短編集
其の4

「叩かなくてもいいじゃない」

「我儘を言うからだ」

「我儘なんて、言っていないもの。リゼル様に、言い付けてやる。とっても、怖いんだよ。思い出したくないけど」

「マスターが怒ったことは、あったかしら」

 酒を飲みつつ、シルリアは疑問を漏らす。今まで、リゼルが怒ったことは一度としてない。それは心が広いのか、それとも怒るのが面倒なだけなのか。どちらにせよ、感情を爆発させたことはない。

「そういうことだ」

「なっ、何よ! 寄って集って虐めるし。いいもん! 二人が駄目なら自分から行って来る。リゼル様に、宴会に来てもらうから」

 ファリスは酒瓶を抱き抱えると、素早いフットワークで奪い取ろうとシルリアの攻撃を避ける。その瞬間、シルリアの舌打ちが聞こえた。普段見せない一面に、ファリスの好奇心に火を点ける。こうなってしまったら、誰にも止められない。ファリスは乱暴に扉を開くと、廊下を駆けて行く。

「あ、あの子」

「本気で、行ってしまった」

「追いかけます?」

「その方がいい。主に、迷惑を掛けては堪らん」

 そう言うとレスタとシルリアは椅子から腰を上げ、ファリスの後を追うことにした。しかしこれから起こる出来事は、精霊界はじまって以来の大事件になるとは誰も知る由がない。




 その頃、キッチンに向かったストルは調理の手伝いをしていた。クッキーが焼かれている釜を覗き、焦げないように見張っているのが彼女の役目。漂う甘い香りに、焼きあがるのが楽しみの様子だ。

「クリームの硬さって、これくらい?」

 ケーキに塗るクリームを泡立てているジェドは、味見をしながら作っていた。今作っているケーキは、未成年者が宴会で食べるお菓子。オレンジジュースだけでは寂しいと、特別に作っていた。

「どれどれ」

 クリームの硬さを確かめているのは、何とグラウコス。老人の姿をした地の精霊が、料理の指導をしているとは。そう、趣味が料理だというのはこの人物のことを差す。こう見えても、料理の腕前はかなり高い。お菓子作りから一般的な料理まで、何でも作ってしまう。

 その味は、一流の菓子職人に等しい。その為、様々な精霊から注文が来るという。それだけ、評判が高い菓子。しかし作るのに時間がかかるということで、滅多に作ることをしない。

「これでよかろう。あとは、スポンジに塗るだけじゃ」

「了解! イチゴ挿んでいいかな?」

「食べるのは、年少組だ。好きなのを挿むといい」

「じゃあ、沢山いれよ」

 見た目相当に、ジェドは甘いお菓子が大好き。なので、お菓子作りに自ら参加したほど。混ぜ合わせたクリームを味見しつつ、スポンジに塗っていく。はじめての割には、なかなかの手付きだった。

「クッキー焼けたよ!」

「待っとれ」

 そう言うとグラウコスは手近にあった長い棒を手に取ると、器用にオーブンの蓋を開け中身を取り出す。トレイを棒の上で一回転させると、そのままテーブルの上に置く。ちょっとした演技に、ジェドとストルは拍手をした。

「食べてよいぞ」

「わーい! いただきます」

「うん! 美味しい」

「甘さ控えめじゃ」

 熱々のクッキーを頬張る二人に、満足そうに頷く。孫のような存在に「美味しい」と言われるのは、嬉しいようだ。

「じゃあ、次のも焼くね」

 二・三個口に含むと、ストルは釜の中にトレイを入れていく。しかしクッキーを口に含みすぎたらしく、飲み込むのに一苦労の様子だ。真っ赤な顔をしながら、テーブルに置いてあったオレンジジュースを飲み干す。そして大きく息を吸い込むと、何とか窒息を免れた。

「あれ? 外が騒がしくない」

「そういえば、何だろう」

 クリームを塗るジェドの手が止まる。そういえば、廊下が騒がしい。何かがドタドタと走る足音に、誰かの叫び声。ジェドは作業を中断させると、何の騒ぎか確認する為に扉を開ける。その瞬間、物凄いスピードで黒い物体が横切った。その後姿は、見間違えでなければファリスだ。

 また、何やら騒ぎを起こしたようだ。そしてファリスを追い掛けるように走ってくるのは、レスタとシルリア。これを見た瞬間、ジェドの考えは核心へと変わった。この二人がこのように負い掛けて来る時は、必ずといっていいほど “おいた”をはじめた時であったからだ。


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