小説(R指定なし)
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頭をひたすら鈍器で殴られるような痛みと、痙攣を繰り返す胃。
何も入っていないというのに止まらない吐き気が苛む。
震える手で薬を探し、少しの水と共に含む。
しかし、身体はそれすらも拒絶し、吐瀉物となって排水溝に流れていった。
ベッドの上で幾度となく体勢を変え、呼吸すらも苦しみを生む行為となって自分を襲う。
壁に頭を押しつけ、誰にともなく発する言葉は暗闇しかない部屋に虚しく消えていく。
A l'aide…
help me…
誰か…
__助けて!
一年程使っていない母国語よりも、先にこちらの言葉が出ていた事に後になって驚いたが、そのときは取り憑かれたように痛みからの解放を乞うばかりでそんな事に気が回らなかった。
本来、自分の息遣いと衣擦れの音のみのが満たすシンプルな部屋は、頭痛による幻聴か、激しく打ち鳴らされる鐘の音が響いていた。
終わらない痛みに恐怖し、最後には今は居ないあの人に縋りながら、このまま自分も痛みに苛まれながら逝ってしまうのではと昏い考えが過る。
いつ眠れたのか、胎内に留まった少しの薬に痛みは消え、気付けばベッドの上で目が覚めた。
あの激しい鐘の音も、恐怖を覚えた痛みも嘘のように穏やかな静寂だけが漂っている。
ムカムカと鈍い痛みを覚える胃だけが昨夜の名残を伝えていた。
自分を苦しめた痛みを思い出すかのようにこめかみに手を当て、しばらく思い出す事がなかったあの人に思いを馳せる。
大袈裟かもしれないが、痛みからの解放を乞うた時、そこから逃れるためになら死すらも穏やかだと思えた。
きっと至る所に転移した癌に苦しめられたあの人も同じだったのではないだろうか。
あの人が体調不良を訴え、病院に行くまでには一月以上を要した。
どんどんと細くなる食に、さすがに私も不審に思い始め、なかば強制的に病院に連れて行った時には既に遅かった。
余命3ヶ月宣告。
次々に転移する癌。
本人には伝えられない真相。
回復のための手術と伝えながらも、実際は何も取り除く事はできず、痛みを和らげるためでしかない。
それでもあの人を襲う苦しみはきっと私では考えられない。
「早く元気になって仕事復帰しないとな。」
そう笑いながら、仕事の資料に目を通していたあの人。
壮絶な痛みに耐えながら、希望を捨てずに最期まで笑顔で戦い続けていた。
桜は見れないかもしれないと告げた医師に反抗するかのように、そこから半年以上頑張ってくれた。
生きて欲しい、失いたくないと思ったのは私のエゴだったかもしれない。
出来る事なら変わってあげたかった。
終わらない痛みと戦い続けなければならなかったあの人は、死へという安らかな世界へ行きたかったのかもしれない。
誰にも真相は分からないが、私には最期まで泣き言を言わず、戦ったあの人を誇りに思う。
こういう時でもなければ思い出さないような不肖の恋人をどうか許してください。
まだあなたに逢いに行くわけにはいかないが、そっちに行ったら幾らでも小言は聞きます。
そう心の中で謝罪を述べながら、白い生地にぽたぽたと広がって行く染みをぼんやりとした視界で眺めた。
END
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