万華鏡[柚木(コルダ)]
柚木×原作ヒロイン。
友達以上恋人未満の距離感。
それはセレクションの当日の出来事。
ライバル達が舞台で演奏する中、ライラは準備の為に一人、控え室に向かった。
(魔法のヴァイオリンじゃない普通のヴァイオリン……。)
そっとヴァイオリンを手にする。
リリから貰った“誰でも弾ける魔法のヴァイオリン”。
初めて手にした時は戸惑いの方が大きくて。
「でも、音を奏でる度にヴァイオリンが好きになっていった。」
セレクションなんて関係なく、夢中で演奏した。
けれど、前回のセレクションが終わると同時に魔法のヴァイオリンは壊れてしまった。
リリの魔法は“変わっていく魔法”だったから。
「もうヴァイオリンが弾けないって思ったら、悲しかった。」
一時期はやめたいって思ってたくらい苦しい思いもしたのに。
リリから普通のヴァイオリンを貰った時、一番に浮かんだ感情は歓喜で。
「すごく、嬉しかったんだ。」
ライラはそっとヴァイオリンを抱きしめる。
──ヴァイオリンが好き──
(それが今の私の気持ち。)
それしかないけど、それだけで充分。
初めて、魔法のない普通のヴァイオリンで立つ舞台に手が震えるけれど。
「精一杯、頑張ろう。」
瞳を閉じて呟くとヴァイオリンを手にしてライラは控え室を後にした。
「……レインさん。」
「はい?」
舞台袖に向かう途中で声をかけられた。
普通科男子の制服に赤のネクタイ、同級生だ。
「あの、何かな?」
「さっき土浦の応援に舞台袖に行ったらレインさんを呼んでくるように金やんに頼まれて…。」
「え、何かあったの!?」
「とりあえずついて来てもらる?」
「う、うん!」
ライラは男子の言葉に少し焦りながら後をついて行く。
迂闊にもそれが罠だとも気付かずに。
「ここ…?」
何の変哲もない防音室。
ここに何があるというのか、と思った瞬間、ライラの背中が強く押された。
「きゃあっ!?」
いきなりでバランスを崩したライラは咄嗟にヴァイオリンを庇う。
「いっ…た……。」
床に倒れた拍子にあちこちを打ったのか顔を顰めるライラの耳に後ろから扉を閉める音が聞こえた。
「え……?」
不吉な予感がして急いで起きて扉へ向かうが、時すでに遅くご丁寧に鍵もしっかりかけてある。
「セレクションが終わったら出してやるよ。
せいぜいそこで泣いてろ。」
先程までの親しさは微塵もない男子の声がした。
「なっ、ちょっと出してよ!!」
ドンドンと強く扉を叩いてもびくともしない。
男子も既にいないようで全く反応がなかった。
「しまった、油断した。」
柚木教や月森ファンなんかの女子からの嫌がらせはしょっちゅうだったけど、まさか男子からもやられるとはライラも思わなかったのだ。
「もう! 何なのよ!?」
苛立ちから再度、扉を叩くがやはりびくともしない。
カチコチと時計の音だけがいやに響く。
ライラの順番までもう時間がない。
金澤達が探してくれているかもしれないが、ここを見つけるには時間がかかるだろう。
(このままじゃ間に合わないっ、どうしたら……。)
懸命に考えるが焦りだけがつもっていく。
「私に何の恨みがある訳?
私はただ…ヴァイオリンが弾きたいだけなのにっ。」
どうしたら良いかわからず自然と涙が出てくる。
だけど。
「……こんな事で泣いてる場合じゃない、しっかりしろ私!」
ライラはすくっと立ち上がると真っ直ぐヴァイオリンを見つめる。
背中を押された時、咄嗟に庇ったヴァイオリン。
お陰で膝や肘は痛いし、折角準備したイヤリング類も落としてしまった。
けれど、ヴァイオリンはこの手にある。
「ここはファータのいる学園、きっと…。」
リリから貰った特別な楽譜。
もう暗譜してしまったそれを取り出すとライラは閉じ込められた防音室で演奏する。
──どうか、届いて──
ありったけの心を込めて奏でる音。
綺麗なヴァイオリンの旋律が辺りに響く。
「……ライラっ!」
(え、今…私の名前……?)
レインは呼ばれたような気がしてヴァイオリンを弾く手を止めた。
「……ど…に…る……ライラ!」
(空耳…じゃない。柚木先輩の声だ!)
途切れ途切れだが、しっかりと聞こえた声に応える。
「先輩、柚木先輩!」
本来なら聞こえない筈の声はお互いの耳にハッキリと届いた。
ガチャリと鍵を開く音とともに勢いよくドアが開けられた。
「…っ。こんな所にいたのか、まった何やってるんだ。」
「柚木先輩……。」
どこか優しさの込もった声に安心してライラの瞳に涙が浮かぶ。
「…怪我とかしてないだろうな?」
確かめように近付く柚木を見ると額にうっすらと汗が見えた。
(必死に…、探してくれたんだ。)
ライラは自分の手で涙を拭うと柚木先輩を見た。
「私は大丈夫です。それよりセレクションは…?」
ライラの様子に柚木は少し驚き目を見開いたが、すぐにいつも通りに戻る。
「急げばまだ間に合う。行くぞ。」
「はい!」
ふっと笑い、差しのべられた柚木の手をとりながらライラが勢いよく返事をすると二人で舞台へと走った。
「ライラ!」
「あ、菜美。」
舞台袖の前でライラを待っていたの天羽に抱き着かれた。
「良かった〜、心配したんだよ。
さ、早く! 演奏順が来ちゃう!」
安堵したのもつかの間、急いで! と舞台袖に向かう。
そこでハッとライラは気付く。
「ち、ちょっと待って!
私、髪ぐしゃぐしゃだし、イヤリングも落として片方しか…。」
「そんな時間ないよっ。
月森くんが時間を稼いでくれてるけど、もう順番は次なんだよ!」
焦っている天羽は有無を言わさずライラの腕を引っ張り舞台袖のドアを開けた。
「金やん! ライラ、見付かったよ!」
「は〜…ったく、肝が冷えたぜ。お前さん何してたんだ?」
二人の後ろから柚木も続いて入る。
「防音室に閉じ込められていましたよ。
非常口にも物が立て掛けられていたし、あれでは一日経っても見つからない可能性もあります。」
「そうか…。っと、そんな事は後々。
ちょうど月森の演奏も終わったし頑張って来いよ。」
思うところはあるものの時間が迫っているからとライラを舞台へと促すと舞台から帰ってくる月森とすれ違う。
「…頑張ってくれ。」
月森もライラの姿を確認して安堵したようにほっと息を吐きながら、そっと一言囁いた。
ライラが舞台へと出てくると会場ざはわつく。
ドレスや靴はちゃんとしているのに走ったから纏めた髪はボサボサ。
髪飾りさえなくイヤリングに至っては片方しかない。
(こんな姿で演奏なんて…。)
舞台中央へ向かいながら隠せないほど動揺しているライラ。
(だけど、後には引き返せない。)
ぎゅっと決意したようにドレスを握るとカチンと微かな金属音がした。
(…何かポケットに入ってる?)
探るようにポケットに手をいれてみるとアンティークの小さなイヤリングと髪留めが出てきた。
(柚木先輩がくれたアクセサリーだ。)
ライラは舞台中央に立つと纏めた髪をおろし、イヤリングを外す。
次いでアンティークの髪飾りとイヤリングをつけ顔を上げた。
それはドレスと合わせるには控えめで、決して華美ではないもの。
(今の私にはこれで充分。)
真っ直ぐ前を見据え立つライラの姿に、会場のざわつきが収まり空気が変わる。
皆がその姿に見惚れる。
一呼吸おいて、ヴァイオリンを構えると弓を動かし旋律を奏ではじめる。
息をのむような空気の中、会場中に響くライラの音楽。
リリが言っていた“音を楽しむと書いて音楽”なのだとの言葉に相応しい心地いい音。
短めにアレンジされた演奏が終わると、一瞬の静寂ののち一斉に拍手の波が起こった。
「あーあ、何で間に合っちゃうかなぁ。」
舞台袖に戻るとライラを閉じ込めた男子が面白くなさそうな顔で立っていた。
「お前っ! 何でレインを閉じ込めたりした!?」
「そうだよ! レインちゃんは何もしてないのに!」
ライラを探していたのだろう者達も戻ってきており、悪態をつく男子を囲んでいる。
特に怒りを顕にする土浦と火原が男子へ詰め寄るが、男子は悪びれた様子も見せず鼻で笑う。
「だってムカつくじゃん? 普通科のくせにコンクールに出たりしてさ。
成績が悪けりゃ笑えるかな〜ってね。」
「「なっ!?」」
肩を竦めながら言う男子に皆が怒り沸騰した瞬間。
バキッ、と小気味いい音とともに男子が床に倒れた。
「「「「「え……?」」」」」
皆が状況を呑み込めず目を瞬かせる中心には、ドレスを捲って男子の前に立つライラ。
男子を蹴っ飛ばした張本人は呆然とする男子を見下していた。
「私は大人しく泣きながら助けを待ってるお姫様とは違うの。
指を傷めるから蹴りだけで済んで有り難いと思ってね。」
にっこりと満面の笑みで言い放つライラに場は唖然とする。
そんな中で一人、柚木だけは微笑を浮かべながらライラを見つめていた。
(やってくれるじゃないか。)
ライラの言動には、いつも驚かされる。
閉じ込められ確かに不安がっていた筈なのに。
震えながら立った舞台で、真っ直ぐ前を向いた凛々しい瞳。
澄んだ、どこまでも響く音色。
男相手にさえ怯まない強さ。
そして、アンティークのアクセサリーをあげた時の嬉しそうな可憐な笑顔。
万華鏡のようにくるくる変わる表情を思い浮かべながら柚木は微笑む。
いつの間にか、万華鏡に瞳を奪われ……心まで奪われた。
夢中で見つめて、どんどん好きになっていく。
まるで、それが必然のように──。
柚木俺だけじゃない、皆がライラに夢中になってる事をライラは知っているのだろうか?
恐らくライラを閉じ込めたあの男も…。
けど、ライラが奏でた“愛のあいさつ”は柚木にだけ届いた。
それはお互いを想い合っている証拠で。
二人の道が交ざるまで日はすぐそばにあるのだろう。
そんな予感に柚木は自然と優しい表情になる。
「…いつか来る、その日を楽しみに待ってるよ。」
一人、呟いた言葉に答えるようにライラが小さく笑った。
2007.3.2.初出
2020.03.03.再掲載
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