風の放浪者&Memoir
其の5

 終了の言葉と同時に、割れんばかりの拍手が送られた。側で聞いていた子供達は立ち上がり、騒ぎ出す。吟遊詩人は椅子から腰を上げると、深々と首を垂れる。客は口々に次の話を催促するが、吟遊詩人は困ったような表情を見せていた。しかし、嫌がっているようには見えない。

 だが、ユーリッドは静かだった。フォークをテーブルに置き立ち上がと、ポトフの代金をテーブルの上に置く。そして、階段がある方向に歩き出した。あまりの騒がしさに、誰もユーリッドの動きに気付いていない。二階まで上がると、上から一階を見下ろす。そして、忠告とも取れる言葉を発した。

「時として、真実は闇より深い。何故なら、君達は何も知らない。伝承が全て正しいとは、限らないから」

 感情の籠っていない声音でつぶやく。それは、冷たく刺のある言葉であった。深い海と同じ色の双眸は孤独の色を湛え、何かを訴えているようにも見えた。だが、それを知る者は誰もいない。

 踵を返し、部屋に入る。扉を閉めると同時に、竪琴の音色が聞こえた。次は、どのような話が語られるだろう。

 だが今のユーリッドには、関係なかった。

 何故なら人がどんなに興味関心を持ったところで、変わることのない確かな物が存在からだ。


◇◆◇◆◇◆


 深夜を回った時刻、ユーリッドは宿を出て夜の街を散歩していた。雲ひとつない空には宝石を散りばめたような星が輝き、世界を創造した竜が化身したとされる月は冷たい光を放っていた。

 石造りの道を、規則正しい足音だけが響く。その音は建物に反響し、誰もいない街を歩いているような錯覚を覚えてしまう。

 ユーリッドは、女性に会った広場に向かった。だが、彼女に会うことはできない。やはり、幻であった。

 無意識に何もない空中に手を伸ばすと、相手が手を差し出してくれることを願う。しかし伸ばした手に触れるのは、冷たい風であった。

「僕は、貴女が思うほどの者ではない。それでも、必要としてくれますか?」

 求める答えはない。いや、答えを求めていないのかもしれない。虚しさと愁いが、心を支配する。

 溜息がつかれた。それは「何をしているのだろう」という疑問が含まれたものであり、急に寂しさが込み上げてくる。ユーリッドは伸ばしていた手を下ろすと、頭を振る。馬鹿馬鹿しい――自分自身の行動を笑ってしまう。

「今更、何を――」

 俯きポツリと呟いた言葉には、深い後悔の念が感じられた。

 だが何事もなかったかのように微笑を浮かべると、その場を後にする。そして、更に人気の少ない場所へと移動した。




 急に目の前が開けた。其処は、見渡すかぎりの草原が広がる。吹き抜ける風によって草の香りが届けられ、月明かりと草原の色が混じりあい碧玉の湖のように美しい。だが揺れる草は波のようにも見え、湖というより海に近い。

 月夜の晩にこの大海原に船を出して、どこか遠くに行きたい。そう思ってしまうほど、幻想的光景であった。

 ユーリッドは服の間から陶器で作られた笛を取り出すと、短くも不思議な力が込められた曲を吹く。

 刹那目の前に水の塊が生まれ、徐々に大きくなっていく。そして人の形を形成したと思った瞬間、塊が割れた。

「お呼びですか」

 其処には、ユーリッドより頭ひとつ大きい女性が立っていた。風に靡く青い髪の隙間から覗く耳は長く先が三つに割れており、肩が露出した服は細い身体を包み艶かしい貴婦人の雰囲気を漂わす。

 しかし膝から下が液体のような不安定な形状をしており、彼女が人間ではないことを教えてくれた。〈水の精霊シルリア〉それが、彼女の正体。シルリアは言葉を発すると同時に、恭しくユーリッドに頭を垂れる。それはまるで、偉い人物に対して見せる態度であった。

「この街を、どう思う?」

 簡略的な質問だった。しかしシルリアはユーリッドの質問の意図を感じ取ったのか、街を見つめながら淡々とした声音で答えていく。それに加わるのが、感情を表さない無の表情。それらが入り混じり、街の危うい状況を教える。

「力が弱くなっています。このままでは……」

「理が崩れた場所は、戻すのに時間がかかる。それは、主となるものが存在する場合。もし、存在しなければ……」

「崩壊します」

 まるで他人事のように、シルリアは淡々と答えた。その回答にユーリッドは無言で頷くと、視線を遠くに移す。

「時の流れ、時代の過ちと言ってしまえば簡単だろう。だけど、そのような言葉で片付けたくはない。肯定する言葉は見つからないし、何より物事には必ず理由があるから。それを見つけなければいけない」


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あきゅろす。
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