短編集
其の1

 忘れ物を取りに――そのような理由から、この地を訪れた。石造りの建物が建ち並ぶ巨大都市。〈聖都ルシール〉と名付けられた、精霊信仰の中心地。都市の大半は精霊を祀る神殿が占め、精霊を信仰する者達が道を行きかう。

 春を迎えたルシールは、とても賑やかだった。美しい花を咲かせた木々に、家々のベランダには花が植えられた細長い植木鉢が吊るされ、そこから漂う甘い香りは気持ちを和ませる。神殿へ向かう大通りは、信仰者と思しき人々とルシールで暮らしている人が交じり合う。

 春の訪れは、同時に祭りの時期でもある。雪が解け目覚めの時期を迎えたルシールは、今その祭りの真っ最中。冬は精霊の力が一番弱まる季節。故に春は温もりも与え、精霊の力が復活する時。

 ――春よ、眠りし精霊を目覚めさせよ。

 昔から伝わる祈りの言葉。人間の生活は精霊と共にあり、最後は精霊に導かれ死んでいく。死後、現世と来世を繋ぐ空間を渡るには精霊の加護が必要という。どの精霊でもいい、加護がなければ来世へ行くことはできない。そんなことから、精霊への祈りは日々続けられている。

 しかし、時の流れは常ではない。時代と共に人々の考えは変わり、一部の街や村では精霊信仰が廃れてしまっている。理由は存在の有無。

 本来精霊とは、人々の暮らしを影より見守る生き物。故に、滅多なことでは人前に姿を現さない。それが影響してなのか、存在しない生き物と思われはじめ、徐々に衰退の道を進む。

 しかし、その者達は知らない。彼等は、汚れた心を持つ者の前には姿を現さないと。存在の確認という不確かな理由では、精霊を見るに値しない人間と思われる。汚れなき心と祈る気持ち。その二つを持つ者が、精霊を見るに相応しい。それを忘れた者達は、一生彼等の姿を見ることができない。

「お花、いりませんか?」

 真っ白い花弁をつけた花を篭いっぱいに詰め、花売りをしている少女。行きかう人々に声を掛けては、花を売っていく。満面の笑みは、ルシールが平和な証拠。誰も精霊のお膝元で悪いことはしない。

 ――白とは純潔。そして、高貴なる色。精霊王であるリゼルを象徴する色であり、高位の神官のみが使うことを許されている。

「お兄ちゃん。お花、いりませんか?」

 先程の花売りの少女が、声を掛けてきた。年頃は十歳前後か。年の割には大人びていて、シッカリしている。篭に詰められている花の名は〈ナターシャ〉確か、これは人の名。本来、このように純白の花弁をつける花は存在しなかった。存在しても、薄く違う色が混ざり合った花のみ。

 しかしナターシャという女性が品種改良をし、純白の花弁をつける花を生み出した。この世界を支える精霊の王に捧げる花を作りたい。そんな理由から、研究に取り組んだという。彼女が作り出した花は春になるとルシール全体を包み込み、美しい花を咲かせているという。

 それ以来この花は女性の名を取り〈ナターシャ〉とつけられ、リゼルに手向ける花となった。

「神殿に向かうのでしたら、一本どうですか?」

「そうだね。一本貰えるかな」

「ありがとうございます」

 金を手渡し、花を受け取る。五枚の花弁をつけた、汚れなき色の花。中心部分は淡い黄色をし、独特な香りが何とも言えない。同じように花を購入する人がいた。皆、この先にある神殿に向かうようだ。

 ナターシャは、リゼルに捧げる為に作られた花。そう表立って公表されているが、生息地は意外に狭い。彼女はこの花が世界中に広がれば良いと考え、どの土地にでも根が張るように改良した。

 しかし、生息地はルシール周辺。それも、神殿関係者が管理をしている。先程の花売りの少女も神殿で働いている子だろう。本来の用途とは別に利用されている花。彼女が生きていたら、さぞ嘆くだろう。

「神殿が聞いて呆れる」

 誰も聞こえないように、そっと囁く。ナターシャが一面に咲き乱れれば、さぞかし綺麗だろう。その美しさを囲ってしまうなんて、人間の美的感覚の低さに溜息しかもれない。だからこそ、精霊を見ることができる人間が少なくなってきている。要は、汚れた人間が増えてしまった。

 これが数百年前であったとしたら、簡単に正体を見破られていた。気付かれずに大通りを歩けるのは、それだけ人の感性が乏しくなったのか、それとも“こんな少年が”という先入観によるものか。

 どちらにせよ、悲しいことだ。

 立ち止まり、人の流れに目をやる。正体に気付いたら、さぞかし驚くだろう。この場所に、ナターシャを捧げるべき相手がいるのだから。精霊王と呼ばれる、リゼルという人物が――

「ねえねえ、お兄ちゃん。どうして、そんな髪色をしているの? とても綺麗な色に光っている」

 その時、十歳に満たない男の子が質問を投げ掛けてきた。それも服を引っ張り、懸命に答えを聞き出そうとしてくる。すると母親らしき女性が「すみません」と頭を下げ、男の子を連れて行こうとするが、特に不満はない。どうやら小さい子には、正体がわかるようだ。


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