短編集
其の1

 水の音が、耳に届く。それは清らかで穏やかな水流を作り、ひとつの纏まりを生み出す。それらに意思はなく、時が成す技のひとつ。半透明な液体は深く、そして広い塊を形成し目の前に広がる。

 鏡のように美しい湖に、少年の姿が映し出される。雪の如く白い髪色をした、幼い雰囲気を持ち合わせる神秘的な人物。湖に向かって倒れた巨木の上に腰掛け、定まらない視線を泳がせる。

 夜が支配する空間。光は木々が発する明かりと、空に輝く星のみ。しかし逆にそれらが、この世界を幻想的に演出していた。少年は、何気なく天を仰ぐ。此処には、月というものは存在しない。それは、当たり前であった。此処は、人間が暮らす世界ではない。そう、精霊達が生きる世界。

 ふと、少年の後方から何者かが近付いてくる。しかし振り返ることはせず、視線を遠くに向けていた。下草を踏みしめる音。規則正しく決して乱れることのないそれは、その人物の性格を表している。

「何用だ」

 それは息を吐き出すと同時に発した、囁くような声音。まるで「自分に構うな」と言っているかのようだ。だが相手は少年の後ろで歩みを止めると、軽く会釈して見せた。後ろを見なくともその行動を理解したのか、少年は項垂れ頭を振る。そして一言「何故、そうする」と、呟く。

「いけませんか?」

 此方も、感情が無い。しかし、相手を想う気持ちは痛いほど伝わってくる。それを知って態と冷たい態度を取っているのか、少年は決して振り返ろうとはしない。ただ湖の先を見つめ、投げ掛けられた言葉を処理していく。

「……私は、演じているだけだ」

「そうであったとしても、我々は同じ行動を取るでしょう。精霊は、そのような存在ですから」

「理解できない」

「それが、我々の役目です」

「……わからない」

 はじめて出会った時、同じ言葉を言われた。永遠の忠誠を誓うと宣言され、少年は正直困ってしまった。

 何故、自分に――

 それだけが、気に掛かっていた。ただ、決められた役割を演じているというのに。別に、特別な感情は存在していない。それだというのに、優しく接してくる者達。少年の胸は、痛く締め付けられる。しかしそれがどうして痛むのかは、今の少年は理解しようにもできなかった。

「……時々、此処にいていいのか考える」

(アルジ)にそのように告げた者が居ると、聞きました」

「あれは気紛れで申したものなのか、哀れに思い助け出してくれたのか……重荷だ、今思えば」

「……主」

 解放の条件。それは“精霊達の守護”であった。そして少年の後方で待機しているのが、約束の条件に上がった精霊。「何ゆえ守護を?」あの時は疑問に思わなかったが、冷静に考えれば不思議なことだ。

 朽ちかけた木の上に腰掛けている少年が、世界を創造した。あらゆる生き物と共に、精霊達も。つまり、精霊も創造の対象物。それをどうして守護しないといけないのか。秘めたる力は、あらゆる生き物を凌駕しているというのに。正直、守護の意味がわからなかった。

「私など、必要ない」

「貴方様は、我々にとって必要な方。その存在自体が、大きいのです。これからの長き時間、共にあることを……我は、裏切りません。たとえ、世界がどうなろうとも。永遠の忠誠を……リゼル様」

「硬いな。他の者は、もっと柔らかいのに」

 一瞬、リゼルと呼ばれた者の口許が緩んだ。しかし、すぐに肩を竦めてしまう。出会った当初から、彼等は同じ態度を見せていた。相手を第一に考え、時としてその身を犠牲にする。リゼルはそれが気に入らない。「こんな自分を……」その考えが常に付きまとっていた。

 姉と兄と共に創られ、無の空間で目覚めた。そして世界を生み出し、時が流れた。ただ、言われるままに――

 だからこそ、信頼されることを嫌った。姉と兄が命令した世界であり、自分の意思は無いに等しい。精霊達も、その中から生まれた一部に過ぎない。そんな彼等に、どのような感情を抱けというのか。

 正直、難しい。

「主が望むのでしたら、そういたしますが」

「己の意思は?」

「と、仰いますと?」

「己の意思はあると聞いているんだ。ただ立場的要素から言う言葉なら、必要ない。本当の、お前の気持ちを知りたい」

 その言葉に、相手は何も答えられなくなる。忠誠心から発した言葉だったのだが、逆にそれがリゼルの心を傷付けてしまった。創造の対象が創造主の気持ちなど、誰も理解できない。だからこそ、軽い気持ちで言ってしまう。しかし時として、それが悪い方向へと向かう。


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