風の放浪者&Memoir
其の1

 一陣の風が吹き抜けた。それはとても優しく、心地良い。草木は音をたてながら揺れ、風の通り道を教える。季節は初夏。揺れる青葉は瑞々しく、空の色は深い海の色をしていた。またそこには子供が一筆で書いたような雲が並び、さながら空のキャンパスのように思えた。

 それに混ざるかのように、澄み切った笛の音が聞こえる。清らかで、かなりの腕前であった。笛を吹いていたのは、空の色と同じ髪をした幼さが残る少年。藁を大量に積んだ荷馬車に揺られ、気ままな一人旅を行っていた。

「上手いな。なんていう曲なんだ?」

 ふと、手綱を引く老人が質問を投げかける。

「僕の故郷に伝わる曲です。名前は、ありません」

 少年は吹くのを止め、藁の上に身を預ける。ゴワゴワとした肌触りとしていたが、太陽の日差しを浴びた藁はとても暖かく、甘い香りが漂う。このまま昼寝をしたら、とても気持ちがいいだろう。

「本当にいい曲だ。その曲を聴くところ、君の故郷も良い所ようだ」

「ええ、そうですね」

 掌で顔を覆い、日差しを遮る。老人が言うように、故郷とても暮らしやすい。万年雪が山を包み、針葉樹林が村を囲む。一年を通して肌寒いが、村人の心は温かい。誰にでも優しく、他の人にも親切だった。

「一度は、訪ねてみたいものだ」

「お待ちしています。でも、僕はいないと思いますよ。気ままな旅が好きですから。ですから、案内はできません」

 思わず苦笑する。この髪を撫でる風のように、ひとつの土地に落ち着くのは気が進まない。それは好奇心がそうされているのか、ハッキリとした答えは見つからない。ただ、このような出会いを求めているのだろう。

「それは残念だ」

「……そうですね」

 何気なく、老人の飼い犬を撫ではじめた。すると茶色い毛並みをした犬は甘えた声で鳴き、掌に擦り寄ってくる。だが眠気には勝てないらしく、少年の膝の上で安心した表情を見せながら眠りについた。

「珍しいのう。その犬がワシ以外に懐くとは」

「そうなんですか」

 その時、風が吹いた。今度は少年に挨拶をするように、頬に当たり詰まれていた藁を数本空に持っていく。そんな光景を握っていた笛を弄びながら、堪能する。どこまでも続く田園風景。その細く長く伸びた街道は街まで続いていたが、街はまだ見えない。それだけ畑が広いのだろう。

 その時、老人の鼻歌が聞こえた。この土地に伝わる歌だろう、独特の音階が特徴であった。少年は目を閉じ、それに聞き入る。どことなく、自分が吹いていた笛の音階に似ている気がした。

 少年は全身から力を抜くと目を閉じ、笛を吹きはじめる。その音色に老人は、曲に合わせるよう歌いはじめた。

 そして、二人の奏でる曲は続く――


◇◆◇◆◇◆


 日が山に沈みかける頃、目的の街に到着した。少年は大きく伸びをし、荷馬車から降りる。数時間も揺られた為に、身体の至る所が傷む。だが運良く荷馬車が通らなかったら、まだ街道を歩いていただろう。そのことを考えると、このくらいの痛みで愚痴をこぼすのは失礼にあたる。

「ありがとうございます。お陰で、無事に着きました」

「礼はいらんよ。困った時は、お互い様だ。それに、良い曲が聴けた。そう言えば、名前は何て言うんだ? まだ聞いてなかったな」

「僕は、ユーリッドです」

「そうか。ここら周辺は日が落ちるのが早い。早めに宿を見つけるんだな。そうだ、言い忘れとった。この街で、祭りが開かれる。来たついでに、是非見ていくといい。それじゃあ、元気でな」

「はい。お爺さんも、お元気で」

 その声に老人は頷くと、手綱を振った。すると、ゆっくりと荷馬車が動き出す。その時ユーリッドに甘えていた犬が、別れの挨拶をするかのように鳴き出す。それに答えるかのようにユーリッドは右手を上げ挨拶を返すと、一言「元気で」と、呟いた。しかし、声が届くことはない。

 犬の名前だけでも聞いておけばよかった。そう後悔するも、馬車は遠くに行ってしまった。ユーリッドは馬車が小さくなるまで見届けると、ザックを背負い直し、街中へと足を向けた。

 〈ルシエル〉それがこの街の名前である。以前は静かで落ち着きがある街であったが、近頃は著しい発展を見せ、街の雰囲気を大きく変化させていった。か細い土地から得られる作物で、人々は暮らしていたというのは過去の出来事。今では、その面影さえ残っていない。

 まるで、別の街のようだ。

 そもそも〈ルシエル〉という名前は、この土地に古くから伝わる精霊の名前である。一説ではその精霊を信仰するために、この街が造られたという。だが今では、それを知る者は数少ない。


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あきゅろす。
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