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人形−2−
続き

「あの絵の人形って高校時代の友だちの持ち物なんだけど、なんか死んだおばあちゃんがくれた凄い古いヤツなんだって」

その友だちは礼子ちゃんといって今でも良く一緒に遊ぶ仲なのだそうだが、最近少し様子がおかしかったと言う。
ある時彼女の家に遊びに行くと、なんかわかんないけど江戸時代くらいの和服の女の人が何人かいて、真ん中の人がその人形を抱いて座ってる写真を見せられたそうで、自分はその人形を抱いている女性の生まれ変わりなのだと言い出したらしい。
聞き流していると怒り出し、その人形が家にあると言ってどこからか引っ張り出してきて、それを抱きしめながら

「ねっ?」

と言うのだという。
写真の女性と似てるとも思えなかったし、どう言っていいのかわからなかったが、そんな話自体は嫌いではないのでそういうことにしてあげた。
それにそんな古い写真と人形が共にまだ現存していたことに妙な感動を覚えて

「絵に描きたい」

と頼んだのだそうだ。

「その絵があれか」

師匠がなにごとか気付いたように片方の眉を上げる。なにかわかったのかと次の言葉を待ったが、何もなかった。
みかっちさんはコーヒーにシュガースティックを流し込みながら、珍しく強張った表情を浮かべた。

「でね、それから何日か経って、あ、今から3週間くらい前なんだけど、その礼子ちゃんとか高校時代の友だち4人で温泉旅行したんだけど」

少し言葉を切る。
その口元が微かに震えている。

「電車に乗ってさ、最初四人掛けの席が空いてなくて二人席にわたしと礼子ちゃんとで座ってたんだ。ずっとお喋りしてたんだけど、1時間くらいしてからなんか、持ってくるって言ってた本の話になってさ。礼子ちゃんがバッグをゴソゴソやってて『あっ間違えた』って言うのよ。『なに〜?別の本持って来ちゃったの?』って聞いたらさ」

唾を、飲み込んでから続ける。

「ズルッて、バッグからあの人形が出てきて
『本と間違えちゃった』って・・・」

俺はそれを聞いてさっきのギャラリーでは感じられなかった、鳥肌が立つような感覚を覚えた。

「別に頭がおかしい子じゃないのよ。その旅行でもそれ以外は普通だったし。ただ、なんなんだろ、あれ。人形って魂が宿るとかいうけど」

それに憑りつかれたような…みかっちさんが続けなかった言葉の先を頭の中で補完しながら、俺は師匠を見た。
腕組みをして真剣に聞いているように見える。
やがておもむろに口を開く。

「その人形を描いた絵が、さっきのグループ展での不思議な出来事の元凶ということか」

「だよね、どうかんがえても」

みかっちさんは

「どうしよ」

と呟いた。

「絵を処分しても解決したことにはならないな。勘だけど、その人形自体をなんとかしないと、まずいことになりそうな気がする」

師匠は身を乗り出して、続けた。

「その子の家にはお邪魔できる?」

「うん。電話してみる」

みかっちさんは席を立った。やがて戻って来ると

「今からでも来ていいって」

と告げた。そうして俺たちは3人でその女性、礼子さんの家に向かうことになったのだった。
喫茶店から出るとき、師匠は俺に耳打ちをした。

「面白くなってきたな」

俺は、少し胃が痛くなってきた。


みかっちさんの車に乗って、走ること15分あまり。
街の中心からさほど離れていない住宅地に礼子さんの家はあった。2階建てで、広い庭のある結構大きな家だった。
チャイムを鳴らすと、ほどなくして黒い髪の女性が出てきて

「あ、いらっしゃい」

と言った。
案内された客間に腰を据えると、用意されていたのか紅茶がすぐに出てきた。スコーンとかいうお菓子も添えられている。

「いま家族はみんな出てるから、くつろいでくださいね」

言葉遣いも上品だ。こういうのはあまり落ち着かない。

「大学のお友だちですって?ミカちゃんが男の人を連れてくるのは珍しいね」

俺たちはなにをしに来たことになっているのか、少し不安だったが

「ああ、写真ね。今持ってくる」

と言ってスカートを翻しながら部屋から出て行った様子に安堵する。
みかっちさんが小声で

「とりあえず、古い写真マニアっぽい設定になってるから」

やっぱり胃が痛くなった。戻ってきた礼子さんは

「死んだ祖母の形見なんです」

と言いながら、木枠に納められた写真をテーブルに置いた。
色褪せた白黒の古い写真をイメージしていた俺は、首を傾げる。
ガラスカバーの下にあるそれは、妙に金属的で紙のようには見えなかったからだ。
しかしそこには着物姿の3人の女性が並んで映っている。
モノクロームの写りのせいか、年齢は良く分からないが若いようにも見えた。
椅子に腰掛け、何故かみんな一様に目を正面から逸らしている。そして真ん中の女性が膝元に抱く人形には、確かに見覚えがあった。

あの絵の人形だ。

「私の祖母の家は、明治から続く写真屋だったそうです。この写真はそのころの家族を撮ったもので、たぶんこの中に私のひいひいおばあちゃんがいるそうです」

礼子さんはうっとりとした表情で装飾された木の枠を撫でながら

「真ん中の人かな」

と言った。
師匠は、食い入るような目つきで顔を近付けて見ている。
おお、マニアっぽくていいぞ、と思っていると彼は急に目を閉じ、深いため息をついた。

「これは銀板写真だね」

目をゆっくりと開いた師匠の言葉に、礼子さんは軽く首を傾げた。わからないようだ。俺もなんのことかわからない。


「写真のもっとも古い技術で、日本には江戸時代の末期に入ってきている。銀メッキを施した銅板の上に露光して撮影するんだ。露光には長くて20分も時間がかかるから、像がぶれないように長時間同じ姿勢でいるためにこうして椅子に座り・・・」

と言いながら師匠は着物の女性の髷を結った頭部を指さす。
頭の上になにか棒のような器具が出ている。

「こういう、首押さえという道具で固定して撮る。ただ、この銀板写真も次世代の技術である湿板写真の発明によってあっという間に廃れてしまう。
長崎の上野彦馬とか下田の下岡蓮杖なんかはその湿板写真を広めた職業写真家の草分けだね。明治に入ると乾板写真がそれにとって代わり、日本中に写真ブームが広がる。その中で出てきたのが、写真に撮られると魂を抜かれるだとか、真ん中に写った人間は早死にするだとかいう噂。それからそこにいないはずの人影が写った『幽霊写真』。今の心霊写真の元祖は明治初期にはすでに生まれていて、そのころからその真偽が論争の的になっている」

ほー、という感心したような吐息が女性陣から漏れる。
本当に古い写真マニアだったのかこの人は。いや、というよりは、やはり心霊写真好きが高じてというのが本当のところだろう。

「というわけで、銀板写真は明治の写真屋の技術ではないんだ。だからこれは商売道具で撮影したものではなく、回顧的もしくは技術的興味で撮られた写真だろう。像も鮮明だから、露光時間が短縮された改良銀板写真技術のようだね」

やはり感じたとおり、材質は紙ではなかった。
銅版なのか。俺はしげしげと3人の女性を見つめる。
100年も前の写真かと思うと、不思議な気持ちだ。
本当に写真は時間を閉じ込めるんだな、と良くわからない感傷を抱いた。

「魂を抜かれるって、聞いたことがありますね。真ん中で写っちゃいけないとかも」

礼子さんの言葉に師匠は頷きかける。

「うん。それは当時の日本人にとっては切実な問題だったんだ。鏡ではなく、まるで己から切り離されたように自分を平面に写し込むこの未知の技法を、どこか忌まわしいもののように感じていたんだろう。この写真の女の人たちが目を背けているのも、その頃の俗習だね。視線を写されるのは不吉だとされていたらしい」

本来の目的を忘れて師匠の話に耳を傾けていると、そこから少し口調が変わった。

「この、真ん中の女性が抱いている人形もそうだ」

みかっちさんの肩も緊張したように、僅かに反応する。
「真ん中の人間の寿命が縮むというのは明治時代、日本中に広がっていた噂でね。今で言うミーム、いや都市伝説かな。そんな噂を真に受けて不安がる女性客に、写真屋が手渡すのがこれだよ」

師匠は女性の膝の人形を指差す。

「人形を入れれば、全部で4人。真ん中はなくなる。それに椅子に斜めに腰掛けることで、人間ではなく膝の上の人形が正確に写真の中心にくるような配置になっている。つまり寿命が縮む役の身代わりということだ。そうした写真の持つ不吉さを、人形に全部被せていたんだ」

ゾクゾクし始めた。身代わり人形だったのだ。『穢れ』の被り役としての。
恐らく、写真屋は同じ人形を使い続けただろう。その頃、写真を撮るような客は上流階級に属している者ばかりのはずだ。
そんな客に、使い捨ての安っぽい人形を持たせる訳にもいくまい。
つまり、こういう、上質な市松人形のようなものが、ずっとその役目を負い続けるのだ。意思を持たないものに、悪意を被せ続ける・・・そのイメージに俺はぞっとした。
何年何十年という時間の中で穢れは、悪意は集積し、この人形の内に汚濁のように溜まっていく。
そして…シーンと静まる家の中が、やけに寒く感じられた。

「ちょっと、なんでそういうこと言うのよ」

礼子さんの口から鋭く尖った言葉が迸った。

「この子は私のひいひいおばあちゃんの大切な人形よ。そんな道具なんかじゃない。だってずっと大事にされて今の私にまで受け継がれたんだから。見ればわかるわ」

そう捲くし立てて礼子さんは凄い勢いで部屋の出口へ向かった。
唖然として見送るしかない俺の横で、師匠は叫んだ。

「そんなものが実在すればね」

一瞬、礼子さんの頭がガクンと揺れた気がしたが、彼女はそのまま部屋を飛び出していった。

「どういうこと?」

とみかっちさんが訝しそうに眉を寄せる。

「まあ見てな」

師匠は余裕の表情で革張りのソファに深く体を沈めた。俺は写真にもう一度目を落とし、人形を良く観察する。
色こそついていないが、やはりあの絵と全く同じ人形のようだ。
髪型や表情、帯や着物の柄も同じに見える。師匠はこの写真からなにかわかったのだろうか。
やがて静まり返っていた家の中に、女性の悲鳴が響き渡った。


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