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◆ナヴァールの烙印◆
それぞれの想い
だが、数時間のち、ファイスが宿につれてきたのは、ロウではなかった。

「前の長、ロウ・ソーラスは長の任を解かれたそうです」

番人のお仕着せを着込んだその男は、貧相な中年男であった。

「あ、あぁ」

シュリは拍子抜けし、一瞬呆けてしまった。

「こちらはセフォア領主ハンドス伯爵様のご子息、シュリさまであらせられる」

打ち合わせどおり、ファイスはシュリを、そう紹介した。

「お初にお目にかかります」

「わざわざ来てもらってすまなかったな」

幸い、長は王子としてのシュリの顔を知らないのか、シュリを見ても顕著な反応は示さなかった。

シュリは安堵し、整った小部屋に置かれた長いすに座った。

「ロウが長の任を解かれたと? なぜとつぜんに?」

「前の長は、王都で新しい任を仰せつかったそうです。詳しいことは知りませんが」
 
「新しい任務?」

急な解任をいぶかしく思ったシュリだったが、あの男とまた顔をあわせずにすんだことに幾分ほっとしていた。

「まあいい。本題に入ろう」

シュリは姿勢をただした。

「まず、聞きたいことがある。数日前に生まれたイファの赤子のことだ。前の長、ロウにどこかに連れて行かれた。その行方を教えて欲しい」

「さぁ、何も報告は受けておりませんが」

「そんなはずはない。お前は長に任命されたのだろう? 村で生まれた赤子の処遇について、何か知っているはずだ」

「それは」

シュリに問い詰められ、長は表情を固めた。
しかしその口は頑として開かない。
シュリはしばし待ち、そして言葉を改めた。

「ならばその話はあとにしよう」

その言葉に、長は幾分安堵したように頬を緩めた。
シュリは長の変化を見逃さなかったが、とりあえず、今一番肝心な用件を、長に告げた。

「先に連れ出しておいていまさらだが…俺は烙印奴隷の娘、ティアを、しばらく館に引き取り、世話をしようと思う」

「はぁ」

長はとうぜん、他の番人に、村でのシュリの行動の一部始終を報告されているのだろう。
 
だからシュリがそう告げても、さして驚いた様子はみせなかった。

「俺がティアを世話するのに、何か問題があるか?」

シュリが問うと、長は微妙な表情で首を振った。

「本来なら、烙印奴隷を売り買いするのはご法度なんです。国の所有物ですからね」

買うのではない。
そう言いたかったが、シュリはなんとか堪えて話を聞いた。

「ですが今回は特別に目をつぶりましょう。その娘は死亡したというふうに届けておきます。お返ししなくてもかまいませんので、お飽きになったらそちらでいいように始末なさってくだ…」

長は言葉を止め、退いた。

「ど、どうなされましたか」

とうとつに、シュリが大きな音を立てて立ち上がったのだ。
琥珀色の目に静かな怒りを潜ませている。

「引き取るのではない。とりあえずティアの怪我が治るまで、俺のところで世話するだけだ。そのあとは、ティアの意思に任せようと思っている」

「意思?」

意外な言葉を聞いたかのように、長は眉をつりあげた。

「そうだ。もし怪我が治った後ティアが村に戻りたいと願ったなら、俺はそうさせるつもりだ」

「さようですか」

異物を飲み込んでしまったかのように長は身をすくめ、そして続けた。

「ではご随意に。死亡届は出さないでおきます。ただし目立たぬようにお願いしますよ。祈官長(きかんちょう)様に知られると罰せられますので」

その言葉を、シュリは聞きとがめた。

「今、なんと?」

確か祈官長と聞こえた。
聞き間違いではないかと思った。
今の祈官長は他でもないファイスの父だからである。

「ご存じなかったのですか? 烙印奴隷の管理をなさっているのは、ナヴァールの塔の祈官長、カリュース様ですよ」

シュリは、弾かれるようにファイスを振り返った。
そこには、表情の見えない、淡い青の目があった。

「では、では赤子の行方は…」

ファイスから目をそらし、長に向き直ったシュリの声はかすれていた。

「赤子の行く末も、祈官長が知っているのか」

それは確信に満ちた問いだった。

「これ以上はお許しを」

長は深く頭を下げ、シュリの追求に答えなかった。
重く、苦しい時が刻まれる。
この部屋の誰にとっても、苦い時間が。

「シュリ様、御用はお済みですね」

やがて、耐えがたき時間を破るかのように、ファイスは終わりの時を告げた。

「ああ、戻ろう」

さまざまな思いを心にためたまま、シュリは椅子から立ち上がった。
これ以上ここにとどまることは、知りたくない全てを突きつけられてしまうようで怖かったのだ。

「イファは産後間もない。十分いたわってあげて欲しい」

シュリはやっとのことで、それだけを頼んだ。

「かしこまりました」

長は重い声で、それを受け入れた。

◆◇◆

その日ティアは、一日ベッドで過ごした。
うつらうつらとする感覚が妙に心地よい。

夕方目覚めると、疲れが取れ、体がすっきりとしていた。

夜になって、昼間ティアの体を洗ってくれたナゴナが、食事を部屋に運んで来た。

「熱、下がったみたいだから、少しお腹にたまるものを作らせたの」

「ありがとうございます」

南方人らしく色の濃い、張りのある肌をしたナゴナは、顔立ちの華やかな、生き生きとした二十代前半くらいの女性だった。
 
カデナもそうだが、この屋敷には南方人との混血が多い。
シュリの母が南方人だということは、ティアも知っていた。
それと関係があるのだろう。

「はい、あ〜ん」

ナゴナが子供に与えるように、スプーンを持ち上げ目の前に差し出す。

「自分でできますので…」

「だ〜め、シュリ様がティアちゃんの具合がよくなるまで、花びら以上に重たいものを持たせるな、と御命じなったのよ」

ナゴナはどうしてもティアにスプーンをもたせてくれない。

「どうしてみなさん、私などにこんなに優しくしてくださるんですの…? 私は奴隷で、蔑まれるべき存在ですのに…」

こんなふうに、人に優しくされたことなどなかった。

「今まで辛かったのね。可哀想に」

すると、いたわりの声と共に、肩をふわりと抱かれた。

「でも、ここではそんなこと気にしなくていいのよ」

「ナゴナさん、でも」

「本当に気にしなくていいの。私もイエも、もとは奴隷だったのよ」

「え」

意外な言葉だった。

「私たち、戦争で負けて、この国につれてこられた奴隷同士の子供なの。カラハンっていう国を知ってる?」

シュリの母の国だ。
ティアは小さく頷いた。

「私、両親が死んでから、まだ小さいうちに商人だの貴族だのあちこちに奴隷に出されて…でも敵国の血を引いている、肌の色が違うとさげすまれ、耐えられなくて逃げ出して…でも捕まって、最後には奴隷市で売られていたところを、リレイ様にお助けいただいたの。このお館で働いているもの半数は、そんな元奴隷たちなのよ。鞭打たれることもないし、さげすまれることもない。今ではみんな、いい待遇で働かせてもらっているわ」

ティアは衝撃を受けた。
今まで見た召使たちはみんな明るい表情で働いている。
着ているものも清潔で高級そうだし、品がよく栄養も行き届いているようにみえる。
とても奴隷には思えない。

「リレイ様…シュリ様のお母様は、戦争で負けてこの国に連れてこられて…とても辛い思いをなさった方なの。だから私たちみたいな奴隷にはとても寛容で優しいのよ。まあ、あまり感情を表に出さない方だから、馴染みにくいんだけどね」

「そうなんですか…でも私は」

ティアは額に心で触れた。
自分は、他の奴隷たちとはまた違うのだ。
罪の烙印を押され、蔑まれる存在なのだ。
ティアはうつむく。

「そういえばティアちゃん」

そんな沈んだ空気を破るかのように、ふいにナゴナが、声をがらりと変えた。

「あなたがシュリ様といい仲だったとはねぇ」

「え」

思わず顔を上げると、ナゴナは満面に笑みを浮かべていた。
 
「あの、ええと…何のことでしょうか…」
 
「隠さなくってもいいのよ〜 浴場で聞いちゃったんだもの。もちろんイエも一緒に、よ」

「えっ、あっ、どうして…?」

「だってシュリ様の声よく通るから、嫌でも聞こえてきちゃうわよ」

あの会話を、聞かれていた。
ティアの目の前が、朱に染まる。

「あぁ、カデナさんには聞かれてないから安心して」

「でもっ…」

「熱いわね〜シュリ様。『ティアを自分だけのものにしたい』だって! でもちょっとストレートすぎるわね。まあ、お若いから仕方ないかな」

何も言い返せず、ティアは頬を染めてくちを大きく開けたまま固まるばかりだった。

「でも、そこで手を出さないところがシュリ様真面目よね。それにティアちゃんも初々しくて…じれったいんだから! 『そこで行け〜』って、何度も叫びそうになっちゃったわよ」

ナゴナは、握ったこぶしを突き上げて見せた。

「…ごめんなさい」

なぜかティアは、謝っていた。
シュリはナゴナたちの主だ。
奴隷の分際で、恐れ多い娘だと思われたことだろう。

「なんで謝るのよぉ。ティアちゃんとシュリ様、お似合いじゃないの」

ナゴナは、ふたたび優しくティアの肩を抱き、ウィンクしてみせた。

「そ、そんなんじゃないんです…あれは…」

「いいからいいから」

何もかもわかっているから、というふうに、ナゴナはティアの頭を軽くなでた。

「でもね、簡単に許しちゃだめよ。ティアちゃん可愛いんだから、すぐにシュリ様の餌食になるの、もったいないわ。シュリ様の限界がくるまでじらしてじらして、それをエサに手のひらでいいように転がしてやらないと。なんなら男の操り方、教えてあげましょうか?」

「え…そんな…」

「あはは、冗談よ。ティアちゃんにはまだ無理よね。とにかく今は、食事をおなかいっぱい食べて、体力をつけることに専念して」

「はぁ…わかりました」

「私たちはいつでも、ティアちゃんの味方だからね」

「あ、ありがとうございます」

意外な成り行きに、驚いていいのか喜んでいいのか、よくわからないティアだった。

◆◇◆

奴隷村の長との会見を終えたシュリとファイスは、無言のままセフォアに向けて馬を走らせていた。
 
シュリは広がる森を見つめながら、ファイスの心を推し量っていた。

ファイスは、父の仕事を継ぐのを嫌がり、家を出たのだといっていた。
おそらくは烙印奴隷たちのことも、それに関わっているのだろう。

奴隷村に逗留している間、ファイスは奴隷たちとともに暮らし、何を思っていたのか。
想像すると、いたたまれない気持ちになる。

「ファイス…」

森が切れ、セフォア湖が見えてきたころ。
シュリは馬の速度を緩め、声をかけた。

「申し訳ありません。今は何もおっしゃらないでいただけますか」

ファイスはセフォアに目を向けたまま、シュリの問いかけるような響きをさえぎった。
シュリの言いたいことはわかっている、というかのようだった。
だからシュリはそれ以上、心にためたことを吐き出すのをやめた。

「ファイス。館に帰る前に、町に寄ろう。ティアに土産を買いたいんだ」

心を切り替え、守るべき人の姿で満たす。

ティアを守りたい。
これからティアを襲う、さまざまな偏見や蔑みから。

シュリは改めて心に誓った。
ティアのために、強く優しくなろう。

ティアに対してだけでなく、誰に対しても強く、そして優しくなろう。

シュリは馬に鞭をあて、速度を上げた。

◆◇◆

ティアは眠れぬ夜を過ごしていた。

昼間あれだけ眠ってしまったのだからそれも当然なのだが、様々なことが一度に押し寄せてきて、気持ちの整理がつかなかったのだ。

眠るのをあきらめ、ガウンを羽織って窓際に立った。
風を取り入れるため少し開かれている窓を、さらに開け放つ。

窓の外は広いバルコニーだった。
手入れされた庭と、漁火に照らされた夜の湖がよく見える。
ぼんやりとそれを眺める。

と、風に乗ってかすかに何かの音が流れてきた。
ティアは息を殺して耳を傾ける。

(なにかしら)

弦が震えるような、物悲しい音色だった。
ティアはバルコニーをおり、庭に立った。

広い庭は、色とりどりの植物で整えられていた。
隅々に篝火が焚かれており、夜でも安心して渡っていけた。

ティアは置かれている立場も忘れ、その音に惹かれてただ歩いていった。

建物を大きく回り、ちょうど裏側にでると、バルコニーがあった。
バルコニーに隣接した窓が大きく開かれており、そこがどうやら音の源のようだ。

ティアは夜着のすそをつまみ、そっとバルコニーに上がった。
勝手のわからぬ屋敷の中で、いつもならそんなぶしつけなことはしないだろう。

だが、わけのわからぬ衝動がティアを突き動かしていた。


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