人間には理解できぬ。いや、理解してはいけないのじゃ。それを恰も理解していると振舞う神官どもは……人間は愚かで欲の塊じゃ。いくら修行し欲を捨てたとしても、人間が精霊に近づくことなど、それこそ奢り。それを理解していない者がリゼル様や精霊の素晴しさを説くなど、世も末じゃ」
「貴方こそ、聖職者に相応しい人物だと思います」
「お世辞でも、そのように言ってもらえると嬉しいものだ。さて、何処から話そう。話は長くなるぞ」
「構いません」
このような人物が、神官として人々を導いていかないといけない。今の聖職者達は、自身の立場しか考えていない。神話は二の次で、時として歪めてしまう。自分達の都合のいいように。たとえ創造主とはいえ、人の人生まで干渉してはいけない。だが、実に勿体無い。
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