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小説
night time (兄弟)

「…っぐぅ……っ」

 こみ上げる嘔吐感を押さえ込むように右手で口元を押さえるが、結局押さえ込むことができぬまま、口元から吐物をこぼす事になる。仕事前は何も胃が受け付けない為、口から出るのは胃液だけだ。
 四大侯爵家の人間として醜態を見せる訳にもいかず、結果として自室で嘔吐を繰り返す事になるのは、もはや日常と言っても良い。いい加減慣れなければならないと思いはするものの、他者の命を絶つと言う行為はいつまで経ってもギルバートを苦しめてくれた。
 直接相手に触れずに済むと言う理由から手に取ることにした銃は、今では酷く自身の手に馴染む。主人と共に習った剣を手に取る事はもう二度とできないだろうと、ギルバートはベッドに背を預けながらぼんやりと思った。
 自分の意志ではなかったけれど、未だに残る主人を貫いた、感触。朧気な記憶の中、その感触は未だギルバートを苛んでくれていた。
 目蓋を閉じれば、光と共に現れる失われてしまった己の主の姿。
 手を伸ばしても、決して届く事はない。
 己の主に手を掛けた自身には、似合いと言って良いだろう、今の自分。
 主を救けると言う目的の為に、今の自分が在ると言っても良いのだが、果たして、主人は血塗られた手を持つ自身を受け入れてくれるのだろうかと、くだらぬ不安が身を苛んだ。そんな事よりも、今は何より主をアヴィスより救け出す事が先決なのだ。その為にも、目的を遂げなければならない。

「…ギル、大丈夫……?」

 不意に自室のドアが開く音と共に弟の声がギルバートの耳へと届いた。ベッドルームにいたせいでノックの音が届かなかったのだろう。返事をするのも億劫で近づいてくる足音をそのままに焦点の甘い視線をベッドルームのドアへと向ければ、足音が止まり、ノックの音が室内に響き渡る。

「ギル、僕だよ…」

 僅かに潜められた声音と共にドアが開かれ、弟の姿が現れた。微苦笑を浮かべたままヴィンセントはゆっくりとした足取りで兄の傍らに立つとそのまま膝を着き、視線を合わせる。

「…酷い顔、してる…」

 言いながらヴィンセントはギルバートの目の下を指先でなぞった。
 触れる布の感触にギルバートは僅かに目を眇める。手袋越しだというのに、ヒヤリとした感覚が伝わってくることは今始まった事ではなかった。


「…まだ、起きていたのか…」

 嘔吐のせいでひりつく喉をそのままに言葉を紡げば、情けないほど掠れた声がこぼれ落ちる。

「ギルが帰ってこないのに、寝てられる訳ないじゃない…?」

 言いながらにっこり微笑むヴィンセントにギルバートは小さく溜息を吐く。そこまで弟に心配をさせてしまう存在なのかと、軽く落ち込みそうになる瞬間だ。
 ギルバートが仕事から戻る度に繰り返される会話。
 時折感じる、弟の自分に対する執着心に、ギルバートはどうして良いかが判らなくなる。
 生き別れになってから、ずっと自分を捜し続けていた、弟。
 殆ど像を結ばない過去の記憶の中、唯一思い出すことのできた弟の存在。

「…無理、しないで良いんだよ…?」

 ギルバートの顔に触れている手とは反対の手が、漆黒の髪をあやすように撫でていく。

「…無理なんて、していない…」

 こんな事は無理の一つにも入りはしないのだ。自分には、やらなくてはならないことがある。その為には、こんな事くらいで足を止める訳にはいかない。

「…うん。そうだね…」

 虚勢以外の何者でもない。それでも、ギルバートが目指すものを考えればその言動も理解でき、ヴィンセントは微苦笑を浮かべたまま頷くと、自分から視線を逸らす兄の額へとキスの唇を落とした。

「…ヴィンス…」
「おやすみなさい、良い夢を…」

 咎めるように自分の愛称を口にする兄を気に留めることなく立ち上がると、ヴィンセントはベッドルームを後にする。弟の背を無言で見送りながら、ギルバートは深い溜息を吐いた。



FIN





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