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「誕生日」異聞ー前編ー


その教師は私立の中学校で数学を教えていた。
その年は、1年生のうちA組からF組の6クラスを担当していた。1クラスが40人ずつだったので、240人を担当していることになる。テストの時期には採点で腕が腱鞘炎になりそうだった。
1学期が終わって、子どもたちの学力にも差が目立ち始めた。塾に行っている子と、そうでない子の間でそれが顕著だった。
授業についてこられない子は、授業中の態度も投げやりだったり、無気力だったりした。まさか塾に行けとは言えない。どうにか落ちこぼれをつくらないように、四苦八苦している日々だった。
2学期の最初の授業はA組だった。教科書が予定のところまで進んだところで、残りの時間で余興をすることにした。
「みんな、1年は何日あるか知っているな」
さんびゃくろくじゅうご!
という声があがった。教師が教科書を閉じたので、もう今日は嫌な数学は終わりだ、というホッとしたような空気が教室に流れていた。
「じゃあ、誕生日も365通りあるということになる。このクラスの人数は40人だ。さて、このクラスで同じ誕生日の人がいる確率はどのくらいあるかわかるかな?」
生徒たちはざわざわしている。
1人が手を挙げた。
「365分の40じゃないですか」
何人かが同調するように頷いている。
「違う」と教師が言うと、別の子が手を挙げながら、「73分の8!」と大きな声で返事をした。
教師は苦笑しながら、「約分ありがとう。でも違います。もっと高いんだ」と言った。
これは余事象を扱った問題だった。本当は高校生で習う内容だったが、この誕生日のパラドクスとも呼ばれる問題を、中学1年生に向けて出題したのは、直感でこうだろうと思ったことが、まったく違う答えに行き着くという、数学の不思議に触れて欲しかったからだ。
「40人のクラスで同じ誕生日の人がいる確率は、約89%なんだ」
え、どうしてそうなるの?
みんな口々に疑問を投げかけてくる。
そんな風に不思議に思うこと。どうしてそうなるのか知りたくなること。これが数学を好きになることの、少なくとも投げ出さないことの、必要十分条件のはずだった。
「いいか。みんな、自分と同じ誕生日の人がいる確率と、ごっちゃにして考えているだろう。自分と同じ誕生日の人が残りの39人のなかにいる確率は、だいたい10%だ。でも自分と同じ誕生日の人が必ずしもいる必要はない。自分を含めたクラスの誰かと誰かがと、1人でも同じ誕生日だったらいいんだ。それなら、もっと確率が高い気がしてくるだろう?」
教師はそう言いながら、黒板に計算式を書いた。説明はしなかった。余事象の式は、まだ中学1年生には難しい。ただ、数学で解けるのだ、ということを示しておいてあげたかった。
その代わり、「実際に確かめてみよう」と言って、用意しておいたカードを配った。
「それに名前と誕生日を書いてください」
全員から書き終わったカードを集め、その日の日直の生徒と手分けして、誕生日が早い順に黒板に貼っていった。
教師はすべての誕生日を並べ終え、黒板から少し離れて腕組みをした。
「まいったな」
11%のほうを引いてしまったらしい。
40人の誕生日はすべて違っていた。
「実際にはクラスに23人いれば、同じ誕生日の人がいる確率が50%を越えるんだ」
締めくくりにそんなことを言いながら、がっかりした顔の生徒たちを見て、悪いことをしたような気になってしまった。

 ◆

教師は昼休みの間、A組の授業でのことを考えていた。
あそこでひと組でも同じ誕生日の子たちがいれば、ぐっとみんなの心を掴めたのに。ついてなかった。まあいい。次の授業ではもっと確率が上がるのだから。
教師は午後にあったB組の授業でも、同じことを繰り返した。
「40人のクラスで同じ誕生日の人がいる確率は、約89%もあるんだ」
ウソだぁ、と茶化すような生徒の前で計算式を書き、カードを配った。
「名前と誕生日を書いてください」
そうして集めたカードを、また黒板に並べて貼った。
あ、と思った。
また11%のほうだ。冷や汗が流れた。誕生日は綺麗にバラバラになっていた。
念のため用意しておいてよかった。
「A組でもみんなの誕生日を、カードに書いてもらってるんだ。365通りの誕生日に対して、A組とB組合わせて80人の生徒がいるけど、もし同じ誕生日の人がいる確率が365分の80なら、約22%しかないことになる。でもこの計算式を使うと、80人の中で同じ誕生日の人がいる確率は、99.9914%という数字がはじき出されるんだ。つまりほぼ100%ということ。その証拠を見せよう」
教師は、あらかじめ並べて持っていたA組のカードをB組のカードの中に入れ込む形で、黒板に貼っていった。
さあ、これで少なくともひと組は同じ誕生日のペアができる。
そう思って、そろそろ鳴るはずの終業のチャイムを気にしながら、その作業を手早く行った。
なのに。
なのに……。
教師は「あれ?」と言って笑顔を強張らせた。
生徒たちはじっと黒板のカードを見つめている。
80枚のカードのうち、同じ誕生日のカードは1つもなかった。
そんなバカな。昨日あらかじめ家で計算してきたのに、間違っていただろうか。99.9914%という数字が。
教師は唖然としてチョークを手から滑らせ、床の上に白い粉が砕けた。

 ◆


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