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なぜ高校は義務教育じゃないんだろう。
俺がもしも偉くなったとしたら、義務教育にしてなおかつ学区制にする。
そうすれば周りはみんな顔見知りだ。誰もが緊張しつつ入学式を迎えることはなくなる。
……そこまで考えて俺はため息をついた。
もしも偉くなったら、なんてそんなこと天地がひっくりかえってもありえないことだ。これから知り合いもいない環境への不安のあまり、そんなどうしようもないことを考えてしまうほどの気の弱さなんだから。
今日入学する高校には、俺の中学からは俺一人しか入学者がいない。
第一志望の公立は落ちてしまい、すべりどめというよりは記念受験に近い、合格は到底無理だと思っていた私立にあろうことか受かってしまった。
当然、親も中学校の担任もそこに行くことを勧め、俺はこうして家から1時間弱の電車通学をすることになった。
電車は乗換駅に止まり、大勢の人が降りていく。
俺の学校はまだ先で、多少周りにスペースができたのを幸いに、俺は鞄から携帯の音楽プレーヤーを出した。
唯一、高校受験に失敗してよかったと思えるのは、これから俺の通う高校は音楽プレーヤーの持ち込みがテスト期間以外は認められていることだ。友達がいく学校はみな禁止されていると言っていたから、これは珍しいことなのかもしれない。
イヤホンを耳につけてスイッチを入れる。
すると前奏の後に幾度となく聞いた甘い声が流れだした。
それは少し前に人気だった歌手の、たぶん耳にしたことがない人はいないと言えるほどよく売れたラブソングだ。その曲調と歌詞が俺は大好きで、その歌手自身をあまり目にすることがなくなっても、この歌だけは何度も何度も飽きることなく聞き続けている。
その声に気持ちを集中させると、動き出した電車の揺れすら気にならなくなった。
もうとっくに空で歌える歌詞を追ったり、ただ曲に集中したりしていると、少し不安を忘れることができた。
今の俺の悩みとは程遠い恋の話を、甘い声はせつなげに歌いあげる。
いつか自分もこんな風に誰かを思ったり、もしくは思われたりすることがあるのだろうか。
俺は恋をしたことはないから想像もつかないけど、この歌が教えてくれているような気がする。
そのとき、突然後ろから肩を強く叩かれた。
俺は飛び上がりそうになるほどびっくりして振り返り、そして、目の前にいる男にまたもや驚いた。
そこには俺と同じ制服を来た、ずいぶん綺麗な顔をした男がいたからだ。色素の薄い、どこか異国を思わせる顔立ちのその男は、俺を少し見下ろし、優美な眉をゆがめてさも不機嫌そうに低く言った。
「うるせえよ」
「……は」
「音、漏れてんぞ」
言われて羞恥のあまり顔が熱くなる。
慌ててスイッチを止めると思いのほか車内が静かだったことに気づき、さらに恥ずかしくなった。
「あ、あの…す…すみません」
俺の謝罪の声はあまりにも小さく、その男には聞こえなかったかもしれない。ちゃんと謝りなおした方がいいかもしれない。いや、この男だけでなく、周りの人たちにも謝った方がいいだろうか。
そう思ってきょろきょろとあたりを見回す。
もう俺は半ば気が動転していて、冷静な判断ができそうになかった。
あたふたとしているうちにその男は電車を降りてしまい、そこで俺も降りなければならかったことに気づいたのは、扉が閉まって、その電車がしばらく停車することのない快速だということを説明するアナウンスを聞いてからだった。
肝心の初日に遅刻した。
校門を走りぬけたところで、クラスわけの紙を掲示板から剥がしていた先生に呼び止められ、新入生であることと名前を告げると、その先生は何やら紙をみて、俺が一組だということを教えてくれた。そして、もう入学式のはじまる時間だから直接体育館に行くようにと言う。
しかし俺があまりに不安そうな顔をしていたのか、結局、その先生は体育館に連れて行ってくれたうえに、ちょうど入場待ちしていた一組の列まで案内してくれた。
そうしてなんとか最後尾に紛れ、周りに目を向けると既にみんな誰かと話したり笑ったりしていて、見事に出遅れたことを俺は悟り、がっくりと肩を落とした。
誰か俺に話しかけてくれないだろうかと願ったが、俺の前の奴は完全に俺に背中を向けて別の奴と話していて、結局、誰とも一言も言葉を交わさないまま俺は入学式に臨むことになった。
校長の長い挨拶や来賓の挨拶が終わり、どうにか俺の焦った気分も落ち着いてきた。
まだ高校生活ははじまったばかりだ。これからクラスに戻ってホームルームがはじまるだろうから、ゆっくり友達になれそうな奴を探せばいい。
あれこれ考えているうちにも式は滞りなく進行していき、新入生代表の挨拶になった。
『新入生代表、一年一組、水落秀一』
列の端から、はい、という涼やかな声が響く。
新入生代表ということは、一番で入学した奴かと何気なく壇上に目を向けておれはあっと息を飲んだ。
そこには、音漏れを注意したあの男が立っていたからだ。
俺が呆気にとられている間、水落秀一とやらはそつなく挨拶をこなし一組の先頭に戻る。
あまりの偶然に、俺は絶望的な気持ちになった。
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