最終回 いままでいろいろなところにいったけど、東洋人だということでこんなにじろじろ見られたのは初めてだ。 乗り換えの駅は山間の小さな町で、早朝にもかかわらず人はたくさんいた。だけど旅行客は俺一人のようだ。 夜行を使えば一気に目的地までいけることはわかっていたが、車窓からの景色を楽しむことと予算をあわせて考えると、このルートをとるしかなかった。 複数の路線の待ち合わせの駅だから、もっと大きくて旅行者であふれかえっているだろうと思っていたけど、まったく違った。 救いは、向けられる視線が悪意ではなくてただの好奇心からだということだ。それにしても、いたたまれないことこの上ない。アジア人なんて世界中どこにでもいるものだと思っていたけど、どうやら俺は想像力に欠けていたようだ。 俺の前を通った親子のあからさまな視線に絶えつつ、時刻表をめくる。 雨宮がいなくなってから二年が過ぎた。 俺は大学生になってもしばらくは叔母の店でアルバイトを続けていたが、時々やって来る酒井先生の知り合いの編集者の人に気に入られて、その紹介で編集部でもバイトをするようになった。編集部での仕事はこまごまとした雑用ばかりだったが、いつからかそちらのバイトがメインになってしまい、今は叔母の店では俺の代わりに妹が働いている。 父は妹が働くことにあまりいい顔をしなかった。しかし高校進学の一件で妹の頑固さが身に沁みたのか、黙認しているようだ。 高校で筝曲部に入った妹の興味は、日本の古都や歴史に移ってしまったようで、留学という言葉はおくびにもださなくなった。あの騒ぎはなんだったんだと俺は内心、少し呆れているが、父は若いころは色々興味が移るものだともっともらしいことをいいながら、安心しているようだ。とはいえ、妹のことだから内に秘めているだけで、また突然言い出して父を驚かせるかもしれないけど。 雨宮からの手紙は途切れることなく叔母の店に届いている。たいてい1〜2週間の間隔で届いており、まとまって何枚か届くこともあった。 それはすべて絵葉書で、観光地で買ったらしいものもあれば、写真を葉書のサイズに引き伸ばした自作のものもあった。 文面は決まって、「元気ですか」の後、その写真についての短い説明だけだ。葉書にまで愛想がない。それに、元気ですかと訊かれても、元気ですと答えるすべは俺にはないのだから、ひどい話だ。 一番はじめに葉書が来たときに、俺は衝動的に雨宮を探しにその街へ行ってしまった。 案の定、無計画に行っても彼が見つかるはずはなく、残高の大幅に減った預金通帳と、なんの土産もなかったことへの妹の文句を得ただけだった。 そして愚かにも、まとまった休暇を手に入れるたびに俺はそれを繰り返した。そのおかげで幾分か旅慣れはしたが、彼を見つけることはできないままでいる。 バイト先の編集部で酒井先生の連絡先を教えてもらえないか聞いてみたが、さすがに断られた。ほんとうは、それが目当てで編集部で働くことにしたのだが、まあ無理もない。 だけどやはり雨宮の行方をたどる術は酒井先生しかなくて、ネットで先生の名前で検索するのが習慣になった。 ある日、先生のファンサイトで、航空会社の機内誌で連載が始まったという情報を見つけた。 それは自分を芭蕉になぞらえたエッセイで、食べ物の描写が美味しそうなこと、現地の人と知り合うところからコミュニケーションがはじまっていること、税制や住環境がわかりやすく書いてあること、こんなところから、かなり好評のようだ。 バックナンバーを取り寄せて実際に読んでみると、時折、文中に「助手が」とか「同行者が」とかいう言葉が出てきては俺の目をとめた。 その人物は現地の子供に交じってサッカーをしたり、泊めてもらった家の5歳の女の子にプロポーズされて大真面目に断って泣かせたりで、融通の利かないかわいげのない男とエッセイの中で評されていた。きっと雨宮のことだろう。 雨宮からもらった絵葉書の消印の地名と、先生のエッセイに登場する街を照らし合わせると、場所と季節は一致していた。 エッセイはきちんと書かれた順に載っているようだったが、ある号から葉書の消印の国とエッセイに書かれている国がずれてきた。 雨宮からの葉書はずっと西欧の国の消印で、エッセイは北欧の国のことが書かれていた。そして雨宮の葉書の写真はずっと同じ街の景色で、俺は雨宮がその街に留まっているのだと確信を得た。 恐ろしいことに、二年間、俺の気持ちが変わることはなかった。 彼と過ごした短い期間は、俺の中でとてつもなく美化されているだけなのかもしれないし、思春期ゆえの気の迷いにすぎなかったのかもしれない。そう何度も思い直そうともしても、どこに行っても俺は雑踏の中に雨宮の姿を探し、彼から届く葉書ばかりを心待ちにした。 だから、諦めることを諦める方が早そうだと判断しても仕方のないことだと思う。 こうして彼を探す旅を繰り返すことも。 電車の到着を告げているらしいアナウンスが流れた。何を言っているのかはわからないが、だいたい見当はつく。 周囲の好奇心の眼差しを受けながら、鞄を肩にかけてまだ薄暗い吹きっさらしのホームにでた。 明け方の空気はひんやりとしていて、山の際の空が白じんできた。空を見上げると明けの明星が光っている。 もうすぐ特急が来る。それに乗って国境を越え、2時間ほどいくと目的地につくはずだ。 雨宮のいる街に。 絵葉書の消印と、雨宮が撮ったと思われる写真の町並みだけを頼りにここまできた。 もしも彼に会えたら何を言おう。 俺の旅はずっと雨宮を探す旅だったと言ったら驚くだろうか。 雨宮の驚いたところなんて、想像できないけど。 彼に会うことで、俺の旅はひとまず終わる。 できることなら、次は雨宮とどこかへ行ってみたい。 あの本の主人公のように、あてもなく、どこまでも遠くへ。 おわり [*前へ] [戻る] |