風の放浪者&Memoir
其の4

 その香りに、腹が巨大な音を鳴らす。昼に軽い食事を取った程度なので、そろそろ限界が近い。

 胃袋が何か入れてほしいと、音を鳴らし訴えかけてくる。すると空腹に耐え切れなくなったユーリッドは部屋に戻り、金が入った袋を手に取る。そしてそれを持ち、一階へ向かった。

 食堂は食べ物と酒の香り、それに楽しい会話が入り混じっていた。テーブルは生憎満席だったので、カウンターに座ることにする。椅子に腰掛けると同時に、亭主らしき人物が注文を聞きに来た。

 お勧めの食べ物――どのような料理が評判なのかわからなかったので、適当にそのように注文をする。以前この街には、有名な料理が存在していた。だが変化と共に、失われてしまっただろう。

 発展と共に消えていく何か――それに寂しさを覚えつつユーリッドは、部屋全体を見回す。

 食堂には、顔を赤くし陽気に唄っている者や酔いつぶれ床で寝ている者など様々な人が存在していたが、賑やかでとても楽しそうであった。さすがにアルコールが入っているだけあって、皆陽気だ。

 片方の掌に顎を乗せ、食事ができるのを待っていると、清らかな竪琴の音色が響いた。その音に反応するかのように、騒がしいほどの音が一瞬にして消え去る。まるでそれは、沈黙の魔法のようであった。

 部屋の隅で腰掛けていたのは、整った顔立ちが印象的な吟遊詩人。外見は女性のように見えるが、低い声音が男性だと気付かせる。ランプの明かりに照らされた金色の髪は、黄金色の麦穂のように輝き、引き込まれるほど美しい。

「今宵は、天地創造の話をいたしましょう……」

 白く長い指が絃を弾く。それに合わせるよう、吟遊詩人の声が続く。人々の視線が集まるのを確認すると、ゆっくりとした口調で語りはじめた。その声音はこの世のものとは思えないほど澄んでおり、まるで精霊が歌っているようであった。

「世界を構成する、四つの力。ひとつは我々に恵みを与え、またひとつは潤いを齎す。季節を巡る力は世界を翔り、全ての温もりは生を感じる」

 椅子に腰掛けていた子供達は吟遊詩人の周囲に集まると床に座り、瞳を輝かせ熱い眼差しを向ける。だが、中には落ち着かない子供も存在した。そんな子供は親から注意され、口元を押さえられてしまう。

「全ては、無からはじまる。それは何千年、何万年という長い年月を飲み干すものであった。だが変化という言葉に切り離された世界に、二匹の竜が舞い降りる。竜は無を消し去り、そこから新たなる世界を創り出そうとする。流す涙は海となり、海の色を照らし出した所は空となった。吐き出す吐息は雲を作り、羽ばたく翼は風を生む。そして、世界は形成された――」

 そこで一息つくと、再び話し出す。

「だが、世界には何かが成りない。それに気付いた一匹の竜が、己の翼を手折り海に投げ込む。それは巨大な島と変わり、大地が生まれた。またもう一匹の竜が手折った翼は、植物という新たなる命を誕生させる。二匹の竜は生まれたばかりの小枝を折ると、それから生き物を創り大地に住まわせた」

 ユーリッドがその話を聞いていると、食事が運ばれてきた。それは、熱い湯気が立ち上るポトフ。香草の香りが食欲をそそり、腹の虫が再び鳴り出す。その音を亭主に聞かれ、思わず赤面する。

 だが、食欲優先。空っぽの胃袋を満たさなければ、また鳴ってしまう。丁度良い硬さまで煮込まれた野菜をフォークで刺し、口に運ぶ。ほのかな甘味が口の中に広がり、なかなかの味付けであった。

 ふと、小声で主人が話しかけてくる。ユーリッドは口に入っていたものを飲み込むと、その質問に丁寧に答えていく。

「賑やかですね。祭りがあると聞きました」

「年に一度の祭りだからな。お陰で彼のような吟遊詩人や芸人が集まって、ますます街が潤って栄える。我々にとっては、嬉しいことだよ」

 ユーリッドは、何も答えなかった。ただポトフを口に運び味わうだけで、特に反応は見せない。やはり先程の女将といい、この街の人間は変わった。利益優先の発言。所詮、人の繋がりより金が大事ということだ。

「だが、彼のお陰でもある」

「素敵な声です」

「アンタもそう思うか。あれは、一流の吟遊詩人だよ。お陰で彼が此処で歌うようになってから客の入りが良くなり、私等にとって福の神かもしれないな。アンタも、ゆっくりしていくといい」

 亭主はユーリッドの肩を叩くと、火にかけた鍋を見に奥に戻っていく。その時に聞こえたのは鼻歌。相当、機嫌が良いようだ。

 何気なく吟遊詩人を一瞥する。まだ、歌は続いていた。しかしユーリッドは耳だけを傾けると、黙々と食べはじめる。身体を向けなければ聞こえないというわけではない。それに、せっかくの美味い料理。冷めたら勿体ない。

 そして吟遊詩人の話は、世界誕生後に移る。

「世界を創り終えた二匹の竜は、あらゆる物の支えとなるよう数多くの精霊を生み出す。精霊は人知れずひっそりと生き物達を見守り、竜の願い通り世界の支えとなった。最後に二匹の竜はその精霊の主となるべきもの、自らの分身ともいえる存在を生み出す。互いの残った片翼を用いり、誕生したのは一匹の白き竜。そして翼を失った二匹の竜は自らの身体を太陽と月に変え、世界を見守ることにした。白き竜と精霊が守護する、この大地を――」


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あきゅろす。
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