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雨宮はこちらが慣れさえすれば、一緒にいて楽な奴だった。
感情に乏しいのは表情と声だけで、それを補うかのように彼は自分の気持ちをはっきりと言葉で伝える人間だった。俺と話して楽しいとか俺と親しくなりたいとか言われたその時は面食らったが、変に勘ぐったりさえしなければ、これほど裏表のないわかりやすい人間もいないと思うようにさえなった。
はじめの頃は多少ぎこちなかったが、次第に雨宮とも友人と話すように話せるようになった。
たいてい俺が本を探している間、雨宮はベランダで望遠鏡を覗いており、時々、彼は上着を忘れて外へ行ってしまうので、そのたびに俺は上着を持っていってやった。そのついでに雑談めいた会話を交わすようになり、彼のことも少しずつわかってきた。
雨宮は体が弱くて学校へ行っていないわけではないらしいこと、母親は既になくなっており、今は一人でこの近所のマンションで暮らしているらしいこと。
会話の端々でそれらを知ったが、突っ込んだ話はさすがに聞けなかった。だけど雨宮は自分からあの本が書かれた背景を話してくれた。
「あの本は、母が父に頼んで書いてもらったもの」
「お母さんが?」
「そう。僕の父は取材や研究でほとんど家にいなかったから、僕に父の仕事を教えるためにと」
出版社の記載がなかったのは、自主制作の本だったからだそうだ。何部か作って知り合いや近所に配ったそうで、俺が子供のときに通っていた図書館にあったのも、おそらくその中のものが流れてきたのだろう。道理で本屋を探してもないはずだ。
「母は、僕たち家族をモデルにした話をリクエストした」
「あ、じゃあ、あの息子は雨宮がモデルなんだ」
やっぱり。息子と雨宮が似ているはずだ。
「そう。ところができあがってみれば、息子はほとんど台詞のない脇役で、主人公も実際の父とは全然ちがうらしい。ちゃんと台詞があって似ているのは母だけ」
そういえば叔母によれば雨宮は父親と似ているそうだから、たしかにあの本の豪快な父親とはイメージが違う。
「母は特に息子の出番がほとんどないことに文句を言っていたけど、僕は父の気持ちがわかる。僕と父はお互いどんな人間かほとんど知らないから、僕のことを書きようがない」
「でもあの息子、雨宮と似てるよ」
俺が言うと雨宮はしばらく押し黙った後、言った。
「そんなことはない。僕は思ったことははっきり言う。あの息子は父親に嫌われたくないから言うことに従っているだけ。僕とは似ていない」
「わ、わかったよ…」
いつもより少し強い口調の雨宮に押されたように俺は応えた。
それにしても息子が「父親に嫌われたくないから言うことに従っている」なんて描写、でてきただろうか。2巻でも、記憶のかなたの3巻でも、息子は淡々と任務を遂行しているだけに感じたけど。
もしかしたら、一巻にあるのかもしれない。
「じゃあ、俺もう少し探させてもらうな」
そう言って俺は雨宮をベランダに残して部屋に戻った。
その際に床の片隅に積み重なった本にふと目がいき、手にとって見るとその本には見覚えがあった。
たしかはじめのころ片付けた本に同じタイトルのものがあったような気がする。
珍しい装丁とタイトルだったから覚えていたのだが、俺が手にした本には下巻と書いてあるから、最初の奴は上巻だったのだろう。
上下巻ならまとめて置いたほうがいいと思い、俺は最初に探していた棚に向った。
表面の棚にはその本は見当たらず、奥の本棚だったかと1段目の本棚を動かす。
その時、珍しく慌てた様子でベランダにいた雨宮が部屋に入ってきた。
「吉野。そこは探したはずだ」
「そうだけど、この本、上下巻でまとめといたほうがいいと思って」
「構わない。ばらばらで。適当で」
いつもより若干早い雨宮の口調がなんだかおかしくて、その時俺は真面目に取り合わなかった。もしも普段の調子で紋切り型に言われたら、家主の意に添っただろうと思う。
「その適当が重なって部屋がこんなことになってるんじゃん」
そう言って奥の本棚に目をやると、一冊だけカバーのない本の背表紙が飛び込んできた。
そのタイトルは俺がここのところ探し続けていた本だった。巻数は1巻。カバーだけ見つかったと雨宮が言っていたはずの本体だ。
どういうことかと雨宮を見ると、彼は相も変わらず感情の見えない表情で黙ったままたたずんでいたが、俺にはなぜか彼が困り果てているように感じた。
「これ…?」
本が見つかったことを喜べばいいのか、それとも探したはずの場所にあったことを不思議がればいいのか、本のありかをはじめから知っていたような雨宮を前に、どうしたらいいのかわからない。
観念したように雨宮が口を開いた。
「……僕が隠した」
「え?隠した?なんで?」
俺が探しているのを知っていて、しかも自由に探させてまでくれているのに、そんなことをする意味がわからず俺は首を傾げた。
「その本を全部読み終わったら君がここに来てくれなくなると思ったから」
「……」
俺は二の句が告げなかった。
「そうなるのは嫌だったから、隠した」
「…そ、そう…」
いままで費やした時間が徒労に終わったというのに、不思議と怒りは沸いてこなかった。ただひたすら雨宮の言葉が照れくさい。
俺に来て欲しくて?それならこんな小細工しなくても、そう言えばいいのに。
でも思えば、俺は雨宮のことが以前は苦手だったから、そんなことを言われたら確かに一歩ひいてしまったかもしれない。その小細工のおかげで雨宮と多少仲良くなれたのかと思うと、彼のことを責める気にはまったくなれなかった。
「君に来て欲しくて僕は一巻を必死で探した。でも三巻はどこにあるか本当に知らない。これだけは信じて欲しい」
なおも言い募る雨宮に、照れも最高潮に高まって、わかったとしか俺は言えなかった。
その晩、俺はベッドに寝転んで本を堪能した。
一巻にも家族が旅にでる経緯は書かれていなかった。ただ、息子の名前が出てくると、雨宮を思い出してなんとなく照れてしまい、読み終えるのに少し時間がかかった。
最後までページを捲ると、本来ならカバーの折り返しの部分で隠れているところに、走り書きがあることに気づいた。
思わず起き上がる。
電器の灯りに照らしてみたが、それは印刷された文字ではなくて、直筆で書かれたもののようだった。
『浩さんと昴へ
あなたたちはぼんやりとしているから気づかないかもしれないけど、今の私が貴方たちに望むことをこっそりとここにかいておきます。
このメッセージに気づいたら、ぜひかなえてね。
浩さんへ
1.また私と昴をブルーマウンテンズに連れて行ってください。
あの後、調べたら夏が一番青くみえるそうです。今度こそ昴に青いと言わせましょう。
昴へ
1.お片づけははきちんとしなさい。使い終わったら元の場所にもどす。それが片づけの極意、つまりコツです。
2つめは二巻に書きます。』
書いたのは亡くなったという雨宮の母親、だろうか。きっとそうだろう。間違いない。
わけもなく心臓が早鐘を打つ。
雨宮はこのメッセージに気づいているのだろうか。カバーを外したときに気づいたかもしれない。だけど、気づいてないかもしれない。
明日、学校があるのがもどかしい。早く雨宮にこのことを伝えたい。電話番号かメールアドレスを聞いておけばよかった。
このことを知った時の雨宮を想像しながら、俺は明け方やっと眠りについた。
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