suica. 真夏の日差しが降り注ぐ遅い朝、駅のホームで電車を待っていた。 折しも今日は少し寝坊をしてしまい、ラッシュからはだいぶ外れた時間帯だった。 当然のようにホームに人はいない。同級生たちはいない。ついでに言うと、駅舎にも人はいなかった。 駅員さんはどこに行ったのだろう。 待機所をのぞいてみても、開きっぱなしの日記が、そよそよとぬるい風に踊っているだけだった。 切符を見なくてもいいのだろうか、というか不用心ではなかろうか。 とりあえず私は通学定期なので、からりと古びたサッシ戸を開けてホームへと勝手に入っていった。 頂点を目指す太陽は、遠慮のない強さで光を投げかけてくる。まじりっけなし、一本気なストレートコース。そういえば高校野球の開幕はそろそろだ。 日焼けだけは避けたくて屋根の下に立ってはいるけれど、それにしたって暑い。 利き手の甲で汗をぬぐう。何度目だろう。のどの奥が乾いて、カバンからペットボトルを取り出した。中身は一口に遠く足りない分くらいしかなかった。そうだ、さっきも似た様なことを考えて、似た様なことをしたんだった。 腕時計を見る。 予定の発車時刻はもうとっくに過ぎている。電車はまだ来ていない。 からり、と乾いた音がした。そちらを見る。頭を動かした拍子に、首筋を汗が伝った。 「あれ」 驚いたように声を出したのは、駅員さんだった。 長い金髪の、目の大きな女性。今時珍しくもないタイプの駅員さんだった。 「もしかして、電車待ってます?」 声を出そうにものどがはりついていて動かなかったので、大きくうなずいて返事にする。 「今日はもう電車は来ませんよ。きっと終日厳しいでしょうね」 駅員さんはそう言って大儀そうに腕組みをした。白い手袋が暑そうだけれど、彼女は汗一つかいていない。 「ストライキなんですよ、結構大規模な。運転士が中心になって行われているので、このへんはどこも全然動いていません。まあ終電くらいは、動くのかな」 上の対応次第でしょうけれどねえ、と割に無関心ぽく駅員さんは言う。運転関係の部署とは、直接関係がないからだろうか。 何か続きがあると思ったら、それだけだった。彼女はもう役目は終わったというように、片足を軸に回れ右をして、待機所へ戻っていった。 いいのかそれで。 まあ、いいんだろうな。すること、なさそうだし。 腕時計を見た。ほぼ昼だった。 耳の奥で、学校のチャイムの音が聞こえた気がした。 そうだ、学校に一応電話をいれなくちゃ。今更だけれど。 開けっ放しになっていたサッシ戸をくぐると、「あ、ちょっとちょっと」と駅員さんが呼び止める。例によってからからの喉は返事をしてくれないので目だけ合わせる。 「これ、食べてかない。ちょっと一人じゃ多いし、ね」 駅員さんの白い手袋に白い大きなお皿が乗せられていて、そこに真っ赤なスイカが横たわっていた。 「いただきます」 今度はちゃんと、声が出た。 ひんやりとした駅舎の中で、待合のプラスチック椅子に駅員さんと並んでスイカを食べる。すっかり熟れたスイカは、ぐしゃぐしゃとかぶりつくたびに膝の上に敷いたティッシュに薄赤い汁をこぼした。 「近所のおばあさんからいただいたんだ。畑にいいのが成ったからって」 しゃぐしゃぐと口いっぱいにほおばる駅員さんは、口に入りそうになるおくれ毛を器用に避けながら食べる。きれいな髪の毛だけれど、今はちょっと邪魔そうだ。 「おいしいでしょ。おいしいよね」 「おいしいです」 乾いた喉は、ほのかに甘く潤った。利き手の甲で、頬をぬぐう。 汗じゃなくて、飛び散ったスイカの汁だ。 「あーあ。今日はこれからどうしよっかなあ」 種だけをティッシュに吐き出して、もう食べ終わった駅員さんが宙を仰ぐ。食べるのが早い。 「電車が来ないと、仕事にならないですもんね」 「そそ。あとは残務処理かなあ。日報打ったりとか……あれ、そういえばあなたは」 今更か。 といいつつ寝坊の事実がチクリと胸を刺したから、今から学校に電話しようと思って、と言う前に、 「あ、そっか。そろそろ学校、夏休みだもんね」 と駅員さんは溶けたアイスのような笑みで私を見た。 そう、そうだった。夏休みだ。 いつも寝る前にセットしていたはずの目覚まし時計がセットされていなかったのも、ストライキを抜きにしたって平日の駅に誰も人がいないのも、そもそも全線ストライキなんてけったいなことを鉄道員が午前中からやらかすのも、世間がほとんど夏休みに入ったからだったんだ。 そして私も、今日から夏休みなんだ。 一気に体全体の力が抜けて、空気が抜けた浮き輪のようにぺしゃりとなる。うっかり食べかけのスイカを取り落とすところだった。 制服の白いところに、赤い染みがついてしまう。今着ているのは、校章が入った、まぎれもない夏のセーラー服。 ……あーあ。 「ねえ、夏休みのご予定は?」 私の様子は微塵も気にしていない駅員さんが、食べ終わった緑色の皮をもてあそびながら、いたずらっぽく聞いてくる。 「予定は……うーん、なんだろう、まず宿題かなあ……一応日記とか、ありますし」 「宿題ねえ。そっかあ。大変なんだ。大人になると、宿題はないけど夏休みもないもんなあ」 ううん、と神妙そうに駅員さんが皮をしゃぶっていると、備え付けの電話のコールがけたたましく鳴った。彼女は驚いて飛び上がったその勢いで、慌てて待機所へ駈け込んでいく。 もしかしたらストライキになんらかの進展がみられたのかもしれない。 勢いで床に落っこちた駅員さんのスイカの皮を拾って、彼女が座っていた椅子に置く。ようやく食べ終わった私のスイカの皮も並べた。 「夏休み、どうしよっかなあ」 行儀悪く手足を伸ばした私の言葉は、真夏の果物の味みたいにうすぼんやりとして、誰の耳にも聞こえない。 果汁に濡れた口元を、誰も見ていないからぺろりと大きく舐めてみる。うだる暑さに、水くさい甘さが溶けだした。 もう始まっていた夏休みに、これから何をしてみようか。 とりあえず、宿題の日記の最初のページにスイカのことを書くのだけは決まっている。 end. [*前][次#] [戻る] |