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天使―2―

聞き出せたのはそこまでだった。
礼を言って、教室の前から立ち去る。
彼女はきっとこれから昼ごはんを一緒に食べる仲間たちと私の噂話をするのだろう。
なんか、気持ち悪いよね。占いとかしてる人って。
石川さんも占いばかりしていた中学時代の私に、後ろ指をさしていた一人だったはずだ。胸の中に渦巻く怒りと微かな棘の痛みが私の心を揺さぶり、平常な精神でいられなくした。
私は教室に戻らず、昼ごはんも食べないまま校舎裏の秘密の場所で時間が過ぎるのを待った。
結局数行読んだだけで捨てたあのラブレターには校内で見かけたという私の容姿のことばかり並んでいた。差出人もこんな私の本性を知れば出すのを止めただろうか。
煙草の吸殻が何本足元に落ちても、誰も来なかった。風が遠くの喧騒を運んで来る。
すこしずつ、身体の中に硬い殻が形成されるようなイメージ。誰も傷つけない。誰からも傷つけられない。
空は高かったけれど、まがい物のような青だった。

4日後、あの日早退して以来休んでいた高野志穂がようやく登校してきた。青白い顔をして、緊張気味に唇を固く引き結んだまま誰とも挨拶を交わそうとしない。気がついていなかっただけで、あるいは彼女はいつもそうだったのかも知れない。
周りのクラスメートたちは、遠巻きに、そして腫れ物に触るように接していた。彼女たちにとって、島崎いずみと高野志穂は区別のない同じ存在なのだろう。
島崎いずみはまだ学校に来ない。退院したという噂は聞いたが、今も家に閉じこもっているのだろうか。

学校はまったく自殺未遂のことに触れようとしない。私たちがしている噂話を漏れ聞いていないはずはないのに。あるいは学校との関わりが確認されない限り、無視を決め込んでいるのかも知れない。
けれど私はどうしてもこのままにはしておけなかった。高野志穂に話しかけたくてうずうずしていた。
その気持ちを見透かされたのか、ヨーコが眉を寄せて私を見る。
「ちょっとちひろ。なんか嗅ぎまわってるみたいだけど、やめときなよ。こんなことに関わらない方がいいよ」
面と向かってそう言われると、確かにそうだという良識が私の中で頷く。
この数日で、かなりのことが分かっていた。同じ中学で、二人とも苛めを受けていたこと。そして今の学校での、そしてクラスでの立場。これ以上何を知っても不快なだけだ。私自身クラスで浮いている身であり、その私がなにか出来ることなどないし、なにより面倒くさい、どうでもいいという投げやりな気持ちの方が強かった。
休み時間にも俯いて机の上に広げたノートをじっと見ている高野志穂の姿に、好奇心以外の気持ちが湧かない自分に気づく。彼女はしきりに顔の絆創膏を気にして触っている。このあいだよりまた増えていた。
その様子を見ていて、オリンピック精神という言葉が一瞬頭をよぎる。
これだけは意味が分からない。この一連の出来事にそぐわない響きだ。間崎京子は一体なにを思ってそんなことを言ったのか。あれから何度かあの教室を覗いたが、彼女はすでに早退した後か休みかのどちらかで、結局会えなかった。もともと休みがちだったというが、これはどういうことなのか。透けるような色白で、スラリと伸びた細すぎる身体に病弱そうな雰囲気は感じ取ったが……
ともあれ、オリンピック精神と聞けば「参加することに意義がある」とかいう陳腐なフレーズしか浮かばない。それが自殺未遂にどう繋がるのだろう。

高野志穂が在籍しているというバレー部となにか関係があるのだろうか。そう言えば、島崎いずみの方はいわゆる帰宅部で、中学時代からなんのクラブ活動もしていなかったらしい。
毎日の放課後、バレー部の練習のために学校に残る高野志穂と別れ、寂しそうに一人で帰る姿をいつも目撃されている。
「オリンピック精神」
小さく口にしても、真実に迫るようなインスピレーションはなにも湧いてこない。自殺未遂にはそぐわない、健康的なイメージばかりが浮かんでは消える。
そう言えば、間崎京子はなにかクラブ活動をしているのだろうか。
そう思った時、横からヨーコに小突かれた。
「ちょっと、ちひろ。重症ね。もうそんなこと忘れてパーッといきましょう。今日、 放課後、私と遊ぶ、OK?」
ヨーコはすっかりいつもの調子だった。
苦笑して、頷いた。
背中に高野志穂の怯えたような視線を微かに感じながら。

「ねこがフェンスでふにゃふにゃふにゃ〜」
というヨーコのでたらめな歌を聴きながら空き地の金網のそばを歩く。
「トムキャットのフェンスって、良い曲だよ。でもカラオケに入ってないんだよね」
くるりと振り向いたかと思うと、そう訴える。ヨーコはいつも唐突だ。一緒にいると疲れることもあるが、いつも楽しげな彼女を見ているとこちらも元気づけられる。
「そうそう、最近オープンしたおしゃれな喫茶店が近くにあるんだけど行かない?」
連れられるまま5分ほど歩くと、古着屋やレコードショップなどカラフルな外観の店が立ち並ぶ通りに目的の喫茶店が現れた。さすがに真新しく清潔感のある店先だ。

中高生などの若い女性客が多く入っているのがウインドウ越しに見てとれた。
店内に入ると、白を基調にした壁に可愛らしい天使の絵が一面に描かれている。
「おすすめケーキふたつ。あとアイスティーもふたつ」
と勝手に注文するヨーコを尻目に、私はなにか引っ掛かるものを店内から感じていた。
席について、いついつの情報誌にここが出ていたなどと語るヨーコの話にも上の空で、私は壁の絵ばかりを見ていた。
「あー、これなんか見たことある」
そう言ってヨーコは一つの絵を指さした。
椅子に腰掛けて両手を胸にあてる女性に、羽の生えた人物が何かを語りかけている。
処女であるはずのマリアに、天使が受胎を告知する聖書のワンシーンだ。しかし随分デフォルメされてしまっていて、子どもじみた絵になっている。
「ガブリエル」
私の言葉にヨーコが「え?」と聞き返す。
「この天使の名前」
ヨーコは感心した表情で、「天使に名前なんてあるんだ。みんな一緒かと思ってた」とつぶやく。
私は心臓が裂けそうにドキドキと脈打つのを感じていた。そして頭の中で言葉が鐘のように鳴る。
天使。
天使の名前。
そうだよ、ヨーコ。天使に名前はあるんだ。
私は椅子の足を鳴らせて、席を立った。
「どうしたの」と聞くヨーコを横目で見ながら、「ゴメン、急用思い出した。先帰る」と一方的に言って、おすすめケーキとアイスティーの代金をテーブルに置き、出口に向かう。ヨーコの非難するような声が背中に届いたが、無視した。
店を出た後、その足を町の図書館へと向ける。
嫌な予感がする。自分の記憶が間違っていてくれたら、と思う。
けれどその30分後、広げた大きな事典の中にその名前を見つけた時、人気の無い静かな図書館の片隅で私は深い息をついた。
心臓が冷たい血を全身に送っている。そしてそれはぐるぐると巡り、もう一度心臓に還って来る。すべてが繋がっていく。とても冷酷に。バラバラだったパズルの欠片がひとつ、ひとつと繋ぎ合わされ、見えつつある絵の向こうから途方もなく暗い誰かの目が覗いていた。

怖い夢を見ていた気がする。
枕元の目覚まし時計を止め、身体をベッドから起こしながら思い出そうとする。カーテンの隙間から射し込む光に目を細め、思い出そうとしたものを振り払う。
セーラー服に袖を通し、朝ごはんをかきこんで家を出た。
足がスイスイと前に出ない。気分が沈んだまま、いつもより時間をかけて学校にたどり着いた。
人でごった返す昇降口で、靴箱から上履きを出していると廊下の方に目が行った。
スラリとした長身。ショートカットの髪が耳元に揺れる。切れ長の涼しい目。透き通るような白い肌。
間崎京子だった。

あっという間に通り過ぎて見えなくなった彼女を、その残像を、睨みつけて私は心の中で暴れる感情を抑えていた。
その日の1時間目は英語の授業だった。
黒板の英文をノートに書き写している私の机に、丸めた紙がコツンと落ちて来た。
広げると『やい、ちひろ。おかげでケーキふたつも食っちまったゾ。おデブちゃんになったらどうしてくれる `皿´』という文面。
『スマン。スマンついでに昼休み、ちょっとつきあってくれ』と書いたノートの切れ端を返す。
『OK』の返事。
何事もなく時間は過ぎ去り、やがて昼休みを告げるチャイムが鳴った。
ざわめきが教室に広がるなか私は立ち上がり、高野志穂の席へ向う。
「ちょっと来て」
その瞬間、緊張したような空気が周囲に流れる。
私はかまわず、金縛りにあったように身を固くした高野志穂の腕を取って、強引に立たせた。
「ちょっと、ちひろ」
と言いながら近づいてきたヨーコにも、有無を言わせない口調で「一緒に来て」と告げる。
クラス中の匿名の視線を浴びながら私は二人とともに教室を出た。
早足で、校舎裏の秘密の場所に向かう。相応しい場所は、そこしかないような気がしていた。
なにかぶつぶつ言いながらもついてくるヨーコは不機嫌な顔を隠さなかった。高野志穂は蒼白とも言っていい顔色で、足取りもふらついて見える。私は彼女の腕をつかむ手に軽く力を込めた。しっかり歩け、と。


誰もいないその場所に着いて、私は高野志穂を壁側に立たせた。
今は遠くのざわめきも聞こえない。校舎の壁に反射して、陽射しが目に痛い。白く輝きながら、夏がもうそこまで来ている。
「怖がらずに答えて欲しい」
高野志穂は生唾を飲みながら、それでもコクコクと頷く。その目は正体なく泳いでいる。
「島崎さんが自殺しようとした理由を知ってるな」
頷く。
「そのことで、彼女は間崎京子の所へ相談に行ったな」
頷く。
「占ってもらった結果を知って、ショックを受けた彼女は思い余って手首を切った」
頷く。
「その絆創膏の下は、バレー部の練習でついた傷じゃないな」
頷く。
「島崎さんとあなた。二人とも誰かに恐喝されていたな」
……頷く。
「かなりの額のお金を脅し取られていたな」
頷く。
「他の人に言えば、もっと怖い人から酷い目に遭わされると?」
頷く。頷く。
「恐喝していたのは、こいつだな」
ヨーコが悲鳴をあげた。
私が強い力で腕を引っ張ったからだ。
「ちょ、ちょっと、なに言うのよ、ちひろ。痛い。痛いって」

わめくヨーコの目の前で高野志穂は今にも倒れそうな顔つきをしながら、しかし歯を食いしばるように必死で頷いていた。
私は冷たい心臓が送り出す血が、体内でチロチロと低温の火を点しているようなイメージを抱きながら、言葉を続けた。
「あなたたちが私の方を怯えたような目で見ていたのは、いつも隣にいたこいつを恐れていたからだったんだな」
またヨーコが悲鳴をあげる。暴れる腕を遠慮ない力で捻りあげた。
「私はあなたたちが想像したような人間じゃないから安心しろ。こいつを今こうしているのが証拠だ。だから答えてくれ。いつからだ。どうしてこいつに?」
高野志穂は震えながらもやがてボソリ、ボソリと語り始めた。
自分と島崎さんは奥さんと同じ小学校だった。その頃、二人は奥さんとそのグループから酷い苛めを受けていた。中学校に上がって、奥さんとは別の学校になれたが、やっぱりそこでも別の人たちから苛めを受けた。もう、この輪から抜け出すには自分が変わるしかないと思った。高校に上ったら運動部に入って、引っ込み思案な自分の殻を破りたい。そう思っていた。しかしその生まれ変わる場所のであるはずの高校には、あの奥さんがいた。あの頃の乱暴なだけの少女とは少し違う、狡猾な顔で。
小学校の頃に命令されるままにやった窃盗のことをバラすなどと理不尽なことで脅され、お金を要求された。自分も島崎さんも、抵抗する気さえ起きなかった。明るい、にこやかな表情で、自分たちの腹や背中を殴り、蹴りつける彼女に冷酷で無慈悲な悪魔をダブらせた。バレー部に入った私には、傷が目立たないだろうと顔まで殴った。
おかげで顔から絆創膏がな取れるとはなかった。奥さんは、私だからまだいいんだ、と言った。私の友だちがキレたら、おまえら「売り」をさせられるよ、と言った。
その友だちは他校の不良とつるんで、そんなことばかりしている本物の怖い人だと。

「ウソよ、ウソ。あんたなにウソ言ってんのよ。謝りなさいよ。ふざけんなよ」
わめくヨーコを壁に押し付け、耳元に顔を寄せた。
「おい。私が不良だのなんだのと、噂を流したのはおまえ自身だな。私がそんな噂にいちいち弁解して回らないタイプの人間だと判断した上で。あの二人の様子に私が不審を抱いた途端に、そんな噂があるとバラして、恐喝の秘密から遠ざける…… ずいぶんと知恵が回るじゃないか。でもな、ずっと学校を休んでいた子が、バレー部の練習にも出てないのに絆創膏が増えてたってのはいただけないな。おまえらしくないミスだ」
学校を休んでいる間にも呼び出し、口止めを図っていたのだろう。
私に動きを封じられたままヨーコは、ガチガチと歯を鳴らして涙を浮かべている。
なによ。なによ。
私を憎しみのこもった目で睨みつけながら、そんな言葉を口の中で繰り返している。
「金がそんなに欲しかったのか。ブランドものの服を買って、好きなものを食って。それが他人を踏みつけて得た金でも、なにも感じないのか」
ぺっと、唾が頬に飛んできた。
目をつぶり、開けた瞬間、己の中の冷たい怒りの炎がいつの間にか暗く悲しい色に変わっていることに気づいた。
「友だちだと、思っていたんだ、陽子」
ゆっくりと、それだけを言うと私は彼女の頬を思い切り打った。
その勢いで身体を強く壁にうち、ヨーコは崩れ落ちた。
嗚咽が、丸めたその背中から漏れる。

「落ち着いたら、高野さんに謝るんだ。それから島崎さんにも謝りに行こう。私もついていくから。それが済んだら……絶交だ」
ヨーコの背中にそんな言葉を投げかけ、高野志穂には「もう教室に戻りな」と言った。
それから私は二人を残して駆け出し、校舎の中に入った。一直線に間崎京子の教室へ向かう。廊下でスレ違う平和ボケしたような女子生徒の顔がやけにイラつく。
「どけ」
そんな言葉を吐くと、相手は怯えたように道をあける。自分は今どんな顔をしているのだろう。
閉まっていたドアを乱暴に開けると、教室の中からハッと驚いたような気配が返って来た。
かまわずに、間崎京子の元へ歩み寄る。
彼女は席に座ったまま肘をついた両手の指を絡ませ、まるで来ることを知っていたかのように平然と私を見上げながら薄っすらと微笑みを浮かべている。
「島崎いずみを脅していた相手を知っていたな」
答えない。
「事件のことで石川さんにカマをかけられた時、おまえはこう言ったな。"オリンピック・スピリッツ"と」
"オリンピック精神"と、又聞きで伝えられた私にはその意味が分からなかった。しかしそう言い換えた石川さんは責められない。そちらの方が確かに馴染みのある言葉だからだ。ただ"オリンピック・スピリッツ"には同じ響きで、もう一つ別の意味があった。この事件の真相を言い当てる意味が。

あの日、図書館で私は天使の名前が網羅された事典を開いていた。
そこにおぼろげだった記憶の通りの名前が出てきた時に、私はすべてを知ってしまったのだ。
天使とはユダヤ教やキリスト教、イスラム教などに現れる神の使いの総称だ。それらの天使には階級があるとされ、多くの天使がそのヒエラルキーに取り込まれている。ミカエルやガブリエルなどの有名な四大天使は、その名の通り大天使として第8階位、つまり下から2番目の低位につけられていたりする。その9階位に属さない天使も数多くあり、様々な宗派によってその役割も象徴する意味も異なる。
その中に、オリンピアの天使と呼ばれるグループがある。聖書ではなく、魔術書に現れる天使だ。その、人間の役に立てるために使われるという性質は、どちらかと言えば天使というよりデーモンに近い。日本語に訳される時も「オリンピアの天使」とする場合もあれば「オリンピアの霊」などと表記される場合もある。英語では、「Olympic spirits(オリンピック・スピリッツ)」とも。
それらは惑星を支配する存在とされ、それぞれに象徴される7つの星が当てられる。
水星はオフィエル。金星はハギト。火星はファレグ。木星はベトール。土星はアラトロン。月はフル。そして太陽は――オク。
奥陽子。
その名前をあげつらって、間崎京子は言ったのだ。オリンピアの天使、オリンピック・スピリッツと。
黒魔術などのオカルトに詳しい人間でないと絶対に分からないだろう。そういう人間だけに向けて彼女は真相を発信したのだ。すべてを知りながら。頼ってきた島崎いずみを言わば見殺しにして。あまつさえ、剣の10という最悪の結末の暗示を本人に告げて。私にはそれが許せなかった。知っていたならば、なにか出来ることがあったはずだ。傍観者としてなにも行動しなかった私自分にもその怒りの刃は向いて、身体の中のどこかを傷つけた。

「太陽は。太陽のカードは、ケルト十字の2枚目に出ていたんだな」
答えない。
ケルト十字スプレッドにおける2枚目のカードは1枚目の上に交差されるように置かれる。それはやがて周囲に展開されるカードの並びの中で、十字架の真ん中の位置となる。
表すものは「障害となるもの」。
大アルカナ22枚のうちの19番目のカードである太陽(The Sun)は、正位置ならば《創造》《幸福》《誕生》etc. 逆位置ならば《破局》《不安》《別離》etc.
しかしこの場合、陽子という太陽を暗示させる名前そのものを指している。少なくとも、島崎いずみ自身にとっては。彼女の悩みの根源を成す「障害」として。
そしていつかの私に対する警告。「恨みはなるべく買わないほうがいい」というあれは、すべてを見透かした上での言葉だったのか。
「彼女の手にした刃物は、結局自分に向かった。それは彼女自身の選択よ」
間崎京子の口から音楽のように言葉が滑り出した。
「おまえは何様なんだ」
周囲から、固唾を飲んでこのやりとりを注視している無数の気配を感じる。誰も表立ってこちらを見てはいない。しかしその無数の悪意ある視線は、確実に私の心を削り取っていった。
「あなたも、まだあの子を救える気でいるなんて、おめでたいわね」
ヨーコのことか。なぜそんなことをこいつに言われなくてはならない。
「7つの星に対応する数多くの象徴の中で、7つの大罪がどういう配置になっているかご存知?」
表情はまったく変えていないのに、微笑が、嘲笑に変わった気がした。その時私は、この女をはじめて恐ろしいと思った。


「水星は大食。金星は欲情。火星は憤怒。木星は傲慢。土星は怠惰。月は嫉妬。それから太陽は――」
芝居じみた動きで彼女は指をひとつ、ひとつと折り、7番目となった左の人差し指をゆっくりと折り畳みながら言った。
「強欲」
その言葉と同時に、私は彼女の机を両手で強く叩いた。周囲がビクリとして、一瞬静かになる。そこに、冷ややかな言葉が降って来る。
「ねえ、わかるでしょう。彼女は彼女自身の星からは逃れられないわ。この世界には、変わろうとする人間と、変わろうとしない人間しかいない。それはあなたのせいでも、わたしのせいでもない」
怒りだとか、悲しさだとか、悔しさだとか、そんな様々な感情が私の中で嵐のように渦巻いて、目の前にパチパチと輝く火花を発している。
私は唇を噛んで、この氷細工のような女を殴りたい気持ちを必死で抑えていた。そんな私の姿を一見変わらぬ笑みで見据えながら、彼女は誘惑するような甘い囁きでこう言った。
「かわりに、わたしがあなたの友だちになってあげる」

それが、間崎京子との出会いだった。





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