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『来ないよ! レンタル彼氏』Kindle配信のお知らせ
『来ないよ! レンタル彼氏』サンプル

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 四十二年生きてきたが、第一印象がここまで最悪な人物に会ったことはない。
「いやぁ、本当に申し訳ないと思っているんですよ。せっかくのお誕生日だというのに、うちの青野(あおの)が急に辞めてしまって。高津(たかつ)様は青野を贔屓にしてくださっていたのに。なので代わりと言ってはなんですが、俺が派遣されました。もちろんお代は結構です」
 玄関口に立つ男がペラペラと謝罪と弁解を連ねる。甘い香りが漂ってきそうな清潔感のある若い男で、顔立ちも芸能人顔負けと言うほど整っていた。しかし私は彼に少しも好感を持てなかった。
 誠意を感じない謝罪と胡散臭い笑み、ホストのような派手な容貌。とにかく彼の全てが胸を不快にさせた。青野君が辞めてしまったというショックからくる八つ当たりじみた感情もないわけではないが、それにしても全く好意を抱けない。
 彼は青野君の代わりを務めると言っているが、なにが悲しくて誕生日を初対面の、しかもいけ好かない男と過ごさなければならないのか。
 ここは穏便に帰ってもらおう。目の前の男も会社から言われて仕方なく来たのだろう。彼にとってもいい話に違いない。
「青野君辞めたんですね。それは残念だ。ご丁寧にわざわざ謝罪に来てくださりありがとうございます。でも全然気にしていませんのでどうぞお気遣いなく。料金を返してくれればそれで結構ですので。それでは」
 丁寧に、しかし事務的な冷たい響きでもって言い、ドアを閉める。これで終わり、そう思っていた。
 しかし、ガッと勢いよくドアを掴まれた。驚いて顔を上げると拳ひとつ分の隙間から、男の秀麗な笑みがにこりと覗いていた。
「まぁまぁ、そう言わずに。誕生日にひとりは寂しいでしょう? しかも今日は借り物とは言え彼氏に祝ってもらうはずだったのに……、考えるだけで胸が痛みます」
 声も表情も大袈裟に気遣わしげで、そこに少しも気持ちが入っていないことは明らかだった。
 ひゅう、と冷たい冬の風と男の香水らしき甘い匂いがドアの隙間から入ってくる。
「いえ、本当に結構ですので……」
 さらに力を入れてドアを内に引こうとするが、隙間に足を入れられてしまい無理やりドアを閉めるという強硬手段が封じられてしまった。
 どこの押し売りセールスだ、と忌ま忌ましく男の足に小さく溜め息を吐き落とす。
「……あの、本当にお気遣いなく。もしかしてサービスしないと会社に怒られるとかなんですか?」
 自分で言うのもなんだが、私は結構な頻度でサービスを利用しているし、そこそこお金も落としているので会社からすればお得意様なのだろう。
 そのお得意様もとい金づるの機嫌を損ね離れられてはならないと会社側も必死なのかもしれない。この男を寄越した時点で逆効果でしかないが……。
「もしそうなら口裏を合わせますので。会社側にはあなたがよくしてくれたとお伝えします」
 これなら文句ないだろうと思ったのだが、男は緩く首を振った。
「そうはいきませんよ。それにケーキも買ってきてしまいましたし」
 男が手に持ったケーキの箱を持ち上げる。そういえば、誕生日コースを選んだのだった。このコースはケーキとプレゼントを買ってきてくれるオプション付きだ。
 こんな面倒なコースを嬉々として選んだ一ヶ月前の自分が恨めしい。
「……それはすみません。もしよければもらって帰ってください」
「えー、これひとりじゃ食べ切れないですし、捨てるのはもったいないじゃないですか」
「確かにそうですけど……」
 もっともな言葉に、男を追い返す体のいい言葉が続かない。
「俺、ばあちゃんに食べ物は粗末にするなって言われて育ってきたんですよ。それに一緒に食べるような仲のいい友達もいないですし。――あ、どうもこんばんは」
 言葉の途中で後ろを振り返り男が挨拶する。ドアの隙間から、怪訝そうな表情をした隣の住人が横切るのが見えた。
 ここでいつまでも押し問答を繰り返していては、近所に悪い噂が広まってしまう。なんとか早急に帰ってもらわねば。それかかくなる上は――。
「お隣さん美人ですね」
 隣の部屋の扉が閉まったと同時に、男が言った。
「あ、でも高津様はゲイだから女性には興味ないんでしたね、失礼しました」
 人の秘密をさらりと口にする男に、私はギョッとした。
「ちょ、ちょっと、そういうことは……」
「とりあえずケーキだけでも一緒に食べてくれませんか? そしたら帰りますので」
 私の言葉を遮るように男が提案した。男なりの譲歩なのかもしれない。
 正直なところこの不愉快な男を家に上げるのは気が進まないが、いつまでも退く気配もないしこのままではまた余計なことを口にするかもしれない。それに近所の人から不審に思われるのも困る。
「……それじゃあケーキだけ」
 私は渋々ドアを開けて男を招き入れた。
「ありがとうございます」
 男はにこりと笑って中に足を踏み入れた。そしてドアが閉まると同時に、頭を下げた。
「申し遅れました。俺は恋人専門レンタルサービス会社ユイの一之瀬智和(いちのせ ともかず)と申します。智和でも、トモでもお好きなようにお呼びください」
 女も男も関係なく魅了するであろう極上の笑みでもって男は改まって挨拶した。彼ほどこの仕事にうってつけな人間はいないかもしれない。
 しかし私の胸はやはりときめきひとつ覚えず、ただただ不愉快な気持ちでいっぱいだった。

 私は物心ついた頃から、自分が男にしか恋愛感情を抱けない所謂ゲイだということに気付いていた。
 今まで恋をしたことがないというわけではない。しかしノーマル指向の男に恋心を抱いても臆病故に伝えられず、かといって同じゲイの男はすぐに肉体関係を結ぼうとする卑猥な性急さを持つ者が多く性的に淡泊な自分とは合わなかった。
 もちろん中にはそうでない者もいるが、そういった人達は私と同じく自分の性指向を隠していることが多く見つけるのは困難だ。もし見つけ出せたとしても相性がいいとも限らない。そう思うととてもではないが恋人を探す気にはなれなかった。
 結果、四十二年間誰とも付き合うことなくここまで来てしまった。さすがの私も焦った。私はこのまま死ぬまで誰とも愛し愛されというあたたかな関係を築くことなく死ぬのかと。
 はっきり言って、もうこの歳なので性欲などほとんどない。体を繋げずとも穏やかな気持ちで寄り添い合える相手が欲しい、と思った。
 しかし冴えない容姿の中年がそんな純愛じみた感情を持っているのは、我ながら気持ち悪いのは分かっている。そして客観的に見ればそれはなおのことだということも。
 恋人が欲しい。しかし私のような冴えない、しかも色々な意味で拗らせている中年に需要など皆無であることは重々承知だ。分かっていても誰からも求められないことを痛感するのは辛く、出会いの場に足を踏み入れる勇気はなかった。
 そんな情けない感情を悶々と燻らせていたところに、レンタル彼氏というものを知った。
 文字通り、金を払いさえすれば彼氏がレンタルできるというものだ。 
 レンタル彼氏、といえば聞こえはいい。流行り物の持つ軽妙な響きが、その言葉の裏の金を払ってでも誰かに恋人として傍にいてほしいという他人から見れば失笑を禁じ得ない哀れな欲望を包み隠してはいるが、結局は借り物の彼氏、偽りの愛であることに変わりはない。
 しかし、本物の冷たい孤独と偽物のあたたかな愛、どちらが私の心を慰めてくれるかは明らかだ。
 それに私にとって好都合なのは、会社にもよるがレンタル彼氏のほとんどは性的なサービスを主としていない。デートなどの目的がほとんどだ。ただ誰かに隣にいて欲しいという私にはうってつけのサービスだ。
 もちろん躊躇いがなかったわけではないが、このまま死んでしまうくらいなら一回でもいいから恋人のぬくもりを知りたい、とこのサービスを利用し始めたのが半年前の夏のことだった。
 サービス利用者はレンタルする彼氏を顔写真と簡単なプロフィールが載った資料から選ぶことができた。
 私が青野君を選んだのは、この歳にもなって恥ずかしいことだが、初恋の人に似ていたからだ。
 もちろん瓜二つのそっくりというわけではない。だが目元に漂う優しい笑みが淡い感傷を引き起こした。伝えるどころか、心に秘めておくことすら憚られ胸の奥底に沈めた哀れな恋心がじりじりと燻った。
 青野君は二十二歳の大学生だった。いい歳した大人が自分より二十も年下の子をレンタルとはいえ彼氏として選ぶのは躊躇われたが、金を払うのだ、誰を選ぼうと勝手だと半分自棄になって開き直り、青野君を指名した。
「……仁史(ひとし)さん、ですよね?」
 梅雨が明けて本格的な夏がやって来た頃、青野君と初めて会った。
 現れた彼は、青空や入道雲、ひまわり畑など夏の爽やかな景色が似合うような好青年だった。
 周りが私たちなど気にも留めないようあえて人の多いカフェを選んだが、彼の秀でた容姿は思いの外視線を集めた。私の前に座った彼は写真で見るよりずっと格好良く、目元の優しげな笑みもさらに初恋の人の面影を鮮明にさせた。
 いくら金を払っているとはいえ、こんな格好いい青年の横に私のような冴えない中年がいてもいいのかと躊躇いを覚えるほどだった。
 そんな優れた容姿を持ちながら、彼は全く気取った感じがなく控えめで少し照れ屋だった。
 会話は決してスマートではなかったが、私に合わせようと一生懸命なのが好感が持てた。むしろそつのないリップサービスばかりの男だったら私は青野君を指名し続けはしなかっただろう。
 彼と過ごす時間は穏やかで心安らぐものだった。また彼も「仁史さんといると落ち着くなぁ」と笑顔でよく言ってくれていた。もちろん社交辞令であることは重々承知だが、しかし完全なる嘘という感じでもなく、どこか真実味があった。
 誕生日コースを選ぶ前も、青野君の予定を聞き、もしよければ指名させて欲しいと相談すると彼は「え! 俺なんかでいいんですか! もちろん喜んで!」と破顔して承諾してくれた。
「プレゼント、なにがいいかなぁ。絶対仁史さんが喜ぶもの選んできますからね!」
 眩しいくらいの笑顔で青野君がそう言ったのは、つい先日のことだった。
 その時の私はまさか青野君が辞めるなど予想だにしておらず、人生でこんなにも自分の誕生日を楽しみにしたことなどないというくらい今日という日を心待ちにしていた。
 
 しかし蓋を開ければこのざまだ。青野君は突然仕事を辞め、その悲しみに浸る暇もなくいけすかない男に強引に部屋に入り込まれる。
 人生で一番幸せな誕生日を迎えるはずが、まさか最悪な誕生日になるだなんて誰が想像できただろうか……。


「仁史さん、誕生日おめでとう!」
 男――一之瀬は持参したクラッカーを勢いよく鳴らした。
「あ、ありがとうございます……」
 私は引き攣りつつも何とか笑みのようなものを口元に浮かべた。
 我が家の狭いローテーブルには、ケーキだけではなく、洒落たサラダやローストビーフ、赤ワインなどが所狭しと並べられている。
 食事はどれも出来合いのものに違いないが高級そうなものばかりで、間違ってもスーパーに売っているような代物ではない。
 全て一之瀬が持参したものだ。ケーキだけと言っていたのに、と思いつつも、それだけの理由でまさか追い返すわけにもいかない。何しろ食材がもったいない。
 食べ物には罪はないので、文句は腹の底に押し込んで有り難く頂くことにした。
「このローストビーフおいしいですね」
「でしょ? ここのおいしいって評判でさ。列ができるくらい人気なんだよ。俺、あんまり列に並ぶのは好きじゃないけど、仁史さんに食べて欲しくて頑張って並んだんだ」
「そ、それはありがとうございます……」
 無意識なのかもしれないがその恩着せがましい情報に、彼に対する好感度は下がる一方だ。さらに一之瀬は自己紹介を終えた途端、彼氏モードに入ったのか、言葉から敬語を取り払い、私を名前で呼び始めた。
 彼に好印象を抱いていれば気さくだと捉えることもできるが、あいにく彼に対する好感度が無に等しい私にとってその態度は馴れ馴れしいとしか思えなかった。
 初めて会った時の青野君とは大違いだ、と心の中で呟く。
 彼はこういった仕事に慣れていなかったようで、敬語とため口、どちらがいいのだろうと迷うように言葉を口にして私の様子を窺っていた。
 そういう控えめだが、私の希望に添おうと一生懸命な彼には会ってすぐ好感が持てたし、好意を抱かないはずがなかった。
「それにしても仁史さんが甘いものが好きなんて意外だった。大きいホールケーキがいいって聞いた時はびっくりしたよ」
「あぁ、まぁ……」
 私は言葉を濁した。私は特段甘いものが好きなわけではない。
 誕生日コースを注文した時にケーキの大きさを選択する欄があった。歳だしそこまで甘いものが好きではないので、小さいホールにしようかと思ったが、青野君が甘いもの好きで、それを口にした時の彼の幸せそうな表情を思い出したら、気付けば大きめのサイズを選択していた。
 その彼がいない今、ケーキの意味はほとんどなく、ふんだんにのった生クリームにはただただ胃もたれの予感しかしない。
「じゃあ仁史さんには大きめに切ってあげるね」
 私の心の内など知らない一之瀬は無邪気にケーキを切り、一人分にしてはいささか大きすぎるものを私の前に置いた。その拍子に飾りの『ハッピーバースデイ』と書かれた板チョコがパタリと倒れた。
「あ、ごめんっ。倒れちゃった」
「い、いや、いいですよ。お気遣いなく。ケーキありがとうございます」
 見るだけでほのかにせり上がってきた吐き気を飲み込み、私は何とか礼を言った。そしてケーキを口に運んだ。味は思ったより甘さがしつこくなく、これならこの大きさでも何とか食べられそうだとほっと胸を撫で下ろした。
「……あの、一之瀬さんもどうぞ食べてください」
 頬杖をついて私がケーキを口に含むのを楽しげに眺める一之瀬の視線が居心地悪く、私はケーキを食べるよう勧めた。
 するとなぜか一之瀬は不満そうに唇を尖らせた。
「さっきから思ってたんだけど、敬語やめてよ。仁史さんの方が年上なんだし。ため口でいいよ」
「は、はぁ……」
 そうは言われても、たとえ年下だろうと初対面の人間といきなりため口というのは私には抵抗があった。一之瀬と仲良くなりたいわけでもないので敬語が無難だ。それに彼がこれ以上土足で私の領域に入って来ないよう牽制の意味もこめている。
 どうやらその意図を全く察してくれてはいないようだが……。
「それに名前も、名字呼びとかよそよそしいよ。……俺たち恋人同士なのにさ」
 甘い雰囲気を纏った声で言って、一之瀬はテーブルの上に置いている私の手に、そっと自分の手を重ねた。
 恋人同士の甘やかな行為のはずなのに、彼の冷たい手も相まって思わず背筋がぞわりと粟立つ。
「……あの、無理しなくていいですよ。本当に。今日はケーキを食べて帰ってもらえば十分なので」
 私は失礼にならないようやんわりとため口も名前呼びも拒んだ。
 一之瀬はプロ根性で私の恋人役を徹底的に演じようとしているのかもしれないが、それは私の望むところではない。
 彼の完璧なまでに甘い恋人の演技は、ただただ私を虚しくさせるばかりだ。だからできれば余計なサービスをしようとせず、早くケーキを食べて帰って欲しかった。
「そんな悲しいこと言わないでよ。……仁史さんは俺が恋人じゃ嫌なの?」
 悲しげな瞳で一之瀬が私の顔を覗き込む。それが演技なのは分かっているが、気弱な性分故に、はいそうです、とも言えなかった。
「あ、いえ、そういう意味じゃなくて……」
「じゃあいいじゃん。せっかくの誕生日だし、赤の他人より恋人と過ごした方が楽しいでしょう?」
 にっこりと自信満々に目元をしなわせる一之瀬に、私は心の中で溜め息を吐いた。
 そしてちらりと彼の手元にあるケーキを見遣る。彼はまだ自分の皿にケーキを取ってもいない。このまま私が頑なに敬語を使い続ければ先に進まないことは目に見えている。
 私は仕方なく彼の要望に従うことにした。
「……分かった。じゃあ智和と呼ばせてもらう」
「ふふ、やった。初めて仁史さんに名前で呼んでもらっちゃった」
 無邪気に喜ぶ一之瀬に、お前が呼ばせたんだろと心の内で毒づきつつ私はケーキを口に運んだ。
 スポンジもしっとりして、生クリームも甘ったるくない上品なケーキなのに、やはり胃の底の不快感は増すばかりだった。

「そうそう、プレゼントを買ってきたから受け取ってよ」
 ようやく一時間経った頃、傍らに置いていた小振りの紙袋を手にして差し出してきた。
「はい、どうぞ。気に入ってくれると嬉しいな」
「あ、ああ。ありがとう」
 私は戸惑いつつもそれを受け取った。
 そういえば誕生日コースはケーキの他にプレゼントも付いているのだ。もちろんプレゼント代はコースの料金に含まれているが、選んでくれるのは指名したレンタル彼氏だ。
 このプレゼントは青野君が選んでくれたものだろうか、と未練たらしくほのかに期待しながら包みを開けた。
 私は中から出て来たものに目を見開いた。その表情に一之瀬は満足そうに笑みを浮かべた。
「へへ、いいでしょう? 自分で言うのもなんだけどかなり自信あり」
 箱の中に入っていたのは腕時計だった。恋人に贈るプレゼントとしてオーソドックスなものだが、それは明らかに高級そうなもので仮初めの恋人に与えるものに相応しいとは思えなかった。
 それに私は誕生日コースを選んだ時に、プレゼント代を一万円で設定したが、これは優に一万を超える代物だということは一目で分かった。
「た、高そうだね……。私は確かプレゼント代は一万円で設定したはずだけど……」
 もしかして超過料金を請求されるのではないかと恐る恐る確認すると、一之瀬は目を丸くし、次にはフッと小さく吹き出した。
「はははっ、仁史さんなに言ってるの? 恋人へのプレゼントだよ? 恋人の俺が全部出すに決まってんじゃん」
「いや、でも店の決まりだと……」
「いいの、いいの。店の決まりなんて誕生日くらい無視しよう。それより腕時計つけてよ」
「あ、ああ……」
 促され流されるがまま私は時計を腕に巻いた。ベルトは革製で肌に馴染むような感触だった。普段安物しか買わない私でもその質の良さはよく分かった。
「仁史さん、似合ってる! いいね、やっぱり俺の見立て通り。ベルトの革の色が黒か茶色で迷ったんだけど、やっぱり優しくて穏やかな仁史さんには茶色かなって思ったんだ」
 上機嫌でプレゼント選びに苦心した経緯を語る一之瀬に、私はやはり彼はレンタル彼氏のプロだなと感心した。もちろん嫌みをこめて。
 恐らく私の顔写真を見てのイメージで適当に見繕ったのだろう。値段についても、高級な品がかなり値引きされていたか、中古で売っていたのかもしれない。
 しかし値段も購入ルートも私にはどうでもいいことだった。このプレゼントは青野君が選んだものではない。それだけでもうどうでもよくなった。
「ありがとう、こんないい時計初めてもらったよ。大事に使わせてもらうよ」
 礼を言って腕時計を外そうとしたら、その手をガッと掴まれた。
 驚いて顔を上げると、一之瀬がにっこりと笑った。
「外さないでよ。腕時計にしたのだって仕事の時もデートの時もずっと身につけてもらえるものがいいなと思って選んだんだから」
 恋人に甘えるような笑みを浮かべているが、なぜかその笑みから微かに圧を感じて少し怯んだ。
「あ、いや、でもせっかくいい時計だから、特別な時に使わせてもらおうかなと思って……。それに先月、腕時計を買ってしまって。でも安物だしすぐに壊れると思うから、それがだめになった時にでも使わせてもらうよ」
 しどろもどろに言い訳しながら、棚の上にある腕時計を視線で指し示す。
 それは確かに安物の腕時計だが、しかし特別なものだった。先月、街へ青野君と買い物デートをしてもらった時に、彼に選んでもらったのだ。
 選んでもらったと言っても、私が悩んでいたら横から「俺はこっちの方が仁史さんっぽくていいなって思う」と言ってくれただけなのだが、それでも私の宝物に他ならない。
 優しい思い出に胸があたたかくなる一方、その彼が今ここにいないという現実にやるせなさと切なさを覚えた。
「へぇ……、じゃあこの腕時計は俺がもらうね」
「え?」
 なにがじゃあなのか全く分からない脈絡のなさで一之瀬はそう言うと、私の許可なく棚の上の腕時計を手に取りそのまま手首に巻いた。
「ほら、これで俺のあげた腕時計つけられるよね? 俺も仁史さんのお古がもらえて嬉しいし」
 付けた腕時計のベルトを嬉しそうに撫でながら一之瀬は上機嫌で言った。
 随分勝手な振る舞いに抗議の言葉が口の先まで出掛かったが、安物の腕時計一つで声を荒らげるのも大人げない。それにその腕時計に込められた思い入れを知られるのも恥ずかしいので、私はぐっと堪えた。
 どうせあの腕時計を持っていても青野君と二度と会うことはないのだ。
 レンタル彼氏というサービスを通さなければ会えない脆い関係だという当たり前の事実を今更ながら痛感した。
 持っていても未練が腕時計に詰まった思い出をいたずらに美化するだけだ。かといって捨てる勇気もない。それならもう二度と会うことのない他人に持って帰ってもらった方がいいだろう。
 私は溜め息を吐いて「……安物でも良ければどうぞ」と言って、取り返すことは諦めた。
「ふふ、ありがとう。あ、そうだ、仁史さん。その時計のベルトだけど本革だから小まめに手入れしないといけないからね」
 一之瀬がベルト部分を指さしながら言った。
「え、あ、そうか。分かった」
 反射的に分かったとは言ったものの、今まで本革という高級品とは無縁で生きてきたので、手入れの仕方が分からなかった。ネットで調べれば分かるだろうが、本革に洒落たこだわりがあるわけでもないので正直なところ面倒だと思った。
 胸の内の溜め息が聞こえたのか、一之瀬がくすりと笑った。
「仁史さん今、面倒くさいって思ったでしょ?」
 心の中の言葉を言い当てられてドキリとした。しかし一之瀬は気分を害した様子はなくくすくすと笑い声が増した。
「仁史さんって本当に分かりやすいよね。手入れのことは心配しなくて大丈夫だよ。俺が来た時にその都度手入れしてあげるから」
 さらりと告げた一之瀬の言葉にぎょっとした。
 その都度手入れをするって、まさか今後もここに来るつもりなのか……?
 ざわりと胸が騒ぐ。
 いやいや、単にレンタル彼氏として彼氏らしい台詞を言っただけで深い意味はないのかもしれない。
 それにもし一之瀬が今後ここにレンタル彼氏として来る気でいたとしても、私が指名しなければいいことだ。深く考える必要はない。
「はは、それは助かる。物の手入れだとかは慣れていなくてね」
 とりあえず彼の台詞に合わせて私も言葉を返した。あとで手入れ方法をネットで調べないとな、と考えながら。
「うん、任せて。俺、仁史さんにその時計ずっと、使ってて欲しいもん」
 一之瀬はまるで永遠を信じる子ども、もしくはロマンチストのように無邪気に微笑んだ。
 それが演技なのか本心なのか、私には分からなかった。
 その後も、一之瀬は恋人らしい振る舞いをしたが、それらが私の心を打つことはおろかかすることもなかった。そういった振る舞いをされる度に、なかなかなくならないケーキと、壊れているのではないかと思えるほど針の動きが遅い時計を見て、飲み込んだ溜め息を腹の底に積み上げていった。
 大きなケーキを選んだ自分を本当に恨んだ。しかし、ケーキはなくならずとも時は着実に進み、ようやくレンタルサービスの終了時間がやってきた。
「あ、そろそろ時間だな」
 あたかも今気付いたように言って、いつの間にか隣に移動してきた一之瀬から時計の方に視線を遣る。
 青野君の時も、私はサービス終了直前に必ずこうして声を掛けていた。それは、仕事だから仕方ないとはいえ青野君からサービスの終了を告げられるのがひどく恐かったからだ。
 夢から醒めさせられるより、自分から醒めた方が寂しさはずっと軽い。
 だが一之瀬の場合は、そんな臆病な感傷からではなく、単純に早く帰って欲しいからだった。
 時刻は二十二時。十九時からの三時間、よく耐えたものだと自分で自分を褒めたいくらいだ。
 一之瀬もちらりと時計を見たが、すぐにこちらに視線を戻した。
「仁史さんて真面目だね。いいよ、少しくらい時間が過ぎても。それにまだワインが残ってるしさ」
 ワインの瓶を持ち上げて中身を揺らして見せる一之瀬に、私は何度目になるか分からない溜め息を飲み込んだ。
「ワインは持って帰っていいから。それにこれ以上酔って帰れなくなっても困るだろ?」
 ほんのりと酔いの赤みが頬に帯びているくらいだが、これ以上酔われては面倒なことになりかねない。相手を気遣う風にして帰りを促すが、一之瀬は一向に腰を上げようとしなかった。
「いいよ、帰れなくなったら、仁史さんの家に泊めてもらうから」
 そう言ってぎゅっと私の腰に腕を回し、肩にこてんと頭をのせてきた。酔いに乗じた甘え方があざとく、自身の魅力を知ってのその行為がますます私の気分を悪くする。
 これが青野君であれば喜んで家に泊めるのだが……。
「すまないが、明日は仕事で朝早いから帰ってもらえると助かる」
 本当は休みだが、嘘も方便というやつだ。少しきつい言い方になってしまったがこの男はこのくらいはっきり言わないと察してくれないだろう。
 すると、一之瀬はくすくすと笑い出した。
「仁史さん、嘘はいけないよ。明日休みでしょ?」
「え!」
 嘘を言い当てられて気まずさよりどうしてという驚きの方が大きかった。そんな私の反応に一之瀬がくすりと笑った。
「トイレのカレンダーに休みって書いてたよ」
 仁史さんってしっかりしてるのに嘘は抜けていて可愛いね、と言われ恥ずかしくなった。自分の長年の習性、そして詰めの甘さを呪うしかない。
 しかし、これで私が嘘まで吐いて早く帰らせたいと思っていることは嫌でも伝わっただろう。なのに、それでも帰ろうとしないこの男は想像以上に厚かましいようだ。
 さてどうやってお帰り願おうかと考えていると、
「……仁史さんさぁ」
 唇を耳元に寄せ、甘さを含んだ舌足らずな声で囁いてきた。
「青野にもそんな冷たい態度だったの?」
 まさかここで青野君の名前が出るとは思わず、不意打ちを食らったような気持ちになる。
 もちろん青野君にはこんな態度とったことはないが、正直に言えば私が彼に好意を持っていることがバレてしまう。
 いい歳した男が、若い男に入れあげているなど知られたくない。特にこの底の知れない男には。
「……冷たく感じたのならすまない、私は誰にでもこうなんだ」
「へぇ、そうなんだ。青野は仁史さんは俺にベタ惚れって話してたけどなぁ」
「えっ」
 嘲笑を含んだベタ惚れという言葉、そしてそれをあの青野君が言ったという事実に、私はショックで言葉を失った。
 その反応を見て一之瀬は満足そうに目を細め、私の腰をさらに抱き寄せた。
「青野のこともっと知りたくない? ――青野が仕事を辞めた理由も含めて」
 蠱惑的な囁きに喉がごくりと鳴った。
 青野君がこの仕事を急に辞めたと聞いた時、それはとてもショックだった。そしてなぜ辞めてしまったのか、自意識過剰かもしれないがもしかすると自分の言動が彼を知らず不快にさせてしまったのではないかと不安に駆られた。この不安が杞憂でも事実でも、ここで聞かなければ恐らくずっと胸に付きまとうだろう。
「……知りたい」
 気付けば口が勝手に動いていた。この信用ならない男の口車になど乗りたくなかったが、それよりも青野君が辞めた理由、そして私の知らない青野君のことを知りたかった。
 一之瀬はにやりと口の端を歪ませた。
「いいよ、教えてあげる。……でもその代わり、仁史さんもワインを飲んでよ。全然飲んでないじゃん」
 そう言って一之瀬は視線で酒を促した。正直なところ、信用のおけない人間の前で酒は飲みたくなかったのだが、青野君の話を聞くためだ。仕方ない。
 私はグラスを手に取り、口に運んだ。濃厚な酒の香りが鼻の奥を湿らせ、喉から胃の底がじわじわと熱を持ち始める。
「うんうん、いい飲みっぷり。もっと飲もうね」
 上機嫌で言ってグラスにワインをさらに注いだ。私はげんなりしつつも、一之瀬に向き直った。
「それで、青野君はどうして辞めてしまったんだ?」
 すぐに本題へ入ると一之瀬が肩を竦めて苦笑した。
「露骨だなぁ。よっぽど青野が好きなんだね」
 年甲斐もなく若い男に夢中になっていることを笑われているような気がして、カッと頬が熱くなるのを感じた。
 いい歳した男の赤面など見られたくなく顔を俯けると、くすくすと意地の悪い響きを含んだ笑いが耳朶をくすぐった。
「ははっ、かわいい。仁史さん耳まで真っ赤だよ」
 突然耳たぶを親指と人差し指でふにふにと揉まれ、思わず身を固くした。
「大丈夫だよ、そんな警戒しなくても。耳触っただけじゃん。どうせ青野とはもっとすごいことしてたんでしょ?」
 もっとすごいこと、と卑猥な意味をありありと含んで問われ、私は慌てて首を横に振った。
「あ、青野君とは、デートコースだけでそんないやらしいことはしてないっ」
「いやらしいことって……フッ、ふふふ」
 私の言葉に一之瀬は吹き出し、肩を震わせて笑い始めた。
「仁史さんってなんか反応がいちいち処女みたいだよね。……あ、というかもしかして本当に処女?」
 体を傾いで下から顔を覗き込んでくる一之瀬の顔は本当に嬉々としていて、私は悔しさに奥歯を噛みしめた。
 触れて欲しくない話題にズカズカと踏み込んでくるこの無神経さ、やはり嫌いだ。
 答えずに黙っていると、不意に尻をするりと撫でられた。
「……ッ!」
 驚きのあまり声は出なかったが、腰から背筋にかけて一気に鳥肌が駆け上がった。一之瀬がくつくつと喉を震わせ笑う。
「この初心な反応、やっぱり処女だ。でも意外だなぁ、ゲイの人ってなんか経験豊富そうなイメージあるから」
 嫌みっぽい言い方に頭がカッとなった。
 こいつはきっとレンタル彼氏を利用するゲイが珍しく面白半分でからかいに来たのだ。それならこの男が青野君の代役をしつこく買って出たのも納得だ。
「……ッ、そうだっ。私は童貞で処女だ。経験豊富なゲイじゃなくて残念だったな。男同士のそういうのに興味があって私に会いに来たならお門違いだ。余所に行ってくれ」
 半分自棄になりながら嫌みと怒りを込めて吐き捨て立ち上がる。
 だがすぐに腕を強く引かれ、一之瀬の膝の上に倒れ込んでしまった。急いで上半身を起こすが背中から覆い被さるようにぎゅっと抱き締められた。
「……残念なわけないじゃん」
「え?」
 ぼそりと呟いた言葉があまりにも真剣味を帯びていたので、私は驚いて振り返った。
 肩越しに目が合うと一之瀬は穏やかに微笑んだ。
「仁史さんが経験豊富じゃないって聞いて俺はめちゃくちゃ嬉しかったよ。嬉しすぎてちょっと調子に乗っちゃった。不快にさせたならごめんね」
 笑みを口元に浮かべつつも、今までの言動に欠片も見当たらなかった誠意が溢れる謝罪をする一之瀬に、私は少し動揺した。不意打ちを食らった感じだ。
 ここまで丁寧に謝る相手にへそを曲げ続けるのは大人げないし、彼のらしくない行動に完全に意を削がれた私は気付けば「あ、ああ、べ、別にいいけど……」と許しを口にしていた。
 その言葉を聞いて一之瀬の目元がほっと和らいだ。
「よかった……」
 その安堵っぷりは決して演技ではないように見えた。だからこそ余計に混乱した。
 それに私が経験豊富でないことを喜ぶ理由も分からない。ただのリップサービスにしては真剣で、演技らしさを微塵も感じない。しかしどう考えても本音とは思えない。
 この男に好かれる理由が全く思い浮かばないからだ。この短時間でのやり取りの中で好意を持たれるような要素はひとつもなかったし、見目がよければまだしも私のような冴えない中年に一目惚れするわけもない。
 だが、レンタル彼氏を利用するゲイをからかいに来たと断じるには、一之瀬の謝罪はあまりに誠意に満ちていた。
 頭の中で悶々と一之瀬の真意を考えていると、腰に回された腕がぎゅっと柔らかな力で抱き寄せてきた。
「……仁史さん、本当に青野が辞めた理由、知りたい?」
 こちらを気遣うような優しい声で一之瀬が確認してきた。
 その声に、恐らく青野君が辞めた理由が私にとってよくないことは容易に察せられた。臆病な胸がきゅっと締め付けられる。
 しかし聞いて傷つくのも嫌だが、ここで聞かずにずっと気になり続けるのはもっと嫌だ。
 私は一呼吸分の間を置いて頷いた。
「知りたい。……教えてくれ」
「分かった」
 一之瀬は緊張で強ばった私の体を包み込むような柔らかな声で言って、言葉を続けた。
「青野が辞めた理由は、仁史さんが直接的な原因じゃない。ただ、付き合っている彼女にレンタル彼氏のバイトをやっていることがバレたみたいで……」
 私を気遣うように言い淀む彼女≠ニいう言葉に、ガツンと頭を強く殴られたような衝撃が走る。
 青野君に彼女がいた……。いや、考えてみれば当然のことだ。あんなにも格好良い好青年に彼女がいないわけがなかった。
 それに私はあくまで金を払って彼をレンタルしているだけで、業務外での関係に口出しする権利はない。彼はノンケでありながらレンタル彼氏としての責務を精一杯果たしてくれた。だからこんな裏切られたような気持ちになるのはおかしなことだし、おこがましいことだ。それなのに胸から止め処なく溢れてくる失望や悲しみを抑えることが出来なかった。
「……仁史さん、大丈夫?」
 指先で目尻を濡らす涙を拭き取られ、そこで初めて自分が泣いていることに気付いた。
「はは……っ、すまない、いい歳して泣くなんて恥ずかしいな」
 腕で目元を乱暴に拭い笑って見せるが、自分でも表情がひしゃげるのが分かった。
 一之瀬は穏やかに首を振った。
「恥ずかしくないよ。誰だって好きな人が自分じゃない他の誰かと付き合っているって知ったらショックだ。俺も絶対泣く」
 私の無様で厚かましい涙を肯定し、気遣わしげにおどけてくれる彼に胸がじんと温かくなった。
「ありがとう……」
 私は初めてこの男に心からの礼を口にした。
「どういたしまして」
 一之瀬は嬉しそうに微笑んで、耳朶に唇をひたりと添えた。
「……ねぇ、失恋に効く一番の薬ってなんだと思う?」
 囁くような甘い声で、急に問われて私は戸惑った。
 質問の答えは分からない。しかし質問の意図は何となく察せられた。そして彼が期待する展開も……。
「さ、さぁ、なんだろう? 分からないな。金で買えるものなら買いたいものだ。と言っても、ドラッグストアで買えるくらいの値段じゃないと買えないけど」
 とぼけるようにして言い、そこはかとなく漂う甘く不穏な展開の前兆を乾いた笑いでもって一蹴する。
 しかしそれは空振りに終わった。
「安心して、俺が相手ならタダだよ。――失恋の特効薬はいつだって新しい恋だ」
 殊更甘く、堕落を目論む悪魔のような声で囁くと、私の顔を無理やり自分の方へ向かせてキスをしてきた。
「っ、ン……」
 抵抗する間もなく口の中に舌を入れられ、口内を卑猥にまさぐられる。舌が動く度に酒気を帯びたワインの香りと唾液が掻き回され、不快と快の境が朧気になっていく。
 次第に体も心も抗いを弱め、舌にいたっては抵抗に見せかけて甘えるように一之瀬の舌に絡みついていた。いや、絡め取られているのか。あるいは絡めてくるよう仕向けられているのか……。
 分からない。ただひとつ確かなのは、ほどよく酔いが回った頭と、失恋したばかりの傷ついた心には、人のぬくもりは甘い劇薬になるということだ。
 縋り付くような舌に、もう私にほとんど抵抗の意思などないことを悟ったのだろう。一之瀬は唇を離し、私ににこりと微笑みかけた。
「仁史さん、俺このままじゃ抑えがきかなくなってここでヤっちゃいそう。せっかく仁史さんの初めてを頂くんだから、もっと丁寧に優しくしてあげたいんだ。……とりあえず、一緒にお風呂に入ろうか?」
 唾液に濡れた唇をぼんやりと見ながら私は頷いた。
 失恋して自棄になって、とは少し違う。自暴自棄というほど自分を見失ってはいない。正気といえるかというと怪しいところではあるが。
 失恋による失意は単なるきっかけ、単なる言い訳に過ぎない。ただ私はあのキスを上回る快感があるのならば味わいたかった。
 青野君のことを忘れるくらいの激しい快感への期待と、未知の快感への好奇心。それらが、私を頷かせた。

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あきゅろす。
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